僕が犯されているあいだ、先輩はいつもシナモンスティックでかき混ぜながら、優雅にコーヒーを飲んでいる。そのせいで、僕はその香りを嗅いだだけでたまらない気持ちになって、トイレを探して処理しなくてはならなくなる。
あのときの先輩の蔑んだ視線。冷ややかな笑み。僕の喘ぎにそばだつ耳。ため息も、組んだ黒タイツの脚も、みじめな僕のすがたをまぶたに焼きつけるまばたきも。
すべてをまざまざと思い出して、僕はいつもポケットに入れているシナモンの小瓶の中身を吸いこんで、吐精する。
かわいいね、勇太郎。
でもとっても可哀想。
私に触れたらどうなるか、お前は理解してるもんね。
白柳優里恵先輩。三月に卒業していった、去年までこの高校で王のような生徒会長だった高浜浩一先輩の婚約者。けしてひいきでなく、高浜先輩の絶対的信頼を受けて、白柳先輩は現在生徒会長を引き継いで、生徒たちにも信頼されている。
僕もそのひとりだった。ひとりに過ぎないくせに、美しい先輩に恋い焦がれていた。
艶やかな黒い髪、なめらかな白皙、長い睫毛と柔らかく垂れる目尻、いちごを吸い取ったような唇、すらりとした肢体に、ふくよかな胸と折れそうな腰つき。一輪の薔薇みたいに、凛と、華奢に、侵せない棘をまとっている。
僕は二年生で、生徒会では書記を務めている。先輩が生徒会室でコーヒーを飲みながら、よくそれをシナモンでかきまぜているのは知っていた。「おいしくなるんですか?」ともうひとりの書記の女子が尋ねると、「香りがよくなるの」と先輩は答えていた。
仕事が終わり、その日、片づけが僕に任された。書類等は各自で片づけるけど、残ったカップやお菓子の空ぶくろは当番制で片づける。
僕は秘かにこの当番を楽しみにしていた。すべて片づけたあと、残しておいたシナモンスティックを舐めながら、誰もいない生徒会室で自慰するのだ。
その日もそうしていた。カーテン越しに夕暮れが揺らめいていた。鍵の音には気づかなかった。でも、ドアが開いてはっと振り向いて──
そこには、もちろんこの部屋の鍵を自由にできる白柳先輩がいた。
「外から見て、人影がまだ残ってたから」
先輩は何事でもないように室内に入ってくる。僕が茫然とシナモンスティックさえくわえたままでいると、先輩は目をすがめた。
「口に入れたものを、そんなふうに出したり入れたりするのは、行儀が悪いわ」
僕ははっとして、さらした猛る股間より、口の中のシナモンを引き抜いて、どうしようか迷ったあとスラックスのポケットに入れた。
「持って帰るの?」
「え、あ──」
「そして家で続き? 変態だね」
頬が真っ赤になって、僕はやっと萎えてきたものをファスナーの中にしまった。うつむいてしまい、ソファを立ち上がることもできずにかたまっていると、「いつもこういうことしてたの?」と先輩は僕の前にまわりこんでくる。
「す、すみま……せん」
先輩は上履きのまま、僕の股間を踏みつけてきた。かかとの動きに、じわりとまた快感が走りかけて焦る。
「先生に言ってほしくない?」
「あっ……い、言わないで、ください。何でもします。だから……」
「そう。じゃあ、私の言いなりになってもらうしかないね」
泣きそうな目で先輩を見上げると、オレンジ色が陰ってきた中で、「ここで続きをしなさい」と先輩は言った。
「えっ……」
「私に隠さず見せなさい」
「で、でも」
「できないの?」
先輩は僕のことをもっと踏みつけにする。「し、します」と小さな声で答えると、先輩はやっと足をおろした。僕は引き攣った手つきでファスナーをおろして、飛び出すように現れた性器に恥ずかしくなる。
僕のことを先輩が見ている。室内にはシナモンの香りが残っている。僕は手を動かし、腰を痙攣させながらせりあげてくる波に声をもらす。
そのとき、先輩が僕のポケットからシナモンスティックを取り出し、口にくわえさせてきた。急にシナモンの香気が濃く鼻腔を撫でて、その瞬間、僕は爆ぜてしまった。
先輩の黒いタイツに僕の精液がかかってしまったことに気づく。僕はおろおろしながら、胸ポケットのハンカチを取り出す。
「すみません、あの、僕……」
黄ばむ前にそれを落とそうとしていると、「かわいいね、日坂くん」と先輩が言った。
「下の名前は勇太郎だった?」
「あ、……はい」
「勇太郎、これからも私を愉しませてくれるなら、我慢しなくていいよ?」
「愉しませる、って……」
「あなたが私に這いつくばるところをもっと見たい」
とまどって先輩を見上げる。室内はすっかり暗くなっていたけど、先輩の黒曜石のような瞳は見取れる。「私の言うことを聞くだけよ」と先輩は僕の口からこぼれおちたシナモンスティックを拾う。
「これ、また欲しいでしょう?」
無意識にうなずいていた。先輩はあざけったような嗤いをこぼしたあと、「また遊んであげるから、今日は帰りなさい」と命じてきた。僕はスラックスを正すと、ふらふらと立ち上がって生徒会室を出た。
何だか、頭の中が甘く麻痺していた。
それから、僕と先輩の秘密の遊戯が始まった。水曜日の放課後。もちろん場所は生徒会室。
先輩は僕に自慰をさせるだけでなく、両手を縛って目隠しをしてAVの音声をイヤホンで聴かせたり、同じく奴隷のようにしているらしい男子生徒に僕を犯させたりした。
先輩自身は、いっさい僕に触れないし、何も見せない。僕が切なく苦しむのと同じ空間で、ただゆったり、シナモンでかき混ぜるコーヒーを飲んでいる。次第に僕は、シナモンの香りにひどく敏感になり、その匂いだけで勃起しかけてしまうぐらいになった。
そんなこと絶対にしてはいけない。できるわけがない。分かっていても、どこかで先輩の制服もタイツも引きちぎって、その乳房を鷲づかみ、子宮の奥まで穢してしまいたいと思う。
先輩は僕のそんな欲望など、お見通しだっただろう。だからささやくのだ。
かわいいね、勇太郎。でもとっても可哀想。私に触れたらどうなるか、お前は理解してるもんね。
そう、分かっている。僕は退学になる。高浜先輩に制裁される。父は会社で失脚する。母は体面を失うし、妹は来年この高校に入学できなくなる。すべて終わってしまう。
なのに、僕は白柳先輩とのシナモンが香る禁じられた時間に囚われ、その鎖でみずからの喉を締める。
蜜の沼で溺れるような時間は、白柳先輩の卒業まで続いた。まだひんやりした春風の中、先輩は在校生にも先生にも惜しまれながら、笑顔で卒業していった。校門には高浜先輩が迎えに来ていた。
僕は声もかけられなかった。
哀しくなりながら何となく生徒会室に行くと、「ああ、日坂くん」と共に書記を務めた女子がそこにいて、僕に瓶を渡してきた。シナモンスティックが入った瓶で、「これ……」と僕がまばたくと、「会長が日坂くんに渡しておいてって言ってた」と彼女は肩をすくめる。
「『ありがとう、君のこと忘れないから』とも言っておいてって。あたしにもいろいろお礼言ってくれたし、いい生徒会長だったよねー」
僕は唇を噛んだ。忘れない。僕も忘れない。きっと、先輩を一生忘れない。シナモンの香りを嗅ぐたびに思い出す。
穢れなき先輩に穢されて、何度もつぶれそうに陶酔したこと。
僕は三年生になって、生徒会長になった。聞かされたときはびっくりしたけど、白柳先輩が推薦していったのだそうだ。放課後には、いつも生徒会室でゆっくりシナモンコーヒーを飲んだ。コーヒーの深い香りが、シナモンだけ吸いこんだときと違って僕の神経を鎮めて、もうここで自慰に及ばせることはない。
それでも、夜になればやはりシナモンの香りを吸いこみながら、いやらしく乱れる生活を送っている。僕のこの一面はずっと変わらないだろう。
僕は調教されてしまったのだ。この香りに気が狂ってしまった。
先輩。もう会えることはないだろうけど、僕はあなたに染められたこの軆を一生引きずっていく。
独特に甘く、深い刺激を及ぼすシナモンの香りと共に、僕は何度だって朦朧と射精する。
FIN