ミチカケループ-11

囚人の嘘【2】

 エスカレーター組ではないから、俺の向かう教室は二学期が始まって受験モードにいらついている。「おはよー」と声をかけてくれる友達は適当にいるけれど、放課後集まって遊ぶ奴はいない。親が遊びなんて許さないし、ふらふらしていたら塾や小冬さんの訪問に間に合わなくなる。友達を家に呼んで、また親が変なことを言うのも嫌だった。
 塾がある日は制服のまま塾に寄り、真っ暗になった二十一時くらいに解放されてそれから帰る。かなり疲れる。塾は辞めて、小冬さんの授業が増えるならいいのに、と思うけれど、小冬さんも毎日俺の家を訪ねられるほどヒマではないか。
「じゃあ、今日はこのへんにしておきましょうか」
 その日は小冬さんが来る日だった。涼しくなってきたとはいえ、やはりドライくらいつけないと汗ばむので、エアコンは稼働している。
 俺のノートをチェックして正解を確認すると、小冬さんは掛け時計を見てそう言った。二十一時になりそうだ。
「中葉くんはすぐ飲みこむから、何だか私、楽で申し訳ないね」
 参考書を閉じながら、小冬さんは苦笑いする。それはちょっとでもかっこつけようと予習してるからです、と内心で答える。勉強ができてかっこいいなんて、ガキに対して、そもそもそんな気持ちが小冬さんにはないのは分かっているけど。
 荷物をまとめた小冬さんを見送るため、俺も一緒に部屋を出る。一階に降りて、小冬さんが親に挨拶しているあいだは玄関先でスニーカーを履いて待つ。
「じゃあまた伺います」という声に顔を上げると、長い髪をなびかせながら小冬さんが玄関にやってきた。黒いサンダルを履いて、俺が開けたドアを「ありがとう」と抜ける。すれちがいざまに小冬さんの匂いがして、どきどきしているのを何とか表情から殺す。
 外は月がくっきり見えるほど暗く、冷気はまだなくても蒸すような熱気もない。風が通ると涼しさはあった。庭を抜けて道路まで小冬さんを送る。夜道大丈夫かなあ、と思うのだけど、俺がこんな時間に駅前に行くのを親が許さないのだ。
「明後日にね」
 俺よりほんの少し目線の高い小冬さんは、そう微笑むと身を返して駅のほうへと歩き出す。俺は家の前に突っ立ってそれを見送る。振り返らないかなあ、といつも期待するけれど、小冬さんは絶対に振り返らない。
 小冬さんの背中が角にさしかかり、今日もあきらめて家に引き返そうとしたときだ。「あ、すみません」「いえ」というやりとりが聞こえ、足を止めた。もう一度そちらを見ると、小冬さんとすれちがって誰かこちらに歩いてきていて──それが朋里だと気づくと、俺はどきりとしてかたまった。いつも通り髪を両脇で結う朋里も、すぐ俺に気づき、ちらりと背後を振り返ってから、「ああ」と何やらつぶやく。
「ホーム画面の人」
 頬がぼっと燃え上がった気がした。そうだ。朋里には、あの一枚だけの小冬さんの写真を、スマホのホーム画面に設定しているのを知られている。
「何か見たことあると思った」
 俺の家の手前、自分の家の前に着いた朋里は肩をすくめる。
「ほ、ほっとけよっ。てか、お前こんな時間に何してんだよ」
「友達と勉強してた」
「ふ、ふうん……」
「中葉、あんな人が好きなんだね」
「うるせえしっ」
 つい軽く怒鳴ってしまった。だが、朋里は何やらため息をつき、何も言い返さない。俺は眉を寄せて、「何だよ」とつっかかかる。しかし、朋里はそんな俺に「別に」とそっけなく言って、門扉を開けた。
「じゃあね。おやすみ」
 そう言って会話を続けることも、目も合わせることもせずに、朋里は家に入っていく。
 何だよ、と俺は心で繰り返し、むすっとする。俺が誰を好きであろうと勝手ではないか。明らかに叶わない恋だが、何が悪い。
 別にバカにされたわけではなくとも、応援は感じられなかったから、胸の中でぶつぶつ朋里の態度に文句をつけてしまう。このあとそっち行きにくいじゃん、とふくれたあと、仕方なく俺は今日は自分の部屋で宿題をすることにした。
 今日は英語と数学と国語の宿題が出ている。面倒だなあ、とうんざりしつつ、教科書とノートを開いて宿題に指定された設問を読み返す。たいてい今日習ったところだから、授業を聞いていればさほどむずかしくはないのだけど。試験になる頃には忘れてるからなあ、とシャーペンを動かしていると、不意にスマホが震動している低い音に気づいた。
 スマホどこだっけ、と探しているうちに音は止まったものの、制服のブレザーのポケットに見つけた俺は画面を見た。朋里からの通話着信履歴があった。
 朋里。さっきの突慳貪な様子が思い返り、謝るのかな、と思ってトークルームに移って『何?』とだけメッセを送信してみる。すぐに既読がついて、しばらくの間のあと、また通話着信が来た。今度はちゃんと出て、「もしもし」とスマホを耳に当てる。
「どうかしたのか」
 沈黙しか来ない。「何だよ」とせっつくと、小さくため息が聞こえる。
『……さっき』
「ん」
『さっき。家の前で』
「ああ」
『ごめん』
 ほんとに謝ってきた。まあ、こうだから俺も朋里に何だかんだで懐くのだけど。
「別にいいよ」
『そっか』
「うん」
『勉強してた?』
「ああ」
『受験生だね』
「進学校志望させられてるしな」
『さっきの人、勉強は教えてくれないの?』
「あの人がカテキョ」
『ああ、だから、あんたの家にこんな時間までいられるのか』
「まあな」
『まだ片想い?』
「ん、まあ」
『うまくいくといいね』
「応援してくれんの?」
『応援するしかないじゃん』
 ほんとに、と思わず嬉しくなって言おうとした俺に、朋里の声が重なる。
『あんたが好きだからね』
「はっ?」
『あんたの幸せを祈ってるよ』
「え」
『幸せになってね』
「えっ、ちょ、ちょっと待って、」
『あたし、もうお風呂入って寝るね。うちに来たくなったら、おとうさんたちはまだ起きてるから』
「いや待て、朋里、」
『おやすみ。ちゃんと告白しろよ』
 そう言うと、朋里は一方的に通話を切ってしまった。
 何? 俺の幸せを祈っている。俺が好きだから。好き、って……どういう「好き」だよ。弟分か? あるいは──。
 いやいやいや。朋里だぞ。ただでさえ、最近はさんざん捻くれて接しているのに。そんな俺を、朋里が好きだなんて。だいたいいくつ離れてんだよ、って、そんなことを言ったら朋里と小冬さんはひとつしか違わないけども。
 それでも、俺は朋里をそんなふうには見れない……。
 待て。朋里は俺に自分を見てほしいと言ったわけではない。俺を応援すると言ってくれた。俺の幸せを祈ると。小冬さんにちゃんと告白しろと。そうだ。俺が朋里をそんなふうに見れないのは、朋里も分かっているはずだ。だから、俺の恋を知って、吹っ切るためかなんかで打ち明けただけなのだろう。
 俺は朋里を気にしなくていい。今まで通り、小冬さんを想っていればいい。
 俺はスマホを握るまま椅子に腰を下ろし、つくえに向き直った。とりあえず、スマホはつくえの隅に置く。どくどくと脈打つ心臓を落ち着けるため、深呼吸する。ノートを見つめて、宿題の続きしなきゃ、と思っても軆が動かない。頭も働かない。
 告白なんてされたの、生まれて初めてだ。朋里はいつから俺が好きだったのだろう。明るくなったのに、俺だけにはそっけないから、もしかしてうざったくなったのではないかとさえ思っていた。意識の裏返しだったのだろうか。
 何なんだよ。もし、もっと早く言ってくれていたら、俺だって違ったかもしれないぞ。たとえば小冬さんに出逢う前なら、もしかして──
 朋里はきっと、俺に告白したことで俺をあきらめたのだと思う。いまさら俺が朋里を意識しても仕方ない。朋里の気持ちを考えることはない。このまま小冬さんを想っていればいい。応援すると朋里は言ってくれた。だとしたら、俺は小冬さんへの恋心をいよいよ本気モードにすることが、朋里にも応えることになるのだろう。
 告白かあ、とノートにぱたんと上体を折り、視線を空中に投げる。考えてみたこともなかった。受験と共に終わる恋だと思っていた。告白したら、何か変わるのだろうか。受験が終わっても、小冬さんに会える関係になれるのだろうか。

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