囚人の嘘【3】
そんなことをふわふわ考えていたら、塾の放課後を挟み、また小冬さんが俺の家に来る日がやってきた。朝から何だかいつも以上にそわそわしてしまった。告白しろよ、という朋里の言葉が脳内を巡って離れない。そうさくっと言われても、俺は女に告白をしたことなんてないのだ。
たとえば、小冬さんに告るとしたら、どういうタイミングですればいいのだろう。最後に会う日か? クリスマスが近くなってからとか? さもなくば、いっそすぐに答えを聞いて、すっきりしてしまうか。あんまり恋愛に悩んでる場合ではないよなあ、と帰宅して取りかかった今日の予習のあと、やっておいた宿題をつくえに準備しながら思う。じゃあ、早めに告白して──
もし、小冬さんとつきあえたらどうするんだ。やばい。それはそれで死にそうだ。
いろいろ考えてベッドでじたばたしそうになっていたら、ドアにノックが聞こえてはっと時計を見た。十八時。飛び起きてドアを開けにいった。そこにいたのはもちろん小冬さんで、妙に慌てたふうの俺に「何か邪魔した?」と問いかけてくる。俺は首を横に振ると、「どうぞ」と小冬さんをドライで冷ましておいた部屋に招く。
小冬さんは、よく黒い服を着ている。今日も黒のタイトなワンピースを着ていて、そのぶん覗く白い肌が艶めかしい。
「今日はちょっと暑いね」と言われて、「そ、そうですね」とか俺はどもってしまう。小冬さんは気にしたふうもなく、つくえの横に置いた丸椅子に腰かけると、宿題のノートを手にしてめくった。
それから突っ立つ俺を見て、「中葉くん?」と声をかけてくる。俺ははたとして椅子に座ってつくえに落ち着く。
告白。告白。告白、の前に──そうだ、ひとつ確かめておかないと。
「小冬、さん」
「うん?」
ノートに目を通しながら答える小冬さんのほうを見れないまま、俺はつくえの影でこぶしを握る。頭がゆだって鼓動が速くなる。
「小冬さんって、その──彼氏とか、いるの?」
小冬さんが俺を見たのが、視界の端で分かった。
「どうして?」
「……大学生ぐらいになったら、いるものなのかなあって」
「ふふ、どうかな。中葉くんこそ、彼女いるんじゃない?」
「い、いないですよ。つきあったこととかないし」
「そうなんだ。じゃあ、女の子のことも知りたいよね」
「知りたい、というか──」
小冬さんのことが知りたい。彼氏はいるのか? それとも好きな人? 俺が対象になることは?
「うん、今日も全部正解。これなら、今日は勉強はお休みしてもいいかな」
「え」
お休み、ってもう帰るのか。せっかく来たのに。そう思って小冬さんを向くと、小冬さんはノートを閉じて上体を乗り出し、俺を覗きこんできた。思いがけず瞳が近くで触れ合い、どくんと胸が跳ねる。
「私に彼氏がいなかったら?」
「えっ」
「教えてほしいのはそんなこと?」
「……え、と」
「中葉くんかわいいから、教えてあげてもいいよ?」
波打つ搏動が胸腔に刺さり、軆がじりじりと燃えてくる。
教える。教えるって、それは──。
小冬さんは俺の瞳を捕らえたまま、俺の腕に手を這わせた。ぞくりと期待が粟立ち、俺は小冬さんの名前をかすれた声でもらす。
「うん?」
「……き、です」
「ちゃんと言って」
「好き……っです、小冬さんのこと──」
唇に柔らかい感触がぶつかった。頭の中が白く発火して溶けた気がした。
小冬さんは、俺の口の中に舌をさしこみ、上顎をなぞって俺をびくんと震わせる。したたる唾液に水音が響き、息が苦しくなっても俺もまた小冬さんの舌に舌をつたなく絡めた。
やっと唇をちぎると、俺は少し呼吸が荒くなっていて、小冬さんは丸椅子を立ってそんな俺の足元にひざまずく。
「な……何?」
「いいことしてあげる」
そう言った小冬さんは、俺のジーンズのジッパーに手をかけた。え、と混乱しているうちに、腰まわりを緩められて、小冬さんの手にボクサーの上からかたちを確かめられる。
人に触れられる初めての感覚に思わず弱いうめきがこぼれた。小冬さんの綺麗な白い指は下着の上から俺のそれに刺激を与え、正直に自分が硬くふくらんでいくのが分かる。先走りで下着が湿りはじめ、小冬さんは俺を取り出して直接指を添えた。そして、何の躊躇いもなく口にふくむ。その温かく濡れた感触に、俺はだらしなく喘がないように唇を噛んだ。
やばい。めちゃくちゃ気持ちいい。でもすぐに出したらかっこ悪いから、快感でぐらぐらしそうな頭に何とか理性を保とうとする。小冬さんはけして性急でなく、むしろ焦らすようにゆっくり俺を根元まで飲みこんだり浮いた血管をなぞったりした。それがもどかしくて、もっと強い刺激が欲しくなって、次第に理性なんか砂礫みたいに吹き飛んでしまう。
不意に小冬さんは俺のものから口を離した。ついで立ち上がると、スカートの裾を少し上げて下着を脱いだ。そして向かい合った俺の肩に手を置き、腰にまたがってくる。
「私、ピル飲んでるから」
「……ピル」
「赤ちゃんができない薬」
そんなもんあるのかと思ったあと、ということは、まさかこのまま小冬さんと──と思ったのと同時に、先端を小冬さんの入口に導かれた。そのまま小冬さんは息を吐きながら腰を落とし、俺を軆の中に飲みこんでいく。
熱く湿る圧迫感に締めつけられ、さすがに小さく声がもれた。小冬さんは俺の頭を抱き寄せ、俺は下半身だけでもどうにかなりそうなのに、顔面は小冬さんのいい匂いの胸に押しつけられてくらくらしてくる。動きに合わせてつながったところから湿った音があふれて、俺は無意識に小冬さんを抱きしめて腰を揺すった。
小冬さんの髪が腕に絡みつき、吐息が甘く鼓膜に流れこんでくる。軆がどんどんほてって、快感がリズミカルになってくる。
「中葉くん」
「……っえ、」
「中で出していいから」
「で、でも」
「大丈夫。ほんとに」
そう言われると、本当にどうでもよくなってくる。とにかく、この気持ちよさを絶頂に放ってしまいたい。俺は本能的に小冬さんを下から突き上げ、みずからの膨張をその内壁にこすりつけた。どんどん意識が快感に集中し、高まっていくほど脈打つ。
小冬さんは俺の乱暴になっていく動きに声を殺し、それでもこらえきれなくなってくると、俺に口づけてキスで声をふさいだ。揉みあうような口づけをしながら、俺と小冬さんはやがてそれぞれに爆ぜ、きつく締め上げられてひとつになった。
椅子の上でぐったりと重なっていて、先に動いたのは小冬さんだった。俺の上から降りると、ふらりとベッドサイドに腰かける。俺はそれを目で追ったあと、まだ硬さを残している自分を見下ろし、片づけなきゃ、と思っても軆がだるい。
これってつきあえるってことなのかなあ、と何となく思ったとき、小冬さんが横たわってベッドが軽くきしんだ。
「中葉くん」
「……ん」
「私ね、子供を堕ろしたことがあるの」
「えっ」
「それから、ピルを飲まされるようになった」
「……飲まされる」
「子供の相手は父親だった」
驚いて、小冬さんを見る。なめらかな内腿が、俺と小冬さんが混ざったもので光っている。
「子供の頃からね、私はずっと父のそういう対象だったの。性的虐待になるのかな」
「………、」
「だから、私、好きな人とはできないの」
「……え」
「好きじゃない人とはいくらでもできるの、わりと。でも、好きな人とはどうしてもできない」
「できない……人、いるの?」
「……その人は何も知らないから、できない私とは別れたいと思ってる、きっと」
酸欠のときのようなめまいがした。悪寒を帯びて体温が蒼く冷めていく。
小冬さんは俺とできた。好きじゃないから。そして、できないほど好きな人とは、まだ別れていない。
目をつぶってうなだれると、「もし中葉くんが」と小冬さんが言葉を続けたので耳だけかたむける。
「一緒に私のことを受け止めてくれるなら、その気持ちを受け入れてもいい」
「小冬さんのこと、って──」
「私が今でも父に犯されていること。たぶんそれが、父が死ぬまで終わらないこと」
俺は目を開けて小冬さんを見た。小冬さんもじっと俺を見つめた。黒い瞳が刺すように俺を試す。
とっさに思った。
そんなん、無理だろ。中学生のガキに何言ってんだよ。重すぎる……
──小冬さんと俺は、何もなかったように家庭教師と生徒に戻った。小冬さんが辞めると思ったし、いっそ辞めてほしかった。でも小冬さんは淡々と俺を訪ね、勉強を教える。
小冬さんに会うたび、その事情は受け止めきれないと思っても、好きだという感情は相変わらず育ってしまう。あの日の小冬さんのほんのり染まった肌、さざなみのように揺れる髪、甘い吐息や蕩ける匂い、いろんなものを思い出して俺は自分で何度もなぐさめている。
小冬さんは俺の気持ちを分かっていると思う。なのに平然と褒めるし、微笑んでくる。むごい女じゃん、と思っても、俺の心はやはり小冬さんに囚われている。
十月に入っていた。さすがにしつこい残暑も落ち着き、晴れた空から涼風が流れる、ひとときのいい気候が続いた。小冬さんが帰って、二十一時過ぎ、俺はいつも通り宿題を抱えて隣の家に向かう。
朋里は課題をやっていて、つくえを借りれない俺はそのあいだベッドでごろごろしていた。朋里の匂いはやっぱり落ち着く。どきどきはしないけど、落ち着く。
「なあ、朋里」
朋里のまくらに頬を埋め、朋里の背中に声をかける。「何?」と朋里は返事はよこすけど、こちらを振り向かずにペンを動かしている。
「俺たちさ」
「んー」
「つきあおうか」
ペンの音が止まった。それから朋里はベッドにいる俺をかえりみて、「何言ってんの」と眉を寄せる。
「俺が好きなんじゃねえの」
「でも、あんたはあの人が──」
「もういい」
「え」
「もういいんだ、あの人は」
「………、振られたの?」
「つきあう条件がふざけてたんだよ」
「……はあ」
「だから、朋里が繰り上げ」
「何それ」
「俺も朋里のこと好きだし」
俺の言葉に朋里の表情がわずかに揺らぐ。これは押せばいける。そう思った俺は、起き上がってベッドを降りると、朋里を背中から抱きしめた。
「ちょっ、中葉──」
「つきあおうよ。朋里なら、ふてくされてもチョコレート与えればいいとか分かってるしさ」
「与えるって、」
「朋里のことなら、俺、受け止められるから」
朋里はうつむいてしばらく何も言わなかった。だけど、ようやく「中葉が好き」とつぶやく。「うん」と俺は朋里をぎゅっとしてその頭を撫でる。「だから遊ばれたくない」と朋里は続け、「大事にする」と俺は答える。
嗤ってしまいそうだった。俺の心は、まだ小冬さんに囚われているのに。好き? 受け止める? 大事にする? 全部嘘だ。俺はただ朋里に逃げたいだけで、本当の心はなお小冬さんに狂っている。なのに、よく言えたものだ。
それでも俺は、虫の声が澄み切った夜の静けさの中、壊れそうなほど朋里に嘘をささやきつづけた。
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