ミチカケループ-14

満たされるより虚しく【2】

 そういえば、玲乃の部屋におもむいたとき、例の「花衣」さんを見かけるときがあった。やっぱり女の子で、玲乃と同い年ぐらいだ。初めて見たときは、ガーゼや包帯で手当てされているから、虐待でも受けているのかと思った。遠まわしにそれを玲乃に訊いてみると、「ああ……」と玲乃は最初は口が重そうだったものの、話してくれた。
「あいつ、彼氏に暴力受けててさ」
「彼氏に」
「DVだろって言うんだけど、愛情表現だからとか言って別れようとしないんだよな」
「……そうなんだ」
「彼氏、俺も見たことあるけど異常だわ。でも俺、何にもできなくてさ……ビビっちまって」
 私は悔しそうにつぶやく玲乃をじっと見つめていた。けれど、花衣さんはその後、大学の友達の説得でやっと彼氏と別れたらしい。その報告をした玲乃は、安堵している中で、「俺は役に立てなかったなあ」と苦笑いもしていた。
『小冬、クリスマスどうする?
 もうすぐ誕生日もあるよな。』
 十二月に入って、街がクリスマスに彩られていく中、帰宅中の電車でそんな玲乃のメッセを受信した。座席に座って暖房で足元から軆を暖めていた私は、誕生日もクリスマスも家には帰らないとなあ、と思った。 外出はできても、外泊なんて父が許さないだろう。
 それでも玲乃には会いたい。初めての彼氏と、この時期を過ごせるのは嬉しい。きっと、相変わらずセックスはできないけど。手ぶくろをはずした私は、『玲乃に時間があるなら会いたい。』と返した。まもなく既読がつき、『分かった。都合つけとく。』と来て、私は祈るようにスマホを胸に押しつけた。
 本当は、玲乃がさすがにもどかしくなっているのは知っている。私はキスさえつらくて、それ以上、進めない。玲乃は、欲求がこらえられないというより、私が自分を受け入れないことに不安があるようだ。事情を話して性嫌悪を打ち明けたら、玲乃なら分かってくれるのではないかと思う。
 けれど、私がどうしても話したくないのだ。知られたくない。幼い頃から実の父親の性的玩具になって、挙句妊娠して命を堕ろしたこともあって、この軆がどろどろの欲望に穢れているなんて。玲乃が好きだから、重いとか面倒とか思われたくない。捨てられたくない。
 その夜は父の帰りが遅く、何事もなく眠れるかと思った。けれど、零時が近づいてベッドの中でうつらうつらしていた頃、ふとドアを開ける音がした。明かりは消していたから、廊下の光が射しこんでくる。
 私は光から眠たい目をかばいつつ、そちらを振り向いた。きし、と床を軋ませて足音が近づいてくる。背格好で父だと分かった。お酒のにおいがする、と眉を寄せたとき、父がふとんをめくって私のベッドに入りこんできた。まだスーツを着替えてもいないのが、抱きしめてきた腕で分かった。酒気がする息は熱っぽく荒く、腰にすでに硬いものが当たっている。
 父は普段酒を飲まないぶん、仕事のつきあいで飲まされると、正体がなくなっていつも私のところに来る。昨夜も、父の自慰の手伝いをしたのに。じわじわと吐き気が喉元まで粟立っても、どうせ声を上げて助けてくれる人は家にいない。
 胸に手が伸びて、押しつぶすように揉んでくる。頭の中がめまいでゆがみ、心にも軆にも鳥肌が立つ。嫌悪感で軆がこわばり、わずかな抵抗もできない。お尻に硬いものをこすりつけられて、父の息遣いに言いようのない声が混じる。
 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
 暴れたいけど、神経が切断されたみたいに手足はぐったりしている。ルームウェアのスウェットと下着を下ろされると、かちゃかちゃとベルトを緩める音がして、脈打つ父のものが忍びこんできた。私の体内にゆっくり侵入すると、低くうめきながら腰を動かしはじめる。廊下からの光が射しこむまま、ベッドの軋みと湿った音が響く。父の舌がうなじを這って、ぞわっと悪寒が走った。
 ああ、何でこんな醜い行為が、愛する人との行為でもあるのだろう。私だって思う、玲乃を普通に受け入れることができたら。でもダメなの。気持ち悪い。玲乃が好きだからできない。ただ耐えるだけのこんな行為、玲乃とはしたくない。
 父は私の中にたっぷり出して、ひと言も発さずに部屋を出ていった。私は内腿にしたたる青臭い粘つきに吐きそうになりながら、しばらく動けなかった。やっとティッシュで自分を片づけたとき、スマホが鳴って私は充電につなぐそれを手にした。
『もう寝たかもだけど。
 俺は今から寝るよ。
 おやすみ。』
 玲乃のメッセを見ていると、故障していた涙腺がなぜだか緩んで、ぽたぽたと涙がこぼれてきた。ひとりでこの闇を背負っているのは、本当はつらい。玲乃が一緒に分かち合ってくれて、助け出してくれたらいいのに。そう願うくせに、汚れた自分を玲乃に見せることができない。
 私が家庭教師をしているのは、中学三年生の男の子だ。ご両親としては、受験生だから堅実にサポートしてほしいということだったけれど、その必要もなくよくできる子だった。過保護気味の家庭のようでも、私が口を出すことでもない。
 その日は大学が終わると、その子の家庭に向かった。十八時から二十一時まで、三時間。十二月だから受験も追いこみだけど、どうせ宿題でも出題した問題でも、彼はすべて正解を出すのだろう。
 中葉くんというその男の子は、こんな私に憧れているから、それが噴き出しそうにおかしかった。一度、勉強をサボってセックスしたこともある。どうでもいい相手とのセックスは、やはり気持ちよかったけれど、それで私の心が中葉くんにかたむくことはなかった。中葉くんの想いを殺すことも言ってあげたのだけど、相変わらず彼は私に憧れているみたいだ。
「こんばんは、中葉くん」
 すっかり陽も落ちて風が冷えこむ十八時前、訪ねた一軒家に通されて、二階の中葉くんの部屋に向かう。軽くノックすると、私と視線が同じくらいになった中葉くんが顔を出し、私はマフラーをはずしながら微笑む。「……こんばんは」と中葉くんはぼそっと言うものの、私を待っていたのがつくえに用意された勉強道具で察せる。
 中葉くんは成長過程の筋肉や骨組みが危うい魅力を持っていて、顔立ちも綺麗だ。私なんかを想いつづけなくても、ほかに女の子はいると思うのだけど。
 私はつくえのかたわらの丸椅子に腰かけ、中葉くんに出しておいた宿題に目を通す。中葉くんも椅子に座り、ちらちらと私を見ながら、手持ち無沙汰に参考書をめくる。今日も全問正解で、「すごいね」とにっこりすると、中葉くんは目をそらして首をかたむけた。
 中葉くんのさらさらした髪や、覗ける鎖骨、ふてくされたような表情を見ていて、綺麗だなあ、と思う。それから、昨夜の醜い父の行為がよぎった。中に吐き出されて、私の奥には毒が燻っている。この子でもいいかな、とちらりと思った。中葉くんの純粋な想いは気持ちよくて、私を消毒してくれる──
「中葉くん」
 宿題のノートを閉じた私に、中葉くんは少し首を捻じってきた。
「今日は、勉強お休みする?」
 中葉くんは私を見て目を開いた。意味は通じたみたいだ。私が手を伸ばしてその髪に触れると、中葉くんがこわばったのが伝わってくる。
 私は身を乗り出し、中葉くんの唇に唇を重ねた。けれど、口の中に舌をさしこもうとすると、急に中葉くんは顔を背けて唇をちぎってしまう。
「小冬さんは」
 私は中葉くんの横顔を見つめ、丸みが落ちていく頬から顎の線を美しいと感じる。
「好きじゃないから、……できるって」
「うん」
「俺は……」
 好きだからつらい、とか言うのだろうか。そういう透明な気持ちを踏みにじることこそ、私を清めるのだけど。
「俺は、好きだからしたいって……奴と、するから」
 私はかすかに眉を寄せた。
「俺、今、つきあってる奴いるし」
「……つきあってる人」
「そいつを大事にしなきゃって、思うようになってきたんだ。やっと。小冬さんじゃなくて」
 中葉くんの堅い面持ちを見つめてから、「私はそれでもいいよ?」と言うと、「えっ」と中葉くんは私にまばたく。
「大事にされたいわけじゃないもの。汚してほしいだけなの。もっと汚されることしか、私にはもう浄化にならないの。だから、私とのことが悪いことなら、むしろ嬉しい」
「………っ、小冬さんはよくても、俺がダメなんだ。彼女も嫌だと思う。俺が好きだった人と何か……するとか」
 中葉くんは必死に私の目から目をそらしながら言う。私は小さく笑い、「『好きだった』なんだね」と過去形の言葉を拾ってみた。すると中葉くんは焦れったそうに唇を噛み、「好き、だけど」と言い直す。
 私は微笑んで中葉くんの頭をぽんとすると、「じゃあ、やっぱり勉強しようか」と参考書を開いた。中葉くんは私を見て、「小冬さんは彼氏とまだつきあってる?」と訊いてくる。

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