菊池くんは「絶対」ってすぐに言う。でも「絶対」なんてありえないし、私はそんな言葉、何より嘘になるから嫌いなのに。
私と菊池くんは、同じリサイクルショップで働いている。でも、私は夜番、菊池くんは朝番だから、そんなに接触があるわけじゃない。
私より一年半後輩の菊池くんが、新人の頃から頑張っているのは、出勤したときとかに目に留まって、何だか気になるようになっていた。仕事では後輩だけど、歳は私と同じで、二十六歳。顔は普通なのだろうけど、声がすごく柔らかい。
好きになった理由のだいたいが、よく頑張る子だなあという印象と、声だ。
「菊池くんの連絡先、登録してもいい?」
去年の冬、夜番の中で一番乗りに出勤したときだ。バックヤードのスタッフの連絡先一覧の前で、勝手に登録してもどうせ何も送れないなあなんて私は息をついていた。
そうしたら、本当に偶然、菊池くんが買取に必要な備品を取りにきた。「岩田さん、ケーブルってどこにまとめてありましたっけ」と入店三ヵ月の彼に声をかけられ、「そのへん」とか指さしたあと、私はちょっと勇気を出して菊池くんにそう言った。
しゃがんでダンボールを引っ張り出していた菊池くんは、「えっ」とびっくりした様子で私を振り返った。
「俺の連絡先ですか?」
「うん」
「いや、いいですけど……」
「迷惑ならしないよ」
「迷惑とかないけど、え、何か……いいんですか?」
「話してみたいから」
「俺と?」
「うん」
「そ、そうなんだ。あ、えっと、いいですよ。ぜんぜん」
やった、と私は連絡先一覧に向き直る。菊池くんもダンボールをあさり、「あった」とつぶやくと、すぐに立ち上がって「お疲れ様です」と決まった挨拶の言葉だけ残してバックヤードを去っていった。
ひとりになってから、めちゃくちゃ唐突だったな私、と冷静になって恥ずかしくなってきたけど、機会を逃したほうが後悔してたからよかったんだ、と言い聞かせた。
それから、菊池くんとたまにメッセをやりとりするようになった。ラリーになることはなかった。
私と菊池くんでは、そもそも生活が噛み合わない。菊池くんは朝起きて、夕方まで働いて。私は夕方に起きて、夜まで働いて。おまけに、帰宅したら菊池くんが起床するであろう朝まで、タブレットで遊んでいる。
だから、一日に一回くらい、細々と話題をつなぐようなやりとりだった。
『一瞬でも通話できたら嬉しいなー。』
ろくに話題がないなあと思ってきた頃、もっと菊池くんの声が聴きたくて、私はそんなメッセを送ってみた。
菊池くんの未読スキルは長い。しかし、既読をつけたらすぐ返事が来る。最初はいろいろ心配になったけど、既読つけないアプリでも使ってるなこれ、と察してからは気にしないようにした。
私のその仕事上がりのメッセにも、次の日の昼に返信が来ていた。
『いつでもかけてきていいよ。
出れるかは分かんないけど。』
メッセでは菊池くんはタメ口になる。そして案の定、通話できる機会はかなり少なかったけど、それでも稀につながるときがあった。通話のときも菊池くんはタメ口で、その柔らかい声が耳元で響くのはやっぱり幸せだった。
初夏の私の誕生日に通話がつながったときは、どんなプレゼントより嬉しかった。
「今日、誕生日だったんだよね。完全に仕事してたけど」
職場から家までは徒歩十分くらいで、夜道のあいだ、寝る直前の菊池くんと話せることがある。誕生日だったその日もそうで、夜風を感じながら私がそんなことを言うと、『えっ、今日誕生日?』と菊池くんの驚いた声が返ってくる。
『マジで? おめでとう』
「うん。ありがとう」
『何にも用意してないや』
「知らなかったならそうでしょ」
『そうだけどさ。えー、でも何かあげるよ。今度、絶対』
絶対。そう、菊池くんの「絶対」を聞いたのはこのときが初めてだった気がする。
「別に気にしなくていいよ」とは言ったものの、菊池くんに何かもらえるならそれはすごく嬉しいかなと思った。なるべく食べ物じゃないといいな。大事に保存しておきたいし。とか何とか思っていたけど、相変わらず職場ではそんなに接触する機会もないわけで、かといって外で会うほどの仲になるわけでもなく、菊池くんに誕生日プレゼントをもらうことはなかった。
それからも、菊池くんはちょくちょく「絶対」とつけて約束めいたことを言った。聴いたバンドのアルバムがよかったから、絶対貸すとか。あのお菓子おいしかったから、今度絶対お裾分けするとか。ゆっくり長電話できるときは絶対しようとか。
でも、いつも何もない。結局、全部嘘になるのだ。仕事は、相変わらず頑張っているけれど。何というか、プライベートというか、そういう面ではルーズだったりするのかな。既読つけないのもそうだけど、なかなか無神経な人なのかも……。
何で好きなんだろ、とほんの少し自分の気持ちを疑うときもあった。けれど、メッセが一日越しでも返ってくると嬉しい。短くても通話できると幸せ。職場で会釈して「どうも」なんて敬語で一瞬話せたときなんて、完璧にテンションが上がる。朝番の女の子がうらやましいし、ましてその中に菊池くんを想っている子、あろうことか菊池くんが想っている子がいたらどうしようと、そんな不安を抱いては泣きそうになる。
秋、菊池くんがこの店に来て一年が過ぎて、私は相変わらず片想いのままだった。
正直、菊池くんって私をどう想っているのだろう。そんなことを考える。しつこく連絡を続けて、もしかしてうざいとか面倒とか思われてないかな。そうだったら、とっくに返信が来ることはなくなっているものなのかな。でも、職場で顔を合わせるし、仕方なく返してくれている可能性もある。
私か、菊池くんか、どちらかがこの職場を離れたら、そこですべて終わってしまうんじゃない? そうなったら、私……
そうこうしているうちに年が明けて、バレンタインが来ることに気がついた。これはもう、告白してしまう機会? でも、振られたら、退職レベルで気まずい。そして、うぬぼれた妄想は承知だけど、うまくいっても同僚に気恥ずかしい。
というか、そもそも店内恋愛ってばれたらややこしい。それで揉めた店内カップルも実際いたし。ということは、うまくいってもだいぶこそこそすることになるし、うまくいかなかったらただ私が死にたくなる。告白のメリットがないじゃないと思い至ったけど、結局私は、もろに想いがこもったような高価でも手作りでもない、プチプラのギフトチョコレートを菊池くんに渡してしまった。
気持ちは何も伝えられなかった。むしろ「朝番のみんなで食べていいので」とまでつけくわえてしまった。そのまま逃げるように売り場に出て、何がしたかったの私は、と絶叫したくなった。
『チョコありがとう。
おいしかった。』
その日の仕事が終わってスマホを見ると、菊池くんからそんなメッセが来ていた。……あのあと、朝番のみんなと食べたのか。あるいは、ひとりで食べてくれたのか。それは分からなかったけど、菊池くんが『おいしい』と言ってくれて、瞳が潤むくらい感激している私がいた。
ああ、やっぱ私、あの人が好きだなあ……
そんなことを再確認していると、春は一瞬にして過ぎ去って初夏が来た。今年も早くも、真夏日とか熱中症とかいう言葉が聞こえてくる。そんな中で、私は去年同様、今年の誕生日も仕事をして過ごした。
今年も菊池くんの声だけでも聴きたいなあ、とか思いながら、閉店後の精算をするために私はひとりでバックヤードに向かった。エプロンのポケットから鍵を取り出そうとして、バックヤードから光がもれていることに気づく。
店長バックにいたっけ、とか深く考えずにドアを開けると、「あっ」と声がして、「岩田さん」とそれがあの大好きな柔らかい声であることにどきんと心臓が跳ねる。
「よかった、違う人来たらちょっとどうしようかと思いました」
私は、エプロンをつけていないのが見慣れない菊池くんに首をかしげ、「どうかしたんですか?」と平静を装って歩み寄った。すると、菊池くんは連れていたリュックからラッピングされた包みを取り出す。
「えと、これを岩田さんに」
「……えっ」
「今日、誕生日ですよね?」
「あ、まあ……」
「すみません、何かあげるって言って、一年も経っちゃいましたけど」
え。何。これは何展開?
「誕生日おめでとうございます」
私が受け取りもせずにぽかんと突っ立っているので、菊池くんは軽く首をかたむけて、「何か、ごめんなさい」と言った。
「えっ、何が……」
「いや、俺いっぱい約束してるのに。貸すって言ったCDとか漫画とか増えすぎて持ってこれてないし、あのお菓子は兄弟が全部食べちゃって……親父に出張のとき同じの買ってこいって言ってるんですけどね。電話もタイミングが分かんなくて。ほら、生活が逆じゃないですか、俺たち」
「あ……」
「あと、ホワイトデーも返せてないですよね。絶対、お返しはあげるんで。ほんと。いろいろ、全部、絶対渡すから。待っててもらえますか……?」
こちらを窺うような菊池くんを、私は見つめた。
……何よ。ずるいな。全部憶えてるなんて、そんなのずるいよ、菊池くん。
「絶対」なんて言葉は嘘になるから嫌い。でも、「絶対」って言葉を使って、私と約束しようとしてくれる、君のその気持ちが嬉しい、なんて思ってしまう。
だから、約束そのものなんて破っていいよ。
君とこうして話ができること。
それが大切なんだよね。
「あ、ありがとう……ございます」
お礼を軽く噛んでしまいながらも、ラッピングされた包みを受け取る。何かもう、お菓子でも何でもいいや。これからも、菊池くんと果たしたい、ささやかな約束たちがあるなら。
「嬉しい」と私が微笑むと、「よかった」と菊池くんもはにかんだように咲う。その笑顔が愛おしくて、ああいつかこの人に「好き」って言えるかな、なんて、ほんの少し前向きな夢がよぎった。
FIN