青氷の祠-13

Phantom Limb

 八月三十日のファントムリムのライヴには、そのへんで盗んだ自転車で出かけた。南から北へはそこそこ道のりがあり、僕はたいてい自転車を盗んで彩雪に出向く。鍵は壊しても、使い終われば元のところに返すのでいいだろう。この街では、私物を無防備に放置するほうが悪いのだ。カモがなくて徒歩になる場合もあるけれど、今回僕は緑の自転車と共に街を北上できた。
 北に近づいていく中、確かに空気が変わってくる。治安の悪い暗闇で、みんな虚ろに目をぎらつかせている。すれちがう人が吸う煙草にはクサの匂いがして、注射器やフラスコが転がり、道端では痙攣しながらアルミホイルを炙る人がいる。ピアスやタトゥーも色鮮やかだ。少し違う空気をまとう僕に、周囲の人々は目をつけるが、襲撃に踏み切る輩はいない。そんなスラムを抜けると、いよいよ目の前に彩雪が広がる。
 自転車を降りると、自分がちっぽけに感じられる。圧倒的なのは、きらびやかなイルミネーションだ。向こうも夜にはネオンが華やかだが、こちらはまわったりくねったり、本当に踊っている。外から遊びにきた人間も多く、人混みもせわしない。アスファルトには、いろんなものが散らかっている。煙草、空き缶、チラシ、食べ物、コンドーム。いつもどこかで音楽が聴こえる。
 並ぶ店も、光樹の言っていた通り多様だ。服飾店や飲食店、CDショップやヘッドショップ、もっと北に行くとささやかなモーテル街があり、その先にアパートの群衆もあると光樹に聞いた。次第にスタジオ、クラブやバーが増えてきて、目的のライヴハウスに到着すると、僕は自転車を置いて地下に降りた。
 一面にポスターが貼られたそこでは、派手な人間が入場を待っている。男女の比率は、二対一といったところだ。ファントムリムの音楽は、どう考えても異性に騒がれるアイドル的なものではない。光樹は甘ったるいことは歌わず生の心情をぶつけるので、単純に同性の共感のほうを喚起させるようだ。
 煙草の匂いが強くするロビーには、クーラーがかかっている。ポスターにもたれ、黄色と黒の格子縞の床を蹴っていると、不意にこのライヴハウスのTシャツを着た男が声をかけてきた。
「えーっと、君、碧織さん」
 髪を緑に染めた彼を見つめ、「そうですけど」と体勢を正す。「よかった」と彼は骨ばった手をジーンズのポケットに突っ込み、メモをさしだしてくる。
「これ、光樹くんからね」
「光樹」
「そ。分かるもんだねー、陽桜の人だって」
 彼はひとりで笑うと去ってしまい、臆していた僕は紙を見た。光樹の文字で、「打ち上げ場所だよ」と店の住所と簡単な地図があった。ライヴ終了後、ここで落ち合うのはむずかしいらしい。僕がそれをポケットにしまっていると、スタッフが入場をうながしはじめた。
 僕は、ファントムリムがファントムリムではなかった頃から見ている。メンバーチェンジは一度もないけれど、以前、光樹たちはころころとバンド名を変えていた。ファントムリムというバンド名に落ち着いたのは、三年ぐらい前だ。バンド名の定着と共に、光樹たちの名前は売れていった。今となっては、知り合いか暇人だけだった客席が懐かしい。
「こんばんは。ファントムリムです。このハコは一ヵ月ぶりかな。また来れて嬉しい」
 陰影を深める青い照明のステージに現れた光樹は、メンバーを従えて一曲歌ったあと、MCを入れた。ファントムリムのメンバーも、ピアスやタトゥーはしているが、ごてごてした化粧や仮装はしていない。光樹の格好もこのあいだ宣伝しにきたとき程度だ。いつもは隣で間近に聞いている声が、PAを通して室内で共有されるのは変な感じがする。
「僕たちはけっこういっちゃってるからさ、共鳴してくれる人がこんなにできるとは思わなかった。僕たちのあとのステージも含めて、今夜はめいっぱい楽しんで。じゃあ二曲め、『幻聴』」
 スティックがリズムを取り、ギターがぶあつく室内中にゆがんだ。歓声があがってうねりに場内が揺れ、仕事柄ささやいてばかりの僕は、耳を犯されるように感じる。今日は寝るとき頭ぐらぐらだな、と案じていると、光樹のしなやかな声が詩をたどりだす。

  こんなところにいるぐらいなら
  自分に毒をそそいで
  壊れてしまったほうがいい
  そうしてじわじわと死んでいく
  僕が死んだって誰も哀しまない
  僕の軆は僕のもの
  どうしたっていいよね
  もうやめるんだ
  僕はこの身に毒を受ける

 普段の幼なじみの光樹と、ファントムリムのヴォーカリストの光樹は違う。強烈にロックする演奏に声を昇華させ、解き放った傷の血で観客を熱狂にあおる。爆音を引き連れて客席を支配するあの王様と、子供の頃には一緒に悪趣味な悪戯をしていたなんて不思議だ。
 僕はいつも周りの物凄い狂喜についていけない。陽桜育ちのせいか、そういうタチなのか、ステージ前を陣取って頭を揺すって両腕を掲げるなんてできない。後方で地味に光樹を見守る。ステージから僕のすがたを見つけると、光樹は観客に気づかれないよう素早く微笑む。その微笑を見れば、幼なじみなんだよな、と妙にしっくり納得できた。
 ライヴ終了後、アンケートに一観客として答えると、メモを片手に指定の打ち上げ場所に行った。盗まれていなかった自転車も連れていく。たどりついたのは、以前も来たことがあるバーだった。
 貸し切りではないが、一部を打ち上げに使用するのを店側は承諾している。そばのスタジオをいつもファントムリムは利用しているそうで、ここは四人の行きつけの店なのだ。招待されたのは僕ひとりでもなく、メンバーの知り合いがうろうろしている。やがてファントムリムの面々が来ると、打ち上げという名の酒盛りが始まる。
 光樹が陽桜の人間もいくらか呼んでいて、僕たちはどうも同じ匂いで集まってしまう。「すごいよね」とお祭り騒ぎを横目にしみじみしていると、「異彩放ってるよ」と赤いカクテルを持った光樹がやってきた。
「だって乗れないんだもの」
 黒髪を綺麗に流した女の子が言い、僕たち一同はうなずく。
「みっちゃんはこっちに染まっちゃったんだね」
 普段は女装で稼いでいるという男の子は泣き真似をする。
「てかさ、ライヴ来たらいつも思うけど、歌詞暗いよね」
 亜麻色の巻き毛を揺らす女の子が笑う。
「みっちゃんがあんなにわめき散らすって、なーんか変な感じ。はにかむのを売りにした淫売になりそうだったのに」
「わめき散らすって」
「わめいてたじゃん、死んだほうがマシー。じゃあ死ねばっていうのは、僕の感覚なんでしょうか」
「死んだほうがマシと思ってた頃を過ぎたんで、詩にできるんだよ。真っ只中にいたんじゃ、冷静にまとめられない」
「そんなもんなの」
「なの。碧織はどうだった?」
「観客がすごいね」
「それ、私も思ったわ」
「あたしも。ダメだね、あれは。ヒイちゃうよ」
 むくれた光樹に僕は咲い、「ライヴはよかったよ」と素直にねぎらう。じと目で疑う光樹に、「ほんとに」と言い添える。
「淫売より、歌手のほうが光樹だよ」
 僕の瞳を見つめて機嫌を直した光樹に、残りの三人もようやくライヴについてきちんと感想を述べる。湯気を立てるからあげに爪楊枝を刺した僕は、ライヴハウスのスタッフに渡されたメモについて訊く。
「あれはね、碧織に打ち上げの場所言ってないの気づいたんで。こないだ会ったときに教えとくつもりだったのにごめん」
「それはいいけど。陽桜の人間って分かるとか言われたよ」
「え、陽桜の人とは言ってないよ。言ったのはこの色っぽい切れ長とか」
 光樹は僕の両目尻をきつねみたいに伸ばし、「やめてよ」と僕は彼の手をはらう。
「じゃ、何であの人、陽桜とか言ったの」
「さあ。僕が陽桜に友達多いの、有名だしな。それに碧織は分かるよ。生粋だし」
「そうなの」と男の子がしばたき、「かっこいー」と巻き毛の子が言う。僕はやや油っこいからあげを噛み、その賛辞には閉口しておく。
「光樹も生粋になるのよね」
「どうだろ。僕は一度外に出たし。今もかあさんには会いにいくし」
「おえっ、母親なんてくそったれだよお」
「光樹くんは、親と親交あるんだよね。今日来たの? ここにいる?」
「かあさんは僕がバンドやってんのにいい顔してないし」
「男娼になれって」
「堅気になれって」
「バンド、堅気じゃん」
「一般人にはアウトローなんだよ」
「陽香さん、単にこの街に戻りたくないんじゃない?」
 光樹は僕を向き、「そうなのかな」とむずかしい顔になって、ソファに体重を落とす。
「バンドっていうか、かあさんは僕が音楽で吐きだすことが嫌なのかも。僕は歌詞ではあの頃がつらかったって言ってるし。かあさんを責めてるとかはなくても、痛みを与えられてたって、その事実は認めてる」
「みっちゃんは、母親好きなの」
「大好きだよ」
「うげー。僕は大っ嫌い」
「嫌いって認識できるだけいいじゃん。あたしなんか、母親の顔も知らないんだぜ」
「知らなくていいよ、あんなん」
「私はかあさんはよくても、父親は嫌いだわ」
「あー、父親もきらーい」
「顔知ってるから言えるんだぞ」
 僕と光樹は顔を合わせる。「碧織は、母親は」と光樹はくすりとし、「嫌いです」と僕はカクテルを飲む。
 そこで光樹に声がかかり、「ごめん」と光樹はグラスと共にそちらに移った。
 母親か、と僕は膝に頬杖をつく。光樹が陽香さんを想っているのは分かる。分かるから、母親を愛せない僕は、光樹が陽香さんを語るのはちょっと苦手だった。
 打ち上げが解散になる前に、僕はファントムリムのメンバーには挨拶しておいた。
 赤いメッシュに左耳のいくつかのピアス、右の腕にジョーカーのタトゥーをいれたベースの七夏。意志の強そうな、凛とした顔立ちをしている。
 ほっそりとして、淡い茶色の髪に物静かな瞳をしたギターの美静。物静かだが、その瞳には虚ろな影がただよっている。ピアスもタトゥーもなく、容姿は一番おとなしい。
 茶髪で目元や両耳にピアスを刺し、左腕に跳ねる魚のタトゥーを入れたドラムスの拓音。痩躯で骨張り、顔立ちには軽薄な隙があって親しみやすい。首には金の鎖を下げている。
 この三人に、僕はしばらく衝撃を与えつづけた。男娼なんてものをリアルでやっている、街の外に出たことがない、学校に行ったことがない、淑やかそうなわりに暴力的、もう子供がいる、ようやく衝撃も尽きて彼らは僕を把握しつつある。三人は光樹の陽桜での交遊にあまり詳しくないのだが、幼なじみという肩書きで、僕のことは憶えてくれている。
 パーティのお開きは、三時頃だった。「落ち着いたら、また遊びにいくよ」と見送ってくれた光樹と笑みを交わし、僕は早朝に向かって切れていく人混みを抜けていく。スラム付近になると、押していた自転車にまたがり、暗闇を走り出した。
 空気はぐったりしていても、自転車に乗って切れば風は頬に涼しい。子供の頃、外を駆けまわりはじめて足の限界が見えてくると、自転車が欲しくなった。だが、当然蛍華さんはそんなものは恵んでくれず、当時蛍華さんの旦那だった豹さんが買ってくれた。今はその自転車は盗まれてしまったけど、それで今、僕は自転車に乗れる。
 蛍華さんは、僕には欲しいものなんて買ってくれなかったくせに、あいつが欲しがれば何でも与えていた。なぜだったのだろう。蛍華さんが愛しているのは、僕ではなくあいつだった。僕は受けるべき愛をほかに向けられるほど、蛍華さんに憎まれていた。
 蛍華さんはいつも、僕の頬を引っぱたいた手であいつの頭を撫でていた。僕はそれにいつから痛みを感じなくなったのか、憶えていない。

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