物心ついたときには、僕の隣には澄南がいた。
愛らしい顔立ちの澄南が誘拐なんてされないように、僕はいつもその手を握る。澄南も僕の手を握り返す。
「女と手つなぐなんて気持ち悪いぞー」とか、幼稚園でバカにしてくる男子がいたら、「じゃあ、僕たちに近づかなくていいよ」と僕は強気に言い返した。そうしたら、もっと揶揄ってくるかと思えば、僕の眼つきが怖かったのか、泣き出してしまう奴もいた。
「稜ちゃん」と澄南が不安そうに僕の名前を呼ぶ頃、「また稜真くん、お友達泣かせちゃったの?」と幼稚園の先生が駆け寄ってくる。
「そいつ、別に僕のお友達じゃない」
砂場の縁に座る僕が、むすっとした顔をすると、「あのねえ……」と先生は参ったように息をつく。隣の澄南は何も言わず、僕の手をきゅっと握りしめる。
「僕のお友達は澄南だけだもん。行こ」
僕が立ち上がると、澄南はこくりとしてついてくる。手はつないだまま。
「稜真くん、澄南ちゃん」と先生は呼び止めようとするものの、僕はそんなのは無視をする。夏の光の中、みんなが散らばって遊んでいる運動場を見まわし、体育館の入口の階段に人がいなかったので、そこへと歩き出す。
「稜ちゃん」
「うん?」
「あのね」
「うん」
「かっこよかった」
僕は澄南を振り返り、澄南以外には絶対に見せない笑顔になる。白いワンピースの裾をひらひら揺らす澄南も咲って、僕たちは並んで階段に腰をおろす。
「次は運動の時間だね」
「また隠れ鬼かなあ」
「私、稜ちゃんと隠れる」
「うん。今日はどこに隠れようか」
澄南は長い睫毛を伏せ、甘い香りをこぼすつやつやの長い髪で顔を隠す。「澄南?」と僕がその顔を覗きこむと、澄南は僕の瞳を黒い瞳に映して、ちょっとだけはにかんで言う。
「稜ちゃんと隠れたら、もうずっと、誰にも見つからなかったらいいのにな」
僕はきょとんとまばたいたあと、微笑んで、つながっていない右手で澄南の頭を撫でる。
「そしたら、ずっとふたりだけだもんね」
澄南はこくんとして、「稜ちゃんは嫌かな」と首をかしげる。
「ううん。僕も澄南とふたりだけがいいよ。たぶん、パパとママみたいに結婚したらいいのかもしれない」
「私と結婚してくれるの?」
「澄南としか結婚したくないよ」
澄南は綻ぶように笑顔になり、「早く大人になりたいなあ」と紺の靴の足を階段に放る。
「子供は、何か言ってくる人が周りにいっぱいいて、つまんない」
僕と澄南は、青く突き抜ける空を見上げた。淡い白雲が緩やかにたなびいている。
あの空が続く広い世界で、澄南とふたりだけになりたい。僕と澄南、相手以外の奴なんかみんないらない。どうやったら、そんなことが可能になるのかとつたなく考えたら、結婚なのかなと思う。
僕たちは、そんなふうに、幼い頃からいつも一緒だった。小学校に上がって、人前で手をつなぐのは少し減ったけど、放課後、宿題が終わってテレビを見るときは、手をつないでいた。
夕方のアニメの時間が終わって、僕が家に帰るときは、澄南はすごく哀しそうな顔をする。僕の家は澄南の家の斜向かいなのだけど、それでも毎日お泊まり会をするわけにもいかないだけで、僕たちは心を痛める。
冬はすぐに陽が落ちてしまうので、外はとっくに暗い。そろそろママが心配しはじめるかもしれない。
「明日の朝、また迎えにくるね。一緒に学校行こうね」
僕がそう言ってかろうじて咲ってみせると、「稜ちゃんとクラス違うから、学校嫌い」と澄南は泣きそうに睫毛を震わせた。それは僕も同じだから、とっさにどうなぐさめたらいいのか分からない。「休み時間は会いに行くよ」とどうにか言うと、澄南は僕をじっと見てから小さくうなずき、つないだ手を離した。
暖かい澄南の家を出ると、闇夜の中で、近づくクリスマスのイルミネーションが家並みを飾っていた。ツリー。トナカイ。サンタクロース。すごく綺麗だから、思わず澄南を少し呼ぼうかと思ったけど、また離れがたくなってしまう。
吐く息が白く浮かび上がった。指先が一瞬にして凍てつくほど寒い。首に巻くマフラーをもうちょっと締めて、僕は芝生の庭を飛び石に沿って横切って、道路に出た。
僕にだけ懐く澄南は、寒がりな女の子なのだと思う。でも、誰の体温でもいいわけではなく、僕の手しか握らない。そして僕も、そんな澄南がかわいくて甘やかしてしまう。
小学校高学年になり、僕と澄南は同級生にいろいろうわさされた。つきあっているとかならまだしも、キスしているのを見たとか、ひどいとコンドームを買っていたとか。
小学六年生のある秋の日、休み時間に澄南の教室に行くと、何やら澄南は席で女子生徒に囲まれていた。「稜真くんがいるからって調子乗らないでよ」という声が聞こえ、僕は眉を顰めると、澄南の名前を呼んだ。
澄南は顔を上げ、「稜ちゃん」と立ち上がると、こちらに駆け寄ってくる。「あ、」と囲んでいた女子たちが気まずそうにして、僕はそれを冷ややかに睨んで澄南を教室から連れ出した。階段の踊り場まで行くと、立ち止まって「大丈夫?」と優しく澄南を覗きこむ。
「うん。ごめんね」
「あいつら、よく澄南にああいうことするの?」
「……紅実子ちゃんが、稜ちゃんのこと好きみたい」
「え……いや、そんなの僕は気持ち悪いだけだし」
「そうなの? 嬉しくないの?」
「何で嬉しいの。嫌だよ」
「……みんな、私が邪魔だって言ってた」
「僕が好きなのは澄南だよ。その人も、ほかの女の子も、僕は興味ない」
澄南は目をぱっちり開いてしばたいたあと、相変わらず艶やかなロングヘアをさらりと揺らし、白皙の頬を染める。
「す……好き、って」
「うん」
「稜ちゃん、私が好きなの?」
「好きだよ」
「………、じゃあ、つきあってるっていううわさが、ちょっとだけ嬉しいのは私だけじゃない?」
「えっ──」
僕はどきんと狼狽えてしまったものの、恥ずかしそうに伏し目になる澄南が愛おしくて、ほんの一瞬、身長差のぶん身をかがめて唇に唇を触れさせた。
びっくりした澄南の瞳に僕は微笑み、「うわさより、ほんとに澄南とつきあえるほうが嬉しい」とささやいた。澄南の視線がゆらゆらして、「……もう」と僕の服をつかむ。
「稜ちゃん、ほんとかっこよくてずるい」
「澄南もかわいいよ。昔から一番かわいい」
そんなことを言い合って、一緒に噴き出してしまったとき、チャイムが鳴った。自然と手をつないでいた僕たちは、「サボっちゃおうか」とすぐに決め、ひと気のない三階の特別教室の廊下で窓を開け、残暑がやわらいで涼しくなってきた風を浴びた。
僕たちはつきあいはじめ、まもなく中学生になった。つきあってるんじゃないかとか、好き合ってるんじゃないかとか、そんなうわさは僕と澄南だけを指すめずらしいものではなくなって、中学時代はわりと平穏だった。
中学一年生が終わって、二年生に進級するのを待つ春休み、初めて僕と澄南は軆を重ねた。ラブホテルなんてもちろん行ける歳じゃなくて、僕の部屋だった。
ベッドで服を脱いで、キスをして、素肌を愛撫して、丁重に刺激して濡らしたそこに僕をあてがってみる。でも、先端で澄南が痛いのをこらえているのが分かったから、やめようかと思ってしまった。すると、澄南は僕にくっついて「大丈夫」と瞳を合わせた。
僕は恐る恐る澄南の軆の中に入り、柔らかい水分に包まれる、くらくらするような快感に彼女を抱きしめて声を我慢した。下にいる澄南も僕の名前を呼んでしがみついてくる。澄南の長い髪からは、いつものホワイトフローラルの香りがした。
「稜ちゃん、好き」と澄南は何度もささやいて、僕も澄南の耳を甘咬みしながら「好きだよ」と応えた。
そして、コンビニでしれっと買うことができたコンドームに出して、僕がそれをティッシュに包んで捨てていると、「それで稜ちゃんの赤ちゃんが作れるのかあ」と澄南は嬉しそうに言った。「赤ちゃんは欲しいの?」と僕が隣に横たわると、「稜ちゃんは欲しくないの?」と澄南はまばたく。
「いや、欲しいけど。澄南は僕とふたりきりがいいのかなって」
「赤ちゃんは来てもいいよ」
「はは、そっか。じゃあ、いつか作ろうね」
「うん。男の子だったら、稜ちゃんみたいにかっこいいかなあ」
「男でも女でも、澄南に似てほしいな。かわいいもん」
春先の肌寒さに一枚の毛布に入りながら僕たちは咲って、「おばさん、そろそろ買い物から帰ってこない?」と澄南が心配する。「帰ってきても、僕の部屋まで見にこないよ」と僕は澄南の髪を撫で、「今日は泊まっていいよ」と続ける。澄南はこくんとして、「稜ちゃんいつのまにか筋肉ついたね」と僕のじかの胸板に触れる。
「一応、筋トレやってるし」
「そうなんだ」
「澄南を守らなきゃいけないから」
「ふふ。やっぱり、稜ちゃんはかっこいいね」
にっこりする澄南の髪を梳き、肢体がしなやかに伸びる細い軆を抱き寄せる。温かい。柔らかい。
澄南とずっと一緒にいたい、と改めて思った。大人になって、結婚して、子供ができて、それでも変わらずにくっついていたい。今までそうやって過ごしてきた。だから、きっと、これからだって──
そんな僕たちの前に、その一件が持ち上がったのは、僕と澄南が高校に進学した頃のことだった。
放課後、スマホをチェックすると、とうさんからのメッセが入っていた。今日はまっすぐ帰ってこい、とのことだった。「とうさんからメッセなんてめずらしいや」と澄南と下校しながらつぶやくと、「話って何だろうね」と澄南も首をかしげる。「こないだの中間、そんなに悪くなかったけどなあ」なんて僕は言っていたけど──
話は、ぜんぜん、違った。
僕と澄南、この世界でふたりきりになってしまいたい。昔からそんなことを考えている。でも、澄南以外の人をすべて殺し尽くすわけにもいかない。ならば、せめて、結婚という契約で結ばれたらいい。白い礼装で指輪を交換し、永遠を誓い合えたら、この飢えるような心も満たされるはずだ。そんな未来を夢見る僕たちにとって、それはとてもショッキングな話だった。
「離婚……?」
帰宅すると、とうさんとかあさんが揃っていて、僕をダイニングのテーブルに通した。向かい合って座り、僕は両親を見つめた。何だかふたりが目を合わせないから、気まずい空気は感じて、「どうしたの」と僕は逆に笑ってしまいながら訊いた。そうしたら、とうさんがゆっくり息を吐き、かあさんとの離婚を考えていることを切り出した。
「え……うそ、」
とっさに信じられなくて、声がかすれた。
「何、それ。嘘でしょ」
「稜真には感づかれないように頑張ってきた。だが、もう限界なんだ」
「限界……」
「冷めてしまった気持ちは、どうしても──ここ何年も努力してきたけど、戻らなかった」
頭の中ががらがらと瓦礫になって壊れていく。視覚が途切れて、まばたきさえぎこちない。
離婚。限界。冷めた気持ち。
そんな。そんなのって!
結婚は、永遠を約束したということではないのか。添い遂げることを誓ったのではないのか。
もちろん、離婚というものは知っている。正直、どんなことより軽蔑していた。この人だと決めたくせに、なぜそれをひるがえすことができるのか。
事情がある場合も分かっているけど、僕のとうさんとかあさんには、たとえば暴力、例えばギャンブル、例えば酒癖、そういうものはなかった。なのに、何で……気持ちが冷める、だなんて。
「ごめんね、稜真」
かあさんが初めて口を開いて、僕ははっとそちらを見る。かあさんは目を赤く濡らしている。
「ずっと、いい両親のふりをしていてごめんね。騙していて、本当にごめんなさい」
騙、す。幼い頃から見てきた、両親を思い出そうとした。なぜか、のっぺらぼうでしか思い出せなかった。
僕の誕生日、入学式や卒業式、祝ってくれたはずの人たちの顔が分からない。僕はとうさんとかあさんを見て、家族じゃなかったんだと愕然とした。僕はずっと、両親のふりをした他人に面倒を見てもらっていただけなのだ。
とうさんは親権で揉めていることを話し、僕の気持ちを聞いて参考にしたいと言った。
僕は泣きそうな顔を伏せた。とうさんか、かあさんか、選べっていうのか? 何でそんなむごいことさせるんだ。適当に決めていいよ。僕はそれについていくよ。そのほうがまだマシだ。
それでも、「ちょっと考えるから……」と僕は言ってしまい、とうさんとかあさんも引き止めずに僕を部屋に行かせてくれた。
僕はベッドスタンドに置いていたスマホをつかんで、澄南に通話をかけた。澄南はすぐに出てくれて、彼女のなめらかな声を聴いた途端、僕は息を震わせて涙を落としてしまった。
『稜ちゃん。どうしたの』
不安そうな澄南の声に、僕は嗚咽が混じるたどたどしい口調で、両親の離婚を告げた。澄南も息をのんでいた。
「どっちか選ぶなんて、僕はできないよ」
『そう、だよね……』
「どっちにもつかずに、ひとり暮らしでもさせてもらえたほうが、一番いい気がする」
『それは無理なの?』
「まだ高校生なのに」
『……そっか』
「澄南ならどうする……なんて、分からないよね。ごめん」
『ううん。私だったら……なんて、言っていいのかな』
「澄南の意見も聞きたい」
『………、たぶん、おばさんかな、とは思う』
「かあさん? どうして?」
『私、稜ちゃんのおうちの中まで詳しいわけじゃないけど、おじさんはずっとお仕事してるよね?』
「うん……」
『おばさんは、パートとかもしてるの見たことない気がするの』
「僕を生んでからは、したことないと思う」
『じゃあ、支えてあげないといけないって、私なら考えるかな』
僕はシーツの上で両膝を抱えた。支える。僕が? かあさんは──もちろんとうさんも、僕を裏切ったのに。いっそ縁を切れるなら、それが一番いいと思ってしまう。
「僕を騙してたんだ」とうめくように言うと、『……うん』と澄南は声を落とす。
「ほんとに、前触れもなかった。昨日の夕食も、今朝の朝食だって。なのに、何で──」
『稜ちゃん……』
「ずっと仲がいいと思ってたのに。冷めたって何なんだよ。じゃあ初めから、結婚するなよ。僕なんか生むなよ」
『……稜ちゃんが生まれてなかったら、私、すごく寂しかったよ?』
「………、ごめん」
『私は、ちゃんと稜ちゃんのそばにいるよ。ずっとそばにいる。離れたりしないから』
「ほんと……?」
『うん。それは安心していいからね。稜ちゃんはひとりぼっちになったわけじゃないよ』
僕は手の甲で涙をぬぐう。澄南をぎゅっと抱きしめたくなった。澄南の匂い、温かさ、柔らかみにほっとしたい。
そうだ。両親と僕は違う。僕と澄南は冷めたり、離れたり、終わったりしない。僕たちなら、大丈夫だ。
両親に、離婚後の生活について訊いた。やはり、とうさんは仕事をしている安定はあるようだ。かあさんは、生活が苦しかったら実家に帰るのも考えているという。
祖父母はそこまで厳しい人ではないから、娘が帰ってきて嫌な顔はしないだろう。ただ、祖父母の家は田舎なので、周りにあれこれ出戻りだとかうわさは立てられるかもしれない。
僕は何日も考えたのち、「僕がかあさんを守らないといけないと思う」ととうさんに告げた。とうさんは一瞬苦しそうな顔をしたが、静かにうなずき、「お前なら安心して任せられるよ」と僕の肩をたたいてくれた。
僕の両親は、真夏の八月に離婚した。蝉が泣きわめく中、僕とかあさんは家を出て、アパートの一室に住むことになった。見送る澄南は、懸命に笑顔を作っていても、ふとしたときに哀しそうな色をちらつかせていた。
転校するほど遠くに行くわけでもなかったので、「高校で会えるよ」と僕は言い、澄南は黙ってうなずいた。僕は澄南の髪を撫で、「たまに泊まりにくる」ともささやき、澄南は大きな瞳に僕を映して「いつでも来ていいから」とささやきかえした。
かあさんが「稜真」と僕を呼び、僕は澄南に手を振って、生まれたときから暮らしてきた住宅街を離れた。
かあさんとの暮らしは、やはりあまり裕福なものではなかった。かあさんは働くことが学生時代の喫茶店のバイト以来であるらしい。でも昔と今では、接客業はだいぶ違うようで、苦労しているみたいだ。家事をするヒマもなくなり、食事は惣菜が増えて、洗濯物も気を抜くとすぐ溜まった。
床の隅に溜まったホコリを眺め、僕も働いたほうがいいかなあ、と思うまでに時間はかからなかった。とりあえず、高校は卒業したいけれど、大学はあきらめるか、せめて後まわしにするか。かあさんの実家に戻ることになり、周りに陰口をたたかれるのはやっぱり癪だ。
高校一年生の終わりになって、僕は進学組にするはずだった進路を、就職組に切り替えた。「稜ちゃん、進学しないの?」と放課後の駅までの道のりで澄南はびっくりして、「今は家のことが大変だからね」と僕は答える。すると澄南はうつむいて、「じゃあ、私も進学しない」と言い出した。
「えっ」
「稜ちゃんと同じ大学に行きたかったのに、稜ちゃんが進学しないなら意味ないよ」
「でも」
「稜ちゃんと一緒がいい」
僕は澄南を見つめた。それから、曖昧に咲うと「澄南は大学に進んでていいよ」とその頭をぽんぽんとした。
「けどっ……」
「僕のことなんか、置いていっていい」
「何でそんなこと言うの? 私は稜ちゃんと、」
「すぐに追いつくから。追いついて、澄南を迎えにいく」
「──―……」
「僕は、澄南以外の人を皆殺しにしてふたりだけの世界を作ることはできないけど、澄南だけを選ぶことはできるよ」
「稜ちゃん……」
「僕が澄南に追いついたら、そのとき、結婚しよう。僕と澄南と、ふたりだけの家を作って、そこで赤ちゃんも作ろう」
澄南は瞳を湿らせて揺らし、僕の腕にしがみつくと「稜ちゃん大好き」と言った。僕も微笑んで、「澄南が大好きだよ」と応じた。
「世界で、ふたりだけになろうね。僕たちはもう大人だから。子供の頃の隠れ鬼みたいに、見つけたら引っ張り出す鬼はいない。ずっとふたりきりでいられるよ」
「うん……っ」
「僕は澄南を離さないよ。ずっと捕まえたままだから」
澄南は、僕のブレザーを涙で濡らしていく。僕はその甘い香りの髪を撫で、寂しがりな恋人に睦語をささやく。
好きだよ。大好きだよ。ずっと一緒にいよう。結婚しても、その先も、変わらず僕たちは愛し合っていよう。そして、いずれ迎え入れる子供を、めいっぱいかわいがろう。
幼い頃、隠れ鬼で僕たちはいつも一緒に隠れた。そして、身を寄せ合って息をひそめるその時間が、ずうっと続けばいいと思った。ふたりきり。ほかには誰もいない。ふたりぼっちの世界。
駅前に出ていて、電車が線路を走り抜けていく音に気づく。僕の腕にしがみついて泣いている澄南を、ちらちら見返る人もいるけど、澄南は構わず僕にくっついている。僕も澄南の肩を抱いている。
高校二年生になったら、僕と澄南はしばらく進路が別れる。でも、平気だ。かあさんとの生活が安定したら、僕は全速力で澄南を追いかける。追いつく。捕まえる。そして──
幼い頃のような、邪魔してくる鬼ももういない。僕たちの世界は、僕と澄南だけのものになる。
さあ、どこにそんな隠れ家を築こうか。
冬の短い夕暮れが、雑踏も僕たちもオレンジに染めている。そばのクレープ屋からもれる甘い匂い。
改札の前で、ようやく澄南は顔をあげて、ICカードケースを取り出した。僕もそうして改札を抜けると、降りる駅は違うけど方向は同じだから、澄南の手を取ってホームへと歩く。
昔のまま、澄南は僕の手を握り返してついてくる。
「稜ちゃん」
「うん?」
人が行き交う駅構内を歩きながら、振り返った僕は澄南に微笑みかける。澄南はそんな僕の笑顔を見ると、幸せそうに微笑む。
「稜ちゃんがそんなふうに咲ってくれるのは、昔から、私にだけだね」
「はは。そうかもしれない」
「私は、子供の頃からそのことがとっても嬉しいの」
肩に寄り添う澄南に、僕は笑みをこぼして「僕は澄南だけのものだけだから」と鼓膜に流しこむ。澄南はうなずいて、つないだ僕の手を握りしめる。
結婚は、けして約束ではない。僕たちはそのことを知ってしまった。けれど、それでも、この人を選んだという証明が欲しいから、僕らは結婚するだろう。
永遠でも足りないくらい、僕はいつまでもこの子のそばにいたい。「みーつけた!」なんて、外野の声が割って入ってくることももうないのだ。
僕と澄南は、ふたりだけの隠れ家で、やがて、きっと、真心が温かく灯る家庭を築いていく。
FIN