夢色の雪-1

町娘の恋心

 子供の頃、近所の公園の隅に雪うさぎを作った。緑の葉っぱの耳、赤い南天の目、ころっとした小さな白い雪うさぎ。
 うさぎさんかわいいねって、弟の聖良せいらはそれをずいぶん気に入って、毎日公園に通ってかたちを手入れしていた。でも、冬が終わると、もちろん雪うさぎは溶けてしまって──
「春が来るんだよ。あったかくなるんだから、泣くんじゃないの」
 うさぎさん死んじゃったと泣く聖良を、私はそう言ってなぐさめた。それでも聖良はぐずぐずと泣いている。そんな聖良に、私は──
「お前なんか、もう女のとこで泣いてろ!」
 はっと目を開けた。
 私はビーズクッションの三日月の抱きまくらを抱きしめて、自分のベッドにいた。明るい窓で朝の鳥がさえずっている。ちょっと寒くて、無意識にぬくぬくしたふとんを頭までかぶる。
 眉を寄せて、今見ていたものを思い返し、夢かと思う。
 あんなことあったな、と目をこする。ラストの叫びは現在の私の叫びだったけど。ふたりの両想いは周知のことだったものの、ついにつきあいはじめたらやっぱりムカついた。私なんか──
 ごそ、と頭を出すと、ベッドスタンドで充電していたケータイをたぐりよせる。
 メール一通。仕事を上がった幼なじみからで、あの人からじゃない。
 分かってる。メールなんて来るわけがない。あんな王子様みたいな人。あんなメモ、直接渡すことすらしなかったメモ、きっとゴミ箱行きだ。よく分かっているけれど。
「はあ」と胸苦しさに声に出してため息をつく。
 切ない。人を好きになったのは初めてじゃないけど、こんなに心が破裂しそうにいっぱいになる恋は初めてだ。今までの恋だって、本気だったつもりだ。でも、この恋に焦がされていると、今までの恋はおもちゃだったのかもしれないと思う。
 イエローの三日月の抱きまくらをぎゅうっと抱きしめる。数年積み重ねた私の匂いが鼻腔を撫でる。
 あの人を想って、泣きそうになっているこんな私のかたわらに、あの人がいればいいのに。そして、「どうしたんですか?」って心配してくれて──それが叶うなら、何もいらないのに。
「ソフトクリームだって」
 あの人たちがこの町に来たのは、四年前のことだった。慣れない様子で商店街を歩く三人は、都会の雰囲気があって商店街の水面下でちょっと話題になった。あの人は平日はあまり来なくても、休日の買い物にはよく付き添っている。
 日射と蝉の声が暴れる真夏にさしかかっていた。私は高校一年生の夏休みだった。店番をしていて、今日来てる、と現れた三人を眺めていると、いつもこんなしけたソフトクリーム屋は素通りされるのに、一番小さい、小学生くらいの男の子が店の前で立ち止まった。
「食べたいなー」
 高校生くらいの男の子が、その子のおねだりに笑いを噛む。特に暑い日だった。奥のクーラーの元で涼んでいた私は、ここでぼーっとしていたらおかあさんに怒られるので、ケースの前に駆け寄る。私が来たことで引けなくなったのか、一番年上っぽいあの人は苦笑しながら財布を取り出した。「やった!」と小学生の子がケースにはりつく。
 とはいっても、こんな商店街のソフトクリーム屋だ。迷うほどフレーバーはない。ミルク、バニラ、チョコ、ストロベリー、あずき、抹茶。それでも男の子は目移りして、あの人は高校生の子にも言った。
「萌梨くんも食べなよ」
「え、いいの?」
「うん。僕も食べるから。悠、早く選んで」
「ミルクとバニラって何が違うの?」
「お店の人に訊きなさい」
「えー……」
 男の子は背伸びして、上目遣いで私を見た。私はにっこりとして、「ミルクは、」と純白のアイスが入った機械をしめした。
「牛乳をたくさん使ってるんです。バニラは、バニラっていう植物のエッセンスが入ってます」
「え、バニラって植物なんですか」
「はい。うちのは黒い粒も入ってます。バニラビーンズですね」
「ふうん。じゃあ──とうさん、俺、ミルク」
「僕はバニラにするよ。萌梨くんは?」
「じゃあ、チョコで」
 うなずいて、あの人が私を見た。柔らかそうな髪が夏風に揺れた。眼鏡をかけた穏やかな色の瞳──
「お願いできますか」と言われて、はっとした私はこくこくとして、まずお会計を済ました。税込み、ひとつ三百円。千円札を百円にして返すとき、接客のときはお客様の目を見なさいとおとうさんに言われているのに、触れかけた指先に目が伏せがちになってしまった。
 それから、小学生くらいの男の子は、うちの常連になった。悠紗くん、という名前で、学校には行っていないらしい。おにいちゃんである高校生くらいの子は、萌梨くんというそうだ。そしてあの人は、ふたりのおとうさんだと、悠紗くん──悠くんが教えてくれた。
「あー……じゃあ、結婚してるんだ」
 その日、ストロベリーのソフトクリームを買ってくれた悠くんに、いつしかタメ口になってつぶやくと、「昔はね」と悠くんもタメ口で返す。
「ずっと昔に離婚してるよ」
「えっ、そうなの。おとうさん、すごくいい人なのに」
「母親はとうさんを何も分かってなかったからね」
 私は言葉を続けそうになり、踏み込んだら失礼かと口をつぐんだ。
 冬の凍えた空を見上げた。不登校とか離婚とか、私にはテレビの中のものと思っていた。だから、それらと当たり前に生きている三人が不思議だった。
 もちろん、悠くんも萌梨くんもいい子だったけど、私の目はあの人を探した。王子様、と内心呼んでしまうほど、容姿も雰囲気も繊細な人だった。色素の薄い髪、すらりとした脚、おっとりした微笑に穏やかな声。モテるという感じじゃない。憧れの人という感じだ。
 いつ恋になったのだろう。感じのいい人だな、とは思っていた。でも、私は強引な人にばかり惹かれてきた。それで振りまわされて、少々恋愛に参っていた。なのに、私の心はあの人を想って、どんどんいっぱいになって。近づきたい、話したい、店員とお客様なのが苦しいくらいになってしまった。
 私は手に入らないと分かっているものを、しつこく追いかけるタイプじゃない。縁がなかったのね、とわりとあっさりあきらめる。なのに、あの人には、ついに我慢ができなくて──
「……ヒカれたかなあ」
 そうつぶやいて、ケータイを閉じてふとんを這い出た。
 ルームシューズを履いてベッドを降り、ぼさぼさのセミロングに手櫛を通す。カーテンを開けて光を呼び、姿見を覗くと、このあいだクローゼットから引っぱり出した、もこもこしたピンクのルームウェアの自分が映る。
 コンタクトをしていないから、くっきりとは見えないけれど、あの人が王子様なら、私はモブの町娘だ。シンデレラストーリーなんて夢だわと息をついて、部屋を出た。
 顔を洗ってコンタクトを入れて台所に行くと、ブレザーの聖良が立ったままロールキャベツを口につめこんでいた。昨日の夕飯の残りっぽい。
 ルームウェアという、いかにもだらしない格好の私に、聖良は顔を顰めた。その目は無視して、私はダイニングを見まわす。
「おかあさんは?」
「洗濯干してんじゃねえの」
「おとうさんは?」
「とっくに会社」
「朝ごはんは?」
「自分で作れよ」
「そのロールキャベツは? 私、食べた記憶ないんだけど」
「昨日の夕飯からずっと寝てただろ、お前」
「お前とか言うな! お姉様だろうが」
 私に素早くはたかれて、聖良はうざったそうな顔はするものの、ちゃっかりケチャップのかかったロールキャベツは口に入れる。
「というか、じゃあ、それは私のロールキャベツか」
「お前が──」
「セーラちゃん」
「……ねえちゃん、どうせ朝から食わねえだろ」
「シチューならまだしも、コンソメくらい朝からいける! 返せ、私の飯を作る手間削りを返せ!」
「あーっ、うぜえっ。お前と違って俺は学校──」
「サボって私の飯を作れっ」
「働いて白石しらいしさんちの惣菜でも買えよ!」
「うるさい、働きたくても面接受からないんだよ!」
 ぎゃあぎゃあやっていると、「ちょっと!」と洗濯かごを抱えたおかあさんが顔を出した。
「かあさん、こいつが──」
「聖良が私のごはん食ったあ」
「はいはい、すぐ何か作ってあげるから。聖良は学校に行かせてあげなさい」
「自分で作らせればいいのに」
「作るわけないじゃない」
 口の中のものを飲みこんだ聖良は痛快そうに笑い、私はまだ校則で黒髪であるらしいその頭を引っぱたいた。
聖乃きよの、その代わり今日は店番しなさいよ」
「えー……」
「おかあさん、商店街の集まりがあるから。それとも、そっちに行ってくれるの?」
「……店番ね」
「開店準備もお願いね。朝ごはんは作ってあげるから」
「はあい」と答えると、おかあさんはまだ洗濯が残っているのか、引っこんでいった。
 私は息をついてシンクにもたれる。高三で食べ盛りの聖良は、がつがつと私のぶんの昨日の夕食を食らっている。
「店番めんどい……」
 聖良は私をちらりとしても、突っ込みもしない。
「何で私、自営業の家に生まれたのかなあ。普通の家がよかったよー……」
 ぶつぶつしながらダイニングに移動して、食卓の椅子を引いてテーブルに突っ伏す。縛っていない髪が、鬱陶しく肩を流れる。
 やっと食事を終えた聖良が家の中をばたばたと走りまわる。そして出かけるだけになると、ダイニングでぼさっとする私に、「店番サボんなよ」と声をかけてくる。
「……分かってるよ」
「今のうちに、悠くんにも挨拶しとけよな」
「はあ……?」
「悠くん、この町出るらしいから」
「はっ?」
「昨日俺が店番してたらさ、言ってた」
 私は目を開き、それがしめすところに慌ててしまう。
「な、何。あの三人、引っ越すの」
「いや、悠くんだけ。ギターやってるとか話してたじゃん。何とかってバンドのサポーターで、全国まわるって」
「は……あ。マジか。何あの子、すごすぎる」
「よく来てくれてたし、逢えたら礼言えよな。じゃ、いってきます」
「んー、いってらっしゃい」
 私がいい加減に言っても、聖良はそれを気にすることもなく、とっとと登校していった。私は空中に視線を放って、マジか、と心の中で再び思う。
 悠くんがミュージシャンに憧れて、幼い頃からギターを弾いているのは聞いていた。聴いたことはないけれど、「すごく上手なんですよ」と兄の萌梨くんは言っていた。今あの子いくつだろ、と思ってもぱっと出てこないけれど、小学生なのは確かだろう。その幼さでバンドのサポーターとして動き出す。すげえ、と頬杖に沈みこむ。
 そんなすごい息子を持つあの人には、私なんてますます情けなく見えるだろう。高校を出て、進学も就職もせず、かったるく求人誌をめくっても面接に通らないニートで、製菓会社に勤めるおとうさんが始めた店の手伝いで、小遣いを稼いでいる。最悪、このソフトクリーム屋を継げばいいとか、勝手なことも思っている。あんな素敵な人に、私なんて……。
「あー、ダメだ、ヒカれた」
 また、そんなひとりごとがもれる。このあいだの日曜日、店番をしていたら、三人が店の前で立ち止まった。ミルク味を注文した悠くんに、私はどう渡すか迷っていたメモを握らせた。「おとうさんに渡して」と頼むと、悠くんは私をぱちぱちとまばたいて見つめたものの、「分かった」と受け取ってくれた。そこに私は、メアドとよくある台詞を書いていた。
『よかったらお茶させてください!!』
 ほかにもっといい言葉はないかと悩んだけれど、まあ、まず店を離れて話してみたいのだから、お茶がしたいと書くしかない。それから、私は「ごめんなさい」でもいいからメールを待っているけど──今のところ、知らないメアドが着信して、返事が記されるメールは来ていない。

第二話へ

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