夢色の雪-2

届かない想い

 翌日はおかあさんがお店に出て、私は一度起きて朝ごはんは食べたものの、部屋でルームウェアのまま惰眠していた。
 ふとん越しに腰を蹴られて顔を出すと、きつい香水と煙草のにおいがただよって、すぐになずなだと分かった。髪はひとつにまとめていても、コンタクトの入っていない私は、ベッドスタンドの黒縁の眼鏡をかけて起き上がり、「はよ」とはっきりした視界に幼なじみのなずなを捕らえる。
「いいよね、ニート」
「最悪だよね、キャバ嬢」
「ホステスだよ」
「何が違うのさ」
「何度も説明してやってんじゃないの」
 華奢な肩や脚の出る紫の生地に、白い花が咲くミニワンピースのなずなは、そう言いながら、肩までの天然のくせ毛のウェーヴをかきあげる。二十歳。タメなのに、私とは色気が違う。化粧も落としていないきつそうな印象の吊り目に、私は首をすくめる。
「また朝まで?」
「アフターで歌い続けてた」
「カラオケ行きたいなー」
「うちの店来る? 歌ってりゃ金もらえるよ」
「演歌のデュエットでしょ。今度すずなと行こうよ」
「誰が金出すの」
「まあ、君かなあ」
 なずなは私の戯れ言は無視して、ホステスの品もなくどさっとベッドに腰かけた。部屋はまだ、朝陽を抑えるカーテンに陰っている。時計を見ると、八時が近い。
「シャワー浴びてから来いよー。ホステスってマジでにおう」
「ふん。石鹸の匂いなんて、女として胡散臭いよ」
「家には顔出したの?」
「一応」
「すずなは」
「昼まで寝てそうだった」
 なずなの家は、私の家の隣で八百屋をやっている。昔から「こんなださい家、継がない!」と言っていたなずなは、高校卒業と同時にラウンジで働きはじめた。そこで水商売のコツをつかみ、今はクラブで同伴とかいうノルマに追われている。
「玄関で聖良とすれちがったよ。あいつ進学?」
「そんな金、うちにないよ」
「すずと結婚してくれんのかなー」
 ちなみに、すずなはなずなのふたごの妹で、私のニート仲間、聖良の恋人だ。だから、聖良は隣のなずなたちの八百屋を継ぐ。と、周りは思っている。そんなわけで、私がソフトクリーム屋を継ぐのもあながちありえなくはないのだけど。
「なずなはどうよ、男とか」
「あー、ホステスやってると男には幻滅するだけだね。煙草吸っていい?」
「ダメ」
 なずなは舌打ちして、私は少し感じた秋の冷気にふとんを腰まで引き上げる。
「今日も客にエロいのいた?」
「エロというかバカだった」
「何かなー。男なんかってなー。私も思ってたのに」
 なずなは私をちらりとして、私は三日月を抱きしめる。
「メル返来た?」
「来てたら、すでに言ってる」
「あの人はなあ。別世界の人でしょ」
「……分かってるよ」
 ビーズクッションのもちもちした感触に顔を伏せる。
「でも、何か……メアドも知られたくないくらい、どうでもいいのかな」
「直接渡さなかったのは痛いね」
「だって、ケースの前まで来てなかったんだもん」
「来るときもあるんでしょ。何でそれ待たなかったの」
「あのメモ書いてみて、一週間くらい経とうとしてたんだよ。焦るでしょ。悠くんなら、きちんと渡してくれそうだし」
「まあね。あの子かわいいよね。髪切ってさらに萌えてきた」
「いなくなるらしいけどね」
「え、何で」
「何かね、」と私は聖良に聞いた情報をそのまま流す。「へえ」となずなはシーツに手をついて体重を預け、脚を組む。かたむいた軆に、くせ毛が剥き出しの肩をするりと流れる。
「ギター弾いてるとこ見たかったな」
「ライヴ行きゃいいんじゃないの」
「XENONだっけ? 出る夜はいつも満員らしいよ」
「マジか。そんなバンドのサポーターって……あーっ、遠い、あの人たち遠いよーっ」
「兄のほうは女できたみたいだしねー」
「ああ、見たことある。ふわふわした感じの女子だった」
「男って、やっぱそういう女好きだよね」
「いやー、ガン見してたら挨拶されたよ」
「ガン見すんなよ」
「一度はああいう、青春っぽいおつきあいをしとけばよかった。もう二十代っ……」
「そういや、こないだ店に十八の子が入ってきてさ。肌が違うよね」
「太っても肉が落ちなくなった」
「あと、やっぱあたしらと違うのは──」
 そんなことをだらだらしゃべっていると、不意になずなのケータイが鳴った。
 客だと思ったのか、「うぜえ」となずなは面倒そうにケータイを開く。私も自分のケータイを見たけど、着信の光はなくてへこむ。「あー」となずなが声をもらして目を戻すと、「すずだった」と画面を見せられた。
「『今どこ?』──ですか」
「起きたのかな」
「呼べば」
「ん」
 うなずいたなずなは、ラメ入りの紺色の指を高速で動かしてメールを打った。
 三分後、ばたばたと階段を駆け上がってくる騒がしい音がして、「おはよーっ」と部屋のドアが開いた。
「ふわーっ、まだ眠いよお」
「じゃあ寝てろよ」
「せーくんがお昼休みに電話くれるもーん」
 私となずなは、顔を合わせる。「煙草のにおい嫌ーい」とすずなは消臭スプレーを勝手につかんで、なずなに吹っかけた。それは同感でも、そんな、殺虫剤みたいにかけなくても──案の定、「死ねっ」と立ち上がったなずなに、すずなは足蹴にされる。
 なずなは、二十歳という年齢より大人っぽい。すずなは真逆で、二十歳という年齢より子供っぽい。でも、実際のところ、見た目は髪が肩までしかないせいか、なずなのほうがやんちゃで幼い。そして、ウェーヴを長く伸ばして、化粧を怠らないすずなのほうが色っぽい。なずなにはなずなに、違う色気はあるのだけど。すずなは特に、昔から女の子っぽいものが好きで、おばさんの口紅を持ち出して怒られていたような子だった。
「うわあん、きよちゃん助けて」
「なずな、そいつイジメたら、聖良の愚痴が私に来る」
「知るか。人を虫みたいにっ」
「ホステスなんて、人として底辺だもーん」
「八百屋の芋っぽさより、夜の蝶がマシだわっ」
「やっぱ虫じゃん、蝶だって虫じゃん」
 あんまり、仲のいい姉妹ではない。私とはそれぞれに仲がいいのに。
「つか、聖良ってそんなマメなことしてんの。昼休みに電話とか」
 なずながまたベッドサイドにどさっと座り、いらいらと歯噛みするのを横目に、私はすずなに言う。すずなは軆の線の出る黒とオレンジのボーダーワンピースの裾を引っ張りながら、こくんとする。
「お昼と寝る前に、せーくんに『好きだよ』って言ってもらわないと死ぬ」
「はあ!? 何バカなこと言ってんのあいつ」
「よし、聖良シメるぞ」
「えーっ、またふたりでせーくんイジメるの? もうやめてよ」
「いや、悪いのお前」
「聖良、ぼっちの姉をバカにしてるのか……っ」
「よく分かんないけど、謝るから! せーくんはイジメないで」
 私となずなは、聖良にとって優しい姉ではない。なので、こんなふうに、いつもすずなが聖良をかばっていた。はるか昔は、私にシスコン気味だった聖良も、次第にすずなのほうに懐いていった。
 そんなふたりだから、聖良が小学校に上がったときくらいから、両想いだの何だのと、学校でも商店街でも揶揄われていて──いつのまにか、本当にくっついていた。
 すずなはなずなの隣に腰かけ、「自分の香水つけてきてよかった」と言う。「あたしも香水はつけてんだよ」となずなは言ったけど、すずなはそれは無視して、「もちもちバナナ」と私の抱きまくらをつつく。「三日月だから」と私は奪われないように抱きしめた。
「そういえば、きよちゃんはあの人とどうなったの?」
「ん、別にどうにもなってないよ」
「なずなは結婚無理だとして、きよちゃんは──」
「いらない台詞が聞こえた」
「成人式とか、きっと出逢いあるのに。おじさんじゃなくても」
「おじさん言うな!」
「大人の人だよね。私、年上の良さって分からない」
「聖良以外分かんないでしょ、すずは」
「えー、えへへー」
「褒めてない」
「あいつのどこがいいんだろ。姉は分からない」
「せーくんはね、まずかわいいでしょ、あと優しいでしょ、それに──」
「すず、バイト決まった?」
 たぶんわざとなずなが言った途端、すずなの目が死んだ。なずなは鼻で嗤い、すずなはどさっと首を垂れて、呪いのようにつぶやきだす。
「決まってないよ……無職だよ……働こうと思ってるよ……でも受からないし……面接受からないし……働きたくないんじゃないよ……雇ってもらえないんだよ……」
 なずなは、さもおもしろそうに笑う。
 ほんとにこいつらふたごか、と思いながら、私はベッドスタンドのケータイを取る。着信はない。メルマガとかも嫌いで、もともと私のケータイは着信が少ない。
 ため息をついて、ベッドに面した壁にもたれると、抱きまくらに額を当てる。
「メール来ないと、気持ちにキリもつかないよ……」
 すずなはまだぶつぶつ言っているので、なずなが私のほうに首を捻じってくる。
「もう一度、今度は直接渡せば」
「鬱陶しいでしょ」
「答えは出るじゃない」
「これ以上、迷惑だと思われたくないよ。迷惑だったんだよ、こんなに返信がないって」
「じゃあ、あきらめたら」
「そうしたいよ。でも、そのためのメールが来ないんだよ」
「言ってることむちゃくちゃなんだけど」
「うう、スルーって一番つらい……」
 私は息苦しさにふとんに転がる。
 そのとき、すずなのケータイが鳴った。すずなははっとして、ポケットからケータイを取り出す。そして、「せーくん」と一気に笑顔になって電話に出る。
 私となずなは目を交わし、うんざりした気持ちを共有した。
 ──もう一度、次は、直接。そうするしかないのかもしれない。気持ちにケリをつけるなら、それが一番だ。直接渡せば、さすがに何か言葉はもらえるだろう。
 その言葉が、欲しい。欲しい、のに。早く欲しいのに。どこかでは、その言葉が怖くなっている。
 本当は、そんな言葉を求めるより、メールがないことが答えだと、私は理解しなくてはならないのだろう。

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