非常階段-63

思わぬ存在

「塩沢くん、どういうことなの」
 期末考査が近づく頃、登校中に俺のすがたを見つけた舞田は、今日もまた街燈にたかる蛾みたいにまとわりついてきた。俺は黙って寒風にコートの裾をひるがえし、少なくなった落ち葉を踏みしめるたび乾いた音をさせている。周囲は普段通りのかったるい朝で、息がる舞田の声はけっこう騒々しく目立っていた。
「塩沢くんっ」
 フローラルが香る髪と、白いマフラーをなびかす舞田の形相は、俺に浮気でもされたかのようだから、こちらが恥ずかしい。
「どうして結浜さんなんかと仲良くするの」
 台詞まで浮気された女だ。正直、俺は怒っているというより、どう言えばいいのか分からないから、薄く色づく吐息しかもらさない。
「周りに流されて女の子に逃げるなんて最低よ。そんなのダメ。塩沢くんは自分の思う通りにやればいいのよ」
 頬や指先を冷えきらせる俺は、舞田のぱっちりした瞳を見、俺もこの女ぐらいずうずうしければなあ、と冷淡な面持ちの裏で情けなくうなだれる。望永や坂巻をぶん殴るぐらいしていた。ホモなんかなものか、ときっぱり嘘をわめきながら。
「結浜さんは、絶対に塩沢くんに取りこむ気よ。もしかして弓倉くんとのことだって、あの子が何かしたのかも。許せないわ」
 はいはい、と受け流せればいいのだが、俺の毛羽立った神経はいらいらと癇を立てる。
 弓倉の名前なんか聞きたくない。結浜が気に入らないなら彼女に言え。余計な妄想を聞かせて悩ませないでほしい──なぜ分かろうとしないのだろう。
 自由に開けたことを甲高く訴えつつ、何を言っても融通のきかない舞田に、俺は無言を押し通して前方の校門を見据えている。
「塩沢くん、しっかりしてよ。男の子の味を忘れたの」
 俺はかっと舞田を喉に槍を当てるように睨みつけると、両脇に何人かの教師が立つ校門をくぐっていった。俺の眼にいったん立ち止まったものの、「その目は何?」と舞田は懲りずに追いかけてくる。男の味。なぜそんないやらしい言い方をされなくてはならないのだろう。
 舞田が言い立てているほど、俺は結浜とは親密にはなっていない。確かにあのときああ言ったばかりに、ふたりで弁当を食べることはあれ、登下校は別だし、休み時間も彼女が話しかけない限り近づかない。まさか休日を共にしたりもしていない。それに、やはり期待させるのはまずいと思った俺は、どちらかと言えば結浜を避けている。
「もし俺にまだそういう気持ちがあるなら、早めに処理したほうがいいよ」
 このあいだも中庭に向かいながら結浜に言った。
「その、俺は女の子は嫌いだってわけじゃない。友達でいるのも嫌だってわけじゃないんだ」
 すれちがう肩を避けながら、階段を降りていく。結浜の俺を見つめる瞳に甘さが残っているのは否めない。
「ただ、その、こうやってるのは、ちょっと一緒に過ごしたら君の気持ちに整理がつくかなって思ってるからだし」
「……うん」
「ごめん。俺を好きでいたって、つらいのは君だと思うんだ」
 結浜は俺を見つめて、こくんとする。俺は自分の優しい台詞にぐったり象の鼻みたいに首を垂らす。まどろっこしい言い方だ。こんな物言いが墓穴になるのは分かっている。
 でも、だったらどうすればいいのだろう。ゲイだと知られるにあたり、いろんな状況が現実となるのを想定してきたけど、今回のは予想外でさえあるのだ。
 冷たく振ってしまうか。俺はそうして、ゲイは女嫌いとかいう変な方程式が広まるのが嫌なのだ。女子に総攻撃でもされたらたまらない。
 俺は結浜に舞田に対するような悪意もない。傷つけるのは忍びない想いもある。だが、傷つけたくないといって期待させていたら、おそらく取り返しのつかない傷を負わせる。どうやったらうまくあきらめさせられるのか、気弱さのみ走ってまるで分からなかった。
 弓倉に裏切られたのにだって気持ちは片づいてないのに、と今俺は図書室の受付で頬杖をついている。隣には、言うまでもなく塚谷がいる。あさっては試験初日で図書室は放課後には閉鎖だが、昼休みならこうして開いている。そこそこ生徒はいるのに、おなじみにここは静かで、実はエアコンもあって暖かなので、わりあい落ち着いて物思いにふけれる。
 とはいえ、ため息をつくと、塚谷にじろっと不快を突き刺される。静かにしろ、というだけでもなさそうな眼だ。俺は教室でかなり無表情を持するようになっているが、こいつほどではない。
 今日も始業直前に、盗まれていた教科書を窓から放り出されたときは、瞳が涙に引き攣りかけた。前述通り結浜のことは負け犬みたいに避けがちだし、弓倉が視界に入ると怒りと痛みがやるせなく綯い混ざる。
 やっぱりな。彼にはそういうあきらめもある反面、どこかではなおも信じられない。あのとき屋上の踊り場で、もう一度信じてみてもよかったかとも思う。彼は本気だった。
 しかしあの台詞を思い出すと、しょせんあれ以上弓倉を信じているのは幻想に過ぎなかったと感じる。理由を教えてくれ──
「塩沢っ」
 強く名前を呼ばれてはっと塚谷を見ると、女子生徒から本とカードをさしだされる彼は、俺の正面をしめした。すると、俺の前にも女の子がいて、「あ」と俺は慌てて愛想咲いを浮かべると彼女がさしだした本とカードを受け取る。
 一年生だ。ふたりは連れ合いなのか、俺と塚谷がノートにペンを動かすあいだ、くすくすと耳打ちしあっていた。内心舌打ちしながら書名と彼女の名前を記すと、俺はその子に本を返してカードは引き出しに預かる。
「男のことか女のことかは分からないけど、考えごとは仕事を忘れない程度にしてほしいね」
 ふたりが去ると、塚谷はこちらを見もせずにそう読みかけの本を開き、俺は顔を熱くしてぼそぼそと謝った。塚谷はそっけない手つきでしおりのところまでページをめくるだけだ。
 行きどころのない羞恥とみじめさに、スツールに体重をかけてため息をもらす。するとさっと塚谷に睨まれ、急いで口元は締めつけると首だけを垂れ下げた。

【第六十四章へ】

error: