青氷の祠-66

開かれた瞳

 僕の客はほとんど年上だから、たまに同い年や年下の客が取れると妙に照れ臭さがある。
 今モーテルの部屋で僕のオーバーを脱がす彼は、僕より背が高いながら十七歳で年下だ。髪は茶色で左耳に銀のリングを通し、右腕に龍を彫っている。顔立ちは悪くないどころか整っていて、その実、彼は愛も情交も知るゲイだ。しかしながら、尻軽で恋愛が長続きせず、週単位で失恋して僕になぐさめてもらいにくる。
 ホモ用ポルノポスターが貼られた部屋に暖房を入れると、ベッドに座っていろいろ触りあいながら、彼の失恋の愚痴を聞いた。今度の相手は僕と同い年の年上で、彩雪のゲイクラブで知り合ったという。一週間ほど互いの生活に頻繁にくっつきあったが、そのうち彼のほうがそれに窮屈を覚え、浮気して終わった。「いつまでも熱々なんて続けてらんないよ」と彼は僕のうなじをさすって香水を嗅ぎ、僕は彼の肩に顎を乗せて体温を回復させる。
「そのうち、しっとり落ち着いてくるのが愛だと思わない?」
「熱いままじゃ冷えちゃうよね」
「そう。だから冷めたんだ。切れてよかったよ」
 彼は僕を細身の軆にぎゅっと抱きしめ、僕は瞳を細めてその力に神経を張り巡らせた。彼が前に、時間を経て落ち着こうとした相手に、いつまでも熱々でいたいと愚痴るのも僕は聞いたことがある。彼は僕に体重をかけ、そのままベッドに押し倒した。
 部屋が暖まると、僕と彼は互いを全裸にしあった。服はあたりに散らかし、砂場で転げあうみたいにしゃべったり触れあったりする。彼は僕の心臓で羽ばたく黒い白鳥について知りたがっている。「水鳥って名前のIDだよ」と真実の半分を言っているけれど、彼は残り半分に感づいてそれを知りたがる。言いたくないというより、僕の豹さんへの忠誠心は明らかに客の幻想を壊すので、僕はいつもさらりとはぐらかして、質問したがる唇を唇でふさいでしまう。
 彼は簡単に口づけに関心を移し、頭をかたむけて深く舌をさしこんできた。湿った唾液の音に耳を澄まし、僕は彼のうなじに腕をまわして密着した肌に汗を滲ませる。彼の熱っぽい性器が僕の性器に当たった。胸苦しいほどの口づけを交わし、唇をちぎった彼は僕に欲しくてたまらないというまなざしをしても、「シャワー浴びてなかったね」とみずから焦らすのを申し出た。
 別行動はさすがに雰囲気を壊すので、一緒にバスルームに行く。熱湯をいっぱいにタイルに打ちつけ、広めの室内には湯気が立ちこめた。それが視界を淡く邪魔する中、僕たちは互いの軆を素手で泡立てる。僕は彼の性器を洗いながら、指先に刺激の力をこめ、彼は喉でうめきをもらした。「ベッドまで待たせてよ」と響く声で言われても、僕は笑ったまま彼の性器をいじる。シャワーをいっぱいにかけて泡を流すと彼はびくんと震え、「もう」と笑いながら僕におおいかぶさって、きつく口づけてきた。
 僕の手を離れて、床をのたうったシャワーがそそぐ中、僕たちは唇を揉みあわせて手足をもつれさせた。彼は僕をタイルに押し倒し、前髪から雫をしたたらせて僕を見つめる。睫毛に雫を乗せる僕は、悩ましげな彼を見つめ返し、彼の肩にかける腕をぴちゃんとタイルに落として軆を開いた。
「水鳥……」
「ん」
「何で水鳥って、売りなんかしてるの」
「好きなんだもん」
「そんな仕事じゃなかったら、口説き落としてるのに」
 僕は無邪気に咲い、頬にかかる熱いシャワーを指先を伸ばして向こうにやった。激しい水音が反響し、香水は流れてボディソープの匂いが充満している。「恋人になった水鳥ってもっとおいしいだろうな」と彼は欲望のあまり空っぽになった目をして僕の唇を奪い、肌に手のひらを這わせて軆のかたちをたどった。
 それでも彼は欲情に耐え、シャワーを止めると僕を両腕に抱えあげ、洗面所で白いタオルにくるんでベッドに連れていった。肌を舐める温風のもと、僕たちはシャワーに降りしきられたすがたで悪戯しあった。
 彼は僕の性器に口をつけ、せめて恋人ごっこはしたい彼に合わせ、僕はその舌のざらつきに息遣いを震わせる。彼は僕がさりげなくつけなくても自分で持参の黒いコンドームをつける。彼は僕の脚をひらいて穴を唾液で湿すと、身を起こして彼の肩に腕をかける僕の中に分け入った。
 僕は喉を剥いて明るい天井に薄目になり、圧迫感が快感に蕩けるのを待った。僕の中にぴったりおさまろうとする彼に、その肩にかけていた腕を腰にまわして深く招きこむ。彼も僕も乱れそうな息をこらえ、腰を身じろがせて態勢を整えた。彼の脈打ちが僕の内臓に伝う。中に落ちつくと、彼は腰を揺すりながら僕に口づけ、快感に乱雑な舌使いで唾液の音を飛び散らせた。耳たぶや指先がほてり、僕は取り留めない弱い声をもらしてベッドに仰向けになり、かぶさるかたちになった彼の腰に脚を巻きつける。
 彼は僕との口づけを止めて息を荒げ、急に強く突き上げてきた。僕は喘ぎ声をよがり声に淫させ、反らせた喉に不明瞭な呼吸を通す。彼は僕を深く揺すぶって体温を発火させ、汗や水滴を僕に降りそそがせた。僕は彼の強い律動に目をつぶって、その軆にしがみついた。彼のつづまる呼吸が耳元に熱くかかる。ベッドがはずみ、遠くにボディソープを嗅いだとき、下腹部にたまる快感がいっぱいに膨脹して僕たちは共に絶頂に達した。
 この彼とは〈neve〉で落ち合ったので、僕たちはモーテルには手をつないでやってきた。その道のりで、僕は珠生を見かけた。宿屋街の深夜零時、睦まじい混雑がひどくも、瞳が合ったので確かだ。今日も路地裏に黒いレインコートとしゃがみこみ、視線を感じたのか上げた顔は遠目にも蒼ざめきっていた。僕は隣の彼も周囲の人混みも眼中に失い、一瞬何もない白い空間で珠生と見つめあった気がした。
 珠生の目見が普段と違った。客といるとき珠生とすれちがったのは初めてではない。いつもは彼は、僕の隣に男がいるのに気づくと、かすかに瞳を傷ませて睫毛を伏せる。今日は瞳をぱっくりとさせ、血が溢れる痛みに動けないように僕を凝視してきた。いつもは最後まで見つめる僕のほうが、その打撃のこもった大きな瞳に後ろめたく逃げてしまった。睨んでいたわけではない。眺めてきたわけでもない。本当に単にびっくりと珠生は僕を見つめ、けれど、そこにはわずかに裏切られた色があった。
 珠生は何かを握っていた。おそらく紙幣で、彼は客を取った直後だったのだろう。薄暗くじめじめした、冷えきった路地裏で、粗雑に犯された。片や僕は、暖房のついたモーテルでぬくぬくと愛されようとしている。
 あの空白は、立場が逆転した不均衡の感覚だったのだ。僕が見下ろし、珠生が見上げた。僕は優越感を覚える余裕もなく、さながらエレベーターに乗ったときの浮遊感覚に狼狽した。珠生はどうだったのだろう。あの頃の僕のように、その充実を引き裂いてやりたいと憎悪を感じたのだろうか。
 通り過ぎて背を向けるほかなくなったので、分からない。隣に客がいるのに、首を曲げて見つめられなかった。死体のはずのゾンビが、頭を吹っ飛ばすと鮮血を飛び散らせるように、珠生のなずんでいた黒い瞳は僕への視線に光をよみがえらせていた。逃げなければよかった。もう少し見つめればよかった。そうしたら僕は、もしかして彼について何か分かり、もしかしてあの男にも触れられていたのに──
 僕の上にいる彼は、軆を離して隣に倒れこむと、ちぎれそうな心臓に切れる息を飲みこむ僕を腕に抱いた。この彼は幼い頃親が離婚し、母子家庭で育ったらしい。母親は父親との失敗に恋に明け暮れ、彼は中学生のときには完全に家庭を見離していた。中学卒業後にここに流れついて落ち着いたというわけだ。
 永遠なんて幻想なのだろうか。分からない。幻想である人と、幻想でない人がいると思う。僕には幻想だ。少なくとも、今のところは。
 この通り、永遠ではない愛が商売道具だ。本物の愛とはかけはなれている。みんなに愛を与えるのが仕事で、ひとりに愛をもらうことはできない。隙間風だとしても、永遠ほど愛を保たせるのも疲れる。ゆえに、愛はいつも途中で倦怠に腐る。
 強ければ、永遠の愛もあるかもしれない。とはいえ、そんなのをつかめる人はめったにいない。僕の周りにもひとつまみだ。少なくとも僕はダメだ。珠生もあの男と幻想だったのだろう。幻想ではない、終わらない愛は人を選ぶ。
 光が射し、あのとき珠生の瞳は読みやすくなっていた。なのに、思わずその闇のまぶしさにひるみ、僕は珠生の真実を逃げてしまった。後悔をみぞおちと喉仏に渦巻かせる僕は、汗の匂いがする彼の胸板に身を縮める。
 僕たちは水と汗に濡れ、そこに精液の匂いを入り混ぜていた。時間はある。僕を抱きしめて髪や肩を撫でてくれる彼は、「年上じゃないみたい」と耳たぶを噛んでささやいた。僕は照れ咲いしながらも彼の骨ばった軆に子供っぽく抱きつく。
 僕はこのためにこの仕事をしている。若い肉体があるうちは、永遠の氷より刹那の熱に身を委ねていたい。珠生もあの男に出逢わなければそうだったのかなと僕は睫毛を伏せ、彼の濡れた胸に耳をあて、やすらいでいく鼓動に聴きいった。

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