Prologue
『また親の金で夜遊びですか?
人間のクズですね♪』
サイトに来ていたそんなメールをそのままケータイから見せると、カウンター越しに俺の画面を覗いた栗香さんは、「まあ確かにクズなんじゃないの?」と瑞々しいローズの唇に煙草をつけた。
俺はむくれて頬杖をつき、スライド式のケータイをポケットにしまう。浮かんだ水滴を流すビール瓶から苦味を飲み干していると、「希音くんもそろそろ働けば?」と栗香さんは紫色の指先で灰皿に灰を落とす。「受からないんですよ」と俺はふくれっ面のまま言う。
「面接なんて、五年前に本屋に受かったことがあるくらいですよ」
「何でその仕事は続いてないの?」
「好きになった同僚に彼氏がいた」
「理由なの、それ」
「気力は失せました。で、見るからにやる気がなくなったので、クビになりました」
栗香さんは失笑して、煙草を持つまま、ウーロンハイのグラスをかたむける。
「くだらないなあ」
「一度クビになると、けっこう仕事不信になりますよ? こっちからばっくれるのとは違うんですよ」
「って言ったって、そんなもん引きずって五年働いてないとか、やっぱりクズじゃない」
「このメール、栗香さんじゃないですよね」
「希音くんのメアドなんか知らない」
「そうでした? あ、栗香さんって俺のサイトも見てくれない人か」
「小説読んでもらいたきゃ、プロになって本にして、サイン入れて持ってきて」
「正直な話、それができたら一番いいんですよ。もう俺は書く以外で食いつないでる自分のイメージが湧かない。普通に会社に勤める自分なんか浮かばない」
「希音くん、いくつだっけ」
「二十四です。五月に二十五になりますね」
「童顔だね。そうだなあ。このご時世に作家で食いたいなんて、まあ夢は認めよう」
小バカにされている自覚に息をつき、ビールをあおる。苦いけど、甘ったるいカクテルよりおいしい。
軽く照明が絞られた店内を一度見まわし、ちらほらいる客の中に彼がいないのを確認する。
「ネットから書籍化とかも増えてきたけど、ああいう小説の行間が理解できないんですよ」
「行間に何かこめるなんてやってないでしょ」
「読むんですか?」
「映画になった奴を試しに古本で読んだよ」
「俺の小説は、あれとは違いますからね、少なくとも」
「違うなら書籍化はないんじゃない? しょせんあれが売れるもんなんだよ」
「売れる、かあ」
「売れなくても自分のやりたいことをやる、なんてぬるいこと言ってたらプロにはなれないよ」
「昔はそう思ってましたね。最近は思わないです。金になるなら、やりますよ。表現したいものを書く欲求は十代で満たしました」
「じゃあ、この五年は何書いてんの」
「葛藤ですよ。趣味を飯にするための」
「見込みは?」
「なくてもやらなきゃ、それが人間のクズなんじゃないですか」
栗香さんが肩をすくめると、鎖骨がくっきり浮かぶ。栗香さんは今年三十だったと思うけど、綺麗な人だよなあと思う。
ケータイが鳴って、ポケットから取り出すとメールだった。小説を掲載するサイトにリンクしたサブアドでなく、本アドだ。
送信者は鎬樹くんだった。読者として知り合った、さっきからちらちら探しているメル友だ。『こんばんは』という件名に、本文に『ビルの前に着いたよ。』とあって、「お」と俺はスツールを降りる。
「ちょっと。あたしは親の金でいいからお代はちょうだい」
「メル友来たんで、連れてくるだけです。今夜のXENONのライヴ、オフ兼ねてるんで」
「あたし、そういうのよく分かんないし、とりあえず財布かケータイは置いてって」
「信用ないなあ」とぶつくさしつつ、俺はどちらもカウンターに置く。「盗まれないように見ててくださいよ」と頼んで〈まろん〉店内のテーブル席を縫って、入口のドアを開けた。
三月上旬の十七時、だいぶ日は長くなったけど風はひやりとしている。まだ少ない人通りを左右に見渡すと、その挙動に「あー……」と手を掲げてこちらに近づいてくる男がいた。
俺は〈まろん〉のドアを後ろ手に閉めて、あやふやな笑みを作る。
「鎬樹くん?」
「希音くん?」
合言葉が一致したようにほっとして、思わず互いに噴き出してしまう。
緩く流れた風に鎬樹くんの髪が揺れ、重そうなまぶたの気だるげな瞳がちらつく。服の上からも筋骨がしっかりしているのが分かった。鎬樹くんは確か二十六歳で、俺のふたつ年上だ。
「よかった、ちゃんと来れたんですね。ライヴのオープンにもぜんぜん間に合ってるし」
「家出たの十四時くらいなんで。一時間くらい迷ったよ」
「天鈴町は初めてじゃないって言ってませんでしたっけ」
「行くの、陽桜なんだ。彩雪って雰囲気違うね」
「俺は逆に陽桜行ったことないですね。今度案内してくださいよ」
「取材?」
「それも兼ねてるかも。あ、今日のライヴはこのビルの地下です。まだリハ中だと思うし、こっちで待ちましょう」
俺は〈まろん〉のドアを開けて、鎬樹くんを空調のきいた店内に招いた。
カウンターまで行くと、「いらっしゃいませ」と栗香さんは鎬樹くんに微笑む。鎬樹くんは軽く頭を下げ、「栗香さんって、俺にはその笑顔なくなりましたよねー」と俺は無事だった財布とケータイをしまう。
「希音くんを信用してるんだよ」
「だったら、財布置いてけとか言わないでくださいよ」
「そこは商売。なあに、初めて会うの?」
「そうですね。いや、電話はたまにしてました」
「なるほど、今は顔も写メで交換できるもんなあ」
「あ、顔は初めて見ます。ですよね?」
「うん。希音くん、あの子とタメくらいに見える」
「譲くん?」
「そう。あの子は二十一だけど」
「うわ、若いな。無理です、俺が若いの顔だけです」
「考え方は若いというか幼いよねえ」と栗香さんはアップにしているものの後れ毛がこぼれる髪を流して笑い、「客を貶すのはよくないですよ」と俺はまた仏頂面になる。鎬樹くんは一見あんまり咲わないように見えたけど、意外にもくすりと咲う。
それから俺を向いて、「そういや」と手の中にあったケータイをカウンターに置いた。
「ブログに『また出た。』って記事上がってたけど」
「ああ、これです」
俺はサブアドのメールボックスを開き、例のメールを鎬樹くんに見せて、「やっぱアドレスリンクは切ろうかなー」と息をつく。
「つっても、掲示板もなー。荒らされたことあるしなー。っとに滅入る、こういうのいちいち送りつけてくる奴、マジで滅入る」
「言わせときましょう。何か飲む? フードもあるよ」
栗香さんはラミネート加工されたメニューを鎬樹くんにさしだし、「どうも」と受け取った鎬樹くんはそれを目でたどる。俺は唸ってカウンターに突っ伏す。
そう、つまり俺は、今こんなふうに、二十五になる春に五年目のニートを迎えていた。小説を書くのが好きだ。ネットで公開している。稀に気が向いて新人賞に投稿することがあるけど、数年に一度、あるかないかだ。投稿するほど信じられる作品がなかなか書けない。独断と偏見で信じて投稿するのは簡単だが、そういうものはやっぱり一次選考も通らない。
だからひとまずネットで人に読んでもらっている。不思議なもので、小説を貶されることはあまりない。ただ、ブログやSNSに綴る生き方や考え方をしょっちゅう非難される。本屋をクビになった理由も、そのまま働かない惰性も、親に養われる身での外出も。すべてにおいて人間のクズだと。
自分勝手ですね。あんたを嫌悪する。一生そんなふうに生きるわけ?
「あんまり、甘やかすのはよろしくないなあとは思うんだけど」
その夜、トリのXENONのライヴまで見た俺と鎬樹くんは、〈まろん〉に戻ってテーブルでいろいろ話した。今観た音楽のこと、俺の小説のこと、鎬樹くんの恋愛のこと。
気まずい沈黙もなく、楽しく時間は過ぎて、「閉店だよ」と午前二時をまわった頃に栗香さんに声をかけられた。「帰りたくない」とか俺がぶつぶつ言っていると、かたわらに来た栗香さんがそんなことを言ってきた。
顔を上げると、栗香さんは腕をこまねく。
「希音くん、ここで働く?」
「はっ?」
「言ったでしょ、希音くんを信用してるって。それとも、ここで働くのは嫌?」
「嫌……ではないですけど、俺、役に立つか分かりませんよ」
逡巡で眉を寄せる俺に、「いいんじゃない」と鎬樹くんも言う。
「やってみれば。そしたら、俺もここに通いやすくなるし」
「ほらー、さっそくお客さんゲットしてくれた」
「俺、ホステスじゃねえし」
「当たり前じゃないの。雇ったって、使いっ走りの底辺だよ」
何とも言えない顔で栗香さんを見て、ため息をついた。
テーブルに放っているケータイを一瞥する。人間のクズ。酒場の使い走りでも、働けばそうは言われなくなるのだろうか。
分からない。確かに、二十五歳が近いのに、五年も無職なのはどうかという気はしていた。やはり、ちょっとはまともなこともやってみるべきか。でも──
「何か、すっげえ辞めづらいなあ」
頭を抱えてつぶやくと、「作家デビューしたらすぐ解放するよ」と栗香さんは笑う。
「それ、約束ですよ」
「そのときはサインちょうだいね」
「分かりましたよ。ここで雇ってください」
「よっし。じゃあさっそく、閉店作業を教えよう」
「えっ、いや、今からですか?」
「今、ひとり就職で辞めたとこで、すごい困ってたからねー」
「はー、まあ帰りたくないからいいか。鎬樹くん、帰りはひとりで大丈夫ですか?」
俺が目を向けると、いつのまにか帰り支度をまとめていた鎬樹くんはうなずいて立ち上がる。
「じゃあ、またここに来るよ、希音くん」
「ん。待ってます」
「頑張って」
「ありがとうございます。あーあ、じゃあ何からしますか」
「まずはねー」とか言いながら奥に向かう栗香さんについていきながら、鎬樹くんが店を出ていくのを見送る。
午前二時。電車は動いていない。彼のところに行くのかな、なんて思いながら、「希音くーん」と呼ばれて返事をして、俺は栗香さんのほうに駆け寄っていった。
【第二章へ】
