僕らの恋はうまくいかない-3

ガーリィボーイ【2】

「𣜿、さんは」
「ん? うん」
「恋人は、いる感じですか」
「今はいないなー」
「いてもそう言うんでしょ」とママは笑い、「俺はいたら自慢するタイプ!」と譲くんはグラスを手に取って水割りを飲む。
「篠木さんは?」
「えっ」
「恋人」
「あ、いない、です」
「そっかー。じゃあ休日は何するの?」
「え、と。音楽聴く、とか」
「何系? ポップスではなさそう」
「けっこう、ロックかな。Bazillusとか」
「あ、知ってる。俺、そのバンドがインディーズ活動してた近くにけっこう遊びに行くよ」
「えっ、天鈴町?」
「篠木さんもよく行く?」
「いや、行ったことはないけど。そこでRAG BABYとかと対バンしてたのは知ってる」
「あー、希咲きさきちゃん、マジリスペクト。ゴスパン極めてていいよなあ」
「ゴスパンクもやるの?」
「俺はやらないけど。俺はゴスより甘ロリやりたい」
「はは、似合いそう」
 やっと俺が少し緊張をほぐして咲うと、「ありがと」と譲くんはまたにっこりして水割りを飲み干した。
 ママは割りこまずにケータイの着信を確認していたけど、「そろそろあたしのお店もいそがしくなってきたみたい」とふと耳打ちしてきた。まだこの子と話していたい。正直そう思ったけど、ここで俺が残ったら同伴にならない。そのルール違反はママに失礼だから、仕方ないけれど、俺はグラスをテーブルに置いた。
「篠木さん。これ、俺のケータイ番号とメアド」
 翠夜ママとまた少し話して、店を出るとき、譲くんが俺に名刺をさしだしてきた。そういえば、ホステスとして席につかれたわけではなかったから、俺も渡していない。これっきりになったら後悔どころではない。
 慌てて俺も名刺を渡し、それを見た譲くんは、「Lサイズのワンピがあったら、いつでもいいから教えてね」と上目遣いで言ってきた。俺はうなずいて、販促の奴に訊き出そうと心に書き留める。
「じゃあ」と手を振って譲くんと別れると、エレベーターで地上に出て、ママと腕を組んで店までの道のりを歩いた。
 秋の夜風が心地いい気候だ。ネオンサインが降ってくる中で、今夜も喧騒が流れている。
 まだ惚けていた俺は、「𣜿ちゃんもいいけど、あたしの店にも変わりなく来てよね」と恩人のママをちょっとふくれっ面にさせてしまった。
 翌日の昼休み、俺は外まわりから社に戻って、販促の同期にLサイズのワンピースの在庫が多い店舗を訊きにいった。「Lはすぐ売り切れるからなあ」と言いつつ対応してくれた奴は、PCで在庫を見てくれて、「実店舗ではもう売れちまってたって場合もあるけどな」とLサイズの確保の多い近場の店舗を教えてくれた。
 そのメモを見ながら、俺は休憩でささめく社内の廊下を歩いていた。次の日に連絡するのはがっついてるよな、と思いつつ、ケータイを取り出してしまう。
 いつでも、とは言っていた。あの笑顔を早くまた見たい。このまま悩んで、仕事中にうっかりしてしまうより、一度かけたほうがすっきりするかもしれない。俺は迷いながらも登録済みの譲くんの番号を画面に呼び出し、深呼吸すると、よしっ、と通話ボタンを押した。
 コールは長く続いた。呼び出し音が切れたときは、留守電が起動したのかとあきらめた。が、『もしもしー……』と耳に届いてきたのは、寝ぼけてしゃがれた口調の譲くんの声だった。電話だと、ますますただの男だ。
「あの、俺──篠木、だけど」
『しのき……あー、昨日の。はあ、寝てた』
「あ、ごめん」
『いや、平気だよ。どうかしたの?』
 迷惑そう、ではない。たぶん。譲くんの声の感触を窺いながら、「ワンピースのことで」と切り出してみる。
「同僚に、Lの確保が多い店舗を教えてもらったんだけど」
 ちょっとくぐもった唸り声がしたあと、『えっ?』と突然声がはっきり聞こえてくる。
『ワンピって、篠木さんとこの?』
「そう」
『わっ、うわあっ、マジ? え、一般人の俺が教えてもらっていいの?』
「そういう仕事でもあるから」
『はは、そっか。ありがとう! すげえ嬉しい』
 口先でもなさそうなはずんだ声にほっとしていると、『近場の店だよね?』と譲くんの声が続く。
「うん。今、メモできる?」
『待って、探す』
 がさがさと音が続いて、『よし、いいよ』と言われると、俺は候補店舗の住所と電話番号を伝えた。メモを取ったらしい譲くんは、『行ったことないなあ』とつぶやく。
『あのさ、篠木さん』
「ん?」
『篠木さんが迷惑じゃなかったらなんだけど、休日、この店連れてってくれない?』
「えっ」と思わずうわずった声が出て、すれ違っていく社員が何人か振り返る。
「えと、それは──」
『俺、方向音痴なんだよね』
「そ、そうなんだ。俺、休日は土日か祝日しかないけど」
『俺も似たようなもんだよ。今週末は?』
「大丈夫、だけど」
『じゃ、外で会おうよ。飯おごれなんて言わないしさ。店に知られたらよろしくないけど』
「だよね。会っていいの?」
『実は、篠木さんのとこので欲しかった秋物のワンピがあんだよね。通販売り切れであきらめてたけど、探しに行けるならやっぱ欲しい』
「そうなんだ。あ、じゃあ、そのワンピースの品番教えてよ。全国の店舗を検索して、取り置きも取り寄せもできるから」
『は!? マジか。品番って普通の人にも分かる?』
「通販のページに書いてあるよ」
『すげえっ。わあ、じゃあもう、俺がむしろ篠木さんに飯おごるよ。絶対会おう!』
 これは──けっこう、脈があるのだろうか。あの店に勤めているということは、譲くんは女装するゲイだということになる。恋人もいないと言っていた。本当なのか言い切れないけれど。
 ただ、よく考えたら俺は自分がゲイだと譲くんに言っていない。もしかしたら、ニューハーフが好きなストレートと思われているかもしれない。俺がゲイだと伝えれば、もしかして──
 妄想が急速にふくらんで、冷静になれと戒めても、譲くんの女装すがたが脳裏で鮮明になって期待してしまう。
「あの、𣜿さん」
『うん』
「会うときって、何というか、女の子の服で来る?」
『俺は外出はいつも女装。あ、都合悪いかな』
「いやっ、ぜんぜん。そっちで来てほしかったから」
『あはは。分かった、お洒落して行く。会うの土曜にする? 日曜がいい?』
「じゃあ、土曜で。場所は𣜿さんが都合いいところまで迎えに行くよ。時間も合わせる」
『了解。考えておくからメールでいい?』
「もちろん。俺も、そろそろ昼休み終わるから外まわりに出ないと」
『そっか。じゃあ、仕事頑張れ』
 この子にそんなことを言われたら、頑張るしかない。譲くんとの電話を切った俺は、ここに入社して初めてかもしれない気合いで、表情を引き締めて営業の仕事に戻った。
 そして、その二日後に譲くんと再会した。コーラルピンクのセーターにワインレッドのミニスカート、白のマキシカーデ。そんなすがたで、待ち合わせの駅で俺を見つけて駆け寄ってきた。
 自然な茶髪のセミロングも、光が宿る大きな瞳も、ムダ毛のないなめらかな白い肌も、先日の照明が絞られた室内と異なり、昼前の秋晴れではっきり見取れる。身長が高いとか、肩幅があるとか、そういうのがないわけではないのに、違和感はなぜか完全に払拭されて女の子に見える。
「かわいいかな」と譲くんは首をかたむけて、俺はうなずき、早くもこの少年を抱きしめたいとか思ってしまう。「じゃあ行こっ」と譲くんは自然と俺の腕に腕を絡め、何かいい匂いもするよな、と俺たちは一緒に街の中へと歩き出した。
 譲くんのお目当てのワンピースの在庫はチェックして、さいわい近隣に一着見つかったので、向かう店舗に取り置きをしてもらっていた。「肩とか入らなかったらショックだなー」と譲くんは心配していたが、いざ店舗でそのワンピースと対面すると、ぱあっと笑顔になって試着室に飛びこんだ。
「篠木さんの彼女ですか?」
 店長を任される顔見知りの女性社員に言われ、俺は曖昧に咲った。
 彼女ではないけど、彼氏にしたい。それにはまず、譲くんに俺もゲイだとは伝えなくてはならない。
 このあと言おう、と決心しながらしばし待つと、しゃっとカーテンが開いて、譲くんがすがたを現した。
「どうかな、篠木さん」
 ひらりと譲くんは一回転する。
 パーティにも着れそうな膝丈ワンピースだった。サーモンピンクのシースルー生地に、白い薔薇のレースが腰まで二枚重ねになっている。袖口は軽いフリル、裏地が透けるスカートの裾には、赤い薔薇と緑の荊が刺繍してある。
 そう、こういうことをしたいと俺は入社面接のときに言ったのだ。「かわいい」と言うと譲くんはうなずいて、背伸びして俺の耳に口を近づけた。
「思わずしゃべったら声で男だってばれるから、会計、そばにいてくれる?」
 俺は咲って、「分かった」と首肯した。「じゃあ、一応脱いでくる」と譲くんは試着室に戻ろうとしたけど、「𣜿さん」と俺は一度譲くんを呼び止める。
「ん?」
「写メ、撮っていいかな」
 譲くんはまばたきをしたものの、わずかに照れながらこくんとした。俺はケータイを取り出し、笑みまで作ってくれた譲くんを写メに切り取った。そして譲くんが着替えるあいだ、それを見て何だかにやにやしていた。
 無事買い物を終えると、街をぶらつく前に、十二時を過ぎていたので、近くのレストランでランチを取った。俺はサラダとチキングリル、譲くんはスープとポテトグラタン、会計はまとめて注文した。
 やがておいしそうな匂いが立ちのぼる料理が揃い、「ごゆっくりどうぞ」とウェイトレスが去ると、「朝飯食ってないからやばい」と譲くんはすくったグラタンに息を吹きかけて頬張った。
 俺はオニオンソースをかけたチキンを切り分け、ここでゆっくり話せるときに打ち明けるほうがいいよな、と口に運ぼうとしたチキンをいったん下ろす。
「あのさ、𣜿さん」
「気になってたけど。それさ、𣜿ちゃんでいいよ」
「あ──じゃあ、𣜿ちゃん」
「うん」
「𣜿ちゃんって、俺がどうして八重ママとあの店に行ったか知ってる?」
「同伴ついでに、八重ママが翠夜ママに会いにきたんじゃないの?」
「いや……そうじゃないんだ」
「そなの?」
 譲くんはグラタンが冷めるようにスプーンでかきまぜる。湯気が上がり、ホワイトソースの香りが濃くただよう。
「八重ママは、俺のためにあの店を紹介してくれたんだ」
「篠木さんのため」
「あの店って、ニューハーフの店ではないだろ?」
「まあ、女装バーだね」
「俺……さ、何というか、女装する男が好きなんだ」

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