僕らの恋はうまくいかない-4

ガーリィボーイ【3】

 譲くんの手が止まった。相槌も止まった。じゅー……と俺のチキングリルの鉄板の音だけがテーブルに残る。
 譲くんは顔を上げて俺を見て、代わりに俺が顔を伏せてひと口チキンを食べた。歯ごたえはあるけど、ちゃんと柔らかい。
「え、と……えっ、それ、どういう意味?」
 チキンを飲みこむと、俺はまた譲くんに顔を向けた。
「男が、好きなんだけど。男と並ぶのは怖いから。一緒に歩いてて女の子に見える男なら好きになれる、みたいな感じになっちゃって」
「………、」
「そしたら、八重ママが女装するゲイもたくさんいて、あの店には──」
「いや、待って待って待って。確かに、そういう子もいるけどさ。俺の女装は趣味だよ?」
「え」
「いや、その、ごめん。って言ったらうぬぼれなのかな。俺は、ゲイではない」
 俺は目を開いた。「彼女いたこともあるし」と譲くんはスプーンを置く。
「次も欲しいのは彼女だし。男と恋愛するのは無理な男」
 言い切ってから、申し訳なさそうにしゅんとした譲くんを、じっと見つめた。
 ゲイではない。彼女がいた。男と恋愛するのは──言葉をひとつひとつ反芻するほど、頭をがつんとやられる。
「ごめん」
 俺のショックが見取れたのか、譲くんは窺うようにもう一度言った。その目が不安そうだったから、俺は口を開き、とっさに出なかった声を、咳払いしてから何とか絞り出す。
「……いや。いいんだ。そうだよね、やっぱりそんなにたくさんいるわけ──」
「たくさんいるよっ。大丈夫、いるって。俺も一緒に探してあげるよ。篠木さんすっげえいい人だし、絶対いるって」
 泣きそうになってくる。そんなの、君には一番言われたくない。俺は君がいいんだ。君を恋人にしたいんだ。心ではそう叫んでも、声を当てるわけにはいかない。
 俺は考えて、息を吐いて、崩れそうな表情を必死に取り落とさないようにしながら譲くんを見た。
「𣜿ちゃんがゲイじゃないのは、びっくりしたけど。友達では、いられるのかな」
「うん、いられるっ。いたいしさ。篠木さんがよければ、ほんと、これからも仲良くしたい」
 俺は咲った。心臓から音もなく血が流れていたけど。呼吸がひりひりしていたけど。友達でもいい。それでもいいから、譲くんの近くにいたい。
 絶対に明かせないけれど、俺は譲くんが好きだ。本当に、完全に、この男の子に恋をしてしまった。
 叶うことのない片想いが始まった。俺が譲くんの勤める店に行くこともあったけど、譲くんはプライベートでも俺と仲良くしてくれた。
 譲くんは俺がゲイだとは知っても、この気持ちは知らないままだった。初めはどうなのか気になっていたようでも、俺がそれらしい雰囲気を押し殺してごまかしていたので、そのうち安心して「しのくん大好き」と言ったり、寄りかかって甘えてきたりするようになった。生殺しだけど、嫌われるよりはいい。
 朝まで遊んでくたくたで、次の日はまだ日曜日だったりすると、一緒にラブホテルに泊まることもあった。「疲れたあ」と譲くんはピンクのベッドに引っくり返り、「しのくん、腕まくらー」とか言ってくる。俺はため息を殺し、隣に横たわって腕を貸す。少し酔った譲くんは、俺の胸に腕を放って眠ってしまう。
 そのかわいい寝顔を見ていると、めちゃくちゃにしたい気持ちがはちきれそうになる。でも、つい髪に触れて、譲くんが身動ぎするとびくっと手を引っこめる。
 遠い。こんなに近いのに、俺の性と譲くんの性が一致しないから、すごく遠い。
 譲くんに彼女ができた時期もあった。そのときは会う回数が減って、俺は休日を小説をたくさん読んで過ごした。
 就職するまでは、基本的に休日はそういうふうに過ごすタイプだった。好きなバンドのアルバムをリピートして、好きな作家の本をいくつも読み倒す。読み終わるとイヤホンをはずして、天井を見つめて余韻を味わう。
 急にまた読むようになったのだけど、このあいだひとり暮らしを始めたので本の置き場所に困った。古本屋も近くになくて、ケータイをいじり、ネットに公開されている作品を読んだりした。しかしやはり質が悪くて、最後まで読むのも苦痛な作品が多かった。でもそんな中に紛れこんでいるおもしろい作品を見つけるのがゲームみたいで、宝探しにちょっとハマった。
 その中に、希音くんの小説があった。小説がおもしろいだけなら読み逃げだったけど、執筆中に聴く音楽の話がブログに書いてあって、それがBazillusとかサイコミミックだったから、思わず“鎬樹”というハンネでメールしてしまい、以来やりとりするようになった。
 初めは、俺が希音くんの小説の感想を送って、希音くんが返してくれる感じだったけど、希音くんから『さっき更新しましたー。』とかわざわざメールをもらえるくらいになった。メル友になって三ヶ月めくらいのとき、チャットメールしていて『まどろっこしいし電話にしませんか?』と言われた。聞こえてきたのは、ちょっと舌足らずな感じの男の子の声だった。
 ブログにも綴ってあるけれど、二十四歳の希音くんは失恋を切っかけに二十歳のときから働かず、実家暮らしでひたすら小説を書いているらしい。『「生きるのやめたら」とか「人間のクズ」とか、そういうメールけっこう来ますねー』と中傷メールも少なくないことを希音くんはぼやいた。
 俺も俺で、希音くんに自分がゲイであることを話して、譲くんのことも赤裸々に聞いてもらった。
『彼女とはまだ続いてるんですか、譲くん』
「別れたら連絡来るだろうから、たぶん」
『そっかあ。それでも好きな人のそばにいるのを選べるのがすごいですね』
「未練がましいんだよ」
『次の恋とかは考えてないですよね』
「ん、まあ。希音くんは?」
『俺はめんどくさいだけですよ。小説書いてるほうが楽しいし』
 そんなふうに希音くんと電話をすることで、譲くんへの想いを何とか紛らわすようになった。
 もちろん、譲くんはまったく連絡をよこさないわけではなかった。俺からも、何も近況を伝えないことはない。店に行って会うことももちろんあった。
 ネットで知り合った希音くんとと仲良くなっていることを、「今はそういうのも普通なんだろうけどさ」と譲くんは何やら心配してくれた。もし譲くんが、希音くんと親しくするのをやめろと言ったら、「ごめん」と俺は希音くんを切ってしまうのだろう。
 でも、譲くんは止めるまで踏みこまず、「気をつけてね」と言った。生半可にそんなことを言ってくれるから、俺は譲くんへの想いをいくら紛らしても、消すことはできなかった。
 やがて、譲くんは彼女と別れてしまった。あんまり彼女の話は聞かなかったから知らなかったけど、けっこう、本気だったらしい。譲くんは俺を店に呼び出してわんわん泣いて、酒を飲みまくるので俺がそれを加減を見て止めた。
 化粧が涙で溶けて、俺はそれをぬぐってあげた。譲くんは潤む瞳で俺を見つめて、「しのくんは優しいよね」と言った。俺は曖昧に咲って、それは君が好きだからだよという言葉は飲みこんだ。
「しのくんは、彼氏作らないの?」
「そんな簡単にできないよ」
「しのくんならできるよ」
「……俺に彼氏ができたら嬉しい?」
 譲くんは鼻をすすって、「寂しい」とつぶやいた。「だったら」と俺は譲くんの茶色の髪を撫でた。
「まだ、𣜿ちゃんのこと見守ってるよ」
 譲くんは俺の肩に寄りかかって、「また一緒に遊んだりしてくれる?」と問うてくる。俺はうなずいて、「今度の週末どっか行く?」と周りには聞こえないように訊く。譲くんはこくんとして、「しのくんのこと、やっぱ好き」と言った。でも、その「好き」が俺の「好き」とは依然違うのは分かった。
 また譲くんとよく遊ぶようになった。天鈴町でも遊んだ。そういえば、希音くんも天鈴町のライヴハウスに行っていると言っていたが、ライヴハウスやテアトルが充実しているのは北の彩雪だ。俺と譲くんは、飲み屋からクラブからソープまで揃っている、南の陽桜で酒を飲むのがほとんどだった。
 彩雪に行ってみたかったけど、「俺はそっち詳しくないから、陽桜でいいな」と方向音痴の譲くんは首をかたむけた。譲くんがそう言うなら、案内してくれとも頼めない。
「ネットの友達とは、まだ仲いいの?」
 その週末も陽桜のバーで譲くんと飲んでいた。カレンダーは二月に入り、俺は二十六歳、譲くんは二十一歳だった。ここまで歩いて、感覚がぼやけていた指先をアルコールで発熱して溶かす。だいぶ元気になってきた譲くんはふとそんなことを訊いてきて、俺はうなずいて「たまに電話もしてるよ」ともつけくわえた。
「そっかー……」
 その複雑そうな口調に噴き出して、「ほんとに危ない人じゃないんだよ」と俺はグラスに口をつける。
「でも、ずっとニートで、小説とか書いてんでしょ」
「まあ」
「何つーか、いい人かもしれないけどさ。そういうとこは影響されちゃダメだよ?」
「うらやましいけどなあ」
「ダメだって、ダメ。まずは人間、自立なの。趣味は自立があってからたしなむもんだよ。俺だって、本格的にこの格好を始めたのは自分の給料を持つようになってからだしね」
「意外と𣜿ちゃん堅いね」
「『意外と』って失礼な」と譲くんはつまみのひと口チョコを、桜色の唇にくわえる。
「はあ、しのくん、ほんと大丈夫かな。いきなり脱サラとかやめてね」
「しないって。ほかの仕事探す気力がないし。というか、𣜿ちゃんも就職は考えないの」
「俺は女装して働ける仕事が一番だから、夜なのは変わらない」
「男の格好はつらい?」
「つらいわけじゃないけど、窮屈かなあ。女の子の服を着ると急に自信が出てくる。楽しいしね」
「むずかしいな。女ってわけじゃないんだよね」
「うん。何だろ、かわいい自分が好きなんだよな。鏡の中で、俺すっげえかわいいじゃん。テンション上がるじゃん。俺、男だとマジ冴えないからね。だけど、女装するだけでみんな俺を振り返って、綺麗だって認めてくれる。親とか学生時代の知り合いは、頭おかしくなったと思ってるけど」
「親御さん、まだ理解してくれてないんだ」
「死ぬまで分かってくれないよ。両親を不幸にしたくて女装してるんじゃないから、親父が怒るのもお袋が泣くのも哀しいけどね」
 譲くんがうつむいて自嘲気味に嗤うので、俺はその頭をぽんぽんとした。
 譲くんは俺を見て、「しのくんは俺の味方だよね」と綺麗な黒のアイラインとピンクのアイシャドウが入った目をかすかに揺らす。俺はうなずくと、「一番仲がいいのは𣜿ちゃんだよ」と咲った。すると譲くんも照れたような笑みになって、「だったらいいや」と酒に口をつけた。

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