僕らの恋はうまくいかない-6

ガーリィボーイ【5】

「澄音もこっち来たら」
「いいの?」
「いいよね?」
「ん、まあ。あの子、友達?」
「いやー、幼なじみかな」
「腐れ縁ですよ」と言いながら、連れてきたカップから紅茶の香りをさせて、彼女は希音くんの隣の椅子に腰を下ろす。
「澄音──ちゃん、でいいのかな。希音くんとタメですか?」
「ふたつ下です。そちらは、えーと、お名前……」
「鎬樹です。俺は希音くんのふたつ上」
「キオン」
「俺の今のハンネだよ」
「変な名前」
「ほっとけ」
「じゃあ、きーちゃんの小説読んだりしてるんですか?」
「そうですね。それが切っかけですし」
「ふうん。──すごいね、会ってくれる読者さんとか」
「音楽の趣味も似てたからね。先月、この下のライヴハウスでXENON観たんだ」
 澄音ちゃんはうなずきながら紅茶を飲み、「きーちゃん、友達少ないからよろしくお願いします」とこちらに瞳をやわらげた。俺はちょっと笑ってしまいながらもうなずく。「澄音もさ」とふと希音くんが澄音ちゃんの頭をくしゃっとする。
「たまにここに来なよ。部屋は滅入るだろ」
「……うん。だから来た」
「そっか。俺はほぼ毎日ここに来てるから」
「きーちゃんだけだね、私を自業自得だって怒らないのは」
「俺も話聞いてやれなかったひとりだからな」
 澄音ちゃんは、希音くんにちょっと泣きそうな目をしたけど、笑みを取り留めるとカップに口を寄せた。何かあるのかな、とは思ってもいきなり事情に割って入ることはできない。
 ただ見守っていると、「よかったら澄音とも仲良くしてね」と希音くんは言った。俺はうなずき、「よろしく」と澄音ちゃんに微笑んだ。すると澄音ちゃんも微笑み、「きーちゃんの友達なら安心ですね」とカップを置いて頭を下げた。
 青空から降る光が熱を帯びて、でも頬を撫でる風はほんのり冷めていて、心地いい陽気だった。自宅から駅までの公園沿いでは桜が満開だ。通勤中、空中を見上げるとふわふわとピンクの花びらがこぼれてくる。枯れていた街路樹にも緑が芽生えはじめた。
 今朝も女の香水と男のワックスのにおいが混じる満員電車で会社に向かう。営業は部署に着いてすぐ、新人を連れて外まわりに出る。
 四月はあっという間に過ぎ、連休は〈まろん〉に出向いて、希音くんだけでなく澄音ちゃんともいろいろ話した。俺はゲイであることや譲くんのこと、澄音ちゃんも自分の昔のことや恋愛のことを話してくれた。希音くんの子供の頃のことも澄音ちゃんは語ってくれて、読者に過ぎなかった俺はちょっと嬉しくなったりした。
 初めてと言えそうに充実して過ごす連休の最後の夜のことだった。不意に俺のケータイが鳴った。それが譲くんに設定している着信音だったから、ちょっと驚いて、「ちょっとごめん」と希音くんと澄音ちゃんに謝ると席を立った。
「𣜿ちゃん?」
 入り口のドアのそばで、通話ボタンを押して呼びかけると、うめき声のような声のあと、すぐにごとっとケータイを取り落とす音が聞こえた。え、ととまどっていると、何やらくぐもった物音が続いて、『すみません、もしもーし』と突然譲くんではない男が電話に出る。
「えと、あの……」
『𣜿ちゃんのお友達? しのくん──って出てるけど』
「あ、はいっ。友達です。𣜿ちゃん、どうかしたんですか」
『ああ、よかった。今、𣜿ちゃんお店にいるんだけどねえ。すごい酔いつぶれてるから、バックで休ませてたの。無意識に電話かけたのがあなただったみたいだわ』
「そう、ですか。酔いつぶれるって、何かあったんですか」
『それは分かんないけど、ちょっと𣜿ちゃん? おーい。──これ、仕事にならないわねえ。でもこの子、親とは折り合い悪いし、このまま帰すわけにもいかないし』
「あ、じゃあ俺が迎えに行きますよ。行ってよければ」
『ほんとに? 助かるわ。お店の場所、分かるかしら』
「大丈夫です。今から向かいます」
 俺はケータイを閉じて、こちらを眺めていた希音くんと澄音ちゃんに手短に事を説明した。「行ってあげるんだもんなあ」と希音くんは笑って、「キャッチに気をつけてくださいね」と澄音ちゃんも同じく笑いを噛む。俺は少し情けない笑みをして、栗香さんに伝票を渡して会計を済ますと、空に舞い上がるネオンの下に出た。
 人がぐちゃぐちゃに流れる中を縫うのにも慣れてきた。二十二時前。電車はまだある。俺は早足で街を出て電車に乗ると、会社の最寄り駅に降りて、オフィス街に面する歓楽街の譲くんが勤める店に向かった。
 ボーイに肩を担がれて現れた譲くんは、俺のすがたを認めると、今度はわんわん泣き出した。壊れていく化粧のせいで、余計涙が痛々しく見える。「任せちゃって大丈夫ですか」と心配されたけど、「大丈夫」と俺は酔いで重たい譲くんを引き受けて、ひとまずエレベーターホールに連れていった。
 譲くんは壁にもたれて崩れるように床に座りこみ、同時に俺の腕をつかむ。俺はそれに引っ張られるように、譲くんの目の高さにしゃがみこむ。
「𣜿ちゃん──」
 煙草と酒の水商売の香りが強くとも、いつものあのいい匂いもして、こんなときなのにどきどきしてしまう。
「やっぱ……無理だった」
「え」
「忘れようと思って、つきあったけど。どうしても、何か違って。傷つけただけだった」
「……彼女?」
「ん」
 唇を軽く噛んでしまう。まあ、そんなことだろうと覚悟はしてきたけれど。
「振られたの?」
「振った。別れた」
「………、すっきり、しない?」
「ん……俺、まだ前の元カノが好きみたいだ。もう連絡も取ってないのに」
「そっ、か」
「もうあいつは、とっくにほかの男とつきあってんのかな。そんなのやだな。何でもっとあいつを大切にしなかったんだろう。こんなに引きずるなら、女装もやめてればよかった」
 譲くんは雑に手の甲で涙をぬぐった。マスカラが黒く滲む。
「女装のことで別れたの?」
「たぶん。初めはあいつも楽しんでくれてたけど、そのままじゃ親に紹介できないからって言われたんだ。親に紹介したいとかさ、あいつも俺とまじめにつきあいたいって思ってくれてたんだ。だから男の格好してって、俺の髪も切ろうとした。でも、あのとき俺はそれに切れちゃって、分かってくれないなら別れようとかさ。バカかよ」
 譲くんは疎ましそうに長い髪をつかむ。俺はその乱暴な手に手を重ねる。譲くんは濡れた目で俺を見上げる。
「俺は、女装する𣜿ちゃんが好きだよ」
「しのくん……」
「ほんとに、好きだよ」
 俺は譲くんの手を引っ張って、腕の中に抱きしめた。譲くんの軆がわずかにこわばる。俺は譲くんの髪を撫で、首筋に顔を当ててやっぱりいい匂いがすると思った。譲くんがつながっている俺の手を握る。俺はゆっくり顔を上げると、譲くんを覗きこんだ。
「𣜿ちゃん、俺──」
 譲くんの瞳が揺れている。俺を見つめている。俺は小さく息を吐くと、そっと、そのローズピンクの唇に唇を重ねた。
 譲くんの手がもっと俺の手をつかむ。こらえるみたいな力だった。
 俺は我慢できずに譲くんを抱き、唇の隙間に舌もさしこんでしまう。舌が舌に触れる。熱い。柔らかい。でもそう感じたのと同時に、譲くんは肩を震わせ、もがくように首を左右に振り出した。
「……っや、」
「𣜿ちゃ──」
「やだ、違う、やっぱ違う」
「でも」
「違うんだ、ごめんっ。無理なんだ。分かんないけど、無理」
「……俺、」
「しのくんは悪くない。俺に気があるのも知ってるよ。ごめん、今のは俺が自分を試した」
 俺は首を垂らし、息をつくと譲くんと軆を離した。そしてそのまま地面に尻餅をつき、譲くんの手から離した手で額を抑える。
「俺、𣜿ちゃんから離れたほうがいい?」
「そっ、それは違うよ。しのくんのこと俺も好きだよ。好きなんだけど、その、友達としてなんだ」
「………、何か、きついな」
「ごめん」
「期待は、しないほうがいい?」
「……うん」
「どうしても無理?」
「うん。ごめん」
 俺は手を下ろして譲くんを見た。譲くんはかすかに怯えた目で俺を見ている。
「俺、しのくんをすごく大切に想ってるんだよ。気持ちには応えられないけど、それは嫌いってわけじゃない。ほんとに、こんな格好しててよく言うなって思うかもしれないけど、男は違うんだ。ただそれだけで、恋愛は無理ってだけで、しのくんのことは大好きだよ。わがままかもしれないけど。自分勝手に聞こえると思うけど。しのくんを失くしたくない」
 必死に訴えるその目を見ていると、何だか、力なく咲うしかなくなってきた。もう一度、譲くんの肩を丁重に抱いた俺は、ゆっくりその背中を安んじた。
「じゃあ、𣜿ちゃんのそばにいるよ」
「ほんと?」
「うん。大丈夫」
「……すごく、傷つけてるよね」
「俺が勝手に好きになっただけだよ」
「俺も、しのくんを受け入れられたら幸せだろうなって思うんだけど」
「いいよ。気にしないで。俺ももし女の子に言い寄られたら、そんな気持ちだからね」
 譲くんは俺にしがみついて、「ごめん」とつぶやきながらまた泣いた。その頭を撫でながら、気を抜くと自分もあふれそうだからまぶたを下ろした。そうすると、自然と譲くんのすがたが浮かぶようになってしまっている。
 茶色の長い髪。すべすべの白い肌。濡れる大きな瞳に、柔らかかった唇。そしてパステルカラーのワンピース。その咲うすがたは、やりきれないほど鮮明で、見蕩れてしまう恋心は息づいてまだ事切れそうにない。
 俺、いつまで君のことが好きなのかな。君とは二度とキスできない。セックスすることもない。ああ、だけど並んで歩くことできるから、あのふたり恋人同士かなって周りに思わせて一緒にいることはできるから、まだとうぶん君のことが好きなのかな。
 君ほど俺の理想の男はいない。ひと目見て好きになった。君なら隣にいてほしいと思えたのに、どんなに想っても結ばれることがないのなら、いっそ好きにならないほうがよかったのかな。でも、惚れるしかなかったんだ。
 譲くん。君は俺が恋する、誰よりも女の子らしい男の娘。

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