僕らの恋はうまくいかない-7

Episode【1】

 作文は嫌いだった。読書感想文の書き方も、なかなか理解できなかった。
 でも、小説らしきものを初めて書いたのは七歳で、十歳で初めて長編を仕上げた。拉致誘拐された少女が犯人と恋をする話だった。なかなか頑張った気がした俺は、それをラノベの新人賞に投稿して、見事に一次ですべった。今思うと、非常識な設定も、稚拙な文体も、性描写があるのにラノベの賞に投稿したのも、バカかと言いたい。
 その日は、夕方からラストまで〈まろん〉のシフトに入っていた。南中にのっそり起き上がった俺は、少し時間あるなあ、とPCの前に座った。
 書きかけの小説がひとつあった。知らないあいだに、この世に悪魔を呼び出し、身の周りで呪いが加速していく少年の話だ。悪魔が美しいすがたを成して、少年の前に現れる次のシーンには時間と集中が必要で、なかなか進む切っかけがない。
 ひとつのシーンを小刻みに書くのはむずかしい。できれば重要な場面は一気に書きたい。でも、そんなわがままを言っていたら鍛錬にならないので、一行でも進めようと唸ってみる。
 一行書いてしまったら、あとはするするとイメージは言葉へほどけていくことが多いけれど、そこは時計を見ながらコントロールする。あふれたらあふれたまま書きたいんだけどな、と主人公の感覚をつなぎとめてはキーボードに吐いていたが、時刻が昼下がりになった頃、今こみあげる表現や伏線は片っ端からノートにメモして、しぶしぶデスクを離れた。
 日中、この家には俺しかいない。一階に降りて、雨が薄暗く降っているのに気づいた。六月になったし、梅雨も近い。ダイニングに作ってあった食事を取って、ゴキもカビも嫌なので食器を洗っておく。ちょっと蒸してるな、と感じながら身支度を整え、傘を片手に家を出ると、「きーちゃん」と声がかかった。
 階段を降りながら門扉を見やると、澄音が黄色の傘をさして立っていた。「よお」と青い傘の下で俺は笑みを作り、澄音の前に出る。
 澄音は相変わらず色彩のない目をしている。昔からそうだ。澄音の両親は喧嘩ばかりで、澄音のほの暗い瞳を癒すことにも気がまわらない。
「また?」
「うん」
「俺、〈まろん〉行くけど」
「一緒に行く」
 うなずいた俺は、澄音と人気のない住宅街を並んで歩きはじめた。
 雨粒が傘でぱたぱたとはじける。道路脇の植木は、雨に濡れて匂い立ち、サイケデリックなほど緑だ。空気が半袖の肌をじっとり舐める。
「鎬樹さん、いるかな」
「今日、平日だから会社だろ」
「リーマンなんだよね」
「営業成績トップらしいぞ」
「きーちゃん情けないなー」
「短期派遣をたまにやるだけの人に言われたくないんですが」
「お金はあの人たちにもらえるもん。あの人たち、お金しかやり方が分かんないみたいだから」
 冷めた澄音を横目でちらりとしてから、「俺は安心してるぞ」と俺は足元の水溜まりをよけた。
「澄音が、……ああいうことを、やめて」
「何もやってないよ、私は」
「関わってたんだろ」
「見てただけ」
「でも、実際あれだけのことがあったんだ」
 澄音は少しうつむく。
「私には、何にも、ないよ」
 澄音のふっくらした手が傘の柄を握る。
「全部、かばってもらったから」
「………、」
「お礼も言えてないけどね」
「最近、会いにいった?」
「ううん。何かもう、怖くって」
 雨音にかき消されそうだったけど、澄音の痛みをはらんだ声は、俺の心の神経もずっしり切った。
かけひさん、どうしてるかなあ……」
 澄音はぼんやりとつぶやき、雨で灰色に霞む前方を見やる。濡れた道路を裂く、車の走音が聞こえてきている。
 山を切り開いた住宅街を降りて、ふもとに流れる車道を横切ればすぐ駅のロータリーだ。けっこう車が流れているので、コンビニの前にある横断歩道で少し待つ。雨は冷たいのに、湿気がぬるくて息苦しい。
 早く青にならないかなあ、と向こう側の赤信号を眺めていると、連れているショルダーバッグの中でふとケータイが鳴った。
「きーちゃんの?」
「うん。電車乗って見るわ」
 そう言ったとき、ぱちっと青い信号が灯った。俺と澄音は横断歩道を渡り、小走りにロータリーのアーケードに入って傘を下ろした。
 俺は回数券、澄音は切符で改札を抜けて電車に乗る。天鈴町に駅はないが、近い駅がここから直通でふた駅だ。ふた駅なので、頑張れば歩くこともできる。だが、今日は雨だし、交通費ももらっているのでいいだろう。
 座席は空いていて、澄音と並んで腰を下ろすと俺はケータイを取り出した。白のランプが明滅している。白のランプは受信箱を作っていないメールだ。誰だろ、とケータイを開き、「あー」と声をもらした。
「何?」
「元カノ」
冬乃ふゆのさん?」
「そう」
「まだ連絡取ってるんだ」
「たまに」
「きーちゃんから告って、OKされたのに、一週間で振られたんだっけ」
「……思い出させんな。くっそ、一週間でキスしようとしたのはそんなに早かったか?」
「さあ」
「何かさー、俺、両想いってのを経験したことがないな」
「それで恋愛小説も書けるの?」
「経験してないから妄想できるのかもしれん」
 言いながらかちっとメールを開く。澄音もケータイを取り出し、「鎬樹さんに今日〈まろん〉行ってるってメールしとこ」とメールを打ちはじめる。俺は高校時代の元カノである冬乃のメールに目を通した。
『キネくん、こんにちは。
 八月に高校の同窓会あるらしいんだけど、行く予定ある?
 学生時代、私はあんまり人と交流あったわけじゃないから、迷ってるんだけど。
 キネくんが行くなら会いたいし、行こうかなって。
 よかったら、どうするのか教えて。』
 最近オンオフ共に「キオン」と呼ばれているから、「キネ」という本名、しかも名字で呼ばれるなんて慣れない。いや、澄音は俺の小学校のときのあだ名のまま「きーちゃん」と呼ぶけれど。そもそも、「希音」というハンネも、「木根」の漢字を置き換えて別読みにしただけでもある。
 というか、同窓会って。いや、まあ今は一応働いているが、二十五歳の夏、バイトは果たして働いていることになるのか。みんな就職してたらかなりきついな、とめまいを覚える。
 高校時代は楽しかったが、楽しかっただけに現在あまりにも失速していて、正直行きたくない。つか俺のとこ通知来たかなあ、と思っても、郵便物の仕分けは親に任せているのではっきり分からない。
 同窓会がまわってくる歳になったのか、とケータイを閉じながら息をつく。似たようなもので成人式があったが、あのときはちょうど本屋のバイトをしていたので参加した。大学に行っていないのが気になったものの、あんがい取り沙汰されることもなく、楽しかったと思う。
 俺は学生時代、基本的に楽しかったのだ。適度に学校に行ってやりすごせば、あとの時間を小説につぎこんでも、正当化されていた。徹夜の体力もあった。制約があったようで、今よりよほど自由に書くことができた。
 今、作家になるしかないなんて働かずに小説を書いていると、画面越しに「人間のクズ」とまで言われる。たぶん同窓会でもそう思われる。文芸部員だったから、学生時代の友人には書くことは知られている。でも、そんなクラブ活動に過ぎないはずのことに将来を賭け、いまだにのめりこんでるなんて、確実に社会不適合者と思われる。
 でも冬乃には会いたいかな、とちょっと思った。いまさら期待なんてしていないが、ゆっくり話ができたらやっぱり嬉しい。告って、つきあって、すぐ別れて、それからは気まずくてあんまり話もできなかった。高校の卒業式にメアドを交換して、それから緩いメル友みたいになっている。
「きーちゃん。着いた」
 ぼーっと悩んでいると、立ち上がった澄音に腕を引っ張られた。俺ははっとしてシートを立ち、澄音と電車を降りる。
 まだ雨が景色を燻らせている。
「メール、何だったの?」
 ホームを足早に抜けて改札を通ると、澄音が振り返ってくる。
「同窓会、どうするか教えろだと」
「行くの?」
「分からん。ちょっと考える」
「………、昔の仲間と集まるって、普通は楽しいのかな」
「今の自分を知られていいなら楽しいんじゃないか」
「きーちゃん、人間としてちょっとダメな感じだもんね」
「るさいな」
「私は──昔の仲間に、合わせる顔なんてないや」
 澄音を見た。澄音は顔を伏せて唇を噛む。俺はその頭をぽんぽんと撫でた。
 生意気な妹のようなこの幼なじみ。こいつが今、ひとりぼっちだと知ったら、その「仲間」は本当に放っておくのだろうか。兄貴分としては、もう関わってほしくないのだけど、やっぱりそいつらしか澄音の居場所にはなれないのかもしれない。

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