嘘をつくよりは【4】
私はふらつきながらも立ち上がり、過呼吸を起こしている女の子のかたわらにようやく歩いていけた。「大丈夫」と背中をさすってあげると、女の子は私にしがみついてさらに泣き出す。そのとき、ひとつ駆け足が近づいてきて、「達也さんっ」と慌てた声がした。
「早く出ないとっ。志郎が理輝殴ってる奴に焦って、サツ呼びました」
その声に、達也という人は舌打ちした。そして「咲子、絶対逃がさないからなっ」とこちらに怒鳴りつけると、理輝というらしい人は捨て置いて出ていってしまった。
すぐあとに制服の警察が駆けつけ、裏AVを撮影していたことが明るみになったのはもちろん、筧さんには暴行の容疑もかけられ、私たちは連行された。
警察署で私は久しぶりに両親に会った。父親は私を引っぱたこうとして、警察の人に止められていた。
何日か拘留されたけど、私は脱いで何かやっていたわけではないし、亮吾さんがうまく言ってくれたのもあって、まもなく釈放された。女優も男優も、撮影の子もそうだった。筧さんだけ、違った。あんなに、顔を変形させて血も吐かせるほど人を殴って、しかもひとりだけ成人だったのもあって、逮捕されてしまった。
家に帰ると、もう止めてくれる人なんていないから、私は父親に手ひどく殴られた。母親もかばってくれるわけがない。むしろ嬉しそうな顔をしていた。いつも私に見ないふりをされていたのだ。それが今日は自分は助かって、すべての罰が一気に噴き出したように私が殴られる。
私は反抗しなかった。する気力がなかったし、したところで父親を逆撫でて逆効果だと分かっていた。やっと解放されると部屋に閉じこもった。
「澄音」
家にこもってふとんに伏せって過ごしていると、そんな声がして私はのっそり顔を上げた。
かたわらに立っていたのは、きーちゃんだった。きーちゃんはため息をつくとしゃがみこみ、「殴ってきたの親父さん?」と訊いてくる。私は小さくうなずき、「売春婦って言われた」とつぶやく。
「売ってたのか」
「やってない」
「そうか」
「ほんとに」
「分かってるよ」
私はまくらに頭を埋めて、横目できーちゃんのあんまり変わった感じがしない顔立ちを見つめた。
「何か、久しぶりだね」
「そうだな」
「怒ってる?」
「心配はしてたけど」
「そっか」
「無理に仲間に入れられたわけじゃないのか」
「好きでついていったの」
「逮捕された奴?」
「うん」
「つらい想いしてたわけじゃないんだな」
「楽しかった」
「じゃあ、まあ、よかった」
私はちょっと笑ってしまって、「何だよ」ときーちゃんがむくれた声を出す。きーちゃんが、実はもっともっと心配してくれていたのは分かる。よかった、なんて、言いたくないほど悩んでくれていたのも分かる。
なのに、やっぱり私を害さずに、優しいおにいちゃんの顔をしてくれる。
きーちゃんを好きになっていたら、私は違ったのかな。地味だけど、幸せは続いたのかな。
それでも私は、やはり筧さんが好きなのだ。筧さんと結ばれたかった。十六歳になったら。いつのまにか十六歳の誕生日は過ぎている。あんなことさえなければ、私は筧さんにやっと抱いてもらえていたのだろうか。
そう思うと、笑いながら涙が出てきた。きーちゃんが頭を撫でてくれたけど、その手ではないと思ってしまう。私の頭をいいこいいこと撫でるのは、あの手でなければ──
秋と冬は、引きこもって過ごした。このまま一生、引きこもっていてもよかった。親がそれは目障りだと言って、春、私は周りから一年遅れで高校一年生になった。
あんなに容易く解読できていた勉強がぜんぜん分からなくて、補習を受けたり居残りをしたり、地元に戻ってもきーちゃんに宿題を教えてもらったりした。
きーちゃんは十九歳で、大学に進まずにフリーターをしていて、相変わらず小説を書いていた。「小説家になるの?」と昔した質問をもう一度してみると、「俺はサラリーマンにはなれないっぽい」ときーちゃんは肩をすくめた。
一学期が終わり、夏休みにはかなり必死に勉強して、二学期には授業の流れをつかめてきた。友達もちらほらできて、高校生活にそれなりに慣れてきていた秋の放課後、高校から駅までの落ち葉が滑る道のりを歩いていると、突然「澄音ちゃん」と聞き憶えのある声に名前を呼ばれた。
はっと振り返ったものの、そこにいた人は思い出した人じゃなくて、すぐうなだれてしまう。そんな私の反応に苦笑したのは、スーツを着た亮吾さんだった。
「あれから、事務所にも来なくなったから心配になってね」
駅前のカフェに亮吾さんと入って、カフェモカをおごってもらった。亮吾さんはコーヒーをひと口飲んでから、変わらない優しい口調で言った。私はカフェモカの水面を見つめながら、「私のせいだから」と小さな声で答える。
「澄音ちゃんは何も悪くないよ」
「筧さんは、私を助けてくれただけなのに」
「僕たちは、みんなそうだって分かってる。誰も澄音ちゃんを責めないよ」
「だけど……」
「僕だけじゃない。みんな心配してる。それとも、もう今の生活が楽しいかな?」
私は目を落とし、胸元の制服のリボンを見つめる。
「だったら、あんまり強く言えないんだけどね。今、筧が事務所にいないのも本当だし、戻ってくるかも分からない」
「え、筧さんは──」
「もちろん死刑じゃないし、無期でもないよ。だけど家に連絡が行ってるし、それに、僕が面会に行っても会ってくれないんだ」
「ど、どうして」
「責任を感じてるのかもしれない。澄音ちゃんや咲子ちゃんが釈放されるように全部かぶってくれて、僕のほうが謝らなきゃいけないと思ってるんだけどね」
「………、」
「それとも、あんまり考えたくないけど、……怨まれてしまったのかな。分からない。とにかく、僕には会ってくれない」
亮吾さんは胸ポケットから名刺ケースを取り出し、一枚取り出した。一度裏を確認し、それを私にさしだしてくる。
「裏に、筧が収容されてる刑務所の住所を書いておいた」
「え……で、でも」
「澄音ちゃんなら、筧も会ってくれるかもしれない。会えたら、よかったら表のケータイ番号に連絡欲しいけど、無理は言わない。ただ、筧と澄音ちゃんが離れ離れになるのは見たくない」
私はしばらく躊躇っていたものの、その名刺を受け取った。亮吾さんは痛みをはらみつつも、優しく微笑む。
「筧は、本当に澄音ちゃんが大切なんだよ。それだけは、憶えていてあげてほしい」
「……はい」
「ほんとにね、ほかの男が触れるだけで許せなかったんだ。筧のやったことはただそれだけで、澄音ちゃんは何も悪くない」
「亮吾さん……」
「僕もみんなも、それは信じてる。だから、澄音ちゃんも信じてあげて。君は筧の大切な人なんだ」
唇を噛んで涙をこらえ、こくんとした。亮吾さんはコーヒーを飲み干し、「よかったら、またね」と先にカフェを出ていった。私は名刺を見つめて、カフェモカが冷めてしまってもぼんやりしていた。
筧さんは、私に会ってくれるだろうか。私を本当に怨んでいないだろうか。会えるなら、会いたい。顔を見れたらだいぶん救われる。そして言いたい、出てくるのを待っていると。亮吾さんたちと待っていると。
そして、また一緒にいたい。今度こそ、私を抱きしめてほしい。私がそう言って、囚われている筧さんを少しだけでも勇気づけられるなら──
その日、きーちゃんに筧さんとのことを話した。小学校のときに出逢っていたこと、中学生になって再会したこと、十六歳の誕生日の約束も。私の家庭のことは変わらずに伏せておいたけど、筧さんとの微妙な関係や私の恋心は打ち明けた。
きーちゃんはデスクの椅子に腰かけ、私はきーちゃんのベッドに座っていた。話し終えると、きーちゃんは眉を寄せて整理していたけど、分かってくれた。
「筧さんって人が出所したら、一緒にそこにまた戻るのか」
「私はそうしたい」
「そうか」
「ダメかな」
「いや……。つか、俺が引き止めても聞かないだろ」
「うん」
「それで澄音が幸せならいいと思う」
「ほんと?」
「心配だけどさ。俺がいくら心配しても、澄音には違うんだろ。やっぱ、一番は筧さんって人なんだろ」
「ごめんね」
「いいよ、俺だって澄音が自分の恋愛を干渉してきたら鬱陶しいし。俺はただの幼なじみだよ」
「きーちゃんも好きな人いるの?」
「それくらいバイト先にいる」
「そうなんだ。うまくいくといいね」
「どうなんだろうね」
私は笑って、よし、と心に決めた。
筧さんに会いにいこう。筧さんに全部伝えて、いずれまた一緒に生きていこうと約束する。やっぱり私は、筧さんを離れるなんてできない。あの人の隣にいたい。
その週末、電車を乗り継いで、筧さんがいるという刑務所におもむいた。どうやったら会えるのかおろおろしてしまったものの、入ってすぐの受付みたいなところでたどたどしく筧さんに会えるかどうか訊いてみると、対応した男の人はあまりにこやかとはいえない態度で「訊いてみますので、そちらでお待ちください」と受付に面したベンチをしめした。
私はそれにそろそろと腰を下ろし、電車を降りる頃から特に激しくなってきた鼓動を飲みこむ。ゆっくり深呼吸して、膝の上で手を握る。
筧さん。一年以上、また会えなかった。やっと会える。中学生のときは、筧さんが私に会いに来てくれた。今度は私が筧さんに会いに来た。だから、きっと会ってもらえる──
と、思っていた。
「すみません、面会は本人がすべて謝絶しているそうなので」
受付の人に呼ばれて慌てて駆け寄ると、事務的な無表情で言われた。
一瞬、意味が分からなかった。
謝絶。本人が。すべて。
「で、でも、私の名前言ってもらえれば、」
「誰であっても取り次がなくていいとのことなので。申し訳ありませんが、お引き取りください」
ぽかんと突っ立ってしまった。すると、職員さんがさりげなく近づいてきて、私の肩をたたいて出口をうながした。
私はきょろきょろして、まだ何か言おうとしたものの、何を言えばいいのか分からなかった。私なら会ってくれるはずだなんて、声高に叫ぶなんてさすがにできない。私の狼狽を察して、優しく微笑んでくれる人もいない。
何で。どうして。筧さん。誰であっても、って。私も? あるいは、私が来るなんて思っていない?
「私が来たことは伝えてください」と何とか言ったものの、結局うなずいてもらえることはないまま、私は外に追い出されてしまった。
秋晴れの青さが虚しく見えた。からからになった喉に、黒くもやつく不安を覚えながら、どうして、と涙がこみあげてくる。
私、会いに来たよ。今でも気持ちは変わらないよ。筧さんのそばにいたい。また一緒に過ごせるように約束したい。私は待っていると知ってほしい。
なのに、会ってくれないの? 聞いてくれないの? 話してくれないの? 私の心は変わらないのに、筧さんは何か変わってしまったの?
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