僕らの恋はうまくいかない-17

好きなのに【4】

 家族と夕食を取ったあと、私は部屋でキネくんにメールの返事を打った。一度すっかり話したらつきあいもなくなるかもしれない、と添えようとして、消して、打って、結局伏せてメールを送った。キネくんは今仕事中じゃないみたいで、『じゃあ、火曜の十八時にまろんで』とすぐ返してきた。私はまくらに頬を埋めて、どこまで話そうかなあ、とまだ決めていないことに悩んだ。
 秋生しか知らない。秋生にしか話していない。だから、秋生しか受け入れられない。じゃあ、キネくんに話したら、私はキネくんを受け入れられるのだろうか。
 私の家は、昔から厳格で厳めしかった。父も母も堅苦しく、似た性格だから結婚したのかもしれないが、似た性格なので噛みあわずに、私が物心ついたときには仲が悪かった。
 なのに秋生が生まれたのは、世継ぎの男の子を祖父母に求められたからに過ぎない。作りたくもなかった秋生に、両親は穢れたものを見るような目で接した。
 だから余計、秋生は私に懐いた。そんな秋生をかばうので、両親は私のこともだんだんかわいくなくなったみたいだった。
 食事中に会話もない。ただ響く、皿にあたる箸やスプーンの音。テレビももちろんついていない。目を交わすこともない食卓が、私の家庭を象徴していた。
 私が中学二年生になった春だった。その週、学校で他愛もない悪戯をして怒られた秋生に、「お前なんか生まれなくてよかった」と父は吐き捨てた。
 秋生は九歳にもなっていなかった。さすがにわっと泣き出したので、私は慌てて部屋から一階に駆けつけた。母はいないようだった。秋生は私にしがみついて泣いて、私は苦々しい想いで秋生を部屋に連れていこうとした。
 そのとき、父が私を呼んだ。
「秋生を守りたかったら、今から俺の言うことを聞け」
 眉を寄せて父を見た。秋生がぎゅっと私に抱きついた。
「お前が俺の言うことを聞くなら、秋生の面倒をこれからも見てやろう」
「……聞かなかったら?」
「そいつは、頭も悪くて役立たずだ。田舎の俺の両親に引き取ってもらう」
 秋生が私を見上げた。父の両親もかなり頭が堅い。そこに秋生ひとり──私は、秋生の目の高さに腰をかがめた。
「あきくん。私の部屋に行ってて。すぐ行くわ」
「ねえちゃん──」
「大丈夫よ」
 私と軆を離されて、秋生は不安そうに振り返りながらリビングを出ていった。私は父を見た。父は私をそばに呼んだ。そして、服を脱ぐように言った。
 何でだろう。父は堅物だとよく知っているのに、そんなことを言われる気はしていたので、冷静にTシャツとスカートを脱いだ。下着も脱げと言われて、さすがに嫌悪感が芽吹いても、感情を踏み躙って、そうした。父はふくらんだ股間からそれを取り出し、自分でこすった。私に手を添えろとは言わなかったのが、まださいわいだった。
 最後、白濁が私の白い肌にまで飛んできた。悲鳴を上げたい吐き気がこみあげた。気持ち悪い。頭に発狂が迫って、平静を保つために呼吸が荒っぽくなる。爆弾を飲みこんで全身が爆発するような、この軆をひとかけらも残したくない、ひどい拒絶反応がふくれあがる。歯を食い縛って、くらくらする意識を白ませながら、青臭い精液を拭いた私は、服を着てその場を離れた。
 秋生は私の部屋にいて、しゃくりあげていた。私のすがたにぱっと顔を上げ、心配そうに見上げてくる。私は秋生を抱きしめて「大丈夫」とささやいた。
「私はあきくんから離れたりしないから」
 それでも、母が留守にすると、私がたびたび父に呼び出されるのが秋生は気になったようだ。季節は移ろい、落ち葉が冷たい風にひるがえる秋になっていた。ついに、秋生は私と父のことを見てしまった。
 どういうことかと秋生は思いがけない剣幕で私につめよって、私は躊躇ったものの、あの日から父とはこういう関係だと静かに告白した。話して逆流した嫌悪に涙が落ちた。秋生は母にすべて話すと言った。「そんなの役に立たない」と私は鼻をすすって言った。「じゃあ、」ともどかしそうな秋生の手を私は取り、「あきくんが私に触って」とその瞳をじっと見つめた。
「あきくんなら、私、気持ち悪くないの」
 それから、私と秋生の関係は始まったのだ。そして、それを知った父は私と秋生を軽蔑し、そうなる以前よりいっそう距離を置くようになった。母は知っているのか知らないのかすら分からないほど、感情を見せなかった。
 そうしてそのまま、十年目の秋になる。
 火曜日の夜、定時に仕事を上がると〈まろん〉に向かった。店内には澄音ちゃんも鎬樹さんもいなくて、キネくんがコーラを飲んでいた。「待たせたかしら」とテーブルを挟んで正面を座ると、「さっき来た」とあんまり減っていないコーラの瓶をキネくんは持ちあげる。私はホットの紅茶を注文して、「澄音ちゃんたちはいないのね」と訊いてみる。
「毎日は来てないしな」
「そうなの?」
「鎬樹くんは仕事あるし、澄音は気紛れだし」
 キネくんはコーラに口をつけてから、頬杖をついて私を眺める。
「冬乃が俺に話がある、とか澄音は言ってたけど」
「うん──キネくんには、ちゃんと話しておきたいと思ったの」
「話しておきたい」
「私ね、キネくんを好きになれたら幸せだったと思うし、今もそうできていたらって思うときがあるわ。でも、どうしてもそうなれない。好きな人がいるから」
「何か言ってたな」
「でも、その相手は……ダメなの。キネくん、兄弟いる?」
「いや、ひとりっこ」
「じゃあピンと来ないと思うけど、私の好きな人、弟なの」
 キネくんはまばたきをして、「弟」と抑えた声で反芻する。
「血のつながりもあるわ。あの子以外の男が、どうしてもダメなの。気持ち悪くて。だから、キネくんともキスできなかった」
「え……片想いでもないのか?」
「関係してる」
「じゃ、弟も冬乃が」
「それはよく分からない。ちょうどいい相手なのかもしれない」
「姉貴は、どんなに近くてもちょうどよくないだろ」
「昔は、私を助けてくれてたのよ。そのために関係してた。今は弟はただのセックス依存に見えるわ。いろんな女と寝て」
「助けるって、何かあったのか」
 紅茶が運ばれてきて、私はそれにシロップを溶かして金のスプーンでかきまぜた。そしてそれをひと口飲んで気を鎮めると、周りの雑音に紛れる声の大きさで、キネくんに父のことを話した。そこから秋生との関係に発展していったことも。キネくんは初めは少しずつコーラを飲んでいたけど、それもやめてしまった。家庭内のことを話し終わると、私はいったん息を吐いて続けた。
「だから、あのときキネくんを『好きになれない』って拒絶してしまったのは、キネくんが悪かったんじゃないの。私は男はみんな気持ち悪くて、秋生しか無理なの」
 キネくんは視線を下げて、「そうか」とやっと言った。「重い話でごめんなさい」と言うと、キネくんは首を横に振る。
「俺に話してよかったのか」
「キネくんには話しておきたかった。高校時代、告白してもらえて嬉しかったの。私だって、キネくんとつきあいたかった。でも、どうしても秋生がいる」
「ん、まあ俺に応えられなかったのはそんなに気にしなくていいけどさ。弟に縛られてるのはいいことなのか?」
「よくないと思ってる。でも、あの子がいなくなったら、私はひとりになるのよ」
「俺とか澄音は?」
「えっ」
 驚く私の反応が意外だったのか、キネくんもやや驚きつつ、言葉をつなぐ。
「恋愛関係じゃなくてもいいだろ。ちゃんとお前のそばにいられるぞ」
「………、」
「弟に依存してても、幸せじゃないだろ」
「哀しい、って言われたの」
「『哀しい』?」
「弟が、私が誰かとつきあったら哀しいって」
「恋愛じゃなきゃいいだろ。恋愛も本来自由だけど」
「分からない。キネくんと会うことにはあんまりいい顔をしなかったわ」
「弟の本音がよく分かんないな。女たらしたり、冬乃を縛ったり。そのまま見たら、都合のいい女だぞ」
「都合のいい女よ。秋生には、私はそれだけでしかないと思ってる」
「じゃあ、冬乃も好きにやったらいいじゃん。俺とかともう会いたくないなら、それも自由だけど」
「キネくんとは友達でいたいと思ってる。澄音ちゃんとも話したいし、鎬樹さんともゆっくり話してみたい」
「じゃあ、それは冬乃の自由にすれば」
 私は顔を伏せて、紅茶の水面を見つめた。「そうね」とかすれそうな声で言う。
「でも、それで秋生に嫌われたらと思うとすごく怖いの。一番は秋生だから」
「嫌われて断ち切ったほうがまともな気はするけどな」
「それはっ、」
「無理だよな。じゃあ、ちゃんと友達だって言えば? 一番が弟なのは変わらないって。好きなのはお前だって」
「好き……なのは」
「うん。それでも嫌だ、冬乃は自分としかつきあうなって言ったら──そう言われて、決めるのも冬乃だろ。ただ、俺は冬乃がどんな答えを出してもそれを応援するよ」
「このまま、ここに来なくなっても?」
「うん」
「連絡しなくなっても?」
「うん」
「応えられるわけでもないのに、嫌いになってほしくなくても?」
「俺にいつか彼女ができるのは自由だろ」
「もちろん」
「じゃあ、何もつながりはなくなっても、俺は冬乃の味方だよ」
 深く息を吐いて、テーブルに肘をついて額を抑えた。手のひらに滲んだ紅茶の熱がじわりと伝わる。
「キネくんを好きになれたら、幸せだったわね」
「そう思うのが、冬乃の精一杯の好意なんだろ。いいよ、それで俺もすっきりした」
 私は顔を上げてキネくんの黒い瞳を見て、小さく息をついた。
「ごめんね、本当に。それを言いたかった。好きだって言ってくれたのに、ただ拒絶して。謝りたかったの。だからずっと、連絡も絶えないようにしてた。いつか謝れるように」
「冬乃はわりと深く考えるほうだな」
「深く考えたくもなるわよ」
「蒸し返して悪いけど、父親とはもう何もないんだな?」
「ええ。それでも、思い出すと吐き気がするわ」
「性的虐待だよな、それ。ストレスあるなら、話せるとこに話したほうがいいぞ」
「病院なんて信頼できないわ。キネくんだから話せたの。昔から、キネくんのことはすごく信頼してる。だから、好きになれるとも思ったのよ」
 キネくんは少し咲って、「俺が男として気持ち悪いとかじゃなくてよかったよ」とコーラを飲む。

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