首輪で縛って【4】
僕ははっと顔を上げ、「こっちにどうぞ」とふたりがけのテーブルが並ぶ場所に案内されて、僕は希音さんについていく。椅子に腰を下ろすと、希音さんがメニューを取ってくれる。
「あの、希音さん」
「ん?」
「あの人たち、は」
希音さんが来て、その三人がますますこちらを見ているので、僕はとまどいながらそのテーブルをしめす。希音さんは振り返ると、「楽しそうに見るなよ」とその三人に言う。そして僕に目を戻すと、「俺の友達なんだ」と肩をすくめた。
「週末はたいていここに集まって、ずっとしゃべってるんだ」
「そう、なんですか」
「無視してていいよ。じゃあ、お冷や持ってくる」
僕はこくんとして、希音さんが行ってしまうのを見送った。そしてもう一度例のテーブルを見ると、もう僕をじろじろしたりせずに三人での歓談に戻っていた。
友達かあ、と僕は冬メニューになった料理を目でたどりながら息をつく。頼斗にも、友達に会ってくるとは言ったけど。希音さんをそうだと思ってここに来たけど。やっぱり、ああいうのが友達だよなあと思う。
頼斗は今頃、どうしているのだろう。パーティが楽しみな様子はなかった。父親の顔を立てるだけだとも愚痴っていた。たぶん疲れて帰ってくるから、僕が先に帰宅して出迎えたほうがいいのだろう。帰りのタクシー代ももらっているし、インターホンで僕だと名乗ればお手伝いさんが門を開けてくれるのも聞いている。
早く頼斗に会いたいな、と思った。ここの空気が悪いとは思わないけど、だから逆に僕が空気を悪くしていないか不安だ。
お冷やを持ってきた希音さんに、僕はコンソメのロールキャベツを注文した。「けっこう早く帰らなきゃいけないんですけど」とおずおずと断ると希音さんは咲って、「元気そうになってるの見れてほっとした」と察してくれた。
希音さんは、いつか僕のことを聞いて小説にしたいと言ってくれているけど、今すぐ根掘り葉掘り聞こうとはしない。「たぶんこれからちゃんとできます」と言うと、希音さんはうなずいて「ここにはいつ来てもいいし、来れなくてもいいから」と微笑んで、僕の注文をキッチンに伝えにいった。
〈まろん〉の料理はおいしいから好きだ。今日のロールキャベツも、中の肉までじっくりコンソメ味で煮詰められて、口の中でほろほろ蕩けておいしかった。パンの耳だけでも、あんなにおいしいんだもんなあと思う。
希音さんと話せたら話したかったけど、土曜日の夜のせいかお客さんが多くてなかなか休憩にも入れない様子だった。二十二時を過ぎた頃、僕は栗香さんが洗い物はしていても誰ともしゃべっていないのを見計らって、席を立ってカウンターに向かった。「あの」と声をかけると栗香さんは顔を上げ、ちゃんと笑顔を向けてもらえてほっとする。
「あ、えと……ごちそうさまでした。帰るので、お会計と──希音さんに返すお金、栗香さんに預けててって」
「急に垢抜けたね。パパでも見つかった?」
「……似たようなもの、です」
「そうなの? 気をつけなよ、なごみくん純粋そうだから、簡単につけこまれそう」
「大丈夫です。ちゃんと、分かってくれた人なので」
「そっか。ならいいんだけど」
「あ、今日から希音さんに建て替えてもらわなくても、はらえます」
僕が伝票をさしだすと、「了解」と栗香さんはグラスを洗っていた手を拭いて、それを受け取る。レジで会計をしてもらい、そのとき希音さんに返すお金も受け取ってもらった。僕は店内に希音さんを探したけど、いそがしそうなので黙って帰ることにした。
思い出して、あの三人のテーブルを見ると、男の人と目が合ったので僕は狼狽えつつも頭を下げた。すると男の人は咲ってくれて、それに気づいた女の人たちも、僕に手を振ったり笑みを作ってくれたりする。希音さんの友達だから、きっといい人たちなのだろう。
でも、僕にももう頼斗がいる。寂しくない、と思って栗香さんからお釣りを受け取ると、「希音さんにお礼言っておいてください」と言って、それから、栗香さんにも残飯を漁っていたことを改めて謝った。栗香さんは何も言わなかったけどにっこりして、僕の頭をくしゃくしゃに撫でてくれた。怖い人だと思っていたけど、ほんとに、いい人みたいだ。「また来ます」と言い置くと、僕は〈まろん〉を出て、冷気できらびやかなネオンの下、うごめく人混みの中へと歩き出した。
電車とタクシーで頼斗の家に帰った。僕ひとりだったけど、ちゃんと門も玄関も通してもらえて、お手伝いさんには「おかえりなさいませ」と挨拶までされた。
頼斗は帰宅しているのだろうか。今日は靴箱から革靴を取り出して出かけていたから、スニーカーはある。でも革靴はないし、まだ帰っていないのだろうか。僕は冷える階段をのぼって、頼斗の部屋の前に行ってみた。
鍵があるから勝手に開けることはできない。一応ノックしてみると、物音と気配が伝わってきて僕は顔を上げる。
「頼斗?」
返事はない。聞き取りづらい低い音はするのに。
何、だろう。なぜか急に胸が黒くざわついてくる。
「あの、帰って……きたんだけど」
もしかして、僕の帰りのほうが遅かったので、怒ってしまったのだろうか。どうしよう。だとしたら、謝らないと。
「ごめん、頼斗、僕──」
笑い声がして、僕はびくんと固まった。それが、明らかに高いトーンの女の声だったからだ。女の人が中にいる。頼斗と女の人が一緒にいる。
ドアに触れるまま硬直していて、やっと低い音の正体に気づいた。これは、ベッドがふたりぶんの重みにきしむ音──
僕は急いでドアを離れると、頼斗に与えられた鍵のない自分の部屋に飛びこんだ。僕がこの部屋をもらったときは空っぽだったのに、すでにベッドやエアコン、カーテンも設置されている。
寒い、と思った。リモコンをつかみ、慣れない手つきで暖房を入れた。ベッドに腰かけると、温かい風が背中に当たった。でも、ぜんぜん軆はほぐれなくて、心は痛いほど凍結していく。
何で。分かっていた。言われていた。僕はペットだし、頼斗は女の子とつきあうし、寂しいときだけそばにいればいいと。
承知していたことなのに、どうして胸に、こんな大きな裂け目がついてしまうのだろう。冷え切った頬に熱い雫が流れて、喉が腫れたみたいにずきずきする。睫毛が湿って重くなって、弱くうめいてしゃくりあげるけど、頼斗は今どこかの女の子を抱いているから、僕なんかいなくていい。
今、頼斗は僕なんかいらないのだ。僕で埋めなくても、満たしてくれる女の子とセックスしている。僕はペットだ。慰み物の愛玩用だ。頼斗の恋人には、絶対になれないのだ。
翌朝、恐る恐る一階に降りると、頼斗と知らない女の子がダイニングで朝食を取っていた。僕は引っこもうとしたけど、頼斗は僕に気づいて「お前のぶんもあるぜ」とふたりと少し離れた席に用意されている朝食をしめした。いつもは頼斗の隣なのに。僕は躊躇いながらもその席に着いて、うつむきがちに朝食を取った。
頼斗の隣の席にはもちろん女の子がいて、予想と違ってすごく淑やかそうに見える女の子だった。パーティで知り合ったお嬢様だろうか。
あんなにつまらなさそうに出かけていったのに。昨日までは僕がその位置にいて、甘えさせてくれていたのに。そんなにあっさり、僕を放り出して女の子とつきあいはじめるのか。
昨夜絞り切ったと思った涙がまた滲んできそうになり、きゅっと舌を噛む。
「頼斗くんちのごはんおいしいね」
「そうか? 普通だろ」
「結婚したら、毎日こんなのが食べれるのかあ」
「いや、作れよ」
「えっ、作るなら結婚してくれるの?」
「どうしようかなあ」
「頼斗くんのお嫁さんになれたら、パパが私に頭上がらないようにさせられるんだけどな」
「うっわ、性格悪い」
言いながら頼斗は楽しそうに咲って、女の子も高めの声で咲う。やっぱり、昨日頼斗の部屋の中から聞こえた笑い声だ。僕がノックして、謝ったりして、それが間抜けで笑ったのだろうか。被害妄想ばかりはちきれて、息をするのも苦しくなっていく。
頼斗は僕に何かを説明することもしなかった。目配せさえなく、その女の子とのデートに出かけてしまった。
ペット。僕は頼斗に飼われている限り、このあつかいに耐えていかなくてはならないのか。じゃあ、せめて普段からそっけなく接してくれていたらよかったのに。あんな優しくしてくれたのを、そこまでたやすく切り替えてしまうのか。
僕は、僕の心は、そんな頼斗の仕打ちに耐えられるだろうか。都合のいい存在にされるのが、邪魔者あつかいされる以上に、こんなにつらいなんて。両親の偽りさえなかった唾棄のほうが、マシに思えてくる。
それでも、僕は家には帰らなかった。女の子と別れてしまえば、また頼斗は僕に優しくしてくれるはずだ。そんな刹那的に過ぎない期間を待った。クリスマスも頼斗はひとりで出かけてしまった。頼斗は別の女の子を連れて帰ってきて、でもそれが先日の女の子に知られたようで、結婚の話なんかもしていたのに、あの子とは二週間も持たずに別れたみたいだった。
すると、やっぱり頼斗は、僕に目を向けてくれた。僕がベッドに横たわってぼんやりしていると、二十七日の夜、部屋に来て「なごみ」と久しぶりに名前を呼んでくれた。僕は頼斗に目を向けて、頼斗はベッドサイドに腰かけると、身をかがめて僕にキスをしてくれた。
手をつないで、僕の肩に顔を伏せて甘えてくれる。僕はそろそろと頼斗の頭を撫でた。頼斗は小さく息を吐いて、「今夜はこうさせてて」と言った。僕はうなずいて、頼斗の頭をずっと撫でていた。ベッドスタンドの時計を見て、日づけが二十八日に変わっていたとき、「誕生日になった」とつぶやくと頼斗は軆を起こした。
「誕生日──」
「今日、僕の誕生日なんだ」
「えっ、そうなのか。ええと、十九だから──二十歳!?」
「うん」
「何だよ、もっと早く言ってくれてたらよかったのに。あー、プレゼントも何にもないや。かっこ悪いな」
「そんなことないよ。頼斗のそばにいられるだけでいいから」
頼斗は僕を見つめて、「かわいい」とささやくと、そのまま耳たぶに舌を絡みつけて口づけてきた。僕は頼斗の背中に腕をまわして、本当に小さな声で、「抱いてほしい」と言った。頼斗は僕の唇に唇を重ね、舌を蕩かすと「朝までなごみを抱いてるから」とどきどきするかすれた声で言って、僕の服に手をかけた。
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