それでも君に恋をする-7

ドライフラワー【3】

 いったん思ったら、歯止めがきかなかった。天乃さん。これが天乃さんだったら。今、俺が抱いているのが、天乃さんだったら。
 ダメだ。こんな、あの人を穢すようなことは、ダメなのに。
 振りはらおうとする。余計に意識過剰になる。揉みあう腰のあたりの水音が耳に絡みついて、理性を奪っていく。天乃さんを想うほど、冷めていた心にも火がついて、俺は次第に彼女を激しく突き上げてしまう。
 天乃さん。
 好きだよ。
 絶対に俺とこんなことしてくれないのに。
 それでも、この女があんただったらと思うんだ。
 こうして、開いた脚を欲望でつらぬいて、その名前をささやくことができたら──
「……あ、っ……」
 唇を噛んだ。天乃さん。天乃さん。ごめん。ほんとにごめん。でも俺、今、確かに天乃さんの中に出してる気持ちで達している。そして、くらくらするほどの快感に痙攣している。
 フリルちゃんにはやはり彼氏がいるそうで、連絡先とかは訊かれなかった。そのほうが俺も助かった。「彼氏、大きいだけで下手くそだからさ、どうしてもたまに誰かと寝ることはやめらんないんだよねー」とフリルちゃんは煙草を吸いながら言っていた。俺は曖昧に咲いながら、天乃さんはきっとこんな女じゃないのに、よく投影できたもんだなと思った。
 誰かに相談でもしようかな。しかし、そこまで信頼できる相手が、現在俺の身の周りにはいない。高校時代には、まだ親しくバカをやったり相談を交わしたりする奴がいた。けれど、これがみんな都市に進学してしまった。大学からの友人もいるけれど、兄貴の彼女に惚れてるだの何だの、重い話をできるほどの奴はいない。
 心のうちを聞いてくれる人がいなくて、たまに軆だけ女と交わって処理しては罪悪感にまみれ、降り積もる感情は誰にも吐き出せずに腫れあがっていった。
 そういえば、兄貴とつきあう上で微妙にネックになっている姉貴にも、天乃さんは根気よく話しかけていた。姉貴は当然うざったそうにしていた。
 が、ある日、姉貴が読んでいた雑誌で、ふたりの好きなゲームジャンルが同じであることが発覚した。人気の男性声優がフルボイスで声を当て、甘い言葉をささやいてくれるような、いわゆる乙女ゲームがふたりとも大好物だったのだ。しかも、『神ゲー』と崇めるゲームが同じだったらしい。クリスタル何とかって奴だ。そんなわけで、次第にソフトや攻略本の貸し借りを始め、天乃さんと姉貴は急に仲良くなっていった。
 それを横目に、やばい、と俺は冷や汗を覚えていた。俺だけが兄貴と天乃さんを祝福できていない。祝福していないことを、ふたりは知らないけども。
 いつ見ても、兄貴と天乃さんは、お互いの隣が居心地良さそうに寄り添い合っている。お似合いのふたり。この家で俺だけが、それを見て息苦しくなり、穏やかに見守ることができずにいる。
 焦って上の空のまま過ごし、あっという間に一年が過ぎた。兄貴と天乃さんの交際は、順調に続いている。兄貴は単発の恋をするタイプではないと分かっていたけれど、天乃さんを大切そうにあつかっているのを見るたび、俺はそうできないし、そうできないからどこかの女を抱いていることに死にたくなった。兄貴と天乃さんは、本気で結婚も近づいている親密な雰囲気だった。
 俺は悶々とするのに耐えきれなくなって、女の子で処理することからも目を背け、バイトをつめこんで家を留守がちにするようになった。
 気づけば今年も最後の月で、沁みこむ寒さが日に日に色濃くなっている。
 雪でも振りそうな曇り空の日曜日だった。その日も深夜からバイトで、俺は仮眠を取りに夕方にいったん帰宅した。ドアを開けて、ただいまと言おうとした瞬間、近づいてくる足音に気づいて顔を上げた。
「あ、何だ。果くん。おかえりなさい」
 天乃さんだった。いや、何だ、って何だよ。確かに天乃さんには、俺は現れて特に喜ぶはずの相手ではないけれど。
「ただいま、です」
 それでも文句は心のうちに留め、俺は家の中を窺う。
「兄貴、いるんですか」
「ううん。すぐ戻るからって出かけて、もう一時間くらい」
「……はあ」
 ちなみに、いつしか天乃さんは俺にタメ口になっている。
「音、しないっすね。誰もいないとか」
 これは冗談で言ってみたのだが、天乃さんはあっさりとうなずいた。
「おとうさんとおかあさんも、花ちゃんも出かけてて。今、私ひとりだよ」
 は?
 何だこの状況。おい兄貴、どういうつもりだ。俺と天乃さんをふたりきりにするって、どういうことか分かってんのか。
「寒かったでしょ。何かあったかい飲み物淹れるよ」
「あ、ああ──じゃあ、カフェオレを」
 そう言うと、天乃さんはおかしそうに咲ってうなずいた。きょとんと俺が首をかしげると、「コーヒーはやっぱり飲めないんだね」と天乃さんは言う。
「やっぱり、って何すか」
「萌くんもそうだから。花ちゃんも飲めないって言ってた」
「いや、親がどっちも飲めないせいですよ」
「らしいね。私も頑張って、コーヒーから紅茶に乗り換え中」
「天乃さんは飲めるんですか」
「うん。ほんとはわりと好き。香りが落ち着くから」
 何となくうなずく。コーヒーの香りは、確かに天乃さんのイメージに合う気がした。澄んだ紅茶の香りより深いコーヒーの香り、というか。
「家の中、入ろう。って言っても、まだ私の家じゃないんだけどね」
 天乃さんは決まり悪そうに微笑む。まだ、か。その含みにため息を殺し、スニーカーを脱ぐと、俺は理性を頭に訴えながら天乃さんと家に入った。

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