それでも君に恋をする-9

君はいつも凛として【1】

 目立つ女の子じゃない。どちらかといえば地味だ。というか、まじめそうで隙がない。
 ショートカット、眼鏡、白とピンクの制服なのに、いつも紺のカーディガンを羽織っている。あんまり咲うところも見ないし、お局様になりそうだとささやく同期も多い。
 それでも、俺は彼女も作らず、露村つゆむらに片想いしつづけて五年目になる。
「みっちゃん、おはよう」
 露村のことは、露村から知ることができない。なので俺は、露村と社内で親しい森野もりの天乃あまのという同期の女の子から、いろいろ情報を仕入れている。
 森野とは本末転倒でけっこう仲良くなって、「あまちゃん」と「みっちゃん」と呼び合うくらいになっている。ちなみに、俺の名前は光と書いて「ミツ」なのだ。
「お、あまちゃん、おはよう」
 よく晴れた四月の朝、出勤して駅の改札をICカードで抜けて歩いていると、背後からあまちゃんの声がかかった。俺は振り返って手を掲げてそう返す。
「旦那は?」
「家事あったから、一本早い電車で行ってもらった」
 あまちゃんは昨年結婚していて、三十になったら会社も辞めると言っている。結婚の時点で寿退社ではないのは、相手は年下の同じ部署の後輩くんだからだ。旦那の稼ぎを安定させてから退社するらしい。
「あっ、そうそう。乃愛のあちゃんのことなんだけど」
 失礼と知りながらちょっと笑ってしまう。乃愛。露村もすごいキラキラネームをつけられたものだ。あまちゃんは俺の失笑を見て、「何度も言うけど」とこまねいた。
「乃愛ちゃん、自分の名前を笑った人は、まず好きにならないからね」
「知ってるよ。本人には言わないで」
「まったく。それでね、乃愛ちゃん、昨夜合コンに混じってたらしくて」
「は!? 何だよ、情報遅すぎだろ」
「いや、行かなくてよかったと思う。あんなのに参加する男なんてバカじゃないのって言ってたから」
「バカでも、露村口説けるチャンスじゃん」
「数合わせで後輩につきあわされただけらしいよ。すごい機嫌悪かったから、今日は話しかけないほうがいいかも」
「そっかあ……。あー、話せないのが続いてて、けっこうへこんできてんだけど」
 あまちゃんはがっくり来る俺を見て、「みっちゃん健気なのにねえ」と肩をすくめる。「そういうの本人に伝えてる?」と訊くと、「けっこうアピールしてるよ」とあまちゃんはバッグを持ち直す。
「でも、そしたら、『じゃあ、どうして天乃は神野さんとつきあわないの?』って言われるんだもん」
「あまちゃん、結婚してんじゃん」
「結婚してから、言われるの減ったけどね」
 問題はそこなのだ。あまちゃんと仲良くなって、こんなふうに情報をもらえる代わりに、どうやら露村は俺とあまちゃんの仲をほんのり勘違いしている。そしてそれは、あまちゃんが結婚しても途切れていないらしい。
「とりあえず、あの勘違いをどうにかしないと、みっちゃんは進みようがないよ?」
 葉桜がざわめく公園沿いの会社までの道で、俺は「うーん」とか言いながらも、これといった対策を思いつけない。ただ、街路樹と街燈が交互に続くこの道で、自販機とベンチがあるこの場所を通ると、いつもあの夜を思い出す。
 俺が今までで一番、露村に近かった夜。
 泣いていた。髪に触った。……かわいかった。
 俺や露村、あまちゃんは今年二十七歳になるタメで、アニメやゲームのキャラクターグッズのメーカーである会社の五年目の同期だ。俺は開発部で、作家先生の原案のイラストから、フィギュアやマスコットを忠実に立体化する仕事をしている。
 正直、かなり神経を使う。でも、俺の担当は『デッドエア』という近未来SF小説原作のグッズだが、原作の佐々木ささきしょう先生もイラストの美由みよしみなみ先生も気さくだから、恵まれているほうだ。
 佐々木先生はホラーなんかも書くわりに天然だし、美由先生はおっとりしていてサンプルを届けると喜んでくれる。二年くらい前から、美由先生は俺の相談にも乗ってくれている。
「美由先生」
「うん?」
「俺の弟がですね」
「ああ、面白名前シリーズの」
「何つーか、その、男とつきあいはじめたみたいなんですけど」
 二年前の夏頃、缶バッジやラバストに使うハロウィン仕様のイラストを美由先生の自宅にもらいにいったとき、俺はさしだされた封筒を受け取って、そんなことをもらしてしまった。美由先生は俺を見て、軽く噴き出すと「弟はふたりいたよね」と腕を組む。
「下の弟ですね。今、高二。親友の野郎となあ、確かに仲はいいとは思ってたけどなあ、みたいな。先生も、旦那さんとは元は友達でしたよね?」
「まあね。おにいちゃんとしては複雑?」
「『隠さなくていいわボケ』って感じですね」
「言ってあげたらいいんじゃない? 弟くん、ほっとすると思うよ」
「あいつだけリア充というところがムカつく」
 また笑った美由先生は、この一軒家で元親友の同性パートナーと暮らしている。事情はよく分からないが、子供たちもいる。
「僕は親には勘当されてるから、余計思うのかもしれないけど。家族が分かってくれたら、心強いよ」
 美由先生はそう言ってくれたけど、弟の音とその親友がふたりで家にいるとき、なかなかこちらから「つきあってんだろ?」とか切り出すことができない。
 というか音、お前は彼女がいなかったかとそこから突っこみたい。彼女のことは結局紹介もされなかったが、朝帰りした日のそわつきで童貞を捨ててきたのは分かったので、もうひとりの弟の色と揶揄ったものだ。
 何にしても、なぜあいつだけそんなに男にも女にも不足しないのだ。そんな逆怨みで、あっさり理解を示してやらないところもある。俺の恋は何年も進まず、止まっているのに。
 露村は、この会社のお客様相談口であるコールセンターに勤めている。死ぬほどストレスが溜まる部署だが、彼女は淡々と実績を積んでいる。クレバーな露村らしいけど、と思う半面、あの日は泣いてたなあとしみじみ笑ってしまう。こんな仕事はできるわけがないと、あの夜、露村は始める前から絶望していた。
 新歓という名の花見の宴会だった。街路樹と街燈の一本道に沿った公園で、桜があまさず咲いていた。まだ慣れていない酒をどんどん飲まされ、味も分からずふらふらになってきて、トイレに行くとか言って騒がしい公園を抜け出した。
 会社までの静かな道を歩き、夜桜と満月を見上げて酔いを醒ましていた。頬がほてって、息が酒臭いのが分かる。それをひんやりした春の夜風が流していく。
 就職。上司。酒のつきあい。もう学生時代は完全に終わったんだよなあ、と改めてしんみりしていると、不意に鼻をすすりあげる嗚咽が聞こえて前方を見やった。
 自販機の隣のベンチで、誰かが上体を折って泣いている。
「うええ……やだよお。何で私がオペレーター……できないよお」
 何だか、うん、面倒そうだ。
 引き返そうとしたが、華奢な軆と頼りない声で女の子のようだと不謹慎な判断をすると、「大丈夫ですか?」と声をかけてみた。その人は顔を上げ、かけている眼鏡の角度もゆがませ、水分でチークを溶かし、瞳に涙をいっぱい溜めて俺を見た。
 その泣き崩れた顔を、かわいい、と思った。彼女は首を横に振って、「無理なんです」と唐突に言った。
「私、電話ってすごく苦手なのに。相手の名前聞き取れなかったり、何て言ってるかよく分かんなくなったり、ほんとに、最悪なのに。どうしてあんな部署になっちゃったんだろう」
「はあ」とか言いつつ隣に座ってみると、彼女の頬もかなり紅くて酔っているのが分かった。
「女の子ひとりで酔っ払ってんのは危ないですよ」
「そこでみんな宴会やってます……うう、仕事辞めたい」
「何年目なんですか?」
「明日から始めます……。ああ、ヲタクの相手とかどうすればいいの。どんなクレームが来るの」
 俺はまたうなだれた彼女を見つめて考えて、会社の名前を言ってみた。「そこの新入社員です!」と彼女はがばっと顔を上げる。
「あなたもなんですか?」
「はい。開発部になりました」
「そう、なんですか……」
「アニメグッズとか好きで入社したんですか?」
「就活で面接落ちまくってたんですけど、ここだけなぜか内定もらえたので」
「あー、わりとあの会社ブラックですよね。ヲタ業界で。オペレーターってことは、客に対応するあれですか」
「はい。怖いです……。ヲタクの人ってすごい勢いで細かく問い合わせてきそうで」
 彼女は眼鏡をはずして、潤んだ目から落ちる涙をぬぐった。眼鏡をはずすと、ころんとした瞳と長い睫毛でもっとかわいい。
「ネットで見たんですけど、そういう部署は嫌になった本人から辞めさせて、内定を実質的に取り消すのが目的だって。つまり、私は一応内定をもらえたけど、ちょっと見て判断されて、やっぱり落とされたのと同じなんですよね」
「こっちから辞めなきゃ、会社にはそうできないチャンスはありますよ」
「辞めない自信ないです……」
「そうやって辞めてたら、結局どこで落ち着けるか分からな──」
 俺が言い終わる前に、彼女はまたわあんと泣き出した。情緒不安定すぎるだろ、と思いつつも、「頑張れますよ」とその肩に手を置いた。
「内定をあげようと思ってもらえたのは事実じゃないですか。だから、その仕事をやってみせたら見直してもらえますよ。そんな仕事で実績あげて、頼られるくらいになったら、それこそすごいじゃないですか。誰もあなたに何も言えなくなる」
 彼女は震える肩で息をして、俺を見上げた。至近距離で、一瞬、キスできそう、と思った。でも、それはもちろんこらえて、代わりに彼女のショートカットの髪を撫でた。
「俺はあなたならできるって応援しますから」
「……ほんとに、できると思いますか?」
「はい。俺も一緒に頑張ります」
 眼鏡をはずして焦点が合っていないのか、彼女はぼんやりした目をしていたけど、それでもほのかに微笑んだ。俺も咲いながら、やばい好きだ、と一瞬にしてその笑みに陥落した自分を感じた。
 そして、こういうちょっとメンヘラっぽい子なのだと思った。でも、それなら俺が守って励ませばいい。絶対、この子と出逢ったことをなかったことにしたくない。そう、思ったのに──
 翌日、俺は昼休みにコールセンタールームを覗いてみた。彼女はいた。とりあえず、いきなりばっくれてなくてよかったと思った。PCに向かう彼女を呼んでほしいと、ランチに向かおうとしていた先輩に頼んでみると、笑顔を売った代わりに仕方なさそうに引き受けてくれた。
 声をかけられた彼女は俺を見て、まばたきをしてから席を立って歩み寄ってきた。意外としっかりした足取りや所作で、眼鏡もきりっとしている。何か昨夜とイメージ違うな、と感じたのと同時に彼女は俺の前に立ち、怪訝そうに首をかしげた。
「すみません、どちら様ですか?」
 ──酔っていた彼女の頭は、俺との出逢いをすべてなかったことにしていた。

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