もし結ばれるなら【3】
何よりこたえるのは、あたし以上に果さんも乗り気ではなかったらしいことだ。何で。おねえちゃんと花さんは何がしたかったの。どうしてほしかったの。正直お互いどうでもよくて、早く帰りたくて、話して相手を知る気にもなれない。こんなの、無理に決まっているのだ。あたしも果さんも、そんな気にはなれない。
それでも何とか中座せず、あたしはランチのマカロニグラタン、果さんもランチのきのこのミートスパゲッティを注文した。ウェイトレスが去って、「スープバーついてますけど、いりますか?」と果さんは訊いてくる。目を伏せたままこくんとすると、果さんは席を立って、ふたりぶんのミネストローネを持ってきてくれた。
なぜか乾く喉に、どうしてもお水を飲んでしまう。トイレに行くことになっても恥ずかしいな、と気づいても、どうしても舌が潤う言葉がなめらかに出てこない。果さんもそろそろ振る話題がなくなった様子で、窓の向こうとか見ながらスープを飲んでいる。
ああ、ダメだ。もうこれ、ダメだよ。どう考えても無理だ。一緒にいて、こんなちぐはぐな空気の人を意識しろなんて、無理に決まっている。
おねえちゃんには悪いけど、花さんにも悪いけど。この話はなかったことにしたほうがいい。きっと果さんだってそう思ってる。あたしか、あるいは果さんか、どちらかがこの言葉を言い出すのを待っている──
「ごめん……なさい」
はっと果さんがあたしを見た。あたしはうつむいて、一度深呼吸してから続けた。
「わざわざ来てもらって、すごい、申し訳ないんですけど。あたし、まだほかの男の人は考えられないんです」
「……『ほかの』、って」
「あたし、ほんとは好きな人がいて」
「好きな人──」
「おねえちゃんもそれは知ってます。でも、その人はあたしとはつきあわない人だから、新しい恋で忘れなさいって。それで果さんを紹介してくれたんです」
「………、」
「次を見なきゃいけないのはあたしも分かってるし、昔ほど彼が好きなのかって訊かれたら違います。それでも、その人との失恋がまだつらくて、次の恋とか簡単に考えられなくて。だから、ごめんなさい。あたしが悪いことにしていいので。今日はこれで──」
果さんが軽く噴き出した。え、とバカにされたのかとも思って顔を上げると、果さんはスープの入ったカップを置いて、あやふやに視線を落としていた。
「俺もですよ」
「えっ」
「俺は姉貴に話してないんで、百乃ちゃんが俺のことをどういうふうに聞いてるか分からないですけど。彼女を作らずに何年も経ってるから、とか聞いてるなら、それは、俺も失恋相手を忘れられないからです」
果さんは目を上げて、あたしの瞳に始めて微笑みかけた。あたしの瞳にその微笑はとても近しく沁みこんで、「あ」と声がもれる。
考えなかった。果さんの事情なんて、考えなかった。こんなに恰好いい人なら彼女なんてすぐできそうなのに。わけもなくそう思っていた。けれど、果さんにも、あたしのように次の恋愛に踏み出せない理由があるのだ。
「何か、俺たち、同類だったみたいですね」
「です、ね。でも、果さんなら女の人すぐ振り向きそう」
「そんなことないですよ。いや、彼女に出逢うまでは、女は口説けば落ちるもんだと思ってましたけど」
あたしは咲って、「軽い」と言う。「今はそんなこと思ってないですよ」と果さんはばつが悪そうに頬を染める。
「どんな人なんですか? 果さんの好きな人」
「……ヒカないですか?」
「はい」
「兄貴の嫁、です。義理の姉貴」
あたしはまばたきをしてから、「えっ……と、」といったんスープを飲む。トマトの味が温かい。
「禁断系、ですね」
「はは、エロ小説の設定みたいですよね。でもほんとに、すごい好きで。でも、絶対振り向かないし、振り向かせちゃいけないし」
「誰かに相談とか」
「できないですよ。初めて誰かに言った」
「あ、聞き出したみたいで」
「いや、いいんです。百乃ちゃんは好きな人とはどんなふうなんですか?」
「あたしは、少しつきあった人なんですけど。その……男に、取られました」
「えっ。相手、ゲイだったってこと?」
「どうなのか分からないですけど、まあ、好きなのはその男で、あたしのことは友達だって」
「友達、か。つらいですね。俺もかわいい弟って言われてきついもんなあ……」
果さんは息をつき、あたしは目線を下げる。なぜか、さっきまでの気まずい緊迫がない。
料理が運ばれてきて、並んだお皿からほかほかといい匂いが立ちのぼってきた。スプーンやフォークを手にしながら、何となくあたしと果さんは目を重ね、お互い笑ってしまう。
「何かひどいね、俺たちの恋愛」
「ほんと。どっちも泥沼すぎ」
自然と敬語がタメ口になっていた。それからあたしと果さんは、セーターの毛糸をほどいていくみたいにするすると、急速に話をはずませはじめた。しゃべっているから、食事のおいしそうな湯気は冷めてしまうほどだった。笑顔が自然とこぼれて、大学のこと、お互いの姉のこと、失った恋のこと、どんどん話していた。
何だろう。どうしよう。楽しいかもしれない。いつのまにか、そう思いはじめていた。無理だと思ったのに。似ている傷口から、歯車が噛みあって、心が綻びていく。
いつのまにかランチタイムが終わって十五時になっていた。それでもなお話ができそうだったけど、このあとどこか行くより、また会おうということになった。「嫌かな」といったん遠慮されたけど、あたしは首を横に振って「また会いたい」とにっこりと言えた。すると果さんも咲い、あたしたちは、来週の日曜日もこのファミレスでランチすることになった。
そうして、あたしの毎日の中で、果さんの存在が大きくなっていった。もちろん連絡先も交換したし、会うだけでなく、メッセや通話のやりとりもする。
そんなあたしに、おねえちゃんはにやにやして、「あんたの幸せそうな笑顔が見れて嬉しいっ」と背中をハグしてくる。あたしは若干照れ臭くても、「ありがとう」とはおねえちゃんに伝えた。おねえちゃんはあたしの頭をくしゃくしゃと撫でる。
そんなことをしていると、手の中に果さんからの着信が来る。あたしはおねえちゃんの腕を抜け出してメッセージを開き、『冬休みといえば、クリスマスイヴって予定ある?』という文章にはっとする。
そうだ。もうすぐクリスマスだ。これまで、彼氏がいたことのないクリスマス。『何にも予定ないなー。』という何気ないような短いひと言の送信に、めちゃくちゃ勇気を振り絞った。すると、即でなくちょっと間があってから、『じゃあ、会う?』とメッセージが届く。
あたしは声を上げて、「どうしたの」とまだそばにいたおねえちゃんが、勝手にあたしのスマホを覗く。それから、「わあっ、今年はあたしも百乃も男の子とクリスマス過ごす!」と叫んで、娘たちの恋愛を楽しむおとうさんもおかあさんまで盛り上がってきた。
そんなわけで、クリスマスイヴは果さんと「食事」でなく「デート」をした。街を歩いて、自然と手をつないで、それ以上はなかったけど、カップルだらけの中の雑踏を一緒に並んで歩けるだけで嬉しかった。夜はダイニングバーでディナーを食べて、最後のチョコレートケーキを食べていると、果さんがプレゼントをくれた。「あ」とあたしも慌てて持ってきたプレゼントを渡す。
あたしからは、革とシルバーでできた鍵をまとめるキーホルダー。果さんからは、スターサファイアのペンダントだった。こんなすごいプレゼント、親からももらったことがないのだけど。「いいんですか」と思わず気にしてしまうと、「選ぶの楽しかったから」と果さんは咲ってくれた。その笑顔を見て、心の奥まで見透かされたような、澄んだものがこみあげてきた。
でも、とっさにそれを抑えてしまう。違う。ダメ。あたしと果さんは、失恋という鍵が一致しただけで、それ以外にも何か一致しているのかは確認していない。分からない。違ったらまた傷つく。
いや、そのために引き合わされたのだし、期待していいの? さっき手もつないだし。けれども、このあとどこかに泊まるとか、そんな雰囲気はない。
ああ、音のときはあっけらかんと今日は泊まりたいとか言えたのにな。果さんだと言えない。下手なことを言って失いたくない。もっと一緒の時間を過ごしたいから。関係を折りたくないから。不用意な言葉をさしだせない。
【第二十四章へ】
