青氷の祠-80

クリスマス

「あ、碧織っ」
 彩雪特有のどんちゃん騒ぎを毬音と閉口して眺めていた僕は、雑音の合間にそんな声を聞いて振り向いた。ごちゃごちゃと飾った人間を縫って駆けよってきたのは光樹で、僕は力ない笑みを浮かべて手を振る。
 光樹は僕と毬音の前にたどりつくと、「見つかってよかった」とにっこりとした。
「子連れの陽桜っぽいの見なかったかって訊きまわっちゃったよ」
「ださい訊きかたしないでよ」
「こっちでは恥はかきすてでしょ。毬音ちゃんはひと月ぶりだね」
 毬音はこくんとすると、「すごいね」と手のひらにあまるグラスにそそがれたオレンジジュースを飲む。
「光樹くん、毎日こんなとこで暮らしてるの」
「まあね。おもしろいでしょ」
「疲れそう」
「はは。毬音ちゃんは陽桜っこだもんね。こっちいい?」
 毬音の席は一番端でもあるので、光樹は僕の隣のスツールをしめした。うなずくと彼はそこに腰をすべりこませ、カウンター内の男に酒を注文する。
 このカウンターは、広い会場のわりと隅で、背後ではステージつきのホールで無数の人間がうごめいている。貸切にされたクラブでのこのパーティは、本日行なわれたクリスマスイベントの打ち上げだった。
 いつだか言ってやったのに、相変わらず部屋にこもっている毬音を、今回僕は遠出に連れ出して触発してみることにした。毬音を持ってくると、光樹も単純に歓迎してくれる。僕は盗んだ自転車の荷台に、鬱陶しい髪をみつあみにした毬音を乗せた。
 毬音は歌っている光樹を見てみたいという好奇心で、光樹に一枚余分にもらったチケットを受け取った。それでもしょせん僕のガキであるせいか、僕の元を捨てた暁にも、彩雪には腰を据えないと思わせただけの様子だった。
 いろんなバンドが出演するライヴの最中は、僕も毬音も壁際にはずれ、どよめく熱狂にときおり暗がりで顔を合わせていた。「パパはこういうの楽しいの」と毬音に訊かれ、「ちっとも」とこまねく僕は答えた。僕が聴きたいのはファントムリムだけだ。
 光樹たちがステージに現れると、毬音も観たがり、僕は彼女を抱きあげて人だかりの先を覗かせてやった。また重くなったな、と思う僕をステージから見つけた光樹は、毬音を連れているのに意味ありげに笑った──気がした。
 その後、あらかじめ聞いていたこの打ち上げ会場にやってきたわけだ。
「碧織がほんとに毬音ちゃん連れてくるとは思わなかったな」
「だって、僕がこいつの歳のときには、すでに万引き巡りやってたんだよ」
「毬音ちゃんは引きこもってたいんじゃないの」
 上体をテーブルにつけて咲った光樹に、毬音は首をかたむける。「かわいこぶって媚売る女は足早いよ」と僕が鼻で嗤うと、こちらのことは睨みつけた。
「お前が光樹のアイドルでいられるのは今のうちさ」
「アイドルじゃないもん」
「光樹にかわいがられるの好きだろ」
 毬音は仏頂面でフライドポテトをつまみ、「毬音ちゃんがよければずっと妹分と想ってるよ」と光樹はおかしそうに咲う。
「それに、やってくる子をかわいがるのは拓音でしょ」
「まあね。どうなの。堕ろさないよね」
「そりゃね。結婚も考えてるみたい」
「ぱっとしちゃえばいいのに」
「拓音って、バンドやってて収入不安定だし」
「果樹さんが働けばいいんじゃないの。拓音が育児」
「それもいいね」
 レモンの入った透明なカクテルが来て、光樹は手首に銀の鎖をはめる手で受け取った。胸元には拳銃のペンダントがさがっている。
 先月のなかばに遊びにきた光樹に聞かされて僕も驚いたのだが、果樹さんが拓音の子供を妊娠したらしいのだ。結婚も意識してきた頃なので迷惑がる狼狽はなく、たぶん結婚すると当人も周囲も見ているそうだ。
「光樹はどうなったの」と同じときに訊くと、「今年中にはケリつけたかったんで」と一発ぶたせて例の子とは切れたそうだ。「新しい女の子どう?」とからあげを食べる僕がにやりとすると、「同じ質問をお返しします」と光樹はふくれっ面になった。
「僕はとうぶん女はいいよ。コブつきだしね、こいつが出ていくまでは」
 毬音に目をやると、彼女は僕と光樹の会話を眺めている。
「出ていく頃には──」
「十一としても、僕は二十七」
「男娼やってないね」
「ね。光樹は」
「僕もとうぶん女はいいです。やりたくなったら娼婦買います」
「光樹がお買い物」
「いいじゃん、僕だって男なんだしさ」
「ハマって恋愛忘れないようにね」
「うん。って、ハマるかな。やばいな」
「僕にはヤクやるなっていうのに」
「あー、はいはい。やめときます。あーあ、何で僕ってこんなに恋愛下手なのかな」
「そのうちいいの出てくるでしょ」
「碧織にもね」
 僕たちは笑みを合わせ、それぞれ透明や白のカクテルを飲んだ。僕のカクテルにもレモンが飾られていて、アルコールの匂いにその澄みきった香りが重なっている。
 熱気が満ちる会場のステージでは、今夜のライヴでトリをつとめたバンドがMCをやっていた。
 毬音はグラスの表面にいつもの絵を描いている。この小娘は思うより閉塞気味でも、その歳で家出はやってみせたので、開花も時間の問題だと思う。
「でもよかった」と光樹が突然言って、僕はきょとんと彼を向いた。
「碧織、けっこう元気そうで」
「元気なさそう?」
「こないだは考え深げだったでしょ」
「ああ」と僕は咲い、レモンの鮮明な黄色の皮をなぞる。
「整理ついたの?」
「まさか。まだ受け入れられない。信じられないし。何年もかかる」
「そう。そうだね。場合によっては、愛されるのって憎まれるより重たいもんね」
「珠生はすんなり来てるよ。そのぶん重たくてさ。これが溶けていくのにも何年もかかる」
「北極ぐらい重い」と光樹は咲い、僕も咲ってしまってうなずく。そう、珠生が僕に向ける愛なんて北極ぐらい重い。ひと思いに迷惑だと火をぶっかけてやりたい試練だ。解凍できたとき、永年つちかった彼への憎悪や嫌悪が融解されるとは思うのだけど。
「夏乃さんに愛されてたのはどうなの」
「別件だよ。どうでもいい」
「ほんと」
「ほんと。だって、あいつに好かれててもショックはない。変な感じー、って感じ」
「そっか」と光樹はころころと咲い、毬音は夏乃の名前にこちらに顔をあげる。「毬音ちゃんのことはどうだったのかな」とその毬音の所作に光樹は橙色の頭をかく。
「愛してたのかな」
「僕の子供って分かってて生んだとは言ってた」
「パパにそばにいてほしくて生んだんでしょ」
「ぶっちゃけた話、そうだろうな」
「じゃ、愛してなかったのかな」
「ママはあたしに挨拶しなかったよ。男の人にあたしがいるのも言わなかったんでしょ」
「そうだよな。夏乃には毬音は、蛍華さんが珠生を利用したようなもんだったのかな」
「幼い本人の前でむごいこと言うねー」
「どうせ分かってるだろ」と毬音に首を捻じると彼女は首をすくめ、「おませ」と僕はみつあみの頭をはじく。さしあたり毬音に目立つ痣はない。僕と毬音のやりとりに笑みをもらした光樹は、「碧織は毬音ちゃんをかわいがってくんだね」と爪楊枝で香ばしいからあげを奪った。
「かわいがりはしない。飯は食わせるよ」
「引き取ったくせに」
「形式でだよ。豹さんに心配もかけたくなかったし……」
 豹さんの名前をすべらせて口ごもると、光樹は豊かな瞳を楽しげにさせて覗きこんでくる。
「会ったんだよねー」
「全部話したよ」
「全部聞いた。ふふ、かわいいよね。女の子がいなくても、碧織には豹さんがいるか」
「光樹にも陽香さんがいるでしょ」
「ま、ね。つってもかあさんと恋愛はできないし」
「僕も豹さんと恋愛はできないよ」
「ほんとに」
「ほんとに。大切だよ。恋愛ではない。僕は、光樹といたってあったかさが分かるよ」
 僕が微笑むと光樹のほうが照れ咲いし、柑橘系の匂いのカクテルに目を移した。「迷惑?」と僕が曖昧に咲うと光樹は首を振り、「ひとりでもないんだし、恋愛を急ぐ必要はないね」と水滴を流すグラスを取る。僕は毬音に目をやり、「脈ありじゃん」と雑音に紛らしてつぶやく。毬音は頬を染めてそっぽをし、僕は笑いを噛んで頬杖をついた。

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