愛の結晶
その日は、あたしたちにとって大切な女の子の命日だった。
七月二十六日。毎年、弓弦と紗月くんは、この日だけはどんな頼みも断って、街を出て、海のそばのお墓に来る。
ほかにお参りに来る人もいないというお墓の掃除をして、お花とお菓子を添え、焚いたお線香が夏の晴天に吸いこまれていくのを見守る。弓弦によると、その女の子の名前は、雪の華と書いてユキカというのだそうだ。
目を閉じて手を合わせる弓弦を、あたしはそっと見上げる。弓弦は、あたしにもよく咲いかけてくれるようになった。あたしも弓弦に頭をくしゃくしゃにされるのが好きになった。弓弦の親友の人や、例のアンリさんに会ったりもして、弓弦の子供っぽい面を知って、素直に甘えられるようになっていった。
あたしを捕獲したものの、いったん失踪させ、しかも“レイプ”なんて言葉を使ったことを、翼は本当に弓弦にきつく絞られたらしい。そのせいで、しばらく翼はあたしの言われるがまま、従順な犬みたいになった。あんまり口を開くことすらない。ただ手をつないで、あたしがあれを食べたいと言ったら買ってきて、あそこに行きたいと言ったら連れていく。
そうしたら、今度はあたしが弓弦に小突かれた。それでも翼が申し訳なさそうにしていると、「俺の頼みでそんな顔すんな」といつのまにか弓弦は、翼にあたしを預けることを“仕事”でなく“頼み”と言うようになった。あたしが紗月くんの脚に絡みつきながら、「そんな顔すんなー」と言ってみると、翼は参った顔になって、弓弦たちは噴き出していた。今では翼もだいぶ緊張がほどけてきたようで、前ほど面倒臭がりもせず、あたしの相手をしてくれている。
毬音ちゃんもあたしに構って、勉強も教えてくれる。毬音ちゃんは、ついに例の音楽をしている彼氏と同棲を始めるそうだ。「街出ていっちゃうの」とあたしが泣きそうになると、これまでXENONというバンドにくっついて全国をまわっていた彼氏のほうが、天鈴町に腰を据えるらしい。
あたしがほっとしていると、「パパには勘当されちゃったよ」と毬音ちゃんは笑いを噛んでいた。何でそうなるのかぽかんとしていると、「パパはこの街の純血だから、この街の外で生まれた奴は、みんな嫌いなの」と毬音ちゃんはアイスティーをすすっていた。毬音ちゃんのパパ曰く、生ゴミみたいな臭いがするから、そんな臭いつけてくるなら、もう来るな。誰からも慕われているように見えていた弓弦も、毬音ちゃんのパパにはあんまり好かれていないらしい。
そのとき初めて、あたしは弓弦が外で生まれたことを知った。紗月くんももともとは外にいたのだそうだ。「弓弦はここで生まれたと思ってた」と言うと、「じゃあ、証拠見せてやるよ」と弓弦は翼に預ける予定だったのを変更して、あたしもこのお墓参りに連れてきてくれた。
芽留さんの家に行ったときの経験で、電車が怖かったけど、日中ならわりと空いていて、疲れることもなかった。むしろ、お墓参りのあいだ、ずっと聞こえていた波の音にわくわくしていた。当然、あたしは海に行ったことがない。「そんなに綺麗な海じゃないからなー」と弓弦に言われていたけれど、いざ浜辺に到着したら、あたしは笑顔で潮風が心地いい波打ち際まで駆け寄っていった。
「あんなふうに咲うようになったね」と言った紗月くんとうなずいた弓弦は、日射しが強くなっていく中でも手をつないでいる。
「見て見て、この貝殻、作った奴みたい」
あたしがいくつか貝殻を拾ってふたりの元に戻ると、弓弦と紗月くんは腰をかがめる。
「ほんとだ。ちっちゃいのに、綺麗な巻貝だね」
「ガキはこういうの好きだよなー」
「弓弦、ガキとかうるさい」
「はいはい。女の子はこういうの好きですよね」
「うん。好き」
弓弦は、あたしの手のひらからひとつ貝をつまむと、「ユキカもよく集めてたなー」と傷んだ目でつぶやく。あたしは紗月くんと顔を合わせたあと、「おねえちゃん?」と問うてみる。弓弦はあたしを見て、「そうなるな」と頭をくしゃっとしてくれた。
「そういえば、弓弦、昔、僕たちには貝殻みたいに空っぽになったとこがあるって言ってたよね」
あたしに貝を返す弓弦に、紗月くんがふとそんなことを言う。
「んー、言ったような気もする」
「気もするって。憶えてないの?」
「……憶えてるよ。初めて紗月をここに連れてきたときだ」
言い当てられたらしい紗月くんはちょっとはにかんで、「うん」とあたしの頭に手を乗せる。
「結音に初めてフレンチトースト作ってあげたときね」
「結音の好物だな」
「そう。そのとき、バニラエッセンスを気に入ってくれて。匂いだけで、ご馳走になるんだなあって思って。僕たちもそうなのかな。空っぽかもしれなくても、匂いがあれば、すごく満たされるんだ」
言いながらわずかに照れて、うつむいた紗月くんに弓弦は微笑み、「そうだな」と優しい声でささやいて紗月くんの髪に口づける。
「じゃあ、俺と紗月のバニラエッセンスは結音だ」
「え」
貝殻の完璧なかたちに夢中になっていたあたしは、きょとんと顔をあげる。弓弦も紗月くんもあたしににっこりとして、何だかよく分からないけど、ふたりの笑顔が嬉しくてあたしも咲う。
「よし、じゃあ、バニラアイスでも食いながら帰るか」
そう言った弓弦は、あたしの両手の貝殻をポケットにしまって、しっかりと左手をつなぐ。すると、「僕も結音とつなぎたいよ」と、紗月くんが右にまわって、さりげなくあたしを真ん中にしてくれる。あたしはふたりのあいだで、何だかとっても幸せな気分になる。そして、これが愛というものなのかと気づいたりする。
バニラエッセンス。香りだけで、お腹いっぱいになれる。確かに、それが愛というものなのかもしれない。
見えない。触れない。でも、ふんわりとただよっていて、ここにある。
あたしは、弓弦と紗月くんのあいだにいる。そう、だから、あたしが弓弦と紗月くんの、愛になる。
ふたりが教えてくれた。あたしになかった、愛のある家族。
そのお返しに、あたしは、弓弦と紗月くんの愛の結晶になる。
FIN
