君と出逢った夜のこと
そんな鵺が、女装男子のいる店舗との飲み会の予定を持ってきたのが、春のことだった。
ちなみに私は、メーカー本社の通信販売部で働いている。各Web店舗での注文を在庫と照らし合わせ、ひたすらお客様にメール返信をしている。仕事中は黒縁眼鏡と紺の制服だから、あだ名はいつのまにか『委員長』になっていた。
鵺が教えてくれた日の夜はしっかり空けておき、残業はせず、化粧を直して街に出た。
駅で鵺と合流すると、「どうしようどきどきする」とか二十六歳が乙女みたいに騒いで、ひとつ年下の鵺にはたかれていた。そしてふたりで目的のお店に行くと、「本社の友達でーす」と鵺が私を紹介しながら座敷に上がり、「しがない通販部でーす」とか言いながら私もそこにお邪魔した。
「あ、あの子だよ。よかった、来てた」
とりあえずビールの私に、隣の鵺が耳打ちしてくる。鵺の視線をたどった先には、ロングヘアで化粧映えする明るい表情で咲っている、女の子がいた。
私は変な顔で鵺を見た。
「あれは女子だろ」
「いや、男なんだよ」
「嘘だ」
「行ってこい」
「いや、あれは──あれが?」
「そう、あれが」
私と鵺がこそこそ押し問答していると、「どうしたのー」と鵺の同僚の女の子が覗きこんできた。その女の子は鵺と私を見て、「彼女さん?」と訊いてきた。
「いや、この女はないです」
ざっくり言い切った鵺を私は小突いてから、「質問なんですけど」と私は彼女にも確かめてみることにした。
「あの、奥のサーモンピンクのセーターの子いるじゃないですか」
「ああ、みなちゃん」
「おいっ、みなちゃんだってよ、鵺えええっ」
「いや待てって。みなちゃんは、男ですよね?」
「うん、そお」
「ほら」
鵺が私を見て、私がごくんと生唾を飲みこむと、その女の子はころころと咲った。
「初めて見る人はびっくりしますよねえ。でもほんと、あれで男の子目線で服見てくれるから、ファンの女の子も多いカリスマ店員さんなんですよお」
私はもう一度「みなちゃん」を見た。自分のことを話しているのが聞こえたのか、その人はこちらを見て首をかしげている。
男。あれが男って──私と目が合った「みなちゃん」は、にこっとすると小さく会釈した。
あ、だめ、これは本気で好きになる……
不意に「みなちゃん」はひらりと立ち上がり、「僕の話してるでしょ」とこちらに駆け寄ってきた。僕。あと、声が確かにちょっと作ってるかも。
「この人、本社の人でみなちゃん初めて見るんだよ」と女の子が私を紹介してくれて、「そうなんだー」と「みなちゃん」は私の後ろにしゃがみこんで、にこにこと微笑んだ。
「初めまして。深夏だからみなちゃんだけど、純粋な男子です」
「あ……、えと、葉鳥です。名字っぽいけど名前。はととか呼ばれてます」
「いや、委員長だろ」とサワーを飲む鵺が言って、「それここで言うなっ」とぎっと私は鵺を睨む。「委員長?」と「みなちゃん」──深夏が不思議そうにしたから、「職場では」と私は息をついて仕方なく白状する。
「眼鏡なんです。あと制服で」
「へえー。そっか、ショップは私服でいいけど、本社さんはそうなりますよね」
「部署にもよりますけどね」
「部署どこですか」
「通販の部署です。ネットショップ担当してます」
「わ、大変だー。クレームとか怖くないですか」
「怖いのもいます。でも、クレームはどこでもありますしね」
「ですよねー。僕もこういう格好なんで、楽しいんだけど、やっぱいろいろありますよー」
屈託なく咲う深夏を見つめて、「ちなみに」と私は首をかたむけた。
「何だろ、言い方あれかもしれないけど、趣味ですか?」
「うーん、趣味というより自己表現?」
「自己表現」
「女の子の服が好きなんですよ。女の子だから女の服とか、男だから男の格好とか、そういうの嫌いで。鏡を見たとき、好きな格好してる自分でいたいというか」
「はは、じゃあ制服とか一番嫌いだ?」
「うん、嫌い! だけど、女子の制服は着たいとか思っちゃう。かわいいんだもん」
「セーラーもナースも似合いそう。ほんとに女の子にしか見えないもん」
「へへ、ありがとー」
照れ咲った深夏は本当にかわいくて、確かに鵺の言う通り私のタイプだ、と思った。
でも、これだけかわいいなら恋人いるよなあ、と思った。こんな子が彼氏になったら、それは自慢で、幸せで、最高だけど。私が釣り合うかな、とも思うし、見てるだけの友達かなあ、とそのときは思った。
そのあともお酒を飲みながら深夏と話して、連絡先は交換した。結局終電まで残っていた。別れ際、深夏は「また会えたら話そうねー」と私にハグしてくれた。
髪は甘い香りがするけど、やっぱり胸がなくて、深夏とその店舗の人たちを見送りながら、「男だったわ」と隣の鵺につぶやいた。普段飲み会なんかに参加しない鵺はちょっと疲れたようだったけれど、「あれは紹介しないと殺されると思った」と肩をすくめた。私は深夏の連絡先が入ったスマホを見て、こくんとすると、「ありがとね」と鵺にはお礼を言った。
午前様でひとり暮らしの部屋に戻ると、私は躊躇ったものの、遅くなるほど不自然だから『今日はありがとう』というメッセを深夏に送った。送ったあと、何だかむずむずしてフローリングを転がりまわってしまった。
これで返事来なかったらけっこう恥ずかしいぞ、とせめて既読がつくのを祈っていると、ふっと『既読』の文字が浮かんだ。「うわーっ」と声を出して、送った文面がおかしくなかったか読み返していると、ぽんと返信が表示された。
『こっちこそありがとう!
また飲み会来てね!
来なかったら、本社押しかけるぞw
じゃあ、ゆっくりおやすみー。』
そしてすぐに、猫っぽいキャラクターが丸くなって眠っているスタンプが来た。
何。何これ。何かもうほんとに……かわいい!
それから、私と深夏は毎日何かしらメッセを交換して、自然と友達には発展していった。どちらからともなく、ふたりで会うことにしたのは初夏の五月だった。
私は本社勤務で土日が休みだけど、深夏はショップだから休みは平日だ。だから休日はなかなか重ならないので、仕事が終わった夜に待ち合わせた。
「はとちゃん!」と呼ばれて振り返ると、ラベンダーのワンピースと白いカーディガンを合わせた深夏が駆け寄ってきていた。かわいい、と相変わらず思っていると、「ごめんねー」と深夏は息を吐く。
「夜の子に引き継ぎしてたら、ちょっと遅れた」
「平気。私は定時だけど、ショップはそういかないもん」
「ありがと。同じ業種だと分かってくれるから助かるね」
「どっか飲みに行く?」
「うん! はとちゃんと飲むの楽しみにしてきたー」
私は彼を「深夏」と呼ぶけど、深夏は私を「はとちゃん」と呼ぶようになっていた。「お腹空いてる?」と訊くと深夏はこくんとして、それなら、と食事もお酒もあるダイニングバーに行った。
私はたまに来るお店だけど、深夏は初めてでめずらしそうにそわそわしている。カウンターに座るときもあるけれど、今日は深夏との時間を邪魔されたくないのでテーブル席に案内してもらった。
深夏はあれこれ悩んだあとチキンと野菜のトマト煮に決めて、私も夕食を取りたかったからクリームチーズのリゾットを注文した。「かしこまりました」とウェイトレスが去ると、私と深夏は目を合わせて、何となく咲ってしまった。
「また会えてよかった」
深夏がそう言って、「うん」と私はちょっとはにかみながらうなずく。
「深夏の服、今日もかわいい」
「仕事中はカーディガン脱いで半袖だけどね」
「暑くなってきたもんねー」
「ほんと。店内にはクーラーついてても、倉庫とか夏になったら地獄」
「やっぱ力仕事もさせられるの?」
「うん。筋肉つけたくないのになー」
「深夏って筋肉ないよね」
「脂肪で女子のような軆を作ってます」
「作ってる感じにコントロールしてるからすごいよ。私なんか、太りはじめたらとりあえずお腹まわりだもん」
「はとちゃん太ってるかなー?」
「体重は言いたくない」
「はは。大丈夫、見た感じはとりあえず太ってないよ」
「うー、そうかなー」
そんなことを話しながら料理を待って、いい匂いのお皿がやってくると「わあ、おいしそー」と深夏は嬉しそうにフォークを手にした。私もスプーンを取り、リゾットをかきまぜると湯気がふわりと香る。
「ひと口ちょうだい」と言われて、私はスプーンにリゾットをすくうと息を吹きかけて軽く冷ましてから、「はい」と深夏の口に持っていった。ぱくっとそれを食べた深夏は、もぐもぐとしてから飲みこんで「熱いけどおいしい」と言う。それから、今度は深夏が私にチキンをひとかけらくれて、トマトの甘味が染みこんだ柔らかなお肉に「こっちもおいしい」と私は微笑んだ。
そのあとも、それぞれにお酒を頼み、いろいろ話をして過ごした。
そんなふうに食事するのを何度か重ねて、「今度は家飲みでゆっくりしたいねー」とかも話していて、梅雨が明けて夏が始まった七月、初めて深夏の部屋に行った。
深夏もひとり暮らしをしているけれど、家族はちゃんと女装からすべてを承知して、受け入れてくれているらしい。私は家族では、おかあさんにしかカムできていない。「おとうさん何かあるの?」と家飲みしながら深夏に訊かれて、「父親とは距離感が分かんない」と正直に話した。
「亭主関白な人だから。というか、男尊女卑? 何だろ。男だから、稼いでるから、偉いみたいな」
「男っぽい男はあんまりって言ってたもんね」
「そお。だから、彼氏できても、おかあさんにしか紹介しないな。女の子は、好きになった子はいるけど、実際つきあったことはないんだよね」
「そうなんだ。彼女もいたことあるのかと思った」
「ガールズオンリーイベントとかで、行きずりみたいな人はいたけど。ちゃんとつきあったことはないよ」
「ふうん。僕は高校時代に男とつきあったなー。女の子ともつきあったけど」
「深夏は昔からモテてそう」
「んー、小学校まではダメだった。なよなよしてるとか、オカマとか、マイナスに取れるほうが多かったよ。中学からかな、女装とか化粧とか始めたし、自分をしっかり持つようになった。そしたら、確かに告白とかされるようになったかな。自分は何なのかっていうのをすごく考えた。僕ってよく分かんないじゃん、ゲイなのかバイなのか、ニューハーフなのか女装子なのか、そもそも男なのか女なのかも分かんなかった時期もある」
「今は分かるの?」
「どっちかと言えば、男かなー。どっちかと言えばね。どっちでもないのかも」
「X?」
「かなあ。どうなんだろ……ただ、僕は僕だよ。僕にしかできない僕であればいいって思ってる」
私はちょっと咲って、「深夏のそういうとこ好き」とカシスオレンジの缶に口をつけた。深夏はまばたきをしてから、「『好き』?」と訊いてきた。そう繰り返されると恥ずかしくなったけど、私はこくんとして「好きだよ」ともう一度言った。
座卓を挟んで正面にいた深夏は、私の隣にやってきてそっと頬に触れてきた。お酒のせいか、クーラーは入っていても深夏の指先はほてっている。
私は深夏を見つめて、彼の名前を呼ぼうとした。でも、私に何か言わせる前に、深夏は身を乗り出して私にキスをした。唇で体温を感じて、それから急にどきどきしてきて、思わず顔を伏せてしまう。
ぎゅっと水滴の浮かぶ缶を握りしめると、その手に深夏が手を重ねてきた。
「……こういうのは、違う?」
私は深夏を上目遣いで見て、「そうじゃないけど」と言う。すると深夏は缶を取り上げて座卓に置いて、私を抱き寄せてくる。
「僕もはとちゃんが好きだよ」
「……というか、深夏は、つきあってる人、いないの?」
「えっ、いないよ。いたら、こんなにはとちゃんとデートしないし」
「デート」
「デートでしょ? ごはん行ったのも」
「……そっか」
「もしかして、はとちゃん、誰かいるの?」
「ううん。私もいない」
「じゃあ、僕じゃダメ?」
深夏の服をつかみ、その胸に額を当てた。深夏はいい匂いがする。そのいい匂いに汗の匂いが混ざって、すごく色香のある匂いになっている。
「私、とか──いいの?」
「え」
「深夏なら、もっといい人いるかもよ?」
「はとちゃんは、僕をすごく分かってくれる」
「……そ、かな」
「うん。それで、その僕を好きって言ってくれる。そんなはとちゃんが、僕も好き」
「深夏……」
「だったら、いいんじゃないかな」
「私……に、深夏は、けっこう、もったいないぞ」
「何で? はとちゃんだって、僕のことほんとに見てくれるの?」
「私が深夏のこと好きになるのは、普通だけどっ──」
「そんなことないよ。はとちゃんが僕を好きになってくれたら、それは僕には特別なことだよ」
私は顔を上げて深夏を見た。深夏はじっと私を見つめ返した。
かわいい。綺麗な瞳。ほんとに、いいのかな。私がこの人とつきあっていいのかな。私が捕まえちゃっていいのかな。
知らないぞ、全世界の女。いや、男だって。こんなに素敵な男の子を、ここで今、私が落としてしまうぞ。
「深夏」
「ん?」
私は深夏を見つめて、「私とつきあってくれる?」と訊いた。すると深夏はぱあっと笑顔になって、「はとちゃんとつきあいます!」と私をきつく抱きしめた。私も深夏の背中に腕をまわし、その軆にしがみついた。
ああ、もう、どうなってもいいや。深夏が私を好きになってくれた。それが手に入ったのなら、私は何もいらないや。
そうして、私は深夏と恋人同士になった。つきあうことになって、こんなに幸せな人は初めてな気がする。それほど、深夏は高嶺の花に思えていた。
深夏は無邪気に私に懐いてくれて、ベッドで脱いでも本当に女の子のように華奢だったけど、きちんと男として私を抱いてくれた。男の子に抱かれているのに、何だか女の子としているような、でもやっぱり突いてくる硬いものは男の子で、不思議な倒錯感がかえって気持ちよかった。「深夏が好き」とささやくと、「はとちゃんが好き」と自然と返ってくる。それが、不意に涙が出そうなときもあるほど、嬉しかった。
深夏とつきあうことになったことは、もちろん鵺には報告しておいた。電話口で変なテンションだったので、『とりあえず落ち着け』と言われた。その通り深呼吸して、私は「深夏とつきあうことになりました」となぜか敬語で伝えた。
鵺は少し沈黙してから、「深夏ってみなちゃん?」と確認してきた。「そりゃそうでしょ」と言った私に、『何かいきなり投げられた気がするけど、いつから?』と鵺は質問してきて、それから私は深夏と食事したりしていたことを、そういえば初めて人に話した。
『報告がぜんぜん追いついてないから』と突っこまれて謝ったりしつつも、鵺にはだいたいの深夏とのやりとりも話すことができた。最後は『まあ、おめでとうだな』と言ってもらえて、「深夏のこと紹介してくれてありがとう!」と私も大切なことを言うことができた。
緩やかに季節は秋へとさしかかり、「寒くなってくね」なんて話しながら、寒さを待たずに手をつないで、相変わらず私と深夏は食事デートをしたり、家でまったり過ごしたり、たまに休みが合うと一緒に買い物に出かけたりしていた。
深夏のことはおかあさんにも話しても大丈夫そうかな、と安定したおつきあいに思ったりもした。それでも、まだお互いに紹介とかまでは考えなかったけれど。いずれそうすることになるのかも、とかよぎるときもあって、そうなればいいなあとも思った。それくらい、深夏が好きで、本気で大好きで、いつまでもこの人と過ごしたいと感じていた。そうしているうちに毎晩冷えこむ冬になって、カレンダーも終わって──
去年のクリスマス、私と深夏はもちろん一緒に過ごした。プレゼントは指輪で、それだけでも泣きそうだったのに、「あとね、これも」と初めてくれたメッセのときにも使っていたスタンプのキャラクターのキーホルダーがついた、合鍵を渡された。「いいの?」と深夏を見ると、「はとちゃんのこと信じてるから」と深夏はにっこりした。私は深夏に抱きついて、「ほんともう好き」とかみしめるようにささやいた。
信じてるから。言葉にしたら一番もろくなる言葉なのに。気づけなかった。そう言ったときには、きっとすでに、深夏は私を裏切っていたのだ。
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