錯綜する想いたち
そういえば深夏は、拓寿がいないと不安になる、と言っていたっけ。拓寿がいる安心感の上で、私との幸せを感じられていたらしい。だから、拓寿を失った今、深夏はとても不安定で私がそばにいても泣いてばかりだ。
拓寿が現れる前は、私がいれば満足していた様子だったのに。すっかりあの男に依存していたのが分かる。私が思うより、深夏は拓寿を愛していたみたいだ。私さえいれば深夏は大丈夫、なんて思い上がりだった。すんなり納得できないけども、事実として、深夏は私と拓寿の両方が本当に必要だった。
これじゃ精神安定のために男を連れてくるのもすぐなんじゃないかなあ、とか案じながら、今日も仕事が終わったら深夏の部屋に向かう。深夏は仕事は何とかこなしていても、そのぶん帰宅すると抑鬱になるので、私がつきそっている。
深夏がここまで壊れるとは思わなかった。拓寿が離れて、深夏の心が損なうのは女の子の部分だ。確かに、傷つきやすいのかもしれないけれど。
その日は深夏の部屋に明かりがついていて、合鍵でドアを開けて部屋に顔を出すと、深夏は白のレースのトップスにピンクのフレアスカートで、床に座って膝を抱えていた。「深夏」と声をかけても反応がなく、うつむいている。私はバッグをおろして、深夏の傍らにしゃがみこんで髪に触れた。
それでやっと深夏は私を見て、「はとちゃん」と曇った表情を見せる。
「何? どうかした?」
「……ん、あのね」
「うん」
「親友の人に、会った」
「えっ」
「里珠さん……だっけ」
「里珠に?」
「何か、たくさん言われて、……ああ、僕は無神経だったんだなあって」
私がまじろぐと、深夏は私の服をつかむ。
「拓だけじゃなくて、はとちゃんも僕を離れていっちゃうのかな」
「私、は──」
「はとちゃんは、僕なんかとは別れたほうが幸せ?」
「………、」
「もし、僕がはとちゃんを苦しめてるなら、」
「男と」
「え」
「男とも、つきあうとか……そういうのしないなら、私が深夏を離れることはないよ」
「……うん」
「深夏が、拓寿に振られて不安定なのは分かってる。私だけじゃ足りないのも分かってる。それでも、私だけでいてほしいの」
「できる、かな」
「私では私だけに絞れないなら、深夏にはほかの人がいるってことだよ」
「……はとちゃんじゃない女の子なんて、もう、考えてないよ。ほんとに」
「じゃあ、深夏は私だけ好きでいてくれたらいいだけだよ」
深夏は私を見つめて、ぎゅっとしがみついてきた。私も深夏を抱きしめる。深夏は少し震えていて、私じゃこの子に「安心」はあげられないんだなあと悔しくなった。
私が作った夕食を取って、深夏がお風呂に行っているあいだに私は里珠にメッセを飛ばしておいた。深夏に会ったのかという内容で、すぐには反応がなかったので食器を洗い、それからまたスマホを見ると返信があった。
『店の前で待ち伏せて捕まえた。
我慢できなかった……
結局、拓も落ちこんでるし。
これでよかったのか分かんなくなってきた。』
ほんとそうだな、と思った。これでよかったのかな。
深夏が拓寿ともつきあってるのは癪だった。むちゃくちゃ癪だった。でも、本当に深夏と拓寿を引き離してよかったの? それって、私のエゴに過ぎなかったんじゃない?
『今、深夏の部屋なんだけど。
もうすぐ出るから、会って話せる?』
そんなメッセを送信すると、今度はすぐに『うん、誰かと話したい。』と里珠の返信が来た。それで里珠にここの最寄りに来てもらっておく約束をしたところで、「はとちゃん」とほかほかした深夏が浴室から出てきた。
「あったまった?」
「うん」
「よし。明日も仕事だよね」
「うん」
「じゃあ、もう寝ちゃいな。私も明日早いしね」
「……誰かと話してた?」
「えっ」
「スマホ」
深夏は私の手の中のスマホを見て、「ああ」と私ははぐらかす笑顔を作る。
「ただの友達。話っていってもメッセだから」
「……そお」
「深夏が眠るまではそばにいるよ。大丈夫」
私はスマホを座卓に置いて、水玉のパイルワンピースの深夏はベッドに上がって横たわる。私は明かりを非常燈まで落として、まくらもとで深夏と手をつなぐ。深夏も私の手をつかみ、私の手の甲を頬に当てる。
「はとちゃん」
「ん?」
「ごめんね」
「えっ」
「僕、ここのとこ甘えてばっかで」
「あ、ああ。仕方ないんじゃない」
「あんまり、はとちゃんといるときに、ほかの人のこと持ちこみたくないんだけどね。拓に振られたとか、そんなのだって、はとちゃんには関係ないし」
私が里珠にけしかけたせいなんだけどな、と思っても、それを言えない私はずるい。
「はとちゃんといるときは、はとちゃんが好きってことだけ考えたい」
「……うん」
「なのに、考えれば拓にははとちゃんの話とかしてたし。それがいけなかったのかな。拓といるときは拓のことだけ見てあげればよかった」
「………、」
「でも、はとちゃんのこと分かってくれてる人じゃないと、つきあおうとも思わないしなあ。どうしたらよかったのか分かんないや」
「だけど、私も深夏が男の子とつきあうの分かってあげられてないし」
「はとちゃんはいいんだよお。はとちゃんは……代わりにならない人なんだから」
「深夏……」
「はとちゃんが大好きだよ。はとちゃんが好きで、それをなくさないために、拓を好きになったんだから」
「あんな奴いなくても、私は深夏といるよ」
「ん……ありがと。ふふ、強くなりたいなあ」
私は暗い中で深夏を見つめて、つないだ手に力をこめた。深夏が睫毛を伏せたのが手の甲に触れた。
強く、か。確かに、拓寿ともつきあっていたのは、深夏の欲深さでなく、弱さだったのかもしれない。だとしたら、やっぱり私は受け止めてあげるべきだったのかな。そう思うけれど、やはり、深夏を誰かと共有するなんて耐えられなかった。私だって、深夏のことが好きなのだ。
深夏が寝てしまうと、私はそっと手を引いて荷物をバッグにまとめて部屋を出た。アパートを出てスマホを取り出すと、『今から駅行くね。』と里珠にメッセを送る。すると既読がついて、『俺も今電車だよ。』と返ってきた。私は深夏の部屋に明かりがつかないのを見守ってから、駅に向かって歩き出した。
「もうほんっと、俺、あいつが分かんないんだもんっ」
初対面の日にも行った赤提燈の焼き鳥屋で、座敷を選んで向かい合った私と里珠は、ビールとカルピスで乾杯した。ひとまず喉を潤し、メニューを見ながら「で、深夏に喧嘩売ったの?」と訊いてみると、里珠はうめいてからそう言ってテーブルに伏せった。
「拓も葉鳥も、あいつのどこがいいの?」
「とりあえず見た目が」
「男じゃんっ。あれとつきあうなら、いっそ女とつきあおうよ」
「女の子であれだったら無理だな」
「分からん」
「私、女装男子とか男装女子が好きなの」
「そこに性別はあるのか」
「性別ないような子がいいんだよね。その点で、深夏はすごいストライク」
里珠は息をついて、カルピスをごくんと飲む。
「……拓はどうなんだろ。いや、女に見えるとこはもちろんだとは思うけど」
「あいつ、落ちこんでるの?」
「うん。やっぱ本音は別れたくなかったみたい」
「深夏も落ちこんでる」
「俺たちって悪いことしたことになる?」
「そんな気分になってくるね」
「しかも俺、今日深夏にボロカス言っちゃったし。完全に悪役じゃん」
「どういうこと言ったの?」
「んー、全部。全部言った。思い出すと醜くて嫌になるほど言った」
「そんなにか」
「分かってるよ。俺が理解できなくても、葉鳥も拓もあいつが好きなんだって。でも、俺はあいつが嫌いなんだもん。ほんと嫌い。男とも女ともやりたいなら、そのスタンスで遊べばいいじゃん。それを、ふたりとも愛してるとかめちゃくちゃだよ。何なんだよ。正直、女装してること自体、男同士でつきあってホモに見られることから逃げてるだけみたいに感じるし」
「そこは、男でも女でもないって感覚らしいけど」
「性別Xもあるよ、あるけどさ。あいつはどっちもやりたいから、X名乗ってるだけじゃないの? 都合よすぎるだろ」
「深夏は、私といたら幸せで、拓寿としたら安心だって言ってた。何なんだろ、何で私では安心できないのとは思う。でも、やっぱりそれが事実で、今深夏はすごく不安定」
「安心な幸せというものがそもそもあるのかと」
「ないのかな」
「ないんじゃない? 恋愛は安心感じゃないよ。もっと言ったら、幸せでもないよ。恋愛の幸せなんて刹那的に感じてるものだし、安心するのは馴れ合ってるだけじゃん」
まあ確かに、とビールを飲むと、里珠は店員を呼び止めた。肝やらこころやらあれこれ注文し、私も軟骨と焼きおにぎりを注文する。店員が去ると里珠は頬杖をついて息をつき、「何かごめんね」と言った。
「えっ」
「葉鳥はあいつのこと好きなのに、悪口聞かせてさ」
「深夏はそう思われて仕方ないからね」
「葉鳥のそういうとこは楽。拓には深夏の悪口なんて聞かせられないしなあ」
「でも、拓寿なりに里珠を思いやったんだなあとは思った」
「え、いつ」
「深夏を振ったこと」
「自分はストレートだって皮肉じゃないの?」
「違うと思う。里珠の気持ちに気づかずに男とつきあったこと、あいつなりに申し訳なくなったんじゃない?」
「そう、なのかなあ」
「深夏を振ったら、里珠に許してもらえるとか……考えたのかなあって」
「それを拓の口から聞きたい」
「言う奴かな」
「いや、言わねえな」
「里珠は、拓寿の行動が正しかったって認めてあげないといけないのかも」
「深夏を振ってよかったんだよって?」
「うん」
「性格悪くない?」
「里珠の性格は、拓寿がよく知ってるでしょ」
「……ま、ね」
「ちょっとくらい性格悪いことやっても、それが本性とかは思わないんじゃない」
里珠は頬杖に沈み、「拓と話さないとなあ」と言った。私はうなずきつつ、焼き鳥の焼ける匂いと音を見る。
けっこう遅い時間なのに、店内にはわりと客がいてにぎやかだ。こういう店は、開店した早い時間のほうはすごく静かだけど。冷房とビールでほてった肌もなだめられた。
拓寿と話。私もしなきゃいけないのかな、と思って、ため息をついた。
五月が終わって、六月になった。梅雨入りが近づいて、曇り空がむしむしした日が多い。空気はしけった匂いがして、桜の葉の緑が鮮やかだ。
私はたまに食堂で昼食を取り、拓寿のすがたが見つからないか探していた。とはいえ、営業は基本的に外回りのまま外食だろう。しかし営業課まで行って訪ねるのはなあ、と躊躇っていた中、やっと拓寿を捕まえられたのは六月半ばの小雨の降る日だった。
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