「また、あのおじさんに見つかったら」
「雑草踏み倒したから入ったのばれたんだろ。それなら、入った形跡を残さずに侵入すれば」
「不法侵入だよ?」
「猫は不法侵入とか気にしないんだよ」
「私は気にするんだけど……」
「あおこが心配じゃねーのかよ」
ほんとに冷たいと思うんだけど、他人の飼い猫とか正直どうでもいい……。
「とにかく、今日の夜は公園に集合なっ。伝えたから、忘れたとかばっくれとかなしだぜ」
男の子って、こんなに意思の疎通ができない生き物なのだろうか。私が疲れたため息をついていると、「木淵じゃないとダメじゃん」と園村くんは真剣に訴える。
「光を見たのは木淵だしさ。光を見つけた奴が、願いごとしないと意味ないんだろ」
しかも、信憑性はさておき、私が猫を見つけてほしいと願うことになっているのか。何でも願いが叶うなら、せめて自分の願いごとにしたい。
チャイムが鳴って、「じゃあよろしくなっ」と園村くんは私の席を離れていった。やがて本鈴も鳴って担任の先生が教室に入ってくると、ホームルームを始めて出席を取る。
私はまた腕の虫刺されを引っかきながら、まあ夜にやることはないか、と朝陽が当たる黒板をぼんやり眺めた。
今日も両親の帰りは遅いようだった。コンビニのお弁当を食べたあと、私は薄手の長袖を羽織って家を出た。明かりと物音をもらす家もまだ多い住宅街を、さらりと涼風が流れていく。
場所は公園と聞いたけど、時刻ははっきり聞いていない。昨日と同じくらいでいいのかな、と公園に到着すると、「お、来たー」とすでに来ていた園村くんが駆け寄ってきた。
「ん、今日寒いか?」
「暑いよ。風は涼しいけど」
「上着来てるじゃん」
「蚊に刺されたくないから」
「あ、昨日俺もすげー刺されてたわ」
そう言うわりに、園村くんは半袖だ。
「猫は?」
「帰ってこないし、見つからん」
「思ったんだけど、どこかで死んでたりしないよね?」
「は!? やめろよ!」
「でも、ごはん食べてなかったら……」
「まだ二日だぞ。そんな、二日食べなかったくらいで、……たぶんだけど」
「そう。私、動物飼ったことないから分からなくて」
「ないの?」
「ないよ」
「かわいいぞ」
「ふうん」
「あおこ見つけたら、撫でさせてやる」
「嫌がられなかったらね……」と冷めて言う私とは対照的に、「よしっ」と園村くんは気合を入れるようにガッツポーズした。
「じゃあ、行くか」
「やっぱり行くの?」
「行く。今日もあちこち見てまわったし、ちゃんと探してないのはあの森だけだ」
宿題とかいつやってるんだろ、と思いつつ、私は園村くんと公園の裏手に出た。たくましくまっすぐ生える雑草に、すでに昨日の入った形跡はなくなっている。
「道作ってやれねーぞ」と言われたけど、それは予想していたので長袖を着てきたのだ。がさごさと雑草をかきわけていき、小道にたどりついた。
相変わらず、『入ルナ危険』の錆びた看板が不気味だ。園村くんは意に介さず、「お邪魔しますよ、っと」と小道をどんどん進んでいく。かすかな月光を頼りに、私はその背中を見失わないように追いかける。
相変わらず薄暗くて、鬱蒼と木が立ち並んでいた。うごめくような葉擦れの音、湿り気を帯びた土の匂い、自然の中であるせいか残暑の気配は薄く、空気はひんやりしている。たまに木立の奥で、がさがさと生き物が動いている音がして、本音では心臓がすくんでくるくらい怖かった。
そんな道を、どれほど歩いただろう。長時間ではないはずだけど、こんな野生の道は慣れていなくてだいぶ奥に来た気がする。
園村くんの猫の名前を呼ぶ声も、元気がなくなってきていた。
「……やっぱ、ここにもいねーかなあ」
ようやく、そんなつぶやきもこぼしはじめた。「いないと思うよ」と私が言うと、「ほんとに? 絶対?」とか園村くんは言うけれど、「いたちとかいろいろいるなら、猫は怖がって近づかないよ」と私は答える。反論できない園村くんは「そうだよなあ……」と首を垂らし、ついで「おっさんに見つかる前に帰るか」と言い出してくれた。
私は即座にうなずいて立ち止まり、園村くんも足を止めて振り返り──「あれ」と彼は首をかしげた。
「何? 猫、いた?」
「いや、俺たちまっすぐ一本道来たよな」
「うん」
「道が分かれてる」
「えっ」
私も振り返った。すると、確かに一本道をたどってきたはずなのに、背後の道は分岐していた。
「え……えっ、私たち、どっちから来たの? どっちが帰り道?」
「分からん」
「帰れないじゃない」
「やばいな」
「ま、まあどっちかは行き止まりだよね? どっちも少し先見てみる?」
「また分かれ道だったらどうすんだよ」
「何それ。こっちの方角は森の外なんだから、もしかしたらどっちに行っても帰れる──」
「でもほら、ここって“帰らずの森”じゃん」
「………」
「帰り道が分からなくなるから、帰れない──」
「そんなの、冗談じゃないよっ。私は帰るからっ」
私がその場を歩き出すと、「待てよ」と園村くんは私の手首をつかんで引き止める。
「マジでやばいかもしれねーぞ」
「やばいって……」
「ここはだな、その──」
「誰か来るの待つの? あのおじさん? ダメって言われた翌日に入ったんだよ、私たち」
「まあ、そうだな」
「仮に見つけてもらったって、今度こそ学校にも親にも注意が行くよ。もうやだ……」
「落ち着けって。ちょっと考えるから。マジで考えるから、落ち着け」
私が焦燥で泣きそうになっていると、園村くんはそのまま私の手をぎゅっと握って、眉を寄せて考えはじめた。私もその手を握り、不安で唇を噛む。
どこからかふくろうの鳴き声が聞こえてきて、やけに恐怖感があおられる。
どうしよう、ともう一度二手に分かれる道を見て、その先に暗闇しか見取れずにいたときだった。
「……あ、」
突如、ふっと左側の道の奥に光がちらついた。
青い、光だ。昨日も見た、あの光──
「光……」
「え」
「園村くん、こっち」
「はい?」
「こっちだと思う」
私に引っ張られるまま、今度は園村くんは引き止めることなくついてくる。
「光って」
「青い光が見えた」
「えっ。マジ? どこ?」
「こっちのほうに消えちゃったから追いかけよう」
「お、おう」
左手に進むと、また分かれ道になっていた。「来るときこんな複雑じゃなかっただろ」と園村くんは茫然とつぶやく。私は必死にあの光がまた浮かばないか目を凝らした。そのとき、ほんの一瞬また左の道に青い光が飛んだ。「こっちだ」と私が歩き出すと、「俺は光なんか見えねーぞ」と園村くんは当惑しながら言う。
「私も一瞬しか見えてない。でも、今はあれをたどるしか──」
そのまま、道がいくら分岐しても、気紛れみたいに浮かぶ青い光に導かれるまま進んでいった。そして、ついにあの看板──『入ルナ危険』の前までたどりついていた。
もう雑草があるだけで、前方に公園の裏手である道路も覗けている。いつのまにか、ひどく汗をかいていた。
帰れる、と認識した瞬間、ほっとして脚の力が抜けた。しゃがんだ私に、「木淵」と園村くんはびっくりしたようにひざまずく。私は園村くんを見て、「猫……」と口を開く。
「ん?」
「猫探すのは、ちゃんと手伝うから」
「ん、うん」
「もう、この森に入るのはやめよう」
「……そ、だな」
「どこかにいると思うから」
「うん」
「ほかのとこをもっと探そう」
園村くんはうなずいた。私たちはしばらく、手を握りあってその場に座りこんでいた。
たぶん、私たちはこの森に飲まれなかっただけで幸運だった。迷いつづけて、帰れなくなるよりは。そう、この森は本当に“帰れずの森”なのだ。説明はつかなくても、入ったらもう帰ってこれない場所。
ただ、私には見えるあの青い光は何なのだろう? 森の中に灯って侵入を誘ったようでもあるのに、道に迷ったら出口までいざなってくれた。本当に、園村くんが言っている光なのかな。
願いごとが叶う、か。どんな願いごとも。それが本当だとしたら、私は──……
次の日から、夕方くらいには家を出て、園村くんの飼い猫を探すようになった。
写真を見せてもらうと、確かに青い瞳をしたスレンダーな黒猫で、よくこの子を夜闇の中で見つけようとしたものだなと思った。日が経つにつれ、「森に行ってないよなあ……」と園村くんは心配そうにしたけれど、「大丈夫だから、もっとちゃんと探そう」と私は彼が森に行くと言い出すのを制していた。
「木淵は光を見つけたんだから、願いごとは叶うんだよな」
住宅街を並んで歩きながら、溝を覗いたり、塀を見やったり、自販機の後ろを確かめたりする。「いねーなあ……」とがっかりひとりごちたあと、ひぐらしの鳴き声が茜雲にたなびくのを見上げた園村くんは、不意にそんなことを言った。
「見つけたというか、見ただけだけど」
「願いごと叶えたら、帰り道分からなくても、ダンジョンクリアしたときみたいに魔法で外に出れるんじゃね?」
「魔法って……」
「魔法はあるだろ! あの帰り道は、絶対帰らせない呪いだぞ」
「呪いなら何となく分かるけど。魔法は……」
「願いごと叶えてくれるのは、魔法だろ」
「……でも、それ、猫を見つけてほしいって願うんだよね?」
「えっ。あ──いや、まあ、それは木淵の願いごとでいいと思うけど」
私は小さく苦笑いして、願いごとか、と思った。路上に停まっていた車の下を確認しながら、「何でも叶うんだよね」とオレンジ色の景色の中の園村くんを見る。
「らしいぞ」
「そっか……」
「何か願いごとあんの?」
「……おばあちゃん」
「え」
「おばあちゃんに、帰ってきてほしいなあ」
園村くんはぱちぱちとまばたきをして、私はあやふやに咲ってみせた。いつのまにか、園村くんには表情が少し溶けるようになっている。
「小学校卒業して、中学に上がる前に、おばあちゃん死んじゃって」
「そう……なのか」
「両親、昔から仕事がいそがしくて、毎日帰りも遅くて。おとうさんは何考えてるか分からないし、おかあさんも私に料理も作ってくれない」
「え、じゃあ家で何食ってんの」
「コンビニのお弁当とか」
「ダメじゃん!」と園村くんは大袈裟にびっくりして、「ダメ……なのかな」と私は首をかたむける。
「一番しっかり食べなきゃいけないときだぞ、俺たちは」
「……昔はオムライスとかグラタンとか、いろいろ作ってくれたんだけどね。幼稚園のときかな」
「幼稚園かよっ。あ、今日、俺んちで飯食うか?」
「いや、いきなり男の子の家には行けないよ」
「そ、そうか。でも……」
納得いかない様子の園村くんは、私が車を離れて歩き出すと、とりあえず隣に並んでくる。
「おばあちゃんが戻ってきたら」
園村くんは私を見る。
「ごはん作ってくれるだろうし、一緒に料理もするのかもしれないね」
「おばあちゃん必要だな」
「うん……。両親は、おばあちゃんが亡くなって私が暗くなっても、ほったらかしだし。もうどうでもいいんだよ」
ややうざったい口調で言うと、「木淵は、あんまり感情出さない奴だなあと思ってた」と園村くんは真顔で返す。
「今はそうなったけど、中学生になった頃は泣かないように我慢してただけだよ。で、そのまま友達も作れなかった」
「そうなのか……。寂しいよな」
「……分かんない。寂しいのかな。分からなくなった」
「寂しいだろ。家だってそんなん……俺ならグレるわ。あ、でも、親遅いから夜に外ふらふらできてたんだな」
「まあ、うん」
「そうだよな。何かあるよな」
ゆったり夕風が流れて、私たちの黒髪が夕映えの中で揺らめく。
「園村くんは何もないの? 夜遅くまで出歩いてて」
「俺は責任取ってる感じだからなあ」
「責任」
「あおこはさ、妹へのプレゼントだったんだ」
「プレゼント」
「生き物をプレゼントってあれかもしれねーけど、妹、昔から猫飼いたいって言ってて。去年、小学生になったお祝いに両親が飼うの許したんだ。で、俺が選んで連れてきたのがあおこ」
「……そうなんだ」
「で、やっぱ……あおこがいなくなって、妹の奴、毎日泣いてるんだよなあ」
私は園村くんの横顔をちらりとして、「うん」と相槌を打つ。
「親は新しい猫とか言い出してるけど、いや、そうじゃないじゃん。まだいなくなって一週間くらいだぞ。それに、あおこじゃないとダメだと思うし」
「そう、だよね。見つけてあげないといけないね」
「うん。でも……」
「ん?」
「いや、いまさらだけど、木淵をこれ以上巻きこむのも悪いのかなって……」
「いいよ、そんなの」
「けど、けっこう、あおことかどうでもいいと思ってるだろ」
「初めはそう思ってたけど、ここまで来たら、見つけないともやもやする」
「………」
「それに、私を巻きこむのをやめたら、園村くんはあの森にひとりで行くんでしょ?」
園村くんはばつが悪そうに私を見た。私は仕方なく咲ったあとに、深呼吸してから、「行ってみる?」と思い切って訊いた。
【第四話へ】