これで終わりなら
私は千美さんのことから、アイドルにならないかと誘われたこと、断る隙もないまま生田が来たこと、千美さんがお金をもらっていたこと、ほとんど拉致されてきたことまで話した。
相槌を打っていた安桜さんは、話が終わるとレコーダーを止めた。
「なるほど。似たような案件も見つかってたんだけどね。女の子がかわいい子を集めて、アイドルになれると騙して、男についていった先でAV出演させたのかもしれないな」
「私はアイドルとか断ったんですけど」
「優真梨ちゃんはかわいいから、金になると思われたんだろうね」
かわいい。千美さんに言われても生田に言われてもむしろいらっとしたのに、安桜さんだと少しどきっとした。
「似たような案件って、私以外にも被害出てるんですか?」
「まあね。あのホテル使ってるところまで突き止めてたし、これで解決して報告できそうだ。このスマホに入ってる連絡先が生モノのうちに、依頼主に情報を渡さないと」
安桜さんは生田のスマホ、財布も取り上げて、奥のデスクに持っていった。そしてふたつを茶封筒に入れて、パソコンに何かを打ちこみはじめる。
私は黙って、湯気が香るコーヒーを少しずつ飲む。
デスクの向こうの窓が緩やかに暗くなって、ネオンが目立ってくる。私もスマホを取り出し、もう十九時が近いことを知る。そろそろ帰らないと怒られるな、と思っていたら、がちゃっと事務所のドアが突然開く音がした。
かえりみると、ショートカットを金髪に脱色した、少し吊った大きな瞳やしっとりした露出の多い肌が綺麗な女の人が入ってきた。その人は私をちらりとしてから、「安桜」と奥に声をかける。
安桜さんはタイプの手を止めて顔を上げ、「芽衣奈ちゃん」と言った。
「またサボり?」
「んー、まあ。はあ、かったる……この子は?」
「証言もらってた」
「……ふうん」
メイナ、と呼ばれたその人は、安桜さんが座っていたソファに座り、ため息をついてだるそうに沈みこむ。
緩いTシャツから胸の谷間が覗ける。穿いているのもホットパンツで、白い脚には同性から見てもおいしそうな肉づきがある。
彼女は私を見て、「見たことないね」と言った。
「どこの新人?」
「は……?」
「芽衣奈ちゃん、その子は堅気素人の学生だよ」
「何でそんなのがこんなとこにいるの?」
「だから、証言」
「何かに巻きこまれたの、あんた」
芽衣奈さんは私に目を戻し、「まあ、そんなところです」と私は答えておく。
「あ、芽衣奈ちゃんってしばらくここでサボってる?」
「三十分くらい」
「じゃあ、その子──優真梨ちゃんっていうんだけど、一緒にいてあげてくれないかな。僕、急ぎの届け物で事務所出ないと」
「別にいいけど」
「ありがと。──ごめんね、優真梨ちゃん。ちゃんと駅まで送ってあげるから、少し待っててくれないかな」
「……はあ」
「すぐ戻るからね。芽衣奈ちゃん、ふてぶてしいけどいい子だから」
「安桜こそ、胡散臭いよ」
「僕は紳士だよ? じゃあ、よろしくね」
芽衣奈さんが手を掲げると、安桜さんは例の茶封筒をかばんに入れて、事務所を出ていった。それを見届けてから、芽衣奈さんは背もたれに深く寄りかかって、天井を見上げる。
私は気まずくコーヒーを飲んでから、「あの」と声をかけてみる。
「んー?」
「ここで働いてる方なんですか?」
「ここでっつーか、同じビルで働いてる」
同じビル。このビルは、あとは風俗店ばかりのようだったけど。
「待機室にいても、女の子がぎすぎすしてて休憩にならないし。あたしはいつも、ここでサボるんだ」
「その、何というか、風俗の方ですか?」
「それ以外に見える?」
「……よく分からないですけど」
「あんたいくつ?」
「十五です。高校生」
「高校かー。あたしは行ってないから分かんないや」
「そう、なんですか」
「そういや、安桜って違法ポルノのルート漁ってるとかうわさで聞いたなあ。ああ、あんた撮られたのか」
「撮られそうになったんですけど。たぶん。安桜さんが助けてくれました」
「あいつはただの探偵じゃないもんなー」
「戦う探偵とか言ってましたけど」
「戦う探偵だよ。解決のためには暴力も振るう。この街じゃ、ちょっとした顔役」
そうなのか。暴力というか──目に煙草って、暴力の域を超えて、犯罪になる気がするけれど。それで助かった私は、そのやり方にあれこれ言えなくても、意外と危ない人なのか、とうつむく。
「結局、違法ポルノってどういう仕組みだったの? 中学生とか高校生の裏DVDが大量にさばかれてるって、このへんで話題にもなってたんだけど」
話してもいいのかな、と思ったものの、これから安桜さんが暴いてしまうようなのでいいのだろうか。沈黙も空気が重いし、一緒にアイドルになろうと騙って、女の子が女の子を誘い出していることを話した。「ガキの女がスカウトやってたんだ」と芽衣奈さんは少し意外そうに言った。
「コンデンスミルクなんてアイドルグループ、聞いたことないな。まあ、そもそも地下アイドルなんて知らないけど。その筋じゃ有名だったりすんのかな」
「分からないですけど、載ってる雑誌とかは見せてもらいました」
「拉致目的の誘いなら、信憑性出す本まで作ってるのもありうるからね」
「……そうですね。それに、彼女がアイドルやってるなんて、知ってる人もいないみたいだったし」
「そのアイドルグループ自体、架空なのかなあ。どうなんだろうね。ま、もう安桜のチクりで終わるでしょ」
「だといいですけど」
「その声かけてきた女だけには気をつけなよね」
「はい。ありがとうございます」
私が素直にうなずくと、芽衣奈さんは初めて微笑んで、「安桜遅いなー」と掛け時計を見やる。十九時半になりそうだ。
「お仕事大丈夫ですか」と心配すると、「ほんとに疲れててサボるときは、一日中ここにいるから平気だよ」と芽衣奈さんは腕を伸ばして背伸びする。
安桜さんが帰ってきたのは、それから十分後くらいだった。「ごめんごめん」と慌ただしく入ってきて、「帰ろうか」と私に声をかける。「はい」と私は立ち上がり、「働くかー」と芽衣奈さんも立ち上がった。「また疲れたらここにおいで」と安桜さんに言われて、芽衣奈さんはうなずいてから「じゃあね」と私に手を振って、大股で事務所を出ていった。
安桜さんと私も事務所をあとにして、夜が始まって増えた人通りの中を歩いていく。「はぐれないで」と安桜さんは私の手を取って、私はそれをやや緊張しながら握り返した。
「優真梨ちゃんのクラスメイトの千美繭香って子」
車道沿いの大通りに出て、すぐに着いた駅前で私と向かい合うと、安桜さんは一枚のメモを差し出してきた。受け取ると、電話番号が書いてある。
意味を測りかねて安桜さんを見上げると、安桜さんは懸念の混ざった声で言った。
「千美さん?」
「その子まで処理が行き届くか分からないから。もし、万が一だけど。何かあったら、そこに電話してくれていいよ」
「この番号、安桜さんですか」
「そうだよ。二十四時間出れるようにしてる」
「寝ないんですか」
「いや、寝るけどボリューム最大で寝る」
「……大変ですね」
「そういう仕事だから」
安桜さんはおかしそうに咲って、ぽんぽんと私の頭に手を置くと「ほんとに気をつけるんだよ」と言った。私は上目遣いに安桜さんを見てから、こくんとする。
「よし、いい子だ」と安桜さんは改札へと私の肩を押す。私は駅に向かいかけて、一度立ち止まって振り返り、安桜さんに頭を下げた。安桜さんはにっこりして、ひらひらと手を振る。
何もなければ、あの人とはこれっきりで。もちろん、何もないほうがよくて。なのに、それは少し寂しいなと感じてしまう。
何か変だ、とざわつく胸を抑えてから、私は改札への階段を人をよけてのぼる。もう一度振り向いてみたけど、今度はもう安桜さんのすがたはなくなってしまっていた。
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