ミルク-16

覚悟の先に

 エレベーターを降りると広くないフロアがあって、ドアが三つ雑居していた。その中のひとつに『コンデンスミルク企画』という札がかかっているドアがあって、私はそこに歩み寄った。
 深呼吸して、ノックしてみる。中で物音がして、がちゃっとドアが開いた。こちら側に押し開けられたドアに一歩引いて、ドアを開けた人を見上げる。
「……何? 面接?」
 顔を出したのは、面長で肩幅があって、三十代くらいの男の人だった。挨拶もなく、いきなりぶっきらぼうにそんなことを訊かれる。
 私は息を吐いて、頭の中で練習してきた台詞を述べた。
「ここが、未成年を使って、未成年にAV出演させてることを知ったんですけど」
「………、何言ってんの」
「私も実際、クラスメイトの子にアイドルになれるとか言われた挙句、ホテルに連れて行かれそうになりました」
「悪いけど、あんまりおかしなこと言うなら──」
「生田さん、でしたっけ? 目の具合はどうですか?」
 その人の表情が、ぴくんと動いた。突然腕をつかまれると、中に引きこまれてばたんとドアが閉まる。
 中にいるのは、見たところ男の人ばっかりだ。「社長」とその人が言うと、その男の人たちの中から、シャツにジーンズというラフな格好の人が立ち上がった。社長、と呼ばれたわりに若く見える。「この女、生田さんのこと知ってて」と言われた社長さんは、首をかたむけてから私の前に来た。
「繭香ちゃんが紹介した子?」
「そうです」
「うちのスタッフ、さんざんにしといて、何の用かな?」
「お話があって」
「話? やっぱり出演でもしてくれるの?」
「場合によっては」
 思い設けない返事だったのか、社長さんは少し目を開く。それから私を眺め、「まあ、確かにかわいいね」と腕を組む。
「お金が欲しくなった?」
「条件があるんです」
「条件」
「ここって、ゲイのAVも作ってますよね?」
「ときどきね」
「その中で、颯音さんっていう男の子いますよね?」
「ハヤト? ああ、たまにね」
「あの人を、解放してほしいんです」
「解放っていうと」
「このままじゃ、颯音さんって自殺すると思いませんか?」
「うーん……まあ、自傷はひどいね」
「今のうちに手を切ったほうがいいと思いますよ?」
「颯音に気でもあるの?」
「私の友達の大切な人です」
「颯音を撮らなかったら、君をどう使ってもいいってこと?」
「はい」
 社長さんは私を見つめた。そして何やら笑うと、「じゃあ」と私の肩に手をかける。
「今、みんなが見てるここで、はだかになってくれるかな」
 私は社長さんを見る。
「AVって内容は分かってるよね? だから、それくらいできて当然なんだけど、スタッフに怪我させても逃げた君にできるの?」
 私は息を吐いて、「できます」とリュックを肩からおろした。「江口えぐちくん、カメラ持ってきて」と社長さんが言って、さっきの面長の人がデジカメを持ってくる。そのカメラを構えて、「カメラの前で、いいね?」と言われて私はうなずく。
 リュックを床に投げて、まず胸元のリボンに手をかけた。それをほどくと、リュック同様床に投げて、次はブレザーのボタンを外していく。そしてブラウスも脱いで、上半身はブラジャーだけになり、それも脱ごうとしたときだった。
 どんどんっ、と背後のドアを乱暴に殴る音が響いた。ついでドアが勝手に開けられて、私は目を開く。私の腕を引っ張ったのは、芽衣奈さんだった。
 そして、芽衣奈さんと私の前に立ちはだかったのは、安桜さん──
「バカ、何やってんの、優真梨っ……」
 ぎゅっと抱きしめられて、私はまばたきをして芽衣奈さんを見上げる。芽衣奈さんの後ろに、絃音さんもいることに気づく。
「芽衣奈さん──」
「何で脱いでるの? 優真梨にまで何かあったら、あたし、もう、最悪じゃん」
「……でも、」
「友達でいいよ。友達になってくれただけで、優真梨はじゅうぶんあたしを救ってくれてるんだよ」
「……あ、」
「あたしの役に立ちたいからって、こんなの、しなくていいんだよ」
 私は芽衣奈さんの服をつかんで、やっと自分が無鉄砲すぎたことに気づいた。でも、だけど、私は助けてもらうばかりで、自分は何もできていない気がして──
 安桜さんは社長さんの手からデジカメを素早く奪うと、床にたたきつけてからにっこりした。
「彼女、僕の大切な人なんですけど、バカな真似はしてませんよね?」
「そ、その女が自分からっ──」
「してませんよね?」
 安桜さんは笑顔のまま社長さんの胸倉をつかんで、「してない、してないっ」と社長さんは圧倒されるまま繰り返す。
「僕も警察はちょっと苦手なんですよ。だから、まだ警察は呼んでません。でも、颯音くんを自由にしないなら、別に通報することぐらいは人使ってできますよ?」
「分かったっ、好きにしてくれっ。どうせ颯音は自殺される前に切らなきゃいけなかったんだ」
 社長さんがそう言うと、安桜さんは胸倉を強く押して、社長さんに尻餅をつかせる。
「じゃあ、これ以上、僕の周りの人にたからないでくださいね。今度は目に煙草じゃ済まさないですよ」
 社長さんが目を剥く。
 芽衣奈さんが私の服とリュックを拾って、私たちはコンデンスミルク企画を出た。「ちゃんと着て」と芽衣奈さんは私に制服を着せる。安桜さんはエレベーターのほうにつかつかと歩いていったけど、絃音さんはおろおろと私の脇に来る。
「ゆ、優真梨さん、何で、俺のことなんか──」
「……芽衣奈さんと、幸せになってほしかったから」
「でも、優真梨さんがあんなことになるなら、俺、……幸せじゃない」
「うん……ごめんなさい。私に何かできるかもしれないって思ったら、やらなきゃって思っちゃって」
「優真梨、無理やり脱がされたの?」
「……絃音さんを解放するなら、私のこと撮っていいって」
 エレベーターの前のフロアで私がそう言うと、「優真梨ちゃん」と安桜さんが腕組みをして、やっとこちらを見た。私は安桜さんを見上げる。
「自分のやったこと分かってる?」
「……ごめんなさい」
「僕、あのあとすぐ芽衣奈ちゃんに電話して、絃音くんに事務所の場所訊いて、タクシー飛ばしてきたんだよ」
「う……はい」
「ほんとに……みんな、泣きそうなくらい優真梨ちゃんのこと心配したんだからね?」
 私は安桜さんを見つめた。芽衣奈さんが安桜さんのほうに私の肩をたたき、前のめった私は安桜さんに抱き留められる。煙草の匂いがして、急に涙がこみあげてきた。
「心配……したん、ですか」
「心配したよ」
「迷惑じゃ、ないですか?」
「芽衣奈ちゃんと絃音くんを思いやって、頑張ろうとしたのは分かってる。でも、やるならせめて僕にきちんと相談してください」
「安桜さん……」
「僕のことを頼ってください」
「はい、っ……」
「それは、甘えてるとかひとりでできないとか、そんなんじゃないんだよ。一緒に生きていってるなら、人は力を合わせていくものなんだ」
 私は安桜さんにしがみついて、やっとこらえていた恐怖や緊張がはちきれて、泣き出していた。「よしよし」と安桜さんはそんな私を受け入れて、頭を撫でてくれる。
「もう……俺、出なくていいの?」
 後ろで、絃音さんがぽつりとそう言った。「優真梨が頑張ったからね」と芽衣奈さんが答える。「……そっか」と絃音さんはつぶやいて、それから、急に鼻をすすって泣き出した。「もう大丈夫だよ」という芽衣奈さんに、「うん」と涙にくぐもった声で絃音さんはうなずいた。
 曇ってきて風がぬるい地上に出て、私と絃音さんの涙が落ち着くと、電車でいつもの街に帰った。
 事務所に着くと、私はまず制服を着替える。この制服は捨てていいんだろうな、と脱いでそのままゴミ箱に放りこむと、ちょっと笑ってしまった。
 それから事務所に戻ると、芽衣奈さんと絃音さんがソファに腰かけ、安桜さんと話している。「僕が保証人になってあげるから」という安桜さんの声が聞こえて、「どうしたんですか」と駆け寄ってみると、芽衣奈さんと絃音さんは顔を合わせている。
 安桜さんは私を振り返り、「芽衣奈ちゃんと絃音くんね」と説いてくれる。
「同棲したらどうかなって言ってたんだ」
「同棲」
「絃音くん、一応、引っ越したほうがいいとは思うんだよね。あの事務所が、どう言ってまた押しかけてくるか、正直分からないし。で、それなら芽衣奈ちゃんと暮らすほうがいいでしょ」
「でも、あの部屋ってひとり暮らししか」
「うん。だから、芽衣奈ちゃんも引っ越したらって言ってた。僕が保証人って胡散臭い?」
「どう、なんですかね」
「芽衣奈ちゃんと絃音くんは、一緒に暮らしたいとは思わない?」
 芽衣奈さんは何も言わないけど、絃音さんは芽衣奈さんをじっと見つめて、「メイちゃんは、俺と住むの嫌?」と問いかける。芽衣奈さんはうつむいたものの、小さく首を横に振る。
「絃音は、その……いいの?」
「俺はメイちゃんといたい。仕事も見つけて頑張る。メイちゃんが風俗しなくていいくらい頑張る」
「風俗は、別に、やるけどさ」
「俺が嫌だから辞めて」
「……嫌なの?」
「嫌だよ。もっと自分のこと大事にしてほしい。自分を傷つけてほしくない」
「………、絃音も、リスカとかやめれる?」
「ビデオに出なくていいなら、やめるよ。メイちゃんがやめてほしいなら、やらないよ」
「でも……」
「でも?」
「あたし──絃音の、重荷になりたくないの」
「重荷……?」
「あたし、絃音のこと好きなんだよ?」
 絃音さんはまばたきをして、芽衣奈さんは顔を伏せる。
「けど、あたしの気持ちに応えるのはつらいでしょ? 恋愛もセックスもつらいでしょ? なのに、一緒に暮らしてたら、あたし我慢できるか分からな──」
「ど、どうしてそんなこと言うの? 俺もメイちゃんが好きだよ。大好きだよ。安桜さんみたいにかっこよく『頼って』とか言えないかもしれないけど、俺ができる限り、メイちゃんを幸せにするよ」
「絃音……」
「俺はずっと、メイちゃんと結婚したいって思ってきたんだよ。それが俺を支えてたんだよ」
 芽衣奈さんは絃音さんに顔を上げ、絃音さんは手を伸ばして芽衣奈さんの手を握る。
「俺と一緒に暮らそうよ。それがずっと俺の夢だったんだ。メイちゃんが施設出ていって、追いかけたのは、そのためだったんだよ」
 芽衣奈さんは潤んだ瞳で絃音さんを見つめ、ようやくこくんとうなずいた。その拍子、絃音さんがふわりと笑みを浮かべた。
 あ、と私は安桜さんの腕をつかむ。咲った。絃音さんが咲った。あんなDVDで見せていたのとは違う、心からの笑顔──。
 安桜さんを見上げると、安桜さんも微笑む。それを見て私も咲ってしまって、何だか今、私たちはとても幸せだと思った。

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