男の娘ホステス
水割りを作っている最中でも、盛り上がって話している最中でも、照明の落とした店内にいるときは、入口に注意をはらっている。そのドアが開くと、「いらっしゃいませーっ」とすかさず明るい声を上げる。
僕の声で、ママはついているテーブルを謝りながら中座し、新しい客を出迎える。ママが席を立って残されたテーブルがおもしろくなさそうだったら、今ついているテーブルにはカラオケでも勧め、僕がさりげなくそこに移る。
「今、女の子って咲羽ちゃんひとりだっけ?」
僕がやってきて、ちょっと機嫌を直した中年の客は、すでに酔っ払った赤ら顔で訊いてくる。僕は腰に届く長いウェーヴの髪を耳にかけながら、「そうですねー」とにっこりする。
「ただし、僕は正確には男の娘ですよ?」
「え、それって……ママと何か違うの?」
スーツを着崩す中年の向こう隣にいる、ぎりぎり二十代くらいの部下らしい男に訊かれ、分かってないなあという仕草で、僕はちっちっと舌を鳴らした。
僕がついていたテーブルがカラオケを始めて、大音量でイントロが流れる。それに負けないよう、でも妨げないよう、返事の声量を気にする。
「ぜんぜん違います。ママはオカマ。心も女の人。僕は女の子の格好するけど、心は男です」
「じゃあ、彼女とかいるの?」
「女の子も好きになります」
「……も」
「男ともやれますけどね? 女の子の良さも分かってます」
「へえ」とその若い客は、ちびちび水割りを飲む。「咲羽ちゃんは、男とやるときはどっちなんだ?」と中年の客が、僕のドレスの肩を抱き寄せてにやにやする。僕はその客を上目遣いで見返し、「どっちもできますよ?」と負けずににやりとした。
「でも、やっぱり、ネコが多いだろ? こんなにかわいいんだもんなあ」
ぷにっと頬に触れられて、「いえいえ」とか言いながら、僕はするりと太い腕を逃れる。
「女装のまま、ガチムチの尻に突っ込んだりもしますよー」
「えっ、何かそれ嫌だ」と若い客が声を上げ、「ふふっ」と僕は笑ってしまう。
「一部には受けるんですけどね。ウケももちろんやります。でも、ホモってタチが足りてないんで」
「わざわざ男に突っ込みたいんだもんなあ」
中年の客がそう言って水割りを空にしたので、僕はグラスをすっと引き寄せ、ボトルを手に取る。僕の指先は銀のラメが入った藍色で、夜空みたいだ。
「どうだ、こういう店もたまには勉強になるだろう」と言う中年の客に、若い客は苦笑いしている。彼自身は、本音ではあまり興味がないみたいだ。
それでも僕はにこにこして、ママが戻ってくるまで、そのテーブルを温めつづける。
──〈ナーシャ〉というこのラウンジは、三十代のオカマのママと二十一歳の男の娘の僕、そして裏方二名の四人で切り盛りしている。たまにもうひとりくらいヘルプが入ることもあるけれど、ここ半年くらいは基本的にこの四人だ。
華やかに広い店ではなく、カウンター席はスツールが二脚、ボックス席もみっつしかない。それが毎晩必ず満席になるわけでもないから、わりと四人でじゅうぶんだ。営業時間は二十一時から三時まで、しっとり飲むというよりどんちゃん騒ぎの店だから、フル出勤の僕はけっこう重労働だったりする。
まっすぐ帰宅しても明け方だし、よく仕事のあとは友達とバーで飲むから、部屋に戻るといつも朝六時くらい平気でまわっている。それからシャワーを浴びて、化粧を落として、カーテンで朝陽を抑えて昼下がりまで寝る。
「お疲れ様ー」
今夜も、午前三時までたっぷり働いた。酔ってげらげら笑いまくる客がみんな帰ると、僕はカウンターに寄りかかって、黒服のふたりに声をかける。
食器を洗う紗鈴ちゃんとゴミをまとめる瑞砂くんは、こちらを見て「お疲れ様です」と敬語で応じた。ママは奥のボックスで、今日の売り上げを計算している。
「僕、あがってもいい?」
「はい。どうぞ」
やることがないと、すぐ煙草を吸いはじめるやる気のなさそうな瑞砂くんが、今はてきぱきと動きながら答える。
いつも態度は淡々としていて、ここにいるあいだはあくまで仕事、と割り切った雰囲気の二十四歳の男の子だ。茶髪で細身、そこそこ綺麗な顔立ちをしている。
「紗鈴ちゃんは、大丈夫?」
シンクの前で大量のグラスを洗う紗鈴ちゃんは、そう問うた僕をかえりみて、こくんとした。
ショートボブで、化粧が濃いわけでもなく、男が着る黒服すがただから、「あの子はオナベって奴?」と勘違いする客もいる。けれど、いたって普通な二十歳の女の子だと思う。いや、普通……より、泣き虫かもしれないけど。
あまり瑞砂くんのように要領よくないので、ときおりママにしかられているのを見かける。
「じゃあ、頑張ってね」
にっこりした僕に、紗鈴ちゃんはぎこちなく咲って、「はい」と小さな声でうなずいた。
瑞砂くんは無言で、溜まりに溜まった灰皿の煙草をゴミぶくろに引っくり返している。
このふたりは、要するに雑用なので、僕とママよりさらに帰りが遅い。
僕は出勤時は軽装か、あるいは男の格好だけれど、帰宅するときはがっつり女装のままだ。今日はちょっと疲れたし、スマホに友達の誘いも来ていなかったので、まっすぐ部屋に帰ることにした。
「お疲れ様です」とママにも挨拶すると、ウィッグの長い髪をなびかせて、熱帯夜が一瞬冷める夜の街並みを駅まで歩く。イルミネーションもさすがに落ちて、車道を走る車もほとんどなく、静かだ。
無論、時間帯的に電車はないので、タクシーを捕まえてアパートにたどりつく。
うっすら白みかける空を見上げたあと、腕時計を確かめると、四時半だった。
アパートの中は静まり返り、二階の奥の部屋まで、足音を抑えて階段と廊下を進む。鍵をまわしてドアを開けると、部屋に入って、とりあえずすぐ鍵とチェーンをかける。
ため息をついてミュールを脱ぐと、バスルームやトイレのドア、キッチンが並ぶ廊下を進んで部屋に踏みこむ。
遮光カーテンが引かれたフローリングの部屋の中は薄暗く、明かりをつけた。
七月の半ばを過ぎ、昼間は蝉時雨がすごいけど、今はまだ蝉共は起きていない。蒸した空気がこもっていたので、とりあえずクーラーをつけて、ウィッグをずるりとおろして頭を軽くした。
ひたひたのメイク落としのシートで顔をぬぐいながら、冷蔵庫から食パンを取り出す。スライスチーズを載せてトーストして、ケチャップとマヨネーズをかけるとチーズバーガーの味がする。ような気がする。
そんな謎のトーストを食べると、化粧が落ちているのを鏡で確認してから、熱すぎないシャワーを浴びた。かいてしまった汗と染みついた煙草を、シャンプーとボディソープでさっぱりさせる。そして、肌触りがよくてかわいいピンクのルームウェアを着ると、たたんでいたふとんを敷いてぼふっと倒れこむ。
ひとり暮らしを始めて二年、ふとんの匂いがなじむようになった。軆に染みこむアルコールがかったるい。頭もうとうと重い。
それでも、シャワーの前に充電につないでいたスマホを手に取った。着信を確認しておくと、友達の泪音からメッセが来ている。
『今日ピーチ行った?
僕、行ってすぐナンパされたよ。
来てたならごめんねー。』
目をこすり、今まっすぐ帰宅したのと、男といるのかというのを送信した。しばしSNSを見たりつぶやいたりしていると、泪音から返事が来る。
『今ラブホだよー。』
『邪魔した?』
『彼シャワー行った。
ちんこでかくて気持ちよかったー。』
『じゃあつきあえば?』
『つきあうってなると何か違う。』
『ただの尻軽になってるよ。』
『彼氏いないときでも、セックスはしたいじゃん。』
泪音はバリネコのゲイで、よく行くバー〈ピーチィミルク〉で知り合って仲良くなった。僕たちのあいだに肉体関係はない。泪音は挨拶代わりに僕に抱きついたり、キスしたり、股間を揉んできたりするけど。それでも、色っぽい雰囲気になることはない。
泪音の性格はあっけらかんとしていて、でも、タイプだと思った男にはすごい流し目をする。それがたとえノンケであったとしてもだ。そして、狙ったらほぼ確実に落とす。繰り返すが、それがたとえノンケであったとしてもだ。泪音よりも、ノンケを食い散らかすゲイを僕は見たことがない。いや、もちろんゲイとも寝るみたいだけど。
しばらく泪音とメッセをやりとりしていたけど、いよいよ眠たくて、『やばい。寝そう。』と送って、そのままスマホを投げた。着信音がしたけど、たぶん『分かった』のひと言か、了解のスタンプだろう。
一度軆を起こして、部屋の明かりを消すと、ひんやりするクーラーはつけたまま、毛布だけかぶって横たわった。
外の朝の蒼さが、室内を淡く照らしている。重たくまばたきをしながら、しばらく白い天井を眺めていたものの、そのうち視界は暗く霞んで見えなくなってしまった。
【第二章へ】
