ナーシャは夜に舞う-2

華やかに鮮やかに

 僕が初めて女の子の格好をしたのは、中学生のときだった。性別に違和感があったわけではない。ただ、中学生になって、学ランよりセーラー服を着たいなあと思っていた。
 風になびくえんじのスカーフ。ひらりと揺れるスカート。紺と白の鮮やかなコントラスト。それに較べて、喪服みたいに黒一色の学ラン。
 男の服はつまらない。女の子の華やかでかわいい服を着たい。
 そんなことを思っていたら、同じマンションに住む男友達の家に遊びにいったとき、リビングで雑誌を読んでいたおねえさんが、「桜葉さくらばくんって、女の子よりかわいい顔してるよねえ」なんて話しかけてきた。
「そ、そうですか?」
 ぎこちなく答えつつ、確かにクラスメイトの女子たちより、僕のほうがセーラー服が似合うのになんて秘かに思っていた。僕をこの家に連れてきた友達は、キッチンで飲み物を用意している。
「うん。女装見てみたい。あっ、そうだ。あたしのセーラー服着てみない?」
「え」
「こないだ卒業したけど、まだ捨ててないんだよね。桜葉くんなら華奢だし入るんじゃないかな」
 胸がどきどきしてくる。セーラー服。着てみたい。
 そこで甘酸っぱい香りのオレンジジュースのグラスを持った友達が、「何言ってんだよ、姉貴」と言って割りこんできた。「えー、いいじゃん」とおねえさんはふくれっ面になる。
「あんたも見たいでしょ、桜葉くんのセーラー服」
「いらんわ」
「さては桜葉くんの女装に惚れそうで怖いんだな」
「ざけんなっ。行こうぜ、桜葉」
 友達はさっさと部屋に行こうとしたけれど、僕はその場でもじもじして、「えと」とおねえさんを見た。
「いいんですか?」
 おねえさんがきょとんと僕を見つめる。
「その、セーラー服って、大事なものかもしれないし──」
「おい、桜葉、何言って──」
「着てくれるの? ほんとに?」
「き……着てみたいです」
 友達が何か言ったけれど、どうでもよかった。だって、セーラー服を着れるチャンスだ。
 にっこりしたおねえさんは、カウチを飛び降り、「よし、かわいくしてあげる!」と僕の手を引っ張った。「おいっ」と男友達は止めようとしたけど、両手にグラスがあるので僕の腕をつかむこともできない。そもそも僕が、憧れのセーラー服を着れることに舞い上がって、彼の声には耳も貸さなかった。
 おねえさんは部屋に僕を連れこむと、クローゼットからセーラー服を取り出して、「はいっ」と突っ立つ僕に渡した。僕はこわごわとセーラー服を受け取ると、クリーニングされて保存状態もいいそれを見つめた。
 大きな紺色の襟。黄ばみもない綺麗な白い生地。なめらかなえんじのスカーフ。
 ごくんと生唾を飲みこんで、かぶったビニールを取り、防虫剤のにおいがしたセーラー服の生地をじかに触る。学ランみたいに堅くない、さらりとした手触りが気持ちよかった。
 逸る指で学ランのボタンをはずして、黒い上着を脱いだ。おねえさんは鏡台の前で、何やら化粧道具を取り出している。「桜葉、バカ姉貴につきあわなくていいんだぞっ」とか部屋の外で友達がわめいているけれど、それは無視して、うやうやしくセーラー服の袖に腕を通す。
 ぷち、ぷち、とホックを留めていき、するりと襟の下に通したスカーフを高鳴る胸の上できゅっと結ぶ。そしてプリーツスカートを穿いて、黒いスラックスを脱いだ。そばに姿見があったので、それで自分のすがたを確かめる。
 そこには、会いたかった女の子がいた。僕がひと目見たかった、女の子のすがたをした僕だ。
 そう、僕はこんなかわいいすがたになりたかった。真っ黒の服なんてつまらない。かわいい服を着るだけで、こんなに気分が持ち上がるんだ。
 くるりとまわってみると、スカートの裾が優雅に踊る。うっとりしてしまうと、「桜葉くん」と呼ばれて、はたとおねえさんを振り返る。
「お化粧もしてあげる。こっち来て」
 僕はおねえさんに駆け寄り、指示されるままフローリングに座りこんだ。スカートが広がって、まるで花の上に座ったみたいになる。
 おねえさんは僕の顔に化粧水をつけ、「まだニキビもなくて綺麗だなあ」とつぶやいた。ファンデやチークをはたいて、アイラインやアイシャドウも薄く入れてくれる。ビューラーで睫毛をカールさせて、マスカラで仕上げる。
「眉は整ってるね」
 そう言われて、「それはさすがにやってます」と僕ははにかんで答える。おねえさんは、僕の唇に桃の味がするリップクリームを縫って、ピンクのペンで縁取り、何色か重ねてルージュを作ってくれた。
「よしっ」とおねえさんは満足そうににやりとして、「それであいつの前に行ってみなよ」と僕の肩をたたいた。僕は立ち上がり、部屋を出る前に、もう一度姿見で自分を見た。
 ピンク色で彩られた顔は、本当に女の子だった。僕ってこんなにかわいくなれるのか、と我ながら思ってしまった。
 どうしよう。こんなの知っちゃったら、もっともっとかわいくなりたい。セーラー服だけじゃなく、いろんな女の子の服を着たい。かわいい服が似合うようになりたい。女の子になりたいとは思わないけど、女の子の服を着て女の子よりかわいくなりたい。
 深呼吸してから、おねえさんの部屋を出た。友達は廊下で仏頂面をしていた。だがその渋面も、僕のすがたを見てぎょっと崩れる。「えへへー」と僕は笑って、「けっこういけてない?」とスカートを裾をつまんだ。
 友達はぽかんと僕を見つめていたものの、我に返ると「いや、悪乗りしすぎだわ」と目をそらした。僕はにやにやして、友達に近づいてその顔を覗きこんでみる。友達の喉仏が動く。
「かわいい?」
「……男にかわいいも何もない」
「えー、かわいいでしょ?」
「お前な、」
「この僕となら」と僕は壁に手をついて、友達に顔を寄せる。いわゆる壁ドン。
「できるって思わなかった?」
 友達の目が、僕の目に触れる。
「できる、って……何、を──」
 緊張して震える声に、僕はついに噴き出してしまって、軆を離すとお腹からげらげら笑った。面食らう友達に、「冗談だよ」と涙目をぬぐう。
「僕のほうが、お前とは無理だし」
「お、お前なあっ、……ったく、早くそんなの脱げよ」
「えー、これ欲しいなあ。もらえないかなあ」
「もらってどうすんだよ」
「着て喜ぶ」
「……桜葉が変なのに目覚めた」
「あ、僕のスマホで写真撮ってよ。記念写真」
「黒歴史になるぞ」
「いいから。スマホどこだっけ。かばんかな。制服のポケットかな」
 友達はあきれかえったため息をついている。僕はリビングにおろしていた通学かばんにスマホを発見すると、友達に写真を何枚か撮ってもらった。
 途中からおねえさんも混ざって、「そんなに気に入った?」と訊かれる。「だって、男の服ってつまんないんです」と答えると、「じゃ、またかわいくなりたくなったら、あたしんとこおいで」とおねえさんはにこっとしてくれた。
 そんなおねえさんに憧れて、惹かれていくのはたやすかった。女の子の格好はしたいけど、好きになるのは女の人なんだなあと思った。
 確かに、僕は自分が「女」だとは感じない。心も軆も「男」だ。ただ、装いは女の子でいたい。というか、かわいいと思うものを身につけていたい。
 おねえさんは僕にいろんな服を貸してくれた。一緒にブランドのショップに行ったり、アクセサリーを見てまわったりした。楽しかった。ふざけて手をつないだり、くっついたりされるのも幸せだった。
 でも、おねえさんには、あくまで僕は着せ替え人形に過ぎなかったのだ。
 中学二年生になっていた。おねえさんには僕は妹分みたいなものだったから、あっさり言われた。彼氏ができたと。僕は鏡を覗きながらマスカラを塗っていた手を止めた。
「だから」とおねえさんは僕の髪を梳きながら続ける。
「桜葉くんのこと、あんまりこの部屋にも呼べなくなるけど。こんなかわいいんだもん、女装は続けてみなよ。絶対、いつか何かの武器になる気がするの」
 僕は鏡の中の自分と向かい合い、「うん」と小さく答えた。おねえさんは悪戯っぽくにっとして、「桜葉くんはほんとにかわいいよ」と僕の頭を撫でてくれた。何だか泣きそうになったものの、こくんとして、おねえさんを思い出すことになっても、女装はやめられないだろうと思った。
 おねえさんに彼氏ができて以降、僕はおとなしく訪ねるのをひかえて、ひとりで女装するようになった。洋服の収集、化粧のテク、軆の手入れ。そういうことをまったくやめなかったけれど、やっぱり、僕は女の子じゃなかった。
 女装で出かけていくら男を振り向かせても、心は男だ。ただ、男より女の服が好きだった。男の格好をしないわけではない。ラフにTシャツにジーンズを着るときもある。でも、鏡を見たとき、自分がかわいいほうがテンションが上がる。
 中学生のあいだは、いいな、と目に留まるのは女の子だけだった。高校生になってだ。親友と呼べるくらい親しくなった同級生の男に、どきどきする自分がいた。
 もしかして、僕って男もいける? そんな自分のセクシュアリティに気がついて、余計に彼を意識した。彼とはふたりでつるむことが多く、「お前らつきあってんの?」と揶揄われることもあった。「ふざけんな」と否定するのはいつも彼のほうだった。
 友達だよなあ、そうだよなあ──なんて、しくしくと雨の日の傷痕みたいに僕は心を痛めた。
 下校中の満員電車では、いつも彼と軆が密着して、心臓がつっかえそうに脈打った。彼は僕をかばって肩を抱いてくれるときがあり、嬉しくて恥ずかしくて瞳が熱に潤んだ。胸板に頬をあてると、彼の鼓動も駆けている。
 期待したくなる。だって、意識していなくて心臓があんなに速くなるだろうか?
 まさか。もしかして。これは、告白したらチャンスある?
 そんなことをふらふら思いはじめていたときだ。唐突に彼は彼女を作った。後輩の小柄で愛らしい女の子だった。まるでこれ以上近づけないように、塀を置かれたようだった。
 僕は乾いた笑い声をもらし、「お前とつきあってみたかったなー」なんて、ふざけて言ってみた。彼は笑わなかった。ちょっと気持ち悪い冗談だったかな。そう思っていると、彼は押し殺した声で、「そう言ってくれるの、少し遅かったかも」と言った。
 絶望的な気分でまばたきをした。ふと彼の名前を呼ぶ甘やかな声がして、彼はそちらを見ると、「じゃあ」と言い置いて恋人の元へと走っていく。
 僕は彼の後ろすがたを見つめた。
 何、それ。早く言っていれば、つきあえてたってこと?
 それ以降、僕はあまり真剣に恋をしないまま高校を卒業した。大学受験はすべったので、浪人生になった。しかし、ろくに勉強に取り組まず、夜の街をふらついて女の子をナンパしたり、男にナンパされたり──
 お金が欲しくて始めた仕事が、水商売だった。ホストはさして続かず、クラブの黒服やゲイバーのバーテンをやり、真夏にひとり暮らしを始めた。
 SNSで募っていた男の娘たちのオフ会イベントに行ったとき、〈ナーシャ〉のうわさを聞いた。しれっと有名な求人誌で募集をかけ、男の人が普通のラウンジみたいに面接をする。けれど、受かっていざ出勤すると、面接の男は実は「ママ」で、オカマバーだと明かされるらしい。
「オカマバーで女の子も雇ってるってこと?」と訊くと、「いや、キャストはツテで集まるけど、オカマバーってボーイがなかなか見つからないらしくて」と返ってきた。「ふうん」と僕はその場は聞き流したけど、ボーイよりキャストのほうが儲かるんだろうなあ、なんて思ったことから、知り合いに〈ナーシャ〉を紹介してもらった。
 僕はオカマではないけど、と思いつつ女装で面接を受けると、ママは「まあ、かわいい!」を連発して僕はその場で採用された。それから、何だかんだで〈ナーシャ〉でレギュラーとして働いている。
〈ナーシャ〉での仕事がいそがしく、自然と行きずりをすることもなくなっていった。大学に進むことはとっくにあきらめて、両親にも放置されている。
 両親にも、ひとりいる弟にも、女装のことは話していない。もしかしたら、感づかれているかもしれない。家族の考えていることは、よく分からない。向こうも、僕がよく分からないと思っているだろう。
 別にそれでいい。仲が悪いというわけではないし、帰省することもあるし、このやや離れた距離感でいい。ちなみに、仕事は「飲食のホール」と言っておき、夜の仕事であることも打ち明けていない。
 現在、僕は二十一歳だ。男の娘はずっと続けたいけど、いつまでも水商売ができるとは思っていない。そろそろ、進む道は決めていかないと食いはぐれてしまう。
 僕の取り柄なんて、女の子よりかわいいことくらいだ。その取り柄でできることってあるのかな。そんな自問にきちんとした自答も出せないまま、今日もかわいい服を着て、綺麗に化粧もして、イルミネーションがきらびやかな夜の街へと紛れていく。

第三章へ

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