いつものバーで
〈モイストローズ〉はビルの地下一階なので、到着すると、まず階段を降りていく。音楽がもれるドアを押し開けると、「あら、咲ちゃんじゃない」と僕の顔を憶えている受付のおにいさんがにっこりする。
「泪音、まだ出てないですか?」
「今からよ」
僕は三千円はらって、ドリンクチケットとチップチケット五枚をもらった。店内は男で賑わっていて、女のすがたはない。別に女も来ていい場所なのだけど、その度胸がある女はめったにいない。
カウンターでドリンクチケットをライチのカクテルに交換すると、ステージの周りや店内中央の席は埋まっていたので、壁際のテーブル席に腰を下ろす。
僕は店で飲まされるウイスキーの水割りはあんまり好きではないけれど、カクテルならわりと飲める。かかっていた音楽が不意に大きくなって店内が暗転し、ステージが照らされた。
テーブルに頬杖をついてそちらを眺めると、白い開襟シャツに黒いスラックス、高校生みたいな格好をした泪音が現れた。
音楽に合わせてステージを歩き、うざったそうにネクタイを緩めて、ひらりとほどく。シャツのボタンをなめらかな指先ではずしていき、胸がはだけた状態でステージから身を乗り出し、手が届く客の髪を撫でたり唇をなぞったりする。
そしてステージの中央に下がると、座りこんで焦れったそうにシャツを脱ぎ、客の歓声が上がる。その状態でしばらく床でいろんなポーズを取ったあと、BGMの曲調が変わって泪音は瞳を潤ませて色っぽい表情になり、脚を開いてスラックスの上からかたちをたどる。
ため息をつきながらマスターベーションのような所作をして、ふと膝立ちになるとウエストのベルトを抜いて、前開きを緩める。ついで立ち上がると、スラックスは脚を滑り落ちて、ボクサー一枚になってしなやかな軆を晒した泪音にまた客が拍手をする。
その状態で泪音はステージを飛び降り、客席のあいだを練り歩く。男たちはチップチケットやら現金を泪音のボクサーにねじこみ、泪音は極上の笑顔で礼を言ったり、頬にキスしたりする。チップを口にくわえてみせる客には、口移しで受け取ってディープキスをする。
プロだなあ、なんて思いながらそれを眺めていると、泪音は僕の席にもやってきて首に腕をまわす。そして僕の耳を食みながら、「このあとピーチで」と素早くささやいた。僕は泪音のボクサーにチップを全部はさみ、了解の意をこめて泪音の股間を撫でておいた。
「やーん、この子エッチ」とか笑いながら泪音はさらに後方の席もまわり、ステージに戻ると一礼して、音楽がやむのと一緒に裏にはけた。
そんなわけで、泪音の仕事はゲイストリップの踊り子だ。以前はほかのバイトとかけもちでやっていたそうだけど、今はこれ一本で食べているくらいの人気で、ファンもかなり多い。
一緒に〈ピーチィミルク〉で飲んでいても、「泪音さんですか?」と声をかけてくる客がいる。そして隣にいる僕を見て、「まさかノンケなんですか」と少なからずショックを受ける。「これは女装だし、友達だよー」と泪音が説明すると、僕は一瞬スカートをめくってボクサーの下着を見せ、すると彼らは一気に「きゃーっ、かわいいーっ」と僕にも親しみを見せる。
先にピーチ行っとくかなあ、とカクテルを飲み終わった僕は席を立ち、グラスをカウンターに返した。あくびを噛み殺し、「また来てねー」と帰途につく客を見送る受付のおにいさんに軽く会釈して、地上に出る。
あたりはうっすら蒼く、日が昇りかけていても、空気はまだ熱がない。
〈ピーチィミルク〉は〈モイストローズ〉の上のビルの五階に入っているゲイバーで、午前十時に閉店する朝帰りに優しい店だ。エレベーターで五階に行くと、〈ピーチィミルク〉は今日も営業している。「こんにちはー」と言いながら店内を覗くと、「あら、いらっしゃい」とバーテンの制服をびしっと決めているのに、オネエ言葉のマスターが微笑む。
「泪ちゃんと待ち合わせ?」
「です。今日、トリだったから遅いかも」
「観てきたの?」
「制服ストリップはエロいですね」
「かわいいわよねえ。泪ちゃん、ほんとに高校生みたいだから」
「僕より年上ですけどね。んー、じゃあジントニックで」
「はあい」
マスターは棚に並ぶあらゆるボトルからすぐに作りたいベースを選び出し、鮮やかにカクテルを用意する。僕はスマホを取り出し、来ている着信をチェックしていく。泪音に『先ピーチ来てるからね。』というメッセも送っておいた。
いつも〈ナーシャ〉では、僕のほうがテーブルで話題が途切れないように気を遣うけど、ここではマスターがそうしてくれる。さりげなく愚痴も吐かせてくれるから心地いい。
ママはどうしても紗鈴ちゃんにきついなあなんて話をしつつ、客が出入りするたびそちらを一瞥していたら、「こんにちはーっ」とTシャツにデニムパンツというラフなすがたになった泪音が、店に入ってきた。
「あー、ここ涼しい。ステージも楽屋も暑いからー」
そう言って胸元をつまんでシャツをひらひらさせ、風を作る泪音に「いらっしゃい」とマスターはくすりとする。「お疲れー」とジントニックを飲む僕がカウンターから声をかけると、「咲羽」と泪音はこちらに歩み寄ってくる。
泪音は髪を栗色にして、肌は健康的な程度に焼いている。腰つきはかなり華奢で、脚はすらりと長い。ステージでは化粧しているけれど、素顔も切れ長の目やふっくらした唇が色っぽい。僕のふたつ年上で、二十三歳だ。
僕の隣のスツールに腰かけた泪音は、「んー」と僕を覗きこんでくる。
「やっぱ、僕の前に来るときは、男の格好してほしいなー」
「こっちも仕事上がりなんだよ」
「咲羽って、男ヴァージョンだとかなりイケメンだから、癒されるんだよね」
「女ヴァージョンでも癒されて」
「女じゃあねえ。ね、マスター」
「あらー、この格好の咲羽ちゃんに犯されるのも燃えるわあ」
「えー。咲羽まだついてる? 大事なものついてる?」
「僕は取らないよ」
「いつか取っちゃうんじゃないかって僕は心配だよ」
「取らないってば。フェラしてもらえなくなるじゃん」
「男ヴァージョンのときなら、僕、してあげてもいいよ?」
「怖いからいい」
「怖いって何。僕、かなりうまいよ?」
「泪音とは友達でいたいし」
「むー。ま、それも嬉しいけどね。マスター、カシスソーダ」
マスターは手際よくカクテルを作りはじめ、「制服よかったね」と僕はライムがさわやかに香るジントニックに口をつける。
「萌えた?」
「萌えた」
「ふふ。あの衣装は地味だけど人気なんだよねー」
「男子高校生だもん」
「みんな、若い子と妄想するんだね。僕はおじさんでもいいけどねー」
「泪音がおじさんとやったら、見た感じ売春だよね」
「まあ、今の仕事一本になる前は、実際売ってたからねえ」
「泪音って、基本的にセックス好きだよね」
「ふふ。好きだよお」
「僕も仕事では『セックス好きです』とか言うけど、泪音には負ける。あ、こないだナンパしてきたって人とはどうなった?」
「ん? ああ、一応連絡先交換したけど、別に次の約束とかはしてない」
「相変わらずビッチだね」
「僕だって、恋人欲しいとは思ってるよ? 思ってるけどね、そこまでの出逢いがないの。でもセックスは我慢できないから、行きずりも致し方ないわけ」
僕は肩をすくめる。泪音が特定の彼氏を持たず、どのぐらい経ったのだろう。恋はしたいんだよと泪音は力説するけども、肉体関係を持った人とそうなる努力はあんまりしていない。
恋愛に発展することはないノンケと寝たりもしている。いわく、「かっこいいと思った男のちんこは舐めたーい」だそうだ。
ノンケってそんな簡単に落ちるのと出逢った頃に疑問で訊いてみたら、ゲームで事に持ちこむらしい。三分間だけ、とりあえずしゃぶる。いかなかったらやらない。いったらやる。AVによくある奴だ。
そして、泪音は三分以内にほぼごくんとしてしまう。その凄まじい快感もあって、ノンケは思うよりあっさり、泪音をむさぼるように抱くのだそうだ。だから僕も泪音にしゃぶられたらやばいと正直思っていて、お口だけでもなんて誘われても、かわすようにしている。
「咲羽は?」
マスターから受け取ったカシスソーダを飲んで、泪音は僕に首をかたむける。
「え」
「最近、男とやった?」
「僕は今、好きな女の子がいるって言ってるでしょ」
「女なんてやめときな」
「いや、僕は女もいけるんで」
「ええー、あわび気持ち悪いよお」
泪音がセクを自覚したのは、高校生のときらしい。女の子と致そうとしたとき、目の前に来た女性器にひどい嫌悪感があって、ふにゃふにゃすぎて挿れることすらできなかった。
そのあと、ネットで無修正動画を観て何とか慣れようとしたけど、無意識に男優ばかり見て興奮してしまい、ああそういうことかと理解したのだそうだ。
以来、泪音は女の子は断固拒否して、男とだけ軆と重ね、非処女だけど童貞だったりする。
「紗鈴ちゃんは瑞砂くんに惚れてるからなー」
「瑞砂くんって、あの綺麗な男の子だよね」
僕の店に遊びにきたとき、泪音は瑞砂くんには目を留めていた。瑞砂くんは、何も反応していなかったけど。
「あれはいい男だったなあ。ううーん、落としたい」
「誘ってみないの?」
「応援してくれるの?」
「瑞砂くんが男に流れてくれると、僕としては紗鈴ちゃんに近づけるからね」
「連絡先は渡したんだよね、実は」
「マジで。何か来た?」
「来ないの! 来たらもう、うまいこと言っておいしくいただいちゃうのに」
「ある意味、ホモに免疫あるから、ただのノンケよりむずかしいのかなあ」
僕はジントニックのグラスをかたむけ、「咲羽は彼に興味ないの?」と泪音はまばたきをする。
「むしろライバルなんで。何気に紗鈴ちゃんをよく助けてあげてるしなあ。瑞砂くんも紗鈴ちゃん気に入ってるのかなあと思う」
「その子の印象が、僕、残ってないんだよね」
「男しか見てないからだよ」
「かわいいの?」
「うん。あんま化粧もしてないし、あれは素材だなあ」
「どうせ僕は、化粧濃いよ」
「今はしてないでしょ」
「うん」
「かわいいよ」
「ほんと?」
「泪音はかわいい」
泪音は嬉しそうににまにますると、「えへへー」と僕の肩に頭を乗せる。そしてスカートの上から僕の股間を撫でて、「ダメ?」とか言ってくる。「ダメ」とそこはしっかり言うと、泪音は頬をふくらませたあと、「ふふっ」とやんちゃに笑ってから、背筋を正してカシスソーダを飲む。
「僕もね、咲羽とは友達でいたいや」
泪音を見て、僕はうなずいて咲う。泪音は僕を誘うようなことを言うし、するけれど、やっぱり彼にも僕は友達なのだ。それが分かっているから、僕だって何だかんだこうして泪音と過ごす。
その日も七時過ぎまで泪音と飲んで、電車は動き出していたものの、夜の街のすがたで朝の満員電車に乗るのは気が引けたのでタクシーで帰宅した。
部屋はまばゆい朝陽が満ちて、すっかり蒸し暑く、クーラーをつけてしばらく涼む。冷風がほてった軆を冷ましていく。
蝉がわめきだしていて、眠れるかなあ、と案じつつもあくびがこぼれた。汗ばんだ軆の酒と煙草のにおいに、とりあえずシャワーは浴びなきゃ、と立ち上がる。
そして、ウィッグを取って、服も脱ぎ散らかして、バスルームのドアを開けた。
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