ステージのあとに
七月も半ばを過ぎて、SNSのトレンドで夏休みが始まったのを知った。
毎日、蝉の声がすごい。夕方になっても鳴いている。
クーラーをつけたままの部屋で、昼下がりに起きて真っ先に洗濯を始める。そのあいだにもうちょっとごろごろしたり、コンビニで買ってきたごはんを食べたり。
十六時をまわって、ようやく支度を開始する。
今日はオフホワイトとパステルピンクのボーダーワンピを着て、お揃いのボーダーのニーハイを合わせた。甘すぎるな、と姿見を見て我ながら思ったので、黒レースのロングカーディガンを羽織った。
よし、エロい。納得すると、淡いピンクを基調にした化粧をした。アイラインだけ、はっきり黒を入れる。
今日はウィッグでなく、エクステを使ってアップにまとめたような髪型にしておいた。
さらす肌には制汗剤をはたいておく。香水をつけるから、仕事前の制汗剤はいつも無香料だ。
身支度が終わって、再び姿見で自分の女装すがたを確認して満足する。
ふと、ベルが鳴った。洗濯が乾燥まで終わった音だ。指先についた化粧品を洗って落とし、一番好きな柔軟剤が香る洗濯物を取りこむ。そのまますぐに、クローゼットのハンガーにかけて皺を伸ばした。それが終わると、スマホや財布の中身を確認し、十八時前に部屋を出る。
出勤は電車だけど、帰宅ラッシュの逆方向なので電車は混んでいない。でも、エアコンがかなり効いていても、どこかの誰かが汗臭い。僕はSNSで『出勤中』とかつぶやきながら、シートにもたれて電車の揺れに身を任せる。
二十分くらい乗る代わりに、乗り換えはせずに目的の駅に着く。黒レースのカーディガンの裾をひるがえしながら改札を抜け、うっすら茜色が始まる空の下を歩いて、まだ暑いなあ、と大正解のヘアスタイルに触れながら〈ナーシャ〉に向かった。
「おはよー」
十九時になる前に、〈ナーシャ〉に到着して、そう言いながらドアを開けると、「おはようございます」と声が返ってきた。
ん、と首をかしげる。瑞砂くんの声だけだったような。照明はまだ明るくも、ジャズとクーラーがかかる店内に踏みこむと、やはりカウンター内に紗鈴ちゃんがいない。
「瑞砂くんひとり?」と訊くと、「紗鈴ちゃんは、今日はオフだそうです」と煙草から口を離して瑞砂くんは返した。
「辞めたんじゃないよね?」
「そうは聞いてませんけど」
「っそ。暑いから、烏龍茶淹れといて」
「分かりました」
相変わらず淡々としてんな、と思いつつカウンター内を通って、衣装部屋のロッカーに荷物を置きにいく。スマホは手にすると、店内に戻ってカウンターの椅子に腰を下ろした。
すでに瑞砂くんが氷の浮かんだ烏龍茶を用意してくれている。ピンクアッシュを塗った指先でそれを取り上げると、ごくんと冷ややかな苦味を飲みこむ。
すべき仕事はやってしまったのか、瑞砂くんはかったるそうに煙草を吸って待機している。
「瑞砂くんってさ」
ふたりきりってなかなか気まずいな、と思いつつ、この場合それをやわらげるのが僕の仕事でもある。だからそう口火を切ると、「はい」と瑞砂くんは僕に目を向けた。
「前から思ってたけど、彼女いるの?」
「いませんよ」
「マジで」
「ごまかしても仕方ないです」
ばさばさ話題打ち切るなあ、とあきれつつ、ここは思い切って訊いてしまうことにする。
「紗鈴ちゃんは?」
「紗鈴ちゃん」
「いや、何というか、その──あの子はどう?」
「どうって……正直、苦手なんで」
「はっ?」
「ああいう女の子は、好きじゃないです」
何だ、こいつ。もしやライバルじゃないのか。
それはありがたくも、人の好きな女の子を、何ばっさりと斬りやがる。自分を貶されるよりいらっとしたが、ぶつけたところで僕の気持ちを白状するようなものなので、「ふうん」と流しておく。
烏龍茶を飲み干すと、瑞砂くんは手際よく二杯目を淹れる。
「紗鈴ちゃんは、瑞砂くん頼りにしてるのにね」
「そういうところがあんまり」
「普通、頼られたら男は嬉しいでしょ」
「咲羽さんは嬉しいんですか」
「嬉しい」
「そうですか」
また打ち切られた。僕は烏龍茶のコップを手に取って、今度はゆっくり飲んだ。
スマホに着信がついて、客からだったので僕はしばらく営業を打ちこむ。そして、『十時過ぎに行けるかも』という有力な一文を手に入れて、「二十二時に有沢さん来るかも」とスマホの画面を瑞砂くんに見せた。「分かりました」と答えた瑞砂くんは、キープボトルの棚に行って、念のためだろう、有沢さんのボトルを前に出す。
「瑞砂くん」
「はい」
瑞砂くんが棚の前から振り返ってくる。黒服。長身。イケメン。モテるだろうなあ、とか考える。
「紗鈴ちゃんのこと、気に入らないのは分かったけど。それ絶対、紗鈴ちゃんに気づかれないようにね」
「分かってます」
「紗鈴ちゃんのことは、まあ、僕も気にするようにするし」
「いつも気にしてますよね」
「いや、まあ──瑞砂くんに任せないようにするよ」
「助かります」
嫌味、と思いつつ僕は烏龍茶をすすり、スマホからの営業を開始した。
そうしていると、まもなくママが「お客さんまだいないわよねっ?」とマスクでノーメイクを隠した状態でやってきた。「いないですよー」と僕が苦笑いすると、「寝坊しちゃったわ」と案の定ママは泣きそうな声で言って、あわただしく衣装部屋に入っていく。
危機一髪でその直後に客に現れ、「ママはかわいく変身中でーす」と僕は立ち上がって、その客の腕に腕をまわした。
ちなみに、〈ナーシャ〉は土日が休みだ。なので、土曜日の僕は思いっきり寝坊する。夜はタブレットで、電子書籍を読んだり動画を観たりして、まったりする。
あるいは、〈ピーチィミルク〉やその周辺に出かけて、お酒をたしなんだりする。後者の場合、女装のときも、素の状態のときもある。今日は、泪音も出演するそうだし〈モイストローズ〉に行こうと思ったので、女装より男のほうがいいかなあと、黒のシャツにベージュのパンツで出かけた。
〈モイストローズ〉のオープンは二十時なので、それまで〈ピーチィミルク〉でマスターとしゃべっていた。「男バージョンの咲羽ちゃんは、どきどきしちゃう」とマスターにも言われる通り、僕は男のままでもそこそこ目を引く。
「タチ? ネコ?」と目をつけてきた男に訊かれても、「リバだよー」が答えだから、本気で口説かれる。しかしそこは、女の子とは言わなくても、「好きな人がいるから」でかわす。そうこうしていると、二十時が近づいてきたので、スツールを降りて会計をした。
地下の〈モイストローズ〉に移動すると、見たことのない新人の子がステージで舞っていた。
泪音のメッセによると、今日のショウは後半からは絡みがメインで、トリは人気ダンサーによる乱交ステージだそうだ。いや、挿入はないけども。それでも泪音はネコしかしないよな、と僕はわりと前方の席のテーブルに座った。
男の格好だし、そう遠慮しなくてもいいだろう。と思ったけど、周りからロックオンされた視線が来るので、これはこれでめんどいな、とやっぱり隅の席に移動した。
泪音はステージが熱くなってきた零時過ぎに登場した。ふわもこのうさぎのルームウェアを着て、床に寝転がってスマホをいじったり本を読む仕草でごろごろしているうち、うたたねをしてしまう。もちろん、ふりだけど。
音楽が変わり、ステージの右から眼鏡をかけた知性的な印象のイケメンと、左から筋肉質な軆だけどさわやかなスポーツマン系イケメンが現れた。
泪音は飛び起きてきょときょととふたりを見て、そんな泪音を奪いあうようにふたりが泪音の軆に触れはじめる。快感にとまどうような泪音の表情がすごい。そして口に指をふくまされ、潤んだ瞳でそれを性器であるように舐める。
そうしていると、もうひとりが泪音を後ろから抱きしめ、ゆっくり首筋をさすり、ふわもこのジッパーをうやうやしく下ろす。その下は褐色の素肌で、客から歓声が上がる。
するりと上半身を剥き出しにされた泪音は、ひとりと口づけを交わし、もうひとりの股間に指を伝わせる。一度それを入れ替わると、イケメンふたりも服を脱ぎ、そちら目的だった客が手をたたく。
煽情的に服を脱いでいくふたりを見つめ、泪音は脚のあいだをいじるような仕草を見せ、切ない顔でふわもこのパンツを脱ぐ。そうして三人ともボクサーだけになると、雪崩れこむように3Pの真似事が始まる。
イケメンふたりが泪音を翻弄するようにかわいがり、泪音は息を切らすような喘ぐ表情で、布越しに股間を押しつけられる尻を突き上げて、ステージと客席のあいだの手すりにつかまる。泪音の軆に、口づけも手のひらも降りそそぎ、泪音が絶頂を迎えたように喉を剥いた。
その瞬間、音楽が止まってステージが暗転する。ゆっくり、最初の音楽が戻ってきて、明るくなったステージで泪音はふわもこのルームウェアを着ていて、うたたねをしているところから目を覚ます。周りを見まわし、「あれ?」とでも言いたげに首をかしげたところで、ステージが暗くなって終わる。
そして、ふわもこを脱いだ泪音も、ふたりのイケメンも客席を練り歩いてチップを集める。
僕のところに来た泪音は、「いやーん、イケメンがいるう」とハグしてくる。僕はとりあえずそのほてった軆にハグを返しておいて、泪音のボクサーにチップチケットをねじこむ。
「ああん、その格好で掘ってほしいー」
「それは嫌だけど、終わったら飲めるよ」
「んんー、僕、トリの競演出るけど、そのあとでも?」
「うん。待ってる」
ハグしたままの秘かな会話に、泪音は軆を離すとにっこりする。
そしてひらりとほかの客にチップをねだりに行き、僕はふたりのイケメンにもチップチケットを入れておいた。チップチケットはアルコールをお代わりするとまた五枚ついてくる。それが面倒、あるいはひいきの子に、お札をそのまま入れる人もいるが。
ラストまで〈モイストローズ〉のステージを観ると、僕は〈ピーチィミルク〉に戻った。乱交ステージはすごかったなあ、と最後のステージの人気ダンサーたちのもつれかたを思い出し、マリブコーラを飲んでいると、「咲羽さーん」と呼ばれた。
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