「お、お前っ、うちの澄澪に、今、何を……っ!」
そんな何とも言えない震え方をした声が割って入り、私と園村くんは振り返った。
そこには、なぜか、私のおとうさんとおかあさんがいた。今の声はおとうさんが発したみたいで、何だか怒ったようなショックなような泣きそうなような、何とも複雑な面持ちをしている。その隣で、おかあさんは妙ににこにこしながら、安心したように言った。
「彼氏と過ごすから、おかあさんが車で送るって言ったのも気に障ったのねえ」
「かっ、彼氏!? そんなもの、まだ澄澪は中学生だぞっ」
「おとうさん、彼氏がいるなら、誕生日はそりゃあ彼と過ごしたいわよ」
誕生日。あれ? ……あ、ほんとだ。
九月十四日。私、今日、誕生日だ。
「ごめんね、澄澪」
おかあさんがそう言って、私ははたとそちらを見る。
「誕生日だからおとうさんもおかあさんも、勝手に澄澪のことお祝いできると思って、仕事も切り上げてきちゃって。おまけに、何だか様子が心配だったから探しにきちゃったけど、邪魔だったわね」
「えっ……」
誕生日、だから。お祝い……しようと、してくれたの? 私のために、いつも遅くなる仕事を切り上げて?
「あ、木淵、今日誕生日?」
園村くんがきょとんとそう言うと、「お前っ、彼女にした女の子の誕生日も知らずに会ってたのかっ」とおとうさんがまた咬みつく。園村くんはそれにビビりつつ、「いや、ええと……か、彼女になる?」と私に訊いてくる。
「えっ」と私は一瞬こわばってしまったけど、つながっているままの手を見ると、何だか笑みがこみあげてきて──「うん」と汗ばむくらいの手を握り直していた。
「よっしゃあっ!!」
私の返事と同時に、園村くんは開いている右の拳を突き上げ、「調子に乗るなっ」とおとうさんは園村くんの頭をはたいた。それでも私も園村くんも咲っていて、「まあまあ」とおかあさんがおとうさんをなだめる。
空に浮かぶ大きな月が、そんな私たちを照らしていた。
何だ。私、ちゃんと生きてていいんだ。空っぽなんかじゃなかった。空の向こうにいるおばあちゃんだけじゃない。おとうさんも、おかあさんも、今、手をつなぐこの男の子も、私のそばにいてくれる。そう思うと、何とも言えない安堵に包まれ、私は本当に久しぶりに心から咲っていた。
そしてその夜、園村くんが家に帰ると、ご両親が焦った様子で引き取ったはずのあおこちゃんの遺体が消えてしまったと話してきた。「ほんとは、まだ生きてたんじゃねーの」と園村くんが笑い飛ばすと、「そんな」「まさか」とご両親は言っていたそうだけど、翌朝、妹さんがあおこちゃんを抱きかかえて起きてきたのでふたりは仰天した。
遺体を抱えているのかと思ったら、あおこちゃんは青い瞳をぱっちりさせて、ご両親に向かってにゃあと鳴いた。「あおこ、おふとんの中にいたんだよー!」と喜ぶ妹さんに、両親はあっけに取られていたものの、「よかったんじゃね?」と園村くんが声をかけると、あおこちゃんの体温を確かめてから、やっとふたりは「よかった……!」と声を詰まらせた。
そして、私と園村くんは、本当にちゃんとつきあうことになった。私の両親はもちろん、園村くんの家族も私を認めてくれて、事情を聞いたおばさんは「ご両親がいそがしいときは、いつでも夕飯一緒に食べましょうね」と言ってくれた。
けれど、私の両親もあの夜からちょっとだけ変わった。おとうさんはまだ落ち着かない様子で園村くんについて尋ねてくるし、おかあさんもなるべく手料理を作り置きしてくれるようになった。「園村くんがね、私たちが思うよりも、澄澪が寂しい想いしてるって教えてくれたのよ」とおかあさんがくすりと咲ってみせた。
今日もきらきらした朝の光がまばゆい中、おとうさんとおかあさんを見送って、私も急いで支度をして家を出る。通学路を歩いていくと、合流する場所で私を待つようになった園村くんが、「おっはよう!」と元気に声をかけてくる。好きな人の笑顔がそばにあること。そのことに、私はこう思うのだ。
ああ、あの夜、私の内にひそんでいた願いごとも、ちゃんと叶ったんだなあ、って。
◆
「指輪のサイズってどうやって測るのかなあ」なんておかあさんに相談したら、「聖輝くんとつけるの?」と言われて「聖輝もつけるのかな?」とそこは分からなくて私は首をかしげた。
「せっかくなら、お店で測ってもらって作ってもらうのがいいわよ」と言われて、そのまま聖輝に伝えると、「今から作ってたら誕生日に間に合わんだろ」と彼はそこはこだわりたい様子だった。
「既製品で合うものをお店に見立ててもらえばいいじゃない」
「え、そしたら澄澪の前で買うの? それかっこ悪くね?」
「何でかっこ悪いの?」
「値段がばれるだろうが」
「別に安くていいけど……というか、聖輝はどうするの?」
「俺?」
「聖輝は、その……指輪しないの? 私のぶんだけ?」
「俺のぶんまで買ったら、婚約になるのでは」
「……そうなのかな。まあ、婚約する気がないってことならいいけど」
「いやっ、婚約飛ばして結婚したいけどな? え、結婚してくれんの?」
「もちろん、ちゃんと現実的に考えなきゃいけないこともあるけど……理想的な話だったら、聖輝がいいかなあ」
駅ナカのざわめくカフェで、そんなことを話しながら私はアイスモカを飲む。私の言葉に、聖輝はちょっと怪しいくらいににやけて、アイス抹茶ラテをすすった。
「えと、俺も嫁は澄澪がいいです」
「うん」
「そっか、じゃあ、婚約指輪いっとくか」
「婚約が重いなら、ペアリングってノリでもいいかと」
「重くないって、ぜんぜん。金は足りねーかもしれん」
「ふたりのものだから、私も出すよ」
「それ、いいの? え、婚約指輪って共同で出すもん?」
「知らないけど、私の誕生日までに用意したいならそうするしか」
「誕プレを澄澪自身にも負担させるのは、果たして」
「私と結婚してくれるって約束が、一番の誕生日プレゼントだよ」
「ほんとに?」
「そんなの、聖輝だってよく知ってるでしょ」
「へへ。まあな」
私が微笑むと聖輝も咲い、「よし、じゃあ今日のデートは、ふたりとも気に入るのが見つかるまで指輪を見てまわるか」と彼は抹茶ラテを飲み干す。うなずいた私もモカを全部飲んだ。
「聖輝」
「うん?」
「私は、天国でもまた聖輝と結婚したいな」
聖輝はまばたきをして、それから嬉しそうに咲うと、「そうできるように、俺たちの指輪を見つけようなっ」と立ち上がって私の手を取った。私はその手を握り返し、空になったグラスをカウンターに返却すると、聖輝と並んでカフェをあとにする。
駅を出ると、九月の残暑が熱気をむせかえらせていた。「指輪売ってるってどこ?」「モールとかデパートなのかな」なんて話しながら、私たちは手をつないで人混みに混ざっていく。
おばあちゃん。今頃、こんな私と聖輝を、あの人とそっちで見守ってくれてるのかな。私にも、こんなに好きな人ができたよ。結婚したいって、自然と思えるほどの人が隣にいるよ。
彼と家庭を築く未来を、あの不思議な夜が明けて見た朝の光のように感じるの。
あの指輪の青い光を憶えている。その光が、私に最高の贈り物をくれた。私を光のほうへ導いてくれた。
もう、暗い不安に迷うこともない。私の手をこうして握っていてくれる人がいる。
ぬるい風に長い髪をなびかせ、雲もない青空を仰ぐ。私の心もまっさらに青い。瞳を通して、空と心の青は溶けあうようだ。
その新鮮な感覚に深呼吸する。すると、じわりと甘い潤いが体内を満たして──これはきっと、幸せの味だと思った。
FIN