ナーシャは夜に舞う-17

朝まで飲みながら

 そのあとも僕は紗鈴ちゃんが好きなこと、瑞砂くんに応える気になれないこと、でも瑞砂くんにどぎまぎしてしまうこと、それを察して紗鈴ちゃんが遠ざかっていることを愚痴った。
 泪音はカクテルを飲みながら、紗鈴ちゃんに望みはなさそうなこと、瑞砂くんを視野に入れるほうが幸せなことを緩く諭す。
 僕はうめいて、また額をテーブルに当てた。そんな揺り返しのやりとりをしていると、不意に「何でここに女がいるのー?」と二十歳ぐらいの男が声をかけてきた。
「あー、この子、男の娘だから。ちゃんとついてるよ」
 僕は沈没しているので、泪音が答える。
「ふうん。もしかしてカップルさん?」
「ただの友達ー」
「そうなんだ。隣座ってもいい?」
「うん。君は誰かと待ち合わせ?」
「ヒマだったから男漁り」
「大学生?」
「そう。おにいさんも?」
「僕は働いてるー」
 親しく会話を始めるふたりを僕がむすっと見ると、「邪魔するのは野暮よ」とマスターが僕の前におつまみのチョコレートを置いた。これでも食っていろということだろう。僕はおとなしく包装をほどいてチョコを口に放り、まあ泪音の意見は分かった、と思った。
 泪音としては、紗鈴ちゃんはあきらめろ、瑞砂くんで忘れろということだろう。
 瑞砂くんかあ、と彼の顔を思い出そうとしても、今はまだあの無気力な表情しか思い出せない。これが僕を目で追っているときの真剣なものを想うようになってしまったら、恋なのだろうか。
 紗鈴ちゃんを落とすつもりだった。でも、僕はやっぱり追いかける恋が下手みたいだ。どうしても遠慮して、強引になりきれない。瑞砂くんに追いかけてもらう恋のが楽なのかな、なんて思ってしまい、自分の恋心の薄弱さに嫌気がさす。
 僕が辛気臭く悩んでいる隣で、泪音と男の子は盛り上がっていた。泪音の色香のある瞳を、男の子は見つめながら話し、優しく頬に触れる。泪音はその指に指を絡めると、口元に引き寄せてキスする。
 しかし、「友達、放っていけないよね」と男の子が残念そうに言うと、「ちょっと待って」と泪音はスマホを取り出し、何やらさくっと文章を作ってメッセを飛ばした。
 そして「よし」とつぶやくと、泪音はスツールを降りて、男の子の首に腕をまわす。
「咲羽」
 男の子に抱きついた泪音に目を向けると、だいたい予想はついたけど「何?」と言っておく。
「この子の相手してきていい?」
「……泪音の意見は聞けたし。どうぞ」
「ふふ、ありがと。──ってわけで、僕、君についていけるよ?」
 泪音がそう言って軽く唇を重ねると、男の子は微笑んで「じゃあホテル行こ」と泪音の腰に腕をまわしてスツールを立った。男の子は「彼、お借りしますね」と僕には会釈して、泪音を連れて〈ピーチィミルク〉を出ていってしまった。ノンケじゃないだけ平和か、と頬杖をついて甘いチョコを頬張る。
 時刻は零時にもなっていない。少しまったりしても終電で帰れるかな、とか思っていたのだけど、泪音が出ていって五分後くらいに「咲羽さん」と声がかかって僕は振り向いた。
 そこには、スーツを着た雅乃がいて、「どうしたの」と僕はまばたきをしてしまう。
「え、いや。泪音さんに呼ばれたんですけど」
「泪音はナンパされてホテル行ったよ」
「みたいですね。でも、咲羽さんをひとりにするの心配だから、出番終わってるなら顔出してやってくれってメッセが来て」
 きょとんとしたあと、変なとこで優しいなあ、と苦笑して、でもやはり泪音の気遣いが嬉しい。「出番終わったの?」と雅乃に訊くと、「はい」と雅乃は泪音が座っていた隣のスツールに腰かける。
「でも、もう一度ステージが一時頃にあるんで、それまでには戻らないと」
「何かごめん」
「いえ。美苗が今日オフなんで、こっち向かってもらってます」
「え、いいの」
「泪音さんが咲羽さんひとりにしないほうがいいって言うなら、そうだと思うんで」
「信頼してるね」
「尊敬してる先輩なので」
 僕は咲って、「一杯ならおごるよ」と言った。雅乃はメニューを見たあと、「じゃあ、お言葉に甘えて」とソルティドッグを注文する。
「あのさ」
「はい」
「雅乃と美苗って、雅乃から言い寄ったんだっけ」
「えっ、まあ──飯誘ったり、部屋泊まったり、押していったのは俺ですね」
「そっかあ。すごいなあ。美苗に振られた場合とか考えなかった?」
「てか、一回振られてるんですよね」
「ん、そうなの」
「同じ職場でつきあいは隠しきれないだろうし、そうしたら俺を気に入ってる人たちと関係がこじれるかもって」
「美苗も雅乃が好きだったんだよね?」
「そうですね。だから、みんなにはちゃんと俺から話して、何か言う人がいたら守るって」
「かっこいいね」
「美苗を落としたくて必死だったんですよ」
「そっか。僕はなあ、そんなふうに押すのが下手みたいなんだよねえ」
 しみじみつぶやくと、マスターからグラスを受け取った雅乃は、「いただきます」と僕に断ってひと口飲む。
「例の女の子ですか」
「そう。何やっても意識してもらえない。むしろ避けられてる」
「咲羽さんでも、恋がうまくいかなかったりするんですね。すごくモテそうなのに」
「そんなことないよ。ストレートの女の子とゲイは女装受けつけないし、ビアンとストレートの男はちんこついてるの嫌がるし。世の中には、僕みたいな中性がいいって言ってくれる人もいるけどね」
「咲羽さん自身は、性自認って男なんですか」
「うん、シスだと思う。男も女も好きになるし、ネコもタチもやるけど、男としてだな」
「俺はタチしか無理ですね……」
「ネコはしたことないの?」
「痛いじゃないですか、ケツに挿れるとか」
「いや、美苗のケツに挿れてるでしょ?」
「柔らかくなるケツと、硬いままのケツってありますよ? 俺は指一本でも無理」
「挿れようとされたことはあるんだ」
「前、リバとつきあってて。たまには挿れたいって言われて試そうとしたんですけど……無理でしたね。全力で拒否してたら振られました」
「そうなんだ」とつい笑ってしまうと、バレンシアが空になっていた。次はすっきりした味が欲しくて、ギムレットを注文する。
 そうして雅乃と零時くらいまでたわいなく話していて、ふとドアが開いたかと思うと、「こんばんはー」と美苗が顔を出した。
 ステージがあるときは女装が多い美苗だけど、オフのせいか今日はシャツにジーンズという格好だった。僕と違って、美苗は地毛がロングなので、その髪は後ろでひとつに束ねている。「美苗が男に見える」と僕が言うと、「私はガチの女装子じゃないんで」と美苗は少し照れながら笑んだ。
「零時まわりましたね」
 スマホで時刻を確かめた雅乃が、ソルティドッグを飲み干す。
「俺、そろそろ地下に戻っておきます」
「分かった。また今度、観にいくね」
「よろしくお願いします。──美苗、もし朝までここにいるなら、迎えに来るよ。一緒に帰ろう」
「ん、いると思う。部屋にいてもひとりでつまんないもん。──相手してくれますか、咲羽さん」
「僕でよければ」
「やったっ」
 美苗は無邪気に咲い、「行ってくる」と言った雅乃と軽く抱きあってキスを交わすと、「いってらっしゃい」と恋人を見送った。雅乃は僕に「ご馳走様です」と一杯の礼を述べ、〈ピーチィミルク〉を出ていった。
「泪音さんと一緒ではないんですか?」と美苗が首をかしげ、今頃ホテルで盛り上がっているのを話すと、「泪音さんはほんとにモテますよね」と美苗はころころと咲った。
「ノンケも食うからね」
「私はノンケはダメですー。先に遠慮が来ちゃって」
「基本的にゲイはそうでしょ。ノンケは対象外ってほうが多いんじゃないかな」
「ノンケ好きになっちゃっても、報われないだけですしね」
「泪音も、やることやるだけで好きになるわけではないみたいだけど。男の気の迷いを誘い出すのがうまいんだよ」
「それがすごいー。私、高校時代にノンケに『俺をそういう目で見るなよ』とか言われて、お前なんか趣味じゃねえよって思ってました」
「高校時代」
「十年前ですね」
「カムしてたの?」
「うーん、いつのまにかうわさが広がって知られてた感じです。うわさを否定しなかったから、それが私なりのカムだったのかも」
「泪音はそういうこと言われたら、どう反応するんだろうなあ。『エロく見ちゃダメなの?』とか言うのかな」
「あの目で言われたら、ぐらっとするかもですね」
「だよね。ノンケ食いってほかのゲイに嫌われることもあるみたいだけどねー」
「ゲイを勘違いされる種にはなりますしね。でも、個人の指向ですよ」
「僕もそう思う。泪音は無理やりは絶対しないから。合意に持ちこんで落とすんだから、駆け引きのテクニックがうまいんだよね」
 そんな話をしつつ、まったり美苗とお酒を飲んでいると、午前二時をまわった頃に、その泪音が〈ピーチィミルク〉に戻ってきた。
「朝までコースじゃなかったの?」と僕がまばたくと、「早漏で回復早くてキリがなかった」とあまり相性がよくなかったのか、泪音はむくれて僕の隣に座った。髪が湿り気を残していて、シャンプーの匂いがする。
「泪音って延々とハメられるのも好きそうだけどなあ」と僕が言うと、「……包茎がシャワー浴びないのは嫌だった」と今度は本音をこぼす。「それは嫌かも」と美苗が眉を顰めて、マナーのない包茎野郎をボロカスに言いはじめるふたりにはさまれ、確かにチンカス溜まってたら不潔だけどね、と僕は静かにカクテルを飲んだ。
 それから、〈モイストローズ〉はいつも通り朝五時に終演したようで、しばらくして雅乃が美苗を迎えにきた。その頃になると、僕も泪音もかなり酔いがまわってきていて、「今からお泊まりかー!」とか「早朝とかエロいよお」とか脈絡のない揶揄を飛ばした。
「これ少しセーブして、醒ましてから帰したほうが」と雅乃が言うと、「そうするわ」とマスターが苦笑して答える。それにも僕と泪音はやいやい言っていたけど、「帰ってふたりでゆっくりしなさい」とマスターに言われ、美苗と雅乃は〈ピーチィミルク〉をあとにしていった。
 僕は恋をこじらせて、泪音はつかまえた相手が失敗で、ふたりともヤケもあってずいぶん飲んでしまった。すっかり日はのぼったであろう八時頃、マスターがさしだしたミネラルウォーターでひと息ついて、僕が「帰ろうか」と言うと、「帰りたい」と泪音は答えた。
「好きなゲイビ観て、オナニーして寝たい」
「泪音はオナニーより、別の男つかまえるタイプと思った」
「オナニーのいいところは、終わったら即寝落ちできるとこ」
「セックスのあとも寝落ちしない?」
「僕は後戯大事だから、いちゃいちゃするの」
「……ま、泪音なら、また気持ちいい相手とできるよ」
「ん。咲羽もとりあえず、イケメン黒服と一発やれば」
「それで好きになっちゃったら、紗鈴ちゃんと終わりなんだよ」
「終わったほうがいいんだよ」
「………、やだあ、やーだー、やだやだ」
 僕が急に泣き出すようにわめくと、「この人めんどくさーいっ」と泪音も負けずに叫んだ。そしたらさすがに、「バーではしたなく酔っ払うのやめてちょうだいな」とマスターにしかられてしまった。僕と泪音は顔を合わせると、ため息をついて、「帰ろう」とうなずきあった。そして僕は会計をして、泪音と一緒に地上に出た。
 太陽に雲がかかっていて、少し陰ったような朝の景色があった。夜にはにぎやかなネオンも人通りもなく、閑散としているから余計虚しい。真夏ほどの蒸すような熱気もなかった。
 かなり眠気が襲ってきていて、これはタクシーで帰ったほうがよさそうだ。「僕タクシーにするけど乗ってく?」と訊くと泪音も目をこすりながらうなずいた。
 そんなわけで酒気が染みこんだ僕たちは、お互いふらふらなのを支えるために手をつなぐと、タクシーを求めて駅方面へと歩き出した。

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