ナーシャは夜に舞う-20

途切れた糸

 十月になって秋雨の頃が過ぎ、ようやく残暑が引いて快晴が心地よい日が出てくるようになった。すりぬける風もさわやかで、街路樹の銀杏が黄色に紅葉にしてこぼれおちてくる。
 十月中旬の土曜日の昼、僕は秋の服を見てまわりたくて、また泪音に彼氏役をやってもらってショップ巡りをしていた。「秋なんてどうせ一瞬じゃん」と泪音はぶつぶつしても、「一瞬だからこそ着たい服が多いんだよ」と僕は七分袖の服やらレースが透ける服をあれこれ着てみる。
 ひと通り買い物を終えたときには、晴れていた青空がオレンジががって夕方になっていた。
「泪音、まだ時間ある?」
「まだどっか行くの?」
「いや、そこにファミレスあるんで、ドリンクバーくらいおごろうかなと」
「ドリンクバーなの? カフェくらい行けないの?」
「行ってもいいけど、近くにあったっけ?」
「……ドリンクバーでいい」
 そんなわけで、前方に見えていたファミレスの看板があるビルに入り、エレベーターで六階まで上昇する。エレベーターを降りると、フロアが全部ファミレスになっていた。これなら余裕で待たずに座ることもできそうだ。
 案の定、ウェイトレスに四人がけの席に案内されて、僕と泪音は向かい合った。
「何か食べてもいいよ」
「んー、そこまで時間ないかなー」
 実はこのあと、泪音は仕事がある。だから、今夜はこのあとも〈ピーチィミルク〉で飲んだりはできない。ここでひと息ついたあたりでお開きだろう。
 ドリンクバーとデザートを注文することにした。僕はストロベリーのミニパルフェ、泪音はレアチーズケーキ。それから、順番にドリンクをついでくる。僕はコーラにして、泪音はホットのカプチーノにしていた。
 そのあいだにデザートもすぐに来てしまい、ひんやりした甘味を、歩きまわって疲れた僕も泪音も「んまー」とか言いながら味わう。「ひと口」とか言いながらお互いのデザートをシェアしつつ、「今日も買ったねえ」と泪音は僕の荷物に目を向けた。
「去年買った服とかどうしてんの? クローゼットやばいんじゃない」
「去年の服はまだ取っておくけど、一昨年からの着なくなった服は売るか捨てるんで」
「服が好きなのかどうでもいいのか分からない」
「服は好きだよ。気に入ってるのは長持ちさせるし」
「そういや、今夜の僕の衣装、黒服だよ」
「そうなの」
「ホスト役と絡むの」
「エロいね」
「エロいよ」
 泪音はベリーソースがかかったレアチーズケーキをすくい、口にふくむ。
 黒服かあ、と僕がついしんみり思っていると、それを察知したのかどうか、「イケメン黒服辞めちゃって、半月ぐらい?」と泪音は首をかたむけた。
「そうだね。結局、先月いっぱいだったし」
「早いねえ。〈ナーシャ〉に遊びに来たりしないの?」
「来ないよ。昼の仕事が大変でしょ。朝九時から夕方五時だよ。まじめか」
「ありえないね、そんな時間に働くとか。眠いじゃん」
「ほんと。それに──僕に会いたくないと思うし」
 僕がコーラの炭酸の刺激をごくんと飲むと、泪音はにやにやして「つきあえばよかったのにい」とこの期に及んで言う。
「いいの、そこはちゃんと答え出したんだから」
「応援するとか、絶対嘘だよ」
「そう言わせたからいいんだよ。嫌いじゃないのかなあと思ったよ。ただ、そしたら好きでもないって分かったんだ」
「嫌いじゃないなら、好きなんじゃん」
「離したくないって執着心がなかったの」
「えー、どきどきしてたのは?」
「あれは──焦りだったのかなと思う。嫌いって思ってるのに、触られて嫌じゃなくて。そんなに悪い男じゃないと思ったら、どきどきしなかったよ」
「つまんなあい」と泪音はおもしろくなさそうなふくれっ面を作り、「いいの」と僕はストロベリーとバニラが溶け合ったところをすくって食べる。
「僕はやっぱり、紗鈴ちゃんが好きなんだ」
「その子は飛んだんだよね。そのあと手がかりとか」
「何にもない。たまにメッセ送っても既読つかない」
「ブロックされてんじゃない」
「たぶんそうだろうね」
「そんな女、あきらめれば」
 僕は歯切れ悪く首をかしげ、「もう一回だけでも会いたいんだ」とつぶやく。
「つきあえなくても?」
「うん。ずるいこと言って抱いたのも謝りたいし、瑞砂くんをきちんと断ったのも知ってほしい」
「それで振り向くかな」
「分からない。けど、誤解は解きたい。僕は紗鈴ちゃんのこと処理で抱いたんじゃないし、瑞砂くんを奪う気もない」
「もともと何とかちゃんのもんでもないでしょ、イケメンは」
「それでも、僕のものになったわけでもないことは言わないと」
 泪音は肩をすくめ、カプチーノに口をつける。
「で、ふたりいなくなって〈ナーシャ〉は大丈夫なわけ?」
「何とかなってるよ。瑞砂くんが置いていった黒服もわりと使えるし」
「男だよね」
「男だよ」
「一度見に行かないと」
「男好き」
「好きだよー、男。どんな感じの人?」
「んー、何かおもしろい」
「おもしろい」
「ノリがいいというか。ママも気に入ってる」
 泪音は首を捻り、「あのイケメンの友達がノリいいの?」と怪訝そうにする。
「あー、それは、昔からあの無気力を学校とかに引っ張っていってたらしいよ。幼なじみみたいな」
「なるほど、そういう位置か。かっこいいの?」
「チャラそう……かな。あ、人懐っこい犬みたいな感じ」
「わんこ系かあ。それは見ておかないとなあ」
 そんなことを言った泪音は、ふとスマホで時刻を確かめた。僕もスマホを見ると、十七時になりそうだ。
「そろそろ部屋帰るかあ」と泪音は言い、「ごめんね、仕事ある日に」と僕は上目遣いになる。
「いいよ、咲羽が元気にしてるか、気になってたし」
「僕、夜はヒマだから。部屋に買ったもの置いたら〈モイストローズ〉行こうかな」
「おいでよ。さっきも言ったけど、今夜の僕はエロいよ」
「いつもエロいけどね」
「んふふ。褒め言葉」
 泪音はにやりとして、唇の端についたカプチーノの泡をちろっと舐める。僕はコーラを飲み干し、ミニパルフェも胃に収めた。泪音もカプチーノをこくんと飲むと、「ごちそうさま」とカップを受け皿に置く。
 そんなわけで揃って席を立ち、僕が会計を済ますと、ふたりで地上に降りて駅に向かった。
 夕焼けはとうに終わり、濃紺の空には満月が浮かんでいた。土曜日の夜、遊びに繰り出す人で、イルミネーションが舞う駅前はにぎわっている。煙草や香水の乱雑な匂いがする。
「じゃああとでね」と約束すると、僕と泪音は、一度それぞれの部屋に帰宅した。
 泪音の出番は遅めだろうから、僕は帰宅してもばたばたせずに、まったり買った服のタグを取ったりしていた。一度洗濯するから、かごの中にたたんでおく。コンビニに夕ごはんを買いにいき、ワンコインだったからあげ弁当にして、部屋の電子レンジで温めて食べる。何とかなっているとはいえ、仕事が前よりいそがしくなったのは確かで、積んでしまっていた本があり、それをタブレットで読んだ。
 そうしていると二十一時をまわったので、もうオープンしてるな、と着替えないままだった女装や化粧を直し、部屋を出た。
 アパートを出ると、秋の虫が澄んだ音色で歌っていた。
 二十一時台の電車は空いていて、シートに座ってかたんことんという揺れに身を任せた。スマホを見て、泪音のステージが零時からだという告知をSNSで目にする。
 メッセアプリでは、別にブロックすることもないかと瑞砂くんとつながったままだけど、お互い何も連絡を取っていない。ぼんやり紗鈴ちゃんのトークルームも開き、ん、と僕はまばたきをした。
 メッセや着信が来ていたわけではない。ただ、『さすずさんは退室しました』というメッセージが表示されていた。これは──アプリを退会したときに表示される奴ではないか。
 え、と思い、その意味するところに茫然とした。つまり、紗鈴ちゃんとの最後の細い糸が切れてしまったのだ。僕は思わずくらくらする頭痛を感じて、シートに沈みこむと、ほんとどうやったらまた会えるんだろ、と気が遠くなった。
 二十三時前に〈モイストローズ〉に到着し、「いらっしゃい、咲ちゃん」と迎えてくれたいつもの受付のおにいさんに入場料をはらう。ドリンクチケットとチップチケットをもらい、例によって前列は避けて壁際の席に着く。
 カクテルを飲みながら、僕はテーブルに頬杖をしてステージを眺めていた。零時前にひとつのステージとチップ回収が終了し、次か、とショウが始まるのを待つ。周りにも、いつのまにか客が増えていた。
 不意に音楽のボリュームが上がり、それからステージが照らし出される。泪音が話していた通り、黒服のすがたで現れ、配置されていたカウンターと思しきテーブルの前に行く。ほぼ同時に、見憶えのあるタチの男の子が、テーブルとは離れた椅子に腰かけて持っていたグラスをかたむける。
 その男の子を泪音はじっと見つめて、ホスト役もたまに泪音に視線を投げかける。そしてホスト役はふと立ち上がり、テーブルに向かって泪音と向かい合う。泪音はグラスに透明の液体──まあたぶん水だけど──をつぐ。ホストの男の子はそれを口にふくむと、少し強引に泪音のタイをつかんで引き寄せ、口移しした。こぼれた液体が、泪音の口元できらきら煌めく。
 それから激しいディープキスになり、ホストの子がテーブルをずらして泪音を腕の中に招き、でも泪音は首を横に振って彼を押し退ける。ホストの子は息をついて椅子に戻り、泪音はその背中を見つめながら軆に焦れったく手を這わせて、タイを緩めてほどき、音楽の調子に合わせながら黒服を脱いでいく。泪音の素肌に観客は声を上げる。
 服を床に落としていきながら、泪音はホストの子の背後に近づき、ゆっくり背中にしがみつく。ホストの子は泪音をかえりみると、薄く笑みを浮かべて泪音と手をつなぎ、立ち上がると椅子を蹴って退かし、自分もスーツを脱いでいく。
 そうしながら、互いの脚のあいだをこすりあわせ、口づけを交わす。ホストの子の軆は筋肉ががっちりしていて、また客が拍手をする。互いの前開きのファスナーをおろし、ボクサーだけになると泪音はひざまずいてホストの子の股間に頬ずりをして、つながったままの手を引いてふたりは床で重なりあう。
 ホストの子は泪音の片脚を抱え上げ、ボクサー越しに泪音の後ろに性器を押し当てる。泪音は甘く喘ぐ表情を観客によく見せて、何度もその身を痙攣させる。疑似行為が続いて、それが本番のようにきわどいので、確かにエロいな、と僕はカクテルをすする。
 泪音は四つん這いになってその身を反らせたり、背面座位でこちらに大きく脚を開いたりする。最後に泪音は床に倒れこみ、その耳元で何かささやくような仕草のあと、ホストの子はステージを去った。
 ひとりになった泪音は、音楽に乗せてみずからの肌を愛撫し、まだ足りないと言いたげに自慰行為を思わせる動きでため息をつく。そしてゆっくり手すりに手をかけ、立ち上がると発情に熟れた軆で観客にキスを投げる。瞳が物欲しげに濡れている。
 音楽が変わり、ステージが暗転した。そしてぱっと照らし出されたそこに、泪音はもういなくて──何事もなかったように、離れたテーブルと椅子があった。
 わっと拍手があふれると、泪音とホストの男の子がステージにまた現れて、「チップ欲しーい!」とボクサーだけの泪音は正直に咲いながらステージを降り、テーブルのあいだに練り歩いた。ホストの男の子も同じく、客に筋肉に触らせたりハグしたりしながらチップを集める。
 僕は一度カクテルをお代わりしていたので、十枚チップチケットを持っていて、五枚は泪音に入れて、あとを考えてホスト役の子には二枚入れておいた。泪音は僕の頬に触れ、「咲羽と黒服くんのイメージ」と言って、「だろうと思った」と僕は苦笑した。

第二十一章へ

error: