置き手紙
そんな泪音のステージを見たり、新しい黒服の美海くんと仲良くなったり、ママと相変わらずラーメンを食べたり、そんなふうに過ごしていると、すぐに冬になった。唸って吹き抜ける風の冷たさが厳しくなって、帰り道の暗い空では、月と星が澄み渡る。
クリスマスやらお正月やら、冬は何かとイベントが多い。お正月は僕はママに着物を着せてもらい、ちょうど〈ナーシャ〉に遊びに来た泪音にスマホで写真を撮ってもらったりもした。
そのとき泪音は、ボックスでなくカウンターに居座り、何やら美海くんを口説いていた。美海くんが次第にまんざらでもなさそうになるので、あの子ストレートって言ってたよなあ、と思いつつ、僕は振り袖を抑えて接客する。
「あれはそのうち落とされるわね」とママは言っていて、ほんと泪音のノンケ食いは、とあきれてしまった。一月が終わりかけた週末、泪音から『よしみんごちそうさまー』というメッセが届き、もう噴き出すしかなかった。
月曜日に美海くんに「泪音すごかった?」とにやっとして訊いてみると、チャラそうなくせに処女みたいに美海くんは照れて、「すごかったっす……」と消え入りそうに言っていた。
「咲羽さんも、泪音さんとしたことあるんすか?」
マフラーと手ぶくろをはずす僕に、美海くんは首をかたむけ、「まさか」と僕は笑ってしまう。
「したことないよ。友達だもん」
「てか、咲羽さんと泪音さんだとどっちがどっちなんすかね?」
「いや、しないけど。僕がタチだとは思うよ」
「えっ、咲羽さんが男やるんすか」
「僕リバだから」
「奥が深いっすね……。はあ、瑞砂の野郎、こんな愉快な職場にいたのか」
「愉快って」とくすりとしたあと、僕は口調がぎこちなくならないように言葉を続ける。
「瑞砂くんは、元気?」
「あー、何かいつも眠いって言ってますね」
「はは、そりゃそうだろうなあ。夜長かったし」
「瑞砂って、ここでの仕事、わりと俺に話してくれてたんすよね。男の娘が美人だってよく言ってましたよ」
「僕本人には言わなかったけどね」
「ですよねえ、本人に言えっつの」
美海くんはからからと笑い、冷えていた軆に暖房が染みこんできた僕は上着も脱ぎながら「ところで」と訊いてみる。
「美海くんは、泪音とまたやりたかったりすんの?」
「えっ。いや、……えと、正直気持ち良すぎて。惚れそうなのが怖いんすよね」
「惚れそうなんだ」
「泪音さん、こっちが惚れたら相手にしない感じじゃないすか?」
「どうなんだろうねえ。恋人持つのは面倒とは言ってたけど」
「泪音さん、目がやばい。もう見つめられただけで勃起しそう」
「美海くん、ストレートだよね」
「ですよ。でも覚醒したかもしれねえっす」
「覚醒」と僕はころころ咲い、「まあ、泪音を狙うなら応援するよ」とスタッフ専用のドアを通り、衣装部屋に荷物を置きにいった。
化粧が崩れていないか鏡台で確認し、私服のワンピースをマリンブルーのマーメイドドレスに着替えて、姿見に映した。うん、とひとり納得すると、スマホを持ってホールに戻る。
すると、何やら美海くんが何かを手に持って首をかしげていた。「どうしたの」と声をかけると、「あ、」と美海くんは僕に目を向ける。
「うおっ、今日も衣装エロいっすね」
「それはどうも。それ、何?」
「あ、これ、今来た人に、咲羽さんに渡してほしいって言われたんすけど」
「僕に? お客さん?」
ホールを見たけども、客のすがたはない。
「女の子でしたよ。引き止めようとしても、さっと帰っちゃって」
「……女の子?」
「Fカップ以上ありそうでした」
僕は目を開き、美海くんの手の中にあるものをもぎとった。小さめの封筒だった。封はされていなくて、僕は中身を取り出す。美海くんは不思議そうにしていても、覗きこむような真似はしない。
僕はふたつ折りの紙を開いた。
『お久しぶりです。
瑞砂さんから連絡が来て、咲羽さんのことを言っていたので、おしらせだけ。
家賃をはらえなくなったので、実家に帰ることになりました。
ナーシャでは本当にお世話になりました。
お仕事、これからもがんばってください。』
名前は書いてない。でも、紗鈴ちゃんに間違いなかった。
「その子来たの何分前?」と僕が焦って訊くので、美海くんは面食らったようでも、「五分前くらいっす」と答えてくれる。「すぐ戻る」と僕は言い残すと、ヒールをかつかつと騒々しく響かせて表に出た。
階段から、地上のざわめく人混みを見渡した。明るいネオンに目を凝らし、通りを歩く人の顔をどんどん確かめる。けれど、それらしきちっちゃい女の子はいなかったし、五分も前なら、とっくにこの場を離れてしまっていて当然だった。悔しいため息が、白くこぼれる。
手紙に目を落とした。実家に帰る。紗鈴ちゃん、実家はあまり好きではないように言っていなかったっけ。なのに、帰るのか。
家賃をはらえないということは、新しい仕事も見つからなかったということだ。大丈夫なのかな、と不安がかきたてられても、新しい連絡先なんて記されていない。
しかし、内容をよく読んでみて、はたとした。瑞砂くんから連絡が来た。紗鈴ちゃんは、以前の連絡先であるアプリは退会したはずだ。なのに、瑞砂くんから連絡ということは、どういうわけかはさておき、瑞砂くんは紗鈴ちゃんの今の連絡先を知っているのか。
僕は冷たい風に身震いしながらも、店内には戻らないまま、手すりにもたれて瑞砂くんのトークルームを呼び出し、通話をタップした。時刻は十八時半くらいだから、仕事は終わっていると思うけど──しばらくコールが続いた。
出ないか、と舌打ちしたとき、不意に『咲羽さん?』と久しぶりに聞く淡白な声がした。
「あ、瑞砂くん?」
『はい』
「えと……あ、久しぶり」
『お久しぶりです』
「ごめん、いきなり」
『いえ。今、電車から降りて。すみません、すぐ出れなくて』
「ううん、いいよ。えと──いきなり訊くけどいい?」
『はい』
「瑞砂くんって、紗鈴ちゃんの今の連絡先、知ってる?」
『え、ああ。はい』
「待ってよ、何で知ってんの? 紗鈴ちゃん、アプリ退会したよね?」
『退会する前に、携番とメアド教えてくれてたんで』
「何それ。……くそ、まだ瑞砂くんが好きなのか。えっ、じゃあ普通に連絡取り合ってるの?」
『してません。期待させても仕方ないですし。ただ、美海がルイネ……さん? って人に、咲羽さんがまだ紗鈴ちゃんを心配してるっていうのを聞いたって話してくれて』
「泪音に」
『それなら、咲羽さんと一度会ってほしいことだけ伝えようと思って、一度だけ電話しました』
「……何で。瑞砂くんは、僕のこと」
すると小さな咲い声がして、『もう俺は、咲羽さんを応援してますから』と瑞砂くんは言った。
唇を噛む。何だよ。いい奴かよ。
『紗鈴ちゃん、何か言ってきたんですか?』
「〈ナーシャ〉に一瞬来たみたい。美海くん伝いに僕に手紙くれて、何か、実家に帰るとか書いてあってさ。やばいでしょ。あの子、家では引きこもりで病院行ってたとか言ってたし」
『会えなかったんですか』
「会えなかった」
『そうですか……。じゃあ──反則かもしれないけど、咲羽さんに紗鈴ちゃんの携番とメアド教えましょうか?』
「ほんと? いいの?」
『俺も、咲羽さんと紗鈴ちゃんは話し合ったほうがいいと思うので。この通話のあと、メッセにコピペして送信します』
「ありがと……ほんとに、ありがとう。瑞砂くん」
『そんな泣きそうな声聴かせたら、つけこんで口説きにいきますよ?』
「……今の瑞砂くんにはぐらつきそうだから、遠慮しとく」
僕の言葉に瑞砂くんがまた少し咲ったとき、向こうで電車のアナウンスが聞こえた。「乗る奴?」と訊くと『はい』と返ってくる。「じゃあ」と僕はスマホを握りしめる。
「紗鈴ちゃんの連絡先、よろしく」
『すぐ送ります。じゃあ、切りますね』
「瑞砂くん」
『はい?』
「幸せになってね」
『……ありがとうございます。じゃあ、元気で』
そう言うと、すぐに瑞砂くんのほうから通話が切れた。僕は冷え切った指先で握るスマホを耳から離す。トークルームに残った通話時間を見つめ、何となく、瑞砂くんとは本当に今の会話が最後だったのだろうなと思った。
ジャズの流れる暖かい店内に戻ると、カウンターの席に座って、美海くんにホット烏龍茶を用意してもらった。それを飲んでいると、瑞砂くんからメッセ着信がつく。
開いたままのトークルームを見ると、無機質に電話番号とメールアドレスだけ記され、何もメッセージはついていなかった。瑞砂くんらしいや、と思いながら、僕はその番号とメアドを紗鈴ちゃんの名前で登録しておく。
紗鈴ちゃんからの手紙は衣装部屋のバッグに入れて、そのうちママも客もやってきて、その日も僕は明るい笑顔を心がけて接客した。そわそわしそうなのをこらえ、特にママに感づかれないようにした。ちなみに紗鈴ちゃん──というか、女の子が来たことは、ママには伏せておくよう、美海くんに釘を刺しておいた。
月曜日なのでそこまでいそがしいこともなく、午前三時に客が引くと、そのまま上がっていいとママに言われた。美海くんに「お疲れ」と言って、ママにも挨拶すると、〈ナーシャ〉をあとにしてタクシーで部屋に帰宅する。
寒風がないだけ助かっても、それでも冷気が染みこんだ部屋に、すぐに暖房をつけた。ミックスのココアを淹れて、それで指先と胃と温めると、着替えも化粧落としもせずにフローリングに座りこむ。
午前四時をまわっていた。紗鈴ちゃんが規則正しく眠っているかはあまり言い切れないけれど、どのみち今電話をかけても、出るわけがないか。向こうには僕の番号は知らない番号だろうし。下手をしたら、怯えられて着拒される。
メールの文面を考えてみよう、と熱の残るココアをすすりながら、メール画面を起動する。
メッセじゃなくて、メールを使うなんて久しぶりだ。まずタイトルで僕だと名乗って、手紙を受け取ったこと、瑞砂くんに連絡先を聞いたこと、紗鈴ちゃんが心配なこと、できれば会って話せないかということ──を、つめこんでいたら長文になってしまって、男の長文気持ち悪い、と自分でも思ったので、まわりくどい言葉を何とか削っていく。
そんな作業をしているうち、ふとカーテンを見ると、向こうが白みかけていた。時刻を見ると、六時をまわっている。六時かあ、と送信を躊躇い、まだやめておこうと指を引っこめる。
朝六時のメールも、ちょっとうざい。せめて八時くらいか。二時間近くかあ、と思ったものの、そういえば僕はシャワーも浴びていないし、着替えさえしていない。いろいろしてたらすぐだな、と帰宅したままの自分をオフモードに切り替えることにした。
化粧を落とし、シャワーを浴び、白いニットのチュニックに柔らかいブルージーンズを合わせる。もこもこの靴下も身につける。寝坊できるように今のうちに洗濯を始めると、ふとんも敷いて、その上に座りこんで髪を乾かした。ウィッグの手入れもしたりしていると、八時どころか九時になろうとしていた。
さすがに送信しても迷惑な時間帯じゃないよな、と僕は何度もメールを読み返し、思い切って送信した。
洗濯が終わるまでタブレットで読書していたけど、スマホに着信がつくことはなかった。無視されるっていうのはありうるよなあ、とうとうとしてきた頭で考え、憂鬱になりそうなのを振りはらう。乾いた洗濯物をクローゼットにしまって、昼過ぎにふとんをかぶって寝ることにした。
起きたら、紗鈴ちゃんから何か来てますように。そう祈って、目を閉じたときだ。ショップのインフォが来たとき鳴るくらいの、メールの着信音がした。僕はどきんとして、そろそろとふとんから頭を出す。
うそ。ほんとに? 正直、期待しないようにしていたけど──
『Re:咲羽です。』
ポップアップのそのタイトルは、つまり……
僕はスマホを引っつかんで、一気に眠気も忘れてメールを開いた。
『おはようございます。
メールありがとうございます。
咲羽さんの空いている時間を教えてもらえたら、会いにいけると思います。
二月の半ばには引っ越すので、咲羽さんもいそがしいと思いますが、早めだと助かります。
いつも心配ばかりかけてすみません。』
その文章を読んで、なぜか、僕に頭を撫でられたときの紗鈴ちゃんの、困ったような笑みがよみがえった。
そして、その笑顔を思い出したことで、胸がぎゅうっと絞られるように感じてしまう。
会いたい。会いたい。この子に会いたい。
そんな想いがソーダの泡みたいにあふれてきて、ああ、やっぱり僕はこの子が好きなんだな、と泣きそうになった。
【第二十二章へ】
