ナーシャは夜に舞う-22

久しぶりの君と

 紗鈴ちゃんはすでに荷造りなどを始めていて、二月十日に引っ越し業者との予約も決まっているらしい。
 会えたのは二月四日の日曜日だった。警戒されるかな、と思ったけれど、紗鈴ちゃんの最寄り駅まで僕が行くと言うと、意外とあっさり路線と駅名を教えてくれた。生活は不規則だそうで、今は僕同様に昼夜反転になっているとのことだったので、ゆとりを持って十五時に待ち合わせた。
 女装でいいのか、男のほうがいいのか、それも訊こうと思ったけれど、変な質問である気がして切り出せなかった。男だと僕に迫られたのが気まずいかもしれないな、と思ったし、僕自身、女装のほうが気持ちを強く持てるので、当日に女装と決めた。
 いつものカールのロングヘアのウィッグ。白のタートルネックのセーターに、小さな花柄が入った紺色のマキシフレアスカート。足元は黒のショートブーツにしよう。化粧はピンク系で、淡く仕上げた。わりと陽射しのある日だったので、上着は着なくても一応持って、マフラーと手ぶくろの防寒はして、赤のタータンチェックのツイードバッグで家を出た。
 まだ二月だけど、日中にほんの少しずつ、春が近づいているのを感じるようになった。それは、感じ取る太陽の光の温度だったり、引き裂くように吹きつけてこなくなった風だったりした。
 景色の色合いにはこわばった蒼を感じるけれど、今の時期、駅前に出るとバレンタインフェアで赤やピンクがあふれている。小学生くらいの女の子からOLっぽいおねえさんまで、チョコに限らず贈りたいプレゼントの前できらきらしている。
 僕も客に用意しなきゃなあ、なんて思いつつ、空いていた座席に座って電車に揺られ、紗鈴ちゃんの暮らす町におもむいた。
 改札を抜けると、東口と西口があり、どちらなのか聞いていなかったので、やや躊躇ったのち紗鈴ちゃんに電話をかけた。紗鈴ちゃんは新しくアプリをインストールしていないのだろうか。訊きたくても、僕とは連絡先を交換できないと言われるのが怖くて訊けていない。
 全部メールでやりとりしてたから声聞くのも久しぶりだな、と思っていると、ふとコールが途切れて『もしもし』と電話から懐かしい声がした。
「あ、紗鈴ちゃん。僕だけど」
 どきどきと張りつめる心臓を抑えて言うと、何だかため息が聞こえた。
『……よかった』
「え」
『咲羽さんの電話番号、聞いてなかったので』
 紗鈴ちゃんの声に名前を呼ばれたただけで、鼓動が跳ねる。
『知らない番号で、びっくりしました』
「あー、と、そっか。ごめんね」
『いえ』
 怒ってはない、よな。何しろ僕の中では、紗鈴ちゃんは僕を無視する状態で途切れている。
『私、今、駅前にいますけど……』
「あっ、うん。僕も着いたんだけどね、それって東口? 西口? 分からなくて」
『ああ。えと──待ってください、どっちかな。あ、東口って書いてます。階段降りて、まっすぐのコンビニの前にいます』
「分かった。すぐ行く」
 僕はスマホをおろし、深く息を吐いてから、そっと通話を切る。
 普通だったな、と安堵がわずかながら滲んだ。そんなに緊張しなくても、大丈夫かもしれない。もしかして、紗鈴ちゃんはいまだに瑞砂くんのことで僕を怨んでいるかも、とも危懼してきた。しかし、それもさすがに未練がましく見過ぎか。
 東口の方へ歩いていると、甘い香りがした。たい焼きの屋台が出ている。紗鈴ちゃん甘いの好きだったかな、と思って、何も持ってきていないのも気になったので、そこでカスタードのたい焼きをふたつ買った。代金と交換した白い包みを抱え、屋台の先にあった階段を駆け降りる。
 ぐるりと見渡すと、レンタルショップやカフェがある中、確かにまっすぐ先にコンビニがあった。そしてその前に、白黒のボーダーにジーンズという、相変わらず色気皆無の服装の女の子がいる。
 近づいて、ああ髪は伸びたな、と気がついた。ふわりとよぎった風に揺れる、ボブくらいの髪になった紗鈴ちゃんも僕に気づき、丁寧に頭を下げる。
「久しぶり、紗鈴ちゃん」
 僕が笑顔で声をかけると、「お久しぶりです」と紗鈴ちゃんは変わらない、うつむきがちの小さな声で答えた。僕もつい、いったん顔を伏せてしまったものの、「あ、」とすぐ気がついて、たい焼きの包みを紗鈴ちゃんにさしだす。
「ごめん、そこで売ってた奴だけど」
「え、……と、くれるんですか」
「うん。ふたつが多いなら、ひとつ僕が食べるよ」
「……おいしそうですよね、あそこで売ってるの」
「あ、もしかしてしょっちゅう食べてた?」
「いえ。買う勇気が出なくて」
「えー、僕なら毎日買って帰りそうだけどなあ」
「じゃあ、咲羽さんも食べてください。持ったままカフェにも入れないですし」
「そっか。ん、じゃあひとつ」
 僕と紗鈴ちゃんは、コンビニの自転車置き場の前に並び、温かいたい焼きを手にして、おもむろに頬張った。しっかりとカスタードが詰まって、小ぶりなのにボリュームがある。
 また風がするりと抜けて、なびいた僕の長い髪が紗鈴ちゃんに触れる。
「女の人で来たんですね」
「え」
「どっちなのかなあと思ってて」
「あ、僕も悩んだけど。女装のほうが慣れてるでしょ」
「そうですね。やっぱり、綺麗ですね」
「紗鈴ちゃん……は、あのとき僕があげた服着てる? たまに着てやってよ」
「恥ずかしくて。自分じゃ化粧できないし」
「紗鈴ちゃんはかわいいよ。チークとルージュだけで変わるから」
「……帰ったら、少し勉強してみます」
 はむ、と紗鈴ちゃんはたい焼きを口にふくむ。
 帰ったら、か。それは今の部屋でなく、実家のことだろう。本当にいいのだろうか。紗鈴ちゃんは帰りたくて帰るのではないのではないか。また、病院に通ったりとかするかもしれないのに。
 ふたりともたい焼きを食べ終わると、そばにあったチェーンのカフェに入った。暖房が暑いぐらいに効いている。
 僕はロイヤルミルクティー、紗鈴ちゃんはカフェモカを注文し、テイクアウトすると禁煙席にふたり掛けの空席を見つけた。「狭いかな」と僕は気にしたものの、「大丈夫です」と紗鈴ちゃんは椅子を引く。
 パーテーションがあって、隣の席の会話が気になることはなさそうだ。僕はマフラーと手ぶくろをはずすと、ひと口ミルクティーをすすって、口の中の濃いカスタードを中和した。
「最寄り駅とか、あんまり教えたくなかったよね。誘ってくれてありがとう」
 カップを置いて僕が言うと、紗鈴ちゃんはふるふると首を振り、「遠出してる時間もお金もないので、助かりました」と言ってくれた。まあ、どうせ一週間もせずに離れてしまう土地だというのもあるのだろうが。
「何か──ね」
 紗鈴ちゃんに話したいことはいっぱいあった。でも、箇条書きのメモなんてもちろん持ってきていないし、一瞬どこから話していけばいいのに迷ってしまう。
「紗鈴ちゃんに、いろいろ、伝えたいことはあるんだけど」
「はい」
「とりあえず──あ、そうだ。瑞砂くんのことはきちんと断ったよ。瑞砂くんもそれ分かってくれて、僕を応援するからって紗鈴ちゃんの連絡先教えてくれたんだ。反則だけどって言ってた」
「そう、ですか。瑞砂さんのことは……ごめんなさい。私がひとりで嫉妬して」
「いやっ、好きな人の告白聞いちゃうとか、普通相手に嫉妬するって。紗鈴ちゃんじゃなくても」
「私、咲羽さんよりかわいくないのは分かってましたけど、男の人なのにとか思っちゃって」
 ミルクティーの水面をティースプーンでぐるりとまわす。
 こういうのは、勝手にしゃべっていいことではない。でも、ここは説明しないと、紗鈴ちゃんも腑に落ちないだろう。
「紗鈴ちゃん。僕もひとつ、反則いいかな」
「え。はい」
「瑞砂くんはね、その……女の子じゃないんだ」
「え?」
「あの人ね、ゲイなんだよ。僕も告られて知った」
 紗鈴ちゃんはぽかんと僕を見つめた。僕ははっきりしない表情で、へらっと笑ってしまった。
「ゲイ」と紗鈴ちゃんはぽつりとつぶやいて、目線をたどたどしくカフェモカに落とす。それから、ゆっくり息を吐いて、両手で顔を覆って──「私、バカですね」と壊れそうな声で言った。
「ぜんぜん、考えなかった」
「いや、僕も瑞砂くんはストレートだと思ってたよ」
「恥ずかしい……」
「大丈夫だよ。だからね、紗鈴ちゃんが僕に負けたとか、そんなんではないんだよ。瑞砂くんの対象が女の子じゃなかっただけ」
 紗鈴ちゃんは肩を落とし、両手でカップを持ち上げてカフェモカに口をつけた。ほのかにチョコレートの香りがする。
「……それなら、さすがにあきらめないといけませんね」
 紗鈴ちゃんのその言葉に、心の奥がきゅっと締めつけられる。
「まだ……瑞砂くんのこと、好き?」
 紗鈴ちゃんの睫毛が震える。それを見て、僕の胸には黒いものがじわっと浮かぶ。
「………、連絡なんて、咲羽さんのことで一度あっただけなのに」
 紗鈴ちゃんは泣きそうな声で吐き出し、「バカみたいですよね」となかなか伏せた顔を上げようとしない。
「何ヵ月も会ってないし、……なのに」
「それは、分かるよ」
「え」
「僕も、紗鈴ちゃんといっさい連絡取れなくても、ずっと好きだったから」
 紗鈴ちゃんは、ようやく僕を見た。僕は頬を紅く染め、「だった、ではないか」と言い直す。
「好きだよ。紗鈴ちゃんのこと」
「……私なんか、」
「紗鈴ちゃんは、かわいいよ。何かほっとけないし、咲ってくれるとすごく嬉しくなるんだ」
「………、」
「ほんとに、好きだよ。だから、紗鈴ちゃんと寝れたのも正直めちゃくちゃ嬉しかった。でも、僕、ひどいこと言ったよね。瑞砂くんの代わりとか」
「……いえ」
「ほんとは、僕として……見てほしかったけど。そしたら、もっと優しくできたかもしれない」
 紗鈴ちゃんは僕をじっと瞳に映し、少しだけ首をかたむけてから、小さな声で言った。
「優しかった、ですよ」
「えっ」
「私のこと好きなんだなって、伝わってきました」
「しょ……処理みたいに、感じなかった?」
「はい。処理にされるときがどんな感じかは、知ってるので」
 それには胸が軋んだものの、ひとまず僕は息を吐いた。瑞砂くんの代わりになる、なんて、ひどいことを言ってまで抱いて。吐き出したかっただけと思われなかったかと、長らく心配だった。だが、そこは僕の愛撫が伝わっていたようだ。
 暖かい店内には話し声や食事の音が散らばっていて、しばらく僕と紗鈴ちゃんは、それをあいだに置いて沈黙し、温かいものを飲んだ。ロイヤルミルクティーはまろやかに甘い。
 紗鈴ちゃんに伝えたいこと。言いたいこと。そして、次は訊きたいことだ。僕が踏みこんでいい話題なのか分からない。それでも、紗鈴ちゃんが傷つくことになるのなら、黙っていられない。

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