そんなわけで、高校時代は早くから心理学専攻を目指して過ごした。家の中がリラックスしてきたぶん、学校では地味な目立つこともない男子高生だった。
私生活では、スマホを通してネットで男の娘やセクマイのイベントを調べて、遊びにいったりしていた。そこでいろんな人と知り合い、つきあうこともあった。男の格好でゲイとつきあうこともあったし、男の娘が好きな女の子とつきあうこともあった。
受験生になって、多忙で自然消滅した人を最後に遊びはひかえて、勉強に身を入れた。おかげで遠方の専門学校に合格して、高校を卒業したら、同じ地域で看護師をしている従姉の部屋に同居させてもらうことになった。
「秀って男の子じゃない」
従姉である陽ねえちゃんは、最初はそう言って難色をしめした。「会えば分かるから」と僕の両親に言われ、街に挨拶におもむいた僕を陽ねえちゃんはしぶしぶ迎えに来た。
もちろん女装していた僕に、陽ねえちゃんは気づかなくて、「僕だよー!」とサプライズすると、陽ねえちゃんはぽかんとしたあと、噴き出して笑い出した。
「秀? ほんとに?」
「ほんとに僕だよ。てか笑いすぎ」
「え、ネタでやってるわけじゃないよね」
「ネタにしては我ながら完成度高すぎだと思うけど」
「確かに。あー、なるほどね。会えば分かるってこれね」
陽ねえちゃんはマニッシュなショートカットだけど、ぱっちり大きな瞳やみずみずしい唇は愛らしくて綺麗だ。軆の線も柔らかく細く、美人だけどやっぱり親戚なのでときめきはない。
「すごいなあ。女の子にしか見えない。なるほど、それでひとり暮らししたら危険かもね」
「でしょー。でも、別に心までは女じゃないから、陽ねえちゃんが男と暮らしたくないなら無理は言わないよ」
「そうだなあ。私に彼氏できたら、あくまで女の子として紹介してよければ」
「え、彼氏いないの?」
「今はいない。作ってるヒマがない。国家試験通って、春から現場に入るとこなんだよ」
「そうなんだ。僕も国家試験は受けなきゃなんだよなー」
「心理士とか言ってた」
「そお。おとうさんの職場を手伝おうと思って」
「えらい。というか、うちの家系ってやっぱ医療系多いよね。叔母さんも看護師だったんでしょ」
「僕が生まれてからは、専業主婦だけどね」
「そっか。まあ、私も女のひとり暮らしがちょっと怖いときもあったから、同居はOKかな」
「ほんと!? やったあ!」
そんなわけで、僕は荷物をまとめて、春先に陽ねえちゃんの部屋に引っ越した。部屋はわりと広くて、僕だけの部屋こそなかったものの、ふたりいると手狭になるということはなかった。
というか、お互い部屋でゆっくりするという時間がそもそもなかった。陽ねえちゃんは看護師一年目でめまぐるしさがすごそうだったし、僕も勉強したり朝まで遊んだりでいそがしかった。
進学した専門学校に、気になる男子がひとりいた。恋心ではなく、興味だけど──この実家を離れた土地で、同じ高校で見かけていた奴がいたのだ。
僕でも名前を知っている有名な奴。水瀬築。めちゃめちゃイケメンなのだけど、そのルックスを最大限活用して、言い寄ってくる女には困らない女たらしだった。
向こうは僕のことは知らないと思うし、僕も高校時代は特に奴と親しくなろうとは思わなかった。
しかし、今同じ学校ということは、あいつも心理学とかそういう分野に興味があるということだ。意外だなと感じて、話してみたいなあなんて思っていたら、ある合コンでとんとん拍子に僕は築と友人になれた。
一瞬つきあっては捨てる無神経なたらし野郎と思っていたけど、その実、築は年上の幼なじみにいじらしいくらいの片想いをしていた。
幼なじみである雪さんは、僕もちらっと見かけたことがあるのだけど、しっとり色気があって綺麗な人だった。そのとき、雪さんはだいぶ年上っぽい男と一緒だったから、年下の築には勝ち目はないのではと思ったし、築本人もそう思ったみたいだ。
それでも、築は頑張ることにした。僕もできる応援はした。そうして判明したのは、年上男はただの仕事の客だった。雪さんはお水をやっていたのだ。
そして、雪さんはずうっと子供あつかいしていた築をやっと男として認めて、ふたりはつきあうことになった。その報告を受けたときは、僕は行きつけの居酒屋で築におごってあげた。
僕は僕で、この近隣で行なわれるイベントに顔を出してみたり、SNSの緩いセクマイのつながりで同じ男の娘の友達を作ったり、それなりに楽しみつつ、単位も出席日数もわりあい熱心に取っていった。
学科は違うけど、築も色ボケはせずに勉強はきちんとやっている様子だった。特に二年生になってからはすごく頑張っていて、「何かあったの?」と訊いてみると、ずっと家庭の中でわだかまりだったことが解決したのだそうだ。
築の親は同性カップルで、いろんなことがあるものなんだろうなと深く突っ込まなかったけど、築に高校時代のひねくれた女たらしの表情はほとんどなくなった。かといって、にこにこと笑顔全開のような奴にもならなかったけど、人当たりは柔らかくなった気がする。
ゲイバーとかでそんな築の話をすると、「秀ちゃん、惚れちゃいそうなんじゃないの?」なんてママに言われたりしたものの、「それはないかなあ」と僕は笑った。
「それなら言っておくけれど、誠ちゃんが秀ちゃんのこと気になってるみたいよ」
カウンターでカクテルをもらうとき、ママが声を抑えてささやいてきた。このときも僕は女装はしていたのだけど、まあゲイバーなのだから男なのは周りも分かっていると思う。
僕はしめされたほうを向いて、壁際にいる黒いキャップをかぶってストリートっぽい服装の男の子が、こちらに視線を投げてきていることに気づいた。まだ高校生くらいに見える。僕はひと口カクテルを飲み、もう一度、彼を振り返った。
今度はしっかり目が合った。にこっとしてみると、彼は何だか恥ずかしそうにうつむく。やばかわいい、と思った僕は、ひらりとスカートをひるがえして、彼の元に歩み寄った。
「こんばんは」
そう声をかけると、彼は僕を見て、狼狽えた様子をちらつかせつつも「どうも」と答えた。低いけど、なめらかな声だ。
「ひとりなの? 誰か待ってる?」
「ひとり、です」
「そっか」
僕は彼の隣に並び、壁に背中を預けた。彼は僕に目を向け、「男、ですよね」と確認してくる。
「そうだねー。女の子がよかった?」
「……女子がよかったら、こんなとこ来ません」
女子、という言い方が学生らしくて僕は笑い、「僕は女子もいけるタイプだけどねえ」と手にしてきたカクテルを飲む。彼もドリンクは手にしているけれど、烏龍茶っぽい。
「お酒飲まないの?」
「未成年なので」
「僕、二十一歳。君は?」
「十七歳です」
「若っか! ここ、未成年は二十時まででしょ」
「そうですね。そろそろ帰らないと」
「そっか、帰っちゃうのか」
僕がうなずいていると、彼はグラスを握って、何やらもどかしそうに視線を足元に泳がせる。
「……あの」
「はい」
「いきなり、かもしれないけど」
「うん」
「連絡先……を、訊いても、いいですか」
僕は彼に顔を向け、「うん」とにっこりした。彼はやっぱり恥ずかしそうに、キャップに表情を隠してしまう。
僕はポーチからスマホを取り出し、彼もポケットからスマホを取り出した。少し振れば連絡先が表示されて、『まこと』という名前があったので僕から友達登録する。「シュウさん……?」と訊かれ、「ヒイズって読むの」と僕は肩をすくめた。
「ヒイズ、さん」
誠くんは確かめるように僕の名前をつぶやき、何かその声けっこうエロいかも、なんて感じる。僕は誠くんの横顔を見つめて、その視線に気づいた彼は、どきりとしたようにまばたく。僕は小さく咲って、「また会えるといいね」と言った。
「あ……えと、俺、週末はこのへん来るんで。門限、二十二時で帰っちゃうけど」
「僕は夜遅めに来るから、会ったことなかったんだね」
「でも俺、何度か秀さん見かけてます」
「そうなの? 知らなかった」
「初めは、何で女がって思ってたけど、ママに男って聞いてから何か気になってました」
「ふふ、そうなんだ」
僕はそう言うと、「えいっ」と誠くんのキャップのつばに手を伸ばしてみた。そしてキャップをすっと奪ってしまうと、そこには確かに、まだ高校生の幼さがある顔立ちがあった。
僕はくすりとして、その耳元に「かーわいい」とささやくと、甘く耳たぶを咬んだ。誠くんの肩がびくんと反応する。
やばい。マジでかわいいなこの子。少し顔を離すと潤んだ瞳があって、自然と口づけを交わしていた。舌遣いも何もないけど、僕のキスに応えてはくれる。
ああ、ダメだ。このままやってたら、勃っちゃいそう。
そう思って僕は唇をちぎると、「来週もここに来るね」と誠くんにキャップをかぶせなおした。
「メッセ、いつでもしてきて。毎回すぐ返せるわけではないと思うけど」
誠くんの頬は上気していて、それがおもはゆいのかうつむいてしまっている。うぶなんだなあ、とか思って、「もうすぐ二十時だよ」と僕はスマホで時刻を確認して誠くんの肩をたたいた。誠くんはうなずき、「俺も来週ここ来ます」と言い残すと、飲み干した烏龍茶のグラスをそのへんに置き、店から出ていった。
なかなか育てがいのありそうな、なんて思いながら、僕は重ねた唇を舐めてひとりで笑みを噛んでしまった。
でも、しょせんゲイバーで知り合った相手だから。そんなに長続きもしないし、一度やってしまえば、つきあうこともなく終わりなんだろうな。
それが分かっていたから、誠くんに惹かれはじめても、「好き」という言葉は使わなかった。使ってしまったら別れになる気がした。誠くんも何も言わなかった。「いい加減つきあいなさいよー」なんてママに揶揄われても、「高校生に手は出せないんで」とか言っておく。
すぐ立ち消える縁だと思っていたのに、恋愛関係に踏みこめないうち、誠くんと知り合ってあっという間に一年が過ぎた。
「冬が終わったら春が来るね」
四年生の冬、僕も築も春には実家のある町に帰るのをひかえていた。こちらに来てしょっちゅう通っていた、陽ねえちゃんの勧めで知った路地裏にあるこの居酒屋で、僕は築と飲みながら真剣な面持ちでつぶやいた。
酒を飲めるようになった築はお湯割りを飲みつつ、「深刻そうだけど、すげー当たり前のこと言ってるぜ」と怪訝そうにする。
「春になったらさ」
「ああ」
「……帰らなきゃいけないよね」
「実家を手伝うお前はそうだろ」
「そうだよね……」
「ほかに働きたいとこでもあるのか」
「いや、そういうのじゃなくて。あのね、築だから言うけどさ」
「はい」
「好きな……人が、ついに高校を卒業します」
築は僕を見て、「高校を卒業」という部分をやっぱり反復した。
「え、お前、高校生に手出してんの?」
「出してませんっ。でもそれは、手出ししたら、たぶん友達でもなくなるから。ほんとは手を出したいと思いつつ、早一年半」
「………、友達でもなくなるってことは、今は友達なのか。つか男? 女? お前全部いける奴だよな」
「男。ゲイ。僕が女装子なのも知ってる」
「ゲイは女装してるお前に惚れるのか?」
「初めて逢ったときは、興味持ってくれてるようなこと言ってくれた。今は言わない」
お店の大将が、焼き鳥を炙る香ばしい音と匂いが沈黙に流れる。店内は騒がしくない程度に賑わっていた。
築は静かにつくねをもぐもぐとしたあと、「そいつがゲイなら、秀は対象ではあるわけだろ」と言った。
「ストレートなら告ればいいってもんでもないだろうけど。とりあえず、相手にとって同性からの告白が迷惑ではないんじゃね」
「そうなのかな。いや、そうだよね。それは僕もうすうす感じている」
「じゃあ──」
「でもさ、春になったら僕ってここ離れるじゃん。彼が卒業しました、僕が告白しました、そしたらまずは遠恋って何?」
「じゃあ、こっちで仕事探せば」
「実家で実務経験積むのは決めてるんだよお。それから国家資格取って、その先は分かんないけど」
「離れてても好きだったら何とかなるんじゃね」
「築と雪さんはね、幼なじみという一種の強固な絆があるからよかったんだよ。僕とあの子なんて、知り合ったのゲイバーだからね。何か軽そうでしょ?」
「そうだな」
「軽くないよ! わりと重めにガチだよ」
「大将、秀がめんどくさい」
築に声をかけられたカウンター内の大将は、「年上がびしっと決めてやれば、そうむずかしいことじゃないだろうがよ」と器用に焼き鳥を何本も同時に焼いている。
【第三話へ】
