見ていたい-3

「鼓ちゃん」
 校舎の壁にもたれたまま、その場にしゃがみこんでいると、そんな声がかかってはっと顔をあげた。緩やかなウェーヴの髪を今日はアップでまとめている時野先輩だった。「やっぱり鼓ちゃんだ」と時野先輩はにっこりとして、私の目の高さにしゃがむ。
「来てくれたんだね」
「あっ……はい。あ、卒業おめでとうございます」
「ありがとう。最近、鼓ちゃんと話せてないままだったから、気になってたよ。よかった、会えて」
「私も、このままお別れはちょっとと思って」
「そっか。最近どうしてた?」
「私は、別に。変わりないです」
「そうなの? たまーに見かけると、よくスマホいじってるとこが多くなったから、話しかけるのひかえてたのもあるんだよね」
「そうなんですか。見かけてもらってるの気づきませんでした。受験が大変なのかと思ってました」
「受験も大変だけどね。授くんは推薦だけど、私は選手じゃないから」
「同じ大学ですか?」
「うん。私はメディカルトレーナー目指して、授くんはプロスポーツ選手」
「水瀬先輩、やっぱりプロになるんですね」
 時野先輩は嬉しそうにうなずいて、「ならなきゃもったいないよ」とまだ囲まれている水瀬先輩を振り返る。
「そういえば、鼓ちゃんは進路って決めてる?」
「私はブライダル関係のお仕事ができたらいいなって」
「ブライダルっていうと、結婚」
「そうです。私自身は結婚しないと思うし、でも、幸せな結婚式はたくさん見たいから」
「そっかあ。うん、素敵だと思う」
「ありがとうございます」
「そうだ、鼓ちゃん、よかったら私と連絡先交換しておかない? 卒業してもお茶とかしたいし」
「えっ」
「あ、無理は言わないんだけど──」
「いえっ、ぜんぜん。時野先輩が教えてくれるなら」
「授くんはあんまりスマホ持ってる意味ない感じだけど、私はメッセくれたら返すから。私からも何かあれば送るね」
「はい。あ、じゃあ──振ります?」
「振りますか」
 私たちは笑って、ID検索でなくスマホを振って検知する機能を使った。周りで同じことをやっている人も多いのか、「わ、何か何人か出た」と時野先輩が言って、「私、猫のアイコンです」と私が言うと、「これかな」と時野先輩は画面をタップした。すぐ私に通知が届き、いちご飴のアイコンで「もも」という名前のアカウントからの申請だったので、私は友達として許可する。
「猫かわいいね。この子何だっけ、アメリカンショートヘア」
「そうです。親戚のとこの子ですけど。時野先輩の写真も綺麗ですね」
「授くんとお祭りとか初詣行くと、いちご飴は絶対食べちゃうんだよね。名前は『もも』なのに、いちごかって友達には言われる」
 私はつい笑ってしまってから、「そういえば、水瀬先輩のアイコンって想像つかないですね」とつぶやく。
「私が作ったお弁当にしてるよ」
「何かすごく納得しました」
「はは。授くん、まだ囲まれてるかなあ。鼓ちゃんがスマホいじってるのに気づくの、いつも目がいい授くんのほうだったから、気にしてるとは思うんだけど」
 時野先輩が立ち上がってあたりを見まわすと、「あ、桃いたっ」という元気な声がした。時野先輩はぱっとそちらを向き、「授くん!」と笑顔になる。私も立ち上がったところで、水瀬先輩が私たちの元に駆け寄ってきた。
「あー、やっと解放された。何なんだよー、みんな俺と話したがってちょっと怖いわ」
「授くんはもう有名人だもん」
「めんどい……。プロになるって、こういうのめんどいんだよなあ。で、神対応しなかったらたたかれるんだろ」
「授くんネット見ないから、もしたたかれても関係ないんじゃない?」
「なるほど。じゃ、俺は変わらず桃ファーストでいいんだな。よしっ。で、成瀬は何で泣いてたの」
「え、泣いてないですよ」
「しゃがんでたじゃん」
「しゃがんでただけです」
「あ、だけど、私が話しかけたときも少し元気なさそうだったよね」
「それは──まあ、もう、おふたりを学校で見ることができないんだなあって」
「えー、君まだ観察願望あるのですか」
 そんなことを言いながら、水瀬先輩は無造作に残っていた制服の第二ボタンをもいで、時野先輩に手渡す。「みんな取られちゃったね」と受け取りながら時野先輩は咲い、「第二ボタン欲しがる奴はいなかったから」と水瀬先輩はにっとする。
「あ、成瀬にはあげればよかったかー。残ってないな。あ、スラックスのボタンならあるぞ」
「……ボタン取ったら、スラックスがずり落ちると思うので、遠慮しておきます」
「そうか。何かごめん」
「時野先輩に連絡先をもらったので、それでいいです」
「おっけ。今度は成瀬が受験生だよな。頑張れよ」
「水瀬先輩も陸上頑張ってください」
「桃のためにな! 早く結婚して子供欲しいし」
「そういえば、鼓ちゃんはブライダル関係のお仕事に進みたいんだって。結婚式とか、そういうの」
「マジか。俺たちのときはよろしくな」
「私でいいんですか」
「鼓ちゃんがいいよね。私たちのこと、よく知ってくれてるし」
「俺たちの説明いらなくて手っ取り早い」
「じゃあ、そのとき就職できてたら連絡ください」
「うん」と時野先輩がにっこりとうなずいたとき、水瀬先輩と時野先輩が揃っているところを目敏く見つけた子が「一緒に写真撮ってください!」と駆け寄ってくる。
「あ、そうだ、写真撮っとこう」と水瀬先輩は気がついたように言って、「そうだね!」と時野先輩もこくんとする。てっきりその子と撮るのかと思ったら、「ごめんね、この子と話してたから先に撮らせてね」と時野先輩は声をかけてきた子に謝って、「よーし」と水瀬先輩はスマホを取り出す。
 そして、若干無理やり三人でインカメラの画面に収まって、何枚か写真を撮った。「桃に転送しとくから、桃からもらっとけ」と水瀬先輩は私ににかっとして、「今みたいに撮る?」と時野先輩は素直に待っていた子に話しかける。私は邪魔せずに黙ってしまおうかと思ったけど、「あのっ」と勇気を出してふたりを呼び止める。
「水瀬先輩と、時野先輩が、すごく……すごくっ、好きでした。これからも、おふたりは一緒にいてください」
 水瀬先輩と時野先輩はきょとんと私を見たあと、それぞれに笑顔を見せて「任せろ!」「もちろん!」と応えてくれた。
 告白をしたわけではないし。まして振られたわけでもないのに。なぜか涙が出そうになって、そっか、と思った。
 きっと私、寂しいんだ。けして他人になるわけではないけど、この高校で先輩と後輩ではなくなるのが、やっぱり寂しい。私の大好きなふたりが、見ていたいと思った恋人同士が、先に巣立っていくのがどうしようもなく寂しい。
 すぐに桜が咲いて、私は高校三年生になった。いよいよ受験生としての一年が始まる。でも、湊はもちろん、時野先輩も連絡をくれるようになったから、思ったより落ちこんだスタートではなかった。
 湊は家を出ること、そして暮らす町も離れることを、本気で考えているらしい。そんな私も、大学や専門学校の資料を先生に取り寄せてもらって、近隣ではあっても県外に出るのもありかなあと思案した。そうなったら、時間をかけて通学か、あるいは部屋を借りるとか、寮とか。そんなことも湊とよく相談しあって、あっという間に夏休みになった。
 オープンキャンパスに向かう予定がいっぱいだった。そして、私がいいなと思った県外の専門学校が、湊も気になっているのが分かり、せっかくなのでそこのオープンキャンパスに同行するついでに会うことになった。
 その学校のオープンキャンパスを申しこんだ日、希望者は最寄りの駅の改札で集まることになっていた。水分と塩分補給が叫ばれる真夏日、慣れない沿線でそこに到着すると、すでにそれらしき数人のかたまりがあったので近づいてみる。
 オープンキャンパスの志願者かどうかを先生らしき人に確認されて、名前を言うと目印の名札をつけておくように渡された。クリップになっている名札を服につけていると、「えっと、鼓?」と聞き憶えのある声がしてはたと振り返る。
 そこには、栗色の髪をくしゃっとルーズにさせ、整った眉に明るい瞳を持った男の子がいた。小柄だけど親しみのある華やかさがあって、私はまばたきをしてから「湊?」と確認してみた。すると男の子はうなずき、「鼓、すっごいおねえさんタイプでびっくりした」と彼は微笑む。
「湊も──意外と、かわいいね」
「ははっ。『意外と』って」
「硬派なイメージだった」
「それ、俺が軽そうって言ってるんだけど。大丈夫です、中身は知ってもらってる通りなんで」
「そっか。あ、一応、初めまして」
「うん。初めまして。来るの遅かったね。もう集合時間になりそう」
「湊は何時に来てたの?」
「俺、夜行バスで五時半にここ着いたから、適当に朝飯食って、もう六時過ぎにはいたよ」
「早いね。時間合わせたらよかった」
「ま、終わってからお茶はできるだろ」
「帰りの時間は大丈夫? あ、どっか泊まっていくのかな」
「いやいや、夜行バスが二十二時くらいに出るかな。鼓のほうが、門限とか大丈夫?」
「今日は終電さえ間に合えば大丈夫だと思う」
「よしっ。じゃあ、いろいろ話そうな」
 私がこくりとしていると、集合時間の八時になって、さっきの先生に先導されて志願者が移動しはじめた。友達と来ている人も、保護者と来ている人もいて、人数はざっと十人を超えていた。
 最近はさまざまな結婚式があるから、ブライダル系は需要があるけど、そのぶん人気で競争率が高いと先生にも言われた。私はプランナーとスタイリストでまだ迷っているけれど、湊はゴールデンウィークにも近くのオープンキャンパスに出向き、ひとまずプランナー志望には決めたらしい。私もそこのところは夏休みには決めたいと思っている。
 学校に到着すると、体験授業や入試説明会、在校生とのランチなどが待っていて、かなりばたばたしたけど、湊がいたのもあって楽しかった。夏休み、すでにいくつかオープンキャンパスにはいくつか行ったけど、緊張もあってぎこちなさが残った。でも、湊がいるとかなりリラックスできる。
 先生や在校生と会話になっても、自分は結婚しないからという志望動機の本心はやはり言えないので、それを知ってくれている友達がいるのはわりと重要なのかもしれないと感じた。
 お昼過ぎにオープンキャンパスが終わると、湊が私の暮らす街の方向へと移動してくれた。私も湊もこの町のことは何も知らないので、出歩いても迷子になるかもしれない。かといって、ファミレスに居座るには時間が余る。そんなわけで、「俺、方向音痴ではないからひとりで戻れるし」と湊が気を利かせてくれたのだった。見憶えのある景色が車窓に見えてきたところで、私は湊と共に電車を降りる。
 百貨店やモールが集まった市街地だったので、外は猛暑でくらくらするし、室内をのんびり歩きつつ話をした。「自分が結婚しないからこそ、結婚式に携わりたいとか言いづらいね」と私が言うと、「それなー。俺も自己紹介のとき『ゲイです』をくっつけられない」と湊はうなずいた。
「でも、湊はそれ分かってくれてると思うと、今日すごく楽だった」
「俺も。自分を隠してる感じがしなくて楽だった」
「やっぱり、同じ学校だと私たち楽しくやれるかなあ」
「そう思うよな。今までみたいに、全部隠して生活していくのはもう嫌だな」
「今日のところ、けっこう本気で検討してみるね」
「いいの? 無理に合わせてくれてない?」
「そんなことないよ。あと、私もプランナーがいいかなって思ったし。スタイリストさんも憧れるんだけど、やっぱりファッションセンスが普通にいるよね……」
「鼓、綺麗にしてるじゃん」
「自分のことはできるけど。人にこうしたらかわいいよってやるのはむずかしいよ」
「何か分かる。その点、プランナーのセンスは妄想力だからな」
「妄想って」
「そのカップルがどうすれば一番輝くかを考えるんだぞ」
「そうかもしれないけど。一番は、そのカップルがどんな結婚式をしたいかだよ」
「分かってるけどっ。頭の中でこんな結婚式したらいいのにとかは考えられるし」
 私は咲って、「どうせ思考がヲタクですよ」と湊はむくれた。そのあとも、喫茶店を見つけたので私たちはそこに入って延々とおしゃべりした。
 私は水瀬先輩と時野先輩と撮った卒業式の写真を見せたりもした。「水瀬授ってニュースで名前聞いたことある」と湊が言ったので、水瀬先輩はもうそんなレベルまで達しているのかと私はびっくりする。
 湊も例の好きな男の子の話をしてくれた。弟とその子は、今年進学して高校が別になったらしく、卒業式以来顔さえ見ていないそうだ。「もうこのまま会えないなら、それであきらめたらいいのに、何で忘れられないんだろ」と湊は憂色したため息をついた。

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