男の娘でした。-6

かっこよくてかわいくて

 やがて季節は梅雨に入った。毎日しとしとと重たい雨音が響き、僕は無気力に頬杖をついて代わり映えなく店番をする。
 誰もいないのをいいことに、イヤホンをして聖生の新作を観ていた。単体デビューの前から、サイン入りのDVDはもらっているけれど、肝心のDVDプレイヤーが一階のテレビにしかないので、観れるわけがない。かくして結局、配信を購入し、ストリーミング再生で聖生の艶めかしいすがたを眺める。
 聖生で興奮することはないのだけど、男優さんがかっこいいとちょっとやばいから、僕はやっぱり男もいけるんだなあなんて思う。
 でもやっぱ一番かっこいいのは伊鞠なんだよな、とにやにやしていると、いきなりトークアプリの通知が画面に重なってきたのでどきっとする。
『今日の放課後、友達とお茶してくるね。
 おばあちゃんに夕飯の準備よろしくって伝えておいて。』
 おじいちゃんとおばあちゃんは、スマホもケータイも持っていないので、伝言は家にいる僕に預けられることが多い。「はいはい」とつぶやき、AV観てるときにメッセ来るのビビるな、と思いながら再生を止めてイヤホンを抜く。
 時刻は十四時だけど、雨の日は歴然と客足が減って、売り上げもやばい。もはやこの駄菓子屋は、おじいちゃんとおばあちゃんの道楽のようなところもあるけれど、僕にとってはお小遣い源なので、赤字は深刻な悩みになる。
 降りこまないように閉めている引き戸から少しだけ雨空を覗いて、早く夏にならないかなあ、と引っこんで、ひとまずおばあちゃんに姫亜の伝言を伝えにいった。
 案の定、その日は放課後になってもお子様たちはあんまり来なくて、僕は姫亜のトークアプリにビデオ通話をかけて、「ヒマすぎるから女子会混ぜて」とお願いした。
『はあ?』と姫亜は迷惑そうにしたものの、『姐さん!』と姫亜の友達は嬉しそうに画面を覗きこんできて僕に手を振る。昔からの姫亜の友達であるこのふたり、那海恵なみえちゃんと桃香ももかちゃんには僕は「姐さん」と呼ばれている。
「久しぶりー」と僕はにこにこして、「何の話してたの?」と身を乗り出す。『そりゃ恋バナでしょ!』と那海恵ちゃんに言われ、手元にパンケーキでもあったら申し分ないなと思ったけど、ここは駄菓子屋、僕は売れ残りの酢昆布をかじる。
『姐さん、姫亜っていい加減に告白はしそうにないの?』
『兄貴にそういう話題振るのやめて……』
「もう十七年もぐずぐずしてるからねえ」
『その人に彼女できたらどうすんのって、うちらも言ってるのに』
「今はいなかったんじゃないかな」
『「今は」? 何それ、おにいちゃんどういうこと』
「二十三歳にもなるのに、飛紀も童貞ではないでしょ」
『嘘……』
『姫亜さんは王子を童貞だと思ってたようです』
『ど、童貞というか──えっ、飛紀さん、どんな人とつきあってたの?』
「二十歳のとき、年上にそうとう入れこんでたけど」
『年上!? 私、絶対なれないよ』
「まあ別れたから」
『どんな人だったの?』
『姫亜が一番食いついてる』
「あんまり年上っぽくなかったかなあ。天然ボケ」
『天然とかあざとい……』
『姫亜はしっかり女子だもんね』
『その元カノ、別れてからは会ってない?』
「それは分かりませんなあ」
 姫亜が声なき声をあげて、桃香ちゃんがなだめにかかる。那海恵ちゃんは飲み物をすすり、『姐さんのほうはどんな感じ?』とふたりを放って画面を自分に向ける。
「ん、伊鞠のこと?」
『そうそう。姐さんを落とす女って見てみたいなあ』
「僕が伊鞠を落としたんだけどね」
『そうだっけ。姐さんは、男と並ぶほうが映えるのになあ』
「知ってる」と僕は酢昆布を噛み、『男の娘やってた姐さんはかわいかったなあ』と那海恵ちゃんはひとり静かにうなずく。
 昔は女子連中に「女の子みたいにして気持ち悪い」とも言われていた僕だけど、本格的に男の娘だったときはもう言われなかったし、このふたりも僕を理解してくれていた。
「過去形ってことは、今はかっこいい?」
『いや、かわいい』
『またおにいちゃんのことかわいいとかっ。あの人、扇風機の前でスカートまくってたり、めちゃくちゃだよ!?』
『まだスカート穿くんだ』
「スカート涼しいから」
『もう暑いもんねえ』
 雨が続いて客が来ないのをいいことに、店番がてらにそんな女子談議に花を咲かせていると、ふと引き戸を開く音がした。ん、と顔を上げた僕は、そのすがたにぱあっと表情に日を射した。
 傘をおろして入ってきたのが、伊鞠だったのだ。古時計の音にも気づかなかったけれど、もうとっくに十七時半もまわっている。「ちょっとごめんね」とスマホ画面に断ると、僕は店先に出て伊鞠を出迎える。
「いらっしゃいませー、えへへ」
 にこにこして僕がかわいく首をかたむけると、水もしたたる伊鞠は会計台のスマホを一瞥して、「メッセに既読つかないから」とちょっとそっけなく言った。
「えっ、メッセくれてたの」
「今日は定時だったから」
「マジで。あ、そうか、ビデオ通話にはポップアップかぶってこないんだ」
「いそがしいのかとも思ったんだけど」
「ううん、ぜんぜんヒマ。ごはん行く?」
「仕事中に通話って、急用でしょう」
「そんなことないよ! 姫亜たちとしゃべってただけ」
「……姫亜さん、たち」
「姫亜の友達も一緒。那海恵ちゃんと桃香ちゃんっていって──」
 伊鞠はため息をついて、「仕事中はきちんと店番しなさい」と僕の額を小突いた。「う」と僕は額を抑え、「だって、お客さん来なくてー」と湿った匂いを煙らす雨を指さす。
「それに、たまに来たら、ちゃんと対応はしてたよ」
「そう。まあ、この天気だからヒマかとは思ったんだけど」
「うんっ。ヒマだよ!」
「通話で楽しそうなら、私がヒマつぶしの相手になる必要もなさそうだし、帰る」
「そ、そんなっ。通話は抜けるよ。伊鞠とごはん食べるほうが大事だよ」
「話してる途中なら、姫亜さんたちに失礼でしょう」
「待って、姫亜には謝ってくるから。ほんと待って」
 僕は会計台のスマホを引っつかみ、「彼女来たから、通話抜けるね」と言った。すると、『彼女さんそこにいるの!?』と那海恵ちゃんと桃香ちゃんが色めく。
『見たいー!』
『映して!!』
 スピーカーなので、もちろんそれは伊鞠にも聞こえる。
 伊鞠はちょっと面倒そうに僕と目を合わせない。そんな伊鞠を覗きこみ、「ダメかなあ?」と一応お願いしてみると、伊鞠は僕を一目して「ビデオ通話は好きじゃない」とばっさり言われる。
「そうだよね……僕ともしてくれないもんね」
 しゅんとしたあとに、ごめんね、と画面越しの那海恵ちゃんと桃香ちゃんに伝えようとした。
 ところが、ふと伊鞠は僕のかたわらに来ると、手元のスマホを覗きこんだ。途端に、那海恵ちゃんと桃香ちゃんの黄色い声が上がる。
『やばっ、イケメン!』
『え、姐さんの……彼氏? やっぱ彼氏なの?』
「伊鞠は彼女だよ! 確かにかっこいいけど、女の子なのっ」
『え、でも今のは普通にイケメン……』
『姐さんが男とつきあうのは、うちら知ってるからひかないよ?』
『いやふたりとも、私も最初びっくりしたけど、今の人はほんとに女の人で……』
「癒は私の彼氏なので、仲がいいのもほどほどにしてくださいね」
 伊鞠はそう言うと、ぱっと身を引いて離れ、そっぽを向いて腕組みをした。
 僕がぽかんとその横顔を見ていると、『うおおおおお』『イケメン女子かよおおおお』とスマホから雄叫びが聞こえて、「とりまいったん切るからねっ」と言っておいて僕は通話を切った。
 そして伊鞠の隣にまわり、その顔を窺う。
「伊鞠」
「何」
「もしかして、妬きもち?」
 伊鞠はどきりとしたような表情を一瞬ちらつかせたものの、取り成してこちらを一瞥する。それを僕がじいっと見返すと、伊鞠は負けたみたいに視線を下げ、「姫亜さんの友達だって分かってても」とつぶやく。
「癒が女の子に囲まれてるのは、嬉しくない」
「囲まれてないよ。ビデオ通話だよ」
「私は、苦手でそういうのできないから。……癒はそういうの好きだって知ってるのに」
「好きというか……んー、伊鞠が苦手なのは分かってるよ? てか、メッセ自体得意じゃないのも分かってるし。なのに、今日はくれたんだよね。気づかなくてごめんね」
 伊鞠はやっとちゃんとこちらを見て、「癒にも、いろいろあるのは分かってるから」と僕と向かい合う。
「メッセ気づかないことがあるのは、仕方ないと思う。だけど、それがほかの女の子と話してて気づかないっていうのは、少し、嫌」
「うん」
「癒は、男にはもちろんモテると思うけど、女にだって……人気あると思うし」
「え。そ、そうかなあ。昔は女の子には嫉妬されて『気持ち悪い』とか言われてたよ」
「昔でしょう。少なくとも、さっきの子たちは違う」
「ん、まあ、そうか。そうだね」
「……癒の魅力を知ってるのが、私だけならいいのに」
 僕は伊鞠を見つめ、思わずへらっと笑ってしまうと、「伊鞠だけだよ」とわずかに雨に濡れたスーツの肩を抱き寄せる。
 外の雨音が柔らかく店内を包んでいる。
「わがままなとこも、メッセをよく追撃するとこも、女の子よりかわいいとこも、僕の全部を『魅力』って言ってくれるのは伊鞠だけ」
「癒……」
「あと、えっちのとき僕が男役してるのを誰ひとりとして信じないから、それ知ってるのも伊鞠だけ」
「……バカ」
「ふふ。僕はどこにも行かないよ。伊鞠だけだからね」
 伊鞠は僕に抱きつき返すと、「うん」と僕の髪を撫でた。僕がその軆をぎゅうっと抱きしめていると、「あーっ、姫が男といちゃついてる!」という声が割りこんできた。
 無論それは客のお子様たちで、「姫じゃない!」と僕は伊鞠と抱き合うままびしっと言う。すると伊鞠はおかしそうに咲い、「仕事の邪魔だね」と軆を離す。「あうー」と僕が伊鞠の腕を引き止めると、「安心したから、いつものとこで待ってる」と彼女は優しく微笑み、手にした傘を広げて店を出ていった。
「何だあの王子」
「姫には王子がいたのか」
 濡れた傘を置きながら伊鞠を見送る男子たちは、そんなふうにざわめいて、「かっこいいでしょー」と僕はにまにまとのろける。「いや、俺のほうがかっこよくなる!」「俺もかっこいいよなっ?」と男子たちは僕から「かっこいい」という言葉をもぎとろうとするけど、たとえお子様だろうと言ってあげない。
 僕の「かっこいい」は伊鞠のものだし、何なら、「かわいい」はもっと伊鞠のためだけの言葉だ。
 意外と妬きもち焼きな僕の恋人。ほんとかわいいなあ、と僕は会計台に戻って食べかけの酢昆布をかじり、今日は伊鞠と何の定食を食べようかなんて想いを馳せた。

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