さて、あとは──帰るか。ほかのお店を見ていってもいいけど、高そうなお店ばっかりだし。この百貨店の周りも、デパートとかそういうのばっかりだし。私には縁がないや、とエスカレーターへと向かって歩いていたときだった。
「あ、南くん。あの人、絶対に南くんのファンだよ」
どこからかそんな声がして、ん、と声のしたほうをちらりとした。そしたら、高校生くらいの男の子がこちらを見ていて、「こら」とその子の父親らしい男の人が男の子を小突く。でも、私はそのふたりでなく、そのふたりと一緒にいる男の子に思わず立ち止まってしまった。
「美由くん」
私が声を出すと、艶やかな黒髪と淑やかな白皙、眼鏡をかけたすらりとしたその男の子が私を認めた。彼も驚いたようにまばたきをして、「咲坂さん」と私のことをちゃんと憶えていて、そう呼んでくれる。
「え、響くん、知り合い?」
高校生の男の子がきょとんと美由くんを見上げて、「高校時代のクラスメイトだよ」と美由くんは答える。「そうなの?」と父親っぽい人が言って、「うん」と美由くんはそちらにも答える──というか、え、待って、美由くんのおとうさまということは、美由南さんなのでは!?
そういえば、高校生の子は「南くん」って呼んでたし、私、思いっきり『デッドエア』のショッパー提げてるし……私が緊張と混乱で石化していると、「あ、咲坂さんって、響が話してた佐々木先生の『デッドエア』が好きな子?」と南さんが言って、「うん、そう」と美由くんはうなずく。「やっぱり南くんのファンだ!」と男の子が明るく笑った。
「僕のファンじゃなくて、佐々木先生のファンでしょ。──ごめんね、びっくりさせちゃって」
南さんが私にそう言って、私はぶんぶんと首を横に振る。
南さんのお顔って私は知らなかったけど、すごく物柔らかで、明るい髪色も派手な印象がまったくなくて、おっとりした感じだ。さすが、美由くんのおとうさん……!
高校生の子は美由くんの弟さんかな、ほがらかだけどやんちゃな感じがかわいいかも。
家族の顔面偏差値が高くてまばゆいけど、おそるおそる、三人に近づいてみる。「久しぶりだね」と美由くんが言ってくれて、私は次は首を縦に振る。
「美由、くん──えと、こっち来てたんですね」
「うん。夏休みだし」
「あっ、就活……とか、あるのかな。弁護士にも」
「僕はまだ、二年は法科大学院行かなきゃ。そのあと、司法試験も二回あるし」
「そ、そうなんですか? 大変だ……」
「咲坂さんは就活してるの?」
「今のバイトの社員になろうかなと」
「アニメのお店だっけ」
「まあ、そうですね。ホビーショップ」
「そっか、頑張ってね。あ、それで──こっちが父の南で、弟の奏だよ」
改めて南さん、そして弟の奏くんを紹介されて、私はきしんだ音でもしそうな堅さで、お辞儀をした。「そんな堅くならなくていいよ」と南さんは咲ったけど、「いや、あの、でも……以前、恐縮なことにリュクのスケッチとサインまでいただいてしまいまして」と頭がぐるぐるするまま妙な口調で口走ると、「ああ、あれは、佐々木先生がいいよって言ってくれたから」と南さんは私を制する。
「さっ、佐々木先生にも認知されたスケッチだったんですか!? な、何かすみません……いや、すみませんっていうか、とてもありがたいです、はい」
「よかった。響、君のことをあのとき心配してたから」
「えっ」
「あ、何か嫌な想いをしてたんだよね。そのあとは、大丈夫だった?」
「あ……は、はいっ。美由くんが仲良くしてくれるようになったら、変な奴らは一瞬で消えたんで!」
「はは、そうなんだ」
「僕は何もしてないけどね」
「そんなっ。美由くん、私の話聞いてくれましたし、お弁当も一緒に食べてくれて、その、感謝しています」
私が必死に言っているのを、奏くんは何やらじいっと眺めている。その視線に気づいてたじろぐと、奏くんはなぜかにこっとしてから、「響くん、この人とお弁当とか食べてたんだあ」と美由くんをつついた。わずかに動揺したような美由くんに、「奏」と南さんは奏くんを止めて、「今日は奏のスーツを作りにきててね」と私に説明をくれる。
「今オーダー終わったから、お昼ごはんも食べていこうかってところなんだけど。よかったら、咲坂さんも一緒にどう?」
「えっ。でも、その、ご家族の時間……」
「いいよ、それは家でゆっくりできるから。響も普段こっちいないから、食事くらい一緒にしたいんじゃない?」
南さんに目を向けられた美由くんは、私を見て、「咲坂さんがよければ」とちょっと照れたように言ってくれた。ただの元クラスメイトなのにいいのか、と思ったけど、私はけして嫌じゃないし、すごく緊張するけど嫌ではないし、私だって美由くんと久しぶりにごはん食べたいし──
「じゃあ、お邪魔します」とショッパーをぎゅっと握って答えると、「よーしっ、じゃあ何食べよっか!」と奏くんが嬉しそうに吹き抜けに覗けるひとつ上の飲食フロアを指さした。
少しうろうろと迷ったけど、最終的には昔懐かしい雰囲気の洋食屋さんに決まった。まだ十二時にはなっていなかったので、店内はにぎわいはじめつつも、すぐ席に着くこともできた。
私と美由くんが隣り合って、向かいに南さんと奏くんが座る。高校時代はよく並んでお弁当を食べていたとはいえ、昔より美由くんの軆が成長していてどぎまぎしてしまう。
「チキンオムライスかマカロニグラタンかなあ」
奏くんがそう言うと、「じゃあ、僕がグラタンにするから、オムライスにしたら」と南さんは肩をすくめる。私はメニューをめくって、ここはお値段ひかえめにランチにしたほうがいいよね、と悩んでいると、「カニクリームコロッケがあるよ」と美由くんがめくる私の手を止めて指さした。
「えっ。あ、美由くんこれにしますか」
「いや、昔、咲坂さんのお弁当によく入ってた気がするから」
「あれは母のセレクトなので……いや、好きですよ? 好きですけど、カニコロにこの値段出していただくのは申し訳ないというか……あっ、自分で出せばいいですね!」
私が一気にまくしたてると、三人はきょとんとこちらを見たあと、南さんが笑いを噛んで「遠慮しないで」と言い、「おもしろい人だよね」と奏くんはにやにやとした。おもしろいとは、とかたまってしまうと、「奏」と美由くんは弟をたしなめて、「ごめんね、でもほんとに遠慮しなくていいから」と私に微笑む。
「もちろん、ほかのがよければほかのでもいいし。咲坂さんは、南の画集とかも買ってくれてるからいいんだよ」
「いえっ、あれは神へのお布施でもあるので」
「神」と奏くんが噴き出して、私はご本人が目の前にいるのを思い出して真っ赤になる。南さんも笑いをこらえていて、私完全にヲタで気持ち悪いよ、とへこみそうになると、「咲坂さん」と美由くんが昔と変わらない優しい声をかけてくれる。
「僕も南の絵は好きだから分かるよ。褒めてくれてありがとう」
私は美由くんの澄んだ瞳を見つめ、こくんとしたあと、「カニコロ定食で」と小さな声で言った。
美由くんは微笑んでから、「ふたりとも、あんまり笑わないでよ」と自分も決まったのかメニューを閉じる。「ごめんごめん」と南さんは息をついて、「ありがとうね」と私にも言ってくれる。そして、美由くんがビーフシチューに決めたのを確認すると、南さんはベルで店員さんを呼んで注文した。
「咲坂のおねえさんは、彼氏いるの?」
店員さんが注文を受けつけて去ると、お冷やをごくんと飲んで奏くんがそんなことを訊いてくる。
「あ、彼氏は──」
やば、しれっと「います」って言いそうになったけど、もちろんそれってリュクのことだ。一般の会話では、リュクは果たして彼氏にカウントしていいの? 痛すぎることになるの?
思わず口ごもると、「咲坂さんには大事な人がいるよね」と美由くんが助け舟で言って、私はこくこくとする。「えーっ」と奏くんはなぜかおもしろくなさそうにした。さっき「おもしろい」って言ってたのに、表情がころころ変わる子だ。
「そんなん、響くんは──」
「奏、それは響が咲坂さんに言うことだからね」
「……はあい」
「えっ、何ですか? 美由くん、私に言いたいことあるんですか?」
そこは聞き流せずに私が美由くんを見つめると、美由くんはまばたきで視線を狼狽させたのち、「いや、何のことだろうね」なんて言う。「え、言いたかったら言ってください」と私は美由くんの半袖を引っ張る。
「私、美由くんに迷惑かけてるなら、直したいですし」
「め、迷惑……とかじゃないよ。気にしないで」
「これからも、仲良くしてくれますか?」
「うん」
「嫌いになる前に、嫌いなところ言ってくださいよ? 変えますから」
「ならないよ、大丈夫」
それでも私が不安そうな顔をしていたのか、美由くんは改めて視線を合わせると「僕は咲坂さんの友達だから」と言った──途端に、「それじゃダメじゃん!」と奏くんが天井を仰ぎ、「はいはい、落ち着いて」と南さんがそれをなだめる。
私が首をかたむけていると、「奏はお節介なところがあるだけだよ」と美由くんは苦笑し、「お節介って何それー」と奏くんはふくれっ面になった。
そんなやりとりをしていると、料理が運ばれてきた。カニクリームコロッケはレンチンの冷凍食品とは違い、さくさくのとろとろですごくおいしかった。
奏くんは、南さんのグラタンや美由くんのビーフシチューにはひと口だけ手を出しているけど、私のものには何もしない。おそるおそる「ひとついりますか……?」と訊くと、「いいのっ?」と奏くんはぱあっと表情を輝かせた。
「どうぞです」とカニコロをひとつオムライスのお皿に乗せると、「やったー」と奏くんはさっそく頬張り、熱そうにしてるのを何とか飲みこむと、「ありがとう!」と満点の笑顔で言う。「何かごめんね」と美由くんが気遣って、「いえ、美由くんの弟さんなら」と私はほっとしながら微笑んだ。
そんなふうに食事を取っているうちに、店内はお昼時の混雑が始まっていた。すっかり満腹になって落ち着いていたけど、「席譲らないとね」と南さんが立ち上がり、私たちも続く。
お金は本当に南さんがはらってくれて、私は神と思っている人に謝るやら感謝するやらだった。
奏くんのスーツはオーダーメイドなので、後日引き取るそうで、三人もこれから帰るらしい。「奏くん、スーツ着る機会があるんですか」と訊いてみると、来年度の大学の入学式に備えておくのだそうだ。ということは、今、高校三年生なのか。「奏は大学生になったら、海外に留学するつもりだから」と下りのエスカレーターで美由くんが言う。
「今から、用意できるものは用意しておいてる感じなんだ」
「海外って、奏くん、英語できるんですか?」
「オンライン通話する海外の友達くらいならいるー」
「……それ、対面よりすごいじゃないですか」
「えー、そうかなあ」
「対面の『いえーい!』とかいうノリさえないじゃないですか」
「わりとそういうノリでしゃべれる」
「……さすが美由くんの弟さんですね。私は日本語すら危うい」
「そんなことないよ。咲坂さんの言いたいこと、僕はちゃんと受け取れてるし」
美由くんの言葉に安堵していると、すぐに一階に到着した。
「外暑そうだね」と南さんが目を細め、「熱中症とか気をつけて帰ってね」と私を振り返る。「はい」と私は答え、改めて「ごちそうさまでした」とお礼を述べた。「またねっ」と奏くんは手を振って、歩き出した南さんについていく。
美由くんは私の前で、足を踏み出すのをほんの少し逡巡した。
「美由くん?」
「……あの」
「はい」
「僕、また大学がある街に行っちゃうし、そのあと二年間はすごくいそがしいと思うから」
「そうですね。頑張ってください!」
「………、卒業式の、あと──」
「え」
「連絡、止まっちゃったけど……何か送ったり、していいのかな」
「もちろんですっ。私も送っていいですか?」
「うん。ありがとう。よかった。じゃあ、行くね。水分採りながら帰って」
「そうします」
「咲坂さん」
「はい」
「僕は、咲坂さんが好きだからね」
「えっ──」
「こちらこそ、仲良くしてね。じゃあ」
私は呼び止めようとしたものの、どんな声を出せばいいのか分からなくて、美由くんが南さんと奏くんと並んで百貨店を出ていくのをただ見送った。ぽかんと突っ立ち、でもショッパーはなくさないように胸に抱き、三人のすがたが白日の光に飲まれていくのを見ていた。
好……き。
好き……って。
え?
……それは──。
想到しかけた瞬間、頭がショートして目の前がちかちかした。
いや、待て待て待て。好きって、それは、友達として! 当たり前でしょ!
何を唐突に恋愛脳になってんだ、私。私を好きになる男の子なんていない。いや美由くんは好きって言ったけど。友達だし。友達って言われたし。そんな、美由くんに限って、私のことなんて。
で……も、連絡先、交換してたけど。卒業後に一度途切れると、なかなか連絡できなくて。どうしてるかなあと思っても、何も分からなくて。美由くんからも何も来なかった。そういうの、美由くんも同じではあったのかな? だから、連絡していいかなって言ってくれたのかな。
友達。友達、だよね。……平気だもん。私、美由くんに好きな人いるのも知ってるし。美由くんに彼女ができても平気だから。これは、友達だよね。
【第三話へ】
