百貨店を出る前に、自販機でお茶を買って、口を潤しながら炎天下に出た。つらぬくような日射しが視界も素肌も焼いて、アスファルトで跳ね返る。
喧騒の中を駅まで、速くなれない足取りで歩いていく。溶けるみたいに汗が流れていく。だからまたお茶を飲んで、かろうじて軆に不調が出ないようにする。
好き。友達の意味とはいえ、その言葉を他人に言われたのは初めてだった。
私は昔から、うまく友達を作ることができなくて。だから次第に、アニメや漫画にのめりこんで。二次元を現実のように捕らえるようになって、初恋さえも二次元で迎えた。いつのまにかそれが正しくて、現実世界を楽しむのは悪いことのように感じていた。
美由くんだけ、心に許し入れることができた。私の二次元への愛を、美由くんは理解してくれたからだけど。キモいとか痛いとか言わず、私にとってリュクが「大切な人」だと認めてくれた。美由くんとだけは、話をしていると楽しかった。私も、美由くんとの時間が好きだった。
そう、私も「好き」だけど。美由くんと過ごすこと。美由くんと話すこと。美由くんに微笑まれること。でも、それは──
自分でも気持ちがはっきりしなくて、生理前みたいなもやもや感を抱えながら、クーラーのかかった電車に乗って帰宅した。家までの道のりはまたひりひりと暑く、たどりついた自分の部屋で、フルスロットルのクーラーに当たる。
それから、本日の戦利品を棚に並べた。熱を帯びた頭と軆が落ち着いた頃、無事帰宅したことを美由くんにひと言送ろうかと思ったものの、さっそく何か送るのも恥ずかしいかな、とまた悩みはじめる。
いや、メッセを始める切っかけも必要かもしれないし、むしろごはんをご馳走になったのに何も送らないのは失礼なのでは。三十分くらい躊躇った挙句、私は止まっていた美由くんのトークルームを呼び出し、帰宅とお礼を短くまとめた文章を送信した。
しばし既読がつかないかそわそわしたものの、特に何もなかった。気抜けして息を吐き、まあ片時もスマホ手離さないような人じゃないか、とひとり納得しておく。
スマホを置く前に、何となくSNSを開いてみた。すると、桜さんがめずらしく『クリスタルメイズ』のことでなく、高校時代の親友さんたちとお茶するというつぶやきを流していた。桜さんはリア友もいるんだよなあ、と思い、好きな人ができたこともあるんだっけと思い出す。
『好きな人ができたかもしれない。
リアルで。
しかも女の子。』
そんな報告がブログに出てきたときは、びっくりした。桜さんはどちらかといえば、中学時代の失恋の痛手で、リアルの恋愛は忌み嫌っている感じさえあった。
それから、ブログの内容はしばらくその好きな人に関することが続いた。好きな人についていっぱい考えている。けれど、行動にはなかなか移せない。それでもやっぱり他人のままは嫌だ。夏休みになる前、桜さんはついに動いた。でも──最終的に、その恋は実らなかった。
桜さんって、今は恋愛してるのかな。SNSではそんな様子はないけれど、SNSってブログほどさらけだす場所じゃないし。ブログはだいぶ更新が止まっている。それはいそがしくて何もないからなのか、あるいは何かあって伏せているからなのか。
昨日もらった桜さんの長文を読み返して、いきなり恋愛ネタ相談したらヒカれるかなあと思う。逆に私が桜さんに『リア恋始まった』と報告されたら、正直ちょっと複雑かもしれないし。
どうしようもなくて、どうせフォロワーもろくにいないことだし、『「好き」って何だよ……』とだけ勝手につぶやき、スマホはベッドに投げた。
だいぶ涼しくなったけど、アイスでも食べよう。そう思って部屋を出た私は、キッチンの冷凍庫でストロベリーのカップアイスを見つけて部屋に持ちこんだ。ちなみに両親は仕事なので、誰もいないリビングは熱気がすごいことになっている。甘酸っぱいアイスを舌で蕩かすと、熱がこもっていた軆もすっかり軽くなったので、私はつくえで中途採用試験の勉強に集中することにした。
店長がくれた試験対策の資料を無言で読みこんでいると、レースカーテンの向こうが暗くなりはじめた。資料の字が読みにくくなったので、私は顔を上げて立ち上がり、カーテンを引いて明かりもつける。
ふうっとため息をつき、スマホ鳴らないなあと思ったら、そういえば、電車に乗ったときのままサイレントになっていた。それを思い出して急いでスマホを手にすると、やっぱりいつのまにか着信がついていて、美由くんからも来ていたのでどきっとする。いつくれたんだろ、と焦ったけど、すぐに既読をつけていたらそれはそれで気持ち悪かったか。
『家に無事着いたならよかった。
こちらこそ今日はありがとう。
久しぶりに咲坂さんとごはん食べられて楽しかった。』
楽しかった。……うん、私も楽しかった。
って、それは伝えてセーフなのか、アウトなのか。距離感が分からないぞ、と思いつつほかの着信もチェックしていると、SNSの私の例のつぶやきに『恋?』という桜さんのリプライがついていたので、思わずおかしな声をあげてしまった。
恋! 恋って! そんな、さらっと言われましても!!
いや……違う、よね。だって、私の恋は二次元相手じゃないと。リアルなんて、そんなのありえない。だからって、桜さんのあの恋がいけなかったとも思わないけれど。私は……
美由くんに、ダメな理由なんてない、けど。
美由くんなら、私のこと分かってくれるけど。
だからって、安直に好きになったって──
桜さんのトークルームを開いて、やはり正直に相談してみることにした。さくっと問いかけるつもりが、だんだん長文になってきたので、いったんメモ帳に移動して文章を直した。それでも美由くんのことを話したことがなかっただけに長文になり、それを思い切って送信した。
送ったものを読み直し、我ながらうぜえなと思っていると、ふっと既読の文字がついて名状しがたい悲鳴をあげてしまう。やばい。読まれてるのめっちゃ恥ずかしい。これ、マジで嫌われる案件にはならないよね? それぐらい不安になっていると、ぽんと桜さんの短いメッセが表示された。
『返事、長文になりそうだからちょっと待っててね。』
長文。確かに、ここからラリーになっても、やったことがなくて慣れない。というか、私があんまりラリーは得意ではない。
美由くんにはどう返事するか、そもそも返事をするのか、スタンプで軽く済ますべきなのか。そんなことにまた悩み、ようやくスタンプに決めて送ったものの、既読つけてからやっと送ったのがスタンプひとつって何? と気づいて慌てた。
でも今から文章つけたすのもおかしいし、ああもう、やっちゃった。そもそも、次につながる何かを書いておかないと、またここでメッセ終了じゃん。また美由くんに連絡する機会なんて、いつ来るのかまったく分からない。がっくりと首を垂らしていると、メッセ着信が鳴ってぱっと顔を上げる。
でも、まあ、美由くんではなくて、桜さんだったけど。それでも、息遣いと心臓をこわばらせながらトークルームを開いてみる。
『返事遅くなってごめんね。
その男の子、私は好きになっていいと思うよ。私だったら好きになってるんじゃないかと思う。ヲタ野郎でもないのに、夢女子を理解してくれるとかめちゃくちゃ貴重だし。リュクくんのこと、「リアルで仲良くしてる俺より二次元かよ」じゃなくて、「大切な人」って言ってくれるんでしょ? ダメだわ、それは惚れるわ。
ふうちゃんもノンセクだったよね。ノンセクって性的欲求はなくても恋愛感情は持つわけだし、「好き」って思うのに関しても、何もおかしいことはないのでは……? というか、「これはノンセクに当てはまらない」って、セクってそういう定義で固めるものでもない。何なら、その男の子とならふうちゃんは恋愛どころか行為もできるかもしれない。そして、それはぜんぜん悪いことじゃない。
ずっと二次元だったから「リアルなんて……」っていうのはあるかもしれない。私も昔あったから分かるし、ヲタ仲間のあいだには「結局リア充かよ」って白い目で見てくる人もいる。でも、二次元をリアルと同じくらい大事に想えるってことは、リアルも二次元レベルに大切にできるってことだと私は思うんだ。だから、リアルで素敵な人を見つけるのは、何も悪いことじゃないんだよ。
話聞いた(読んだ)限りでは、男の子のほうもふうちゃんを特別に想ってるんじゃないかなあ。私、高校時代の好きな人とは連絡先すら交換してもらえなかったよ? 今思うと、やっぱ気持ちには感づかれてたんだろうなと思う。それに、友達としてでもつながりたいって思ってたけど、実際いつまでも友達だったらつらかった気がする。
その男の子は、ふうちゃんに「仲良くしてね」って言ってくれたんでしょ。そういうの軽々しく言う男の子なのかどうか、そこまでは私は分からないけど、もっと連絡取り合いたい話からの「仲良くして」っていうのは、かなり恋愛感情の可能性が濃厚じゃない?
彼のそういう「仲良くしたい」って言葉や気持ちを、ふうちゃんが「嫌だな」って感じるなら、その男の子とは逆に距離を取ったほうがいい。でも、嬉しいなって、私も同じかなって感じるんだよね。じゃあ、そのままくっつけばいいじゃんと私は思っちゃうけど。
その子と仲良くなっても、リュクくんへの裏切りとか、そんなんにはならないから。リアルでのふうちゃん、二次元でのふうちゃん、どっちもあっていいんだよ。それは二面性とか嫌なイメージのものでもない。どっちもふうちゃんでいいんだよ。何といっても、その男の子がそれを理解してくれてるんだから!
好きになっていいんじゃない? 私は応援するよ。何かあれば、話も聞くよ。
って、やっぱすごい長文になったごめんなさい。えらそうなことも書いたけど、そこはお許しください。またいつでもメッセ飛ばしてね、とりあえず私はしゃわります。』
最後に応援のスタンプがあって、無意識に息を止めていた私は、はあっと息を吐いてしまった。よかっ、た。とりあえず、桜さんを不快にはさせなかったみたい。むしろ、親身に考えて、こんな長文を打ってくれた。
手の届かない対象に恋をする、というネットにあった項目を見て、私はノンセクだなあと思ってきた。だけど……そうか、それに囚われる必要もないのか。
美由くんとキスとか何とかは考えたことさえなかったけど──どうなのかな。分からない。ただ、そんなことより、ずっと仲良くいられたらいいなと思った。二次元のキャラは、私がそう思っていたら離れていかない。リアルは分からない。だから私は人と関係するのが嫌いだった。
でも、美由くん──桜さんにだって、不思議と「いつか離れていくかもしれない」という不安はあんまりない。これは、私が美由くんや桜さんを信頼できてるってことなのかな。「好き」っていうのはもちろん、私は美由くんをすごく信じている。
美由くんが、軽率に人に「仲良くなろう」とか声をかける人ではないのは確かだ。どちらかといえば、美由くんのほうが私より他人とは容易に親しくならないタイプに見える。でも、私には「仲良くしてね」って言ってくれた。せっかく交換していた連絡先を、また使いたいのも言ってくれた。そして、私はそれをとても嬉しいと感じた。
好き。私、美由くんが好きなのか。
好き……って、また、ずいぶん理想高い人を好きになってしまったな。ある意味、ガチの手が届かない感がある。将来は弁護士になりたいとか言ってる人だよ。それに引き換え、私はヲタをそのまま仕事にするような……いやヲタであることに卑屈な気持ちはないけど!
もちろん、私が好きになったのは、美由くんのそういうブランドみたいなところじゃない。私をイジメから助けてくれたり。好物を把握されるほど一緒にお弁当食べてくれたり。あの高校で、私だけには柔らかく微笑んでくれたりしていたことで──
……あ、でも。桜さんのメッセには書きもらしたけど、美由くんには好きな人がいるんだ。ただし、その人には相手がいるらしい。美由くんをさしおいて、いったいどんな奴を選んでいるのだろう。いや、何がどうなるか分からない。もし、美由くんがその人と何かの切っかけでつきあいはじめたら──
平気。さっきそう思ったのに、今度は「好き」という気持ちを防護する殻がなくなっていて、心にちくんと刺さった。
嫌、だな。美由くんに彼女ができたら、私は嫌だ。
【第四話へ】
