早朝より太陽がのぼって明るいけど、やっぱりきんと寒くてコートを深く着る。時刻は八時にはなっていないから、仕事には間に合いそうだ。
頭がぼうっとするほど暖房がきいている電車で街に出ると、関係者用の裏口からモールに入る。表のエントランスは、モールがオープンする十時まで警備員さんに守られて閉まっているのだ。
ショップに到着すると、少し開いたシャッターをくぐって店内に踏みこむ。バックに顔を出すと、「真宮さん、おはようございますー」というバイトの子の声がかかって、「おはようございますー」と応じて私は荷物をロッカーにしまう。
「昨夜、大丈夫でした? かなり酔ってましたけど」
「あー、朝まで飲んでたわ」
「朝まで!? 寝てないんですか」
「だから、今日はなるべくバックに閉じこもっとく。何かあれば呼んで」
「内藤さんも一緒だったんですか?」
内藤は誉の名字だ。「そうだねー」と答えると、バイトたちは顔を見合わせて「真宮さん、内藤さんにしとけば安心じゃないですか」と唐突に言われる。
「は? 何を?」
「いや、昨日の話聞こえてましたけど、内藤さんなら悪い人じゃないと思うし」
「それは──あたしに誉とつきあえと」
「命令形じゃないですけど」
「いや、ないわ。誉は友達すぎて恋愛として見れないわ」
「真宮さん、そういう男が何だかんだ一番幸せなんですよ」
「そうそう。こっちから好きになった男なんて、どうせつけあがるだけだし」
冷めていたようで、地味にこの子たち、あたしの愚痴に聞き耳を立てていたらしい。
「でも、誉もあたしとつきあうとか笑い飛ばすでしょ」
「そうかなあ。内藤さんも、真宮さんのこと気にしてるから、愚痴聞いたり朝までつきあったりするんじゃないですか?」
「いいと思いますよー。内藤さん、ファンのお客さんも多いですけど」
「えー……まあ、考えとくわ。はいはい、開店作業入りましょう」
バイトたちはまだ何か言っていたけど、聞き流してあたしは彼女たちとオープンの準備を始める。
今日の朝番が揃うと、さくっと朝礼をして、そうこうしているうちに開店時間の十時が近づく。シャッターも上げきって、あとはお客様を待つのみになったところで、モールのエントランスが開放されたのかざわめきが聞こえてきた。
あたしはこの日、宣言通りなるべくバックにいたけど、別に裏方ならヒマということもない。社員だからPC作業もあるし、新入荷のダンボールを開く作業もある。店内で笑顔のままお客様との間合いを測るより、こっちのほうが汗をかくくらい大変だったりする。
あっという間に夕方になり、夜番の子が入ってきた。社員のあたしは日勤なので閉店まで帰れない。夕礼を済ませて朝番から仕事を引き継いだ夜番が店内に出て、あたしはまたバックで地味な体力作業をする。
やがて二十一時にショップが閉店し、店内を片してから夜番の子たちがバックに入ってくる。
「お邪魔しまーす」
引き上げてくる夜番と一緒にそんな声がして、振り返るとなぜか誉のすがたがあった。朝まではやたらひらひらしたスカートだったけど、今はすらりとしたパンツルックだ。ナチュラルとは言えない濃いめの化粧に、大きめのリングのピアスが揺れている。「どしたー?」とあたしが首をかしげると、「差し入れでーす」と誉はコンビニのふくろをテーブルに置いた。
「コンビニスイーツ盛り合わせ」
もちろん、みんなはしゃいでテーブルに集まる。そういやあたし今日何も食べてない、と気づいたので、ふくろの中にあった白いたい焼きを選ばせてもらった。
「翠子、有給取らなかったんだね。えらいじゃん」
「具合悪いとかはなかったしね」
「僕は夕方まで寝てたよ」
「はは。あたしも帰ったら爆睡する」
「えー、そうなの。夜遊び誘いにきたのに」
「いや、マジであたし寝てないから無理」
「ちぇっ。おもしろい友達が一緒なのに」
「おもしろい友達」とあたしはたい焼きを頭から食べる。もちもちした生地に包まれたカスタードが、ひんやり甘くて最高だ。
「最近SNSでつながった女装子」
「女装子かー。誉の友達っぽいね」
「その子には彼氏いるんだけど、翠子にいい男紹介してくれるかなあって」
「女装子が紹介する男は、果たしてストレートなのか」
「ストレートもいるでしょ。その子とこのあと合流するからさ、夕飯一緒にどう?」
「んー、分かった。夕飯は食べて帰らなきゃいけないし」
「やったっ」
誉はぱっと笑顔になり、やっぱこいつもあたしのこと友達と思ってるでしょと思う。じゃなきゃ、男の紹介をしたりもしないだろうし、自分をアピールするだろうし。「誉はいい友達だよなー」とつぶやくと、「できる友達と言いなさい」と誉はふふんと笑った。
かくして、バイトの子たちを帰してお店にロックもかけると、あたしと誉は繁華街に出た。食べれるお店に行く前に、駅で誉の友達と待ち合わせる。時刻は二十二時を過ぎたところで、さすがにお腹空いてきたなあと思う。
「何食べんの?」と訊くと、「リクエストある?」と問い返され、「和食がいいかな」と答えた。「おっけ」と誉が答えたところで、彼のスマホが鳴る。通話に出た誉は、「着いたー? 北口にいるよー」とか言っている。それからまもなく、「まれちゃーんっ」という声が行き交う人の中から聞こえてきて、「ひぃちゃん!」と誉も手を振る。
誉の視線の先にいたのは──ストレートのロング、黒とピンクのボーダーミニワンピ、黒のロングブーツ、ピンク基調の甘めの化粧に華奢な肢体、どう見ても女の子、愛らしい女の子だったけど、……これが男なのか。
誉を見ていても思うけど、もはやこの時代、性別というものは崩壊した。あたしたちの前にたどりついたその子は、「ごめんね、遅くなって」と少し息をはずませる。
「ううん。ひぃちゃん、仕事大変だろうし」
「土曜だから午後診はなかったんだけどね。いろいろあって」
「お疲れ。あ、この子が僕の友達の真宮翠子ね。彼氏募集中。ひぃちゃんの周りに、何かいいのいない?」
「誉、いきなりあたしに、彼氏募集中のたすきをかけんな」
「違うの?」
「……違わなくはないけど」
「彼氏かあ。あ、初めまして。僕は結賀秀っていいます。彼氏とは遠恋中です」
「遠恋してるんですか。すご……」
「ちゃんとらぶらぶですよっ。というわけで、僕は彼氏になれないけど、うーん、僕の周りねえ」
「ひぃちゃん、顔広そうだから」
「でも、みんなけっこう、すでにパートナーいるっていうか……翠子さんは、どういう男が好みです?」
「え、ガチで紹介してもらえるの?」とあたしがとまどうと、「そのために会わせたんだよ」と誉は胸を張る。
「そうか。うーん、イケメンとか背が高いとかは正直こだわらないけど、しいて言えば、あたしのために五分間を作ってくれる人……?」
「何それ」と誉は変な顔をして、「その五分間でメッセの返信をよこせって言ってんだよ」とあたしはこまねく。
「翠子はメッセに依存しすぎじゃない? 恋愛って会ってやるもんだからね?」
「会ってくれるなら会ってほしいよ。でも──ほら、秀さんは遠恋で彼氏さんとどのくらい会ってます?」
「月に一度は会ってますね」
「うわっ、ダメだ、こっちは五ヶ月メッセの返信も来なかった傷がえぐれる」
「それは忘れなさい! もう削除したでしょ」
「うう……。そうですね、あたしを大事にしてほしいです! 多少わがまま聞いてくれるくらい」
「包容力ある感じですか?」
「そうですね」
「まれちゃんとか、いいんじゃないですか?」
あたしだけでなく、誉も咳きこんだ。「ひぃちゃん!」と誉がたしなめると、「いや、まれちゃんって包容力あるじゃん」と秀さんは誉の肩をたたく。
「よく人の相談に乗ってて、姉御肌だし」
「いや、翠子はねえ。つきあったらめんどくさいことまで知っちゃってるから」
「あたしだって、誉は男に寝取られそうでやだわ」
「そうですかねー。お似合いに見えるけど」
あたしと誉は顔を見合わせた。そして、同時に渋い顔で首を横に振る。それを眺めた秀さんは、ころころ笑っていた。
そのあとは三人で和食の夕ごはんを食べて、「僕、明日は出勤だしなあ」と誉は惜しそうに酒は我慢していた。誉も社員スタッフだから、裏方の仕事はあるのだけど、それより目当てのファンのお客さんのために店内にいることが多い。あたしも明日は出勤なので酒はひかえて、秀さんだけお湯割りを飲んでいた。
「いい男いないか、探しておきますね」
彼氏さんの話やら聞かせてもらって、ずいぶん打ち解けたあと、駅での別れ際には、秀さんはあたしにそう言ってくれた。
改札を抜けていった秀さんを見送り、「楽しみだね」と誉は言って、「にしても、秀さんマジ女の子にしか見えなかったな……」とあたしはいまさらそこに感心する。「ナース服で仕事してるらしいよ」と誉はくすくすと咲う。
「ナース服」
「ひぃちゃん、病院に勤めてるんだけど。ナース服だって」
「似合いそうだけど、それ病院的にOKなの?」
「おとうさんが院長の個人病院らしいから」
「ふうん。なかなかおもしろい友達だね」
「でしょ? 人脈もあるみたいだし、ま、いい男を期待しときなよ」
「ん、そだね。てか何時? 終電ある?」
「二十三時半まわってる」
「やばいじゃん! あたし帰るわ」
「夜道、気をつけろよ」
「ありがと。じゃ、明日お店でね」
誉に手を振ると、あたしは自分の最寄りがある沿線の改札まで走り、間に合った電車に乗りこんだ。土曜日の夜の車両はもちろん酒のにおいがこもって、しかも、座席に座る余裕はない程度には混んでいる。
小さく息をつきながら、会ってくれる男かあ、と反芻した。確かに、あたしが週一くらいは会いたいと言えば、会ってくれるくらいのわがままは分かってくれる男がいたらいいのに。でも、これまでそんな男が彼氏になったことはなかった。そこまで愛されたことがないってことなのかな、と思うと気分が落ちる。
誉は──確かに、あたしの話を聞いてくれる。あれこれ言いつつ面倒も見てくれる。男とか女とか気にしないファッション感覚も嫌いじゃない。でも、友達なんだよなあと思う。
寒風の吹き荒れる夜道を速足で抜けて、午前様で帰宅すると、家族はまだみんな起きていた。おかげでしっかり暖房がきいていたの
で、冷えた軆にはありがたかった。
両親はリビングでテレビを観て、碧人はダイニングで食事を取っている。キッチンに向かって通りかかったテーブルで、「こんな時間に食ってんの」と碧人に言うと、「俺もさっき帰ってきたんで」と碧人は麻婆豆腐をぶっかけたごはんをスプーンで口にふくんだ。
「翠子のぶんは仕方なく残してやってるけど」
「あたし食べてきた」
「マジ? じゃあ全部食べていい?」
「勝手にしろ」
「よっしゃ」
「デートだったんでしょ? 茉莉ちゃんにディナーぐらいおごってやれよ」
「おごったよ。でも、十九時くらいだったから、もう腹減るじゃん」
男子のちょっとわけが分からない食欲は知っているので、あたしは肩をすくめて荷物をテーブルに置くと、ティーバッグで熱いお茶を作る。
カップを包んで凍えた指先を溶かし、それから湯気を吹いてお茶を飲む。胃から軆の芯がほどけていくのが心地よい。
「そういや、訊きたいんだけど」
「ん?」
「碧人って茉莉ちゃんに告ったの? 告られた?」
もぐ、と口を動かした碧人は、それを飲みこんで眉をひそめる。
「姉貴と恋バナとかちょっと」
「いいから答えな」
「何だよ……。んー、しばらく曖昧で、はっきり『つきあうか』って言い出したのは俺なんで、告ったのかな」
「曖昧な期間とかあったの?」
「あったよ。そのあいだは、茉莉の気持ちも分かんなくて、片想いかってけっこう悩んだかも。あいつ、しれっとしてるしさ」
「そこを口説き落としたのか」
「口説くってほどでも……デート行くなら、つきあいますかって」
「デートが先にあったのかよ」
「受験のときに約束してたんだよ、同じ高校に受かったらデートしようって」
あたしが盛大に舌打ちをしてみせると、「何なんだよ」と碧人も不服そうに仏頂面になる。
「そっちが訊いたんだろうが」
「予想以上にあんたが青春してたのがむかついた」
「翠子も高校生のとき彼氏いたじゃん」
「年上の女と浮気したほう? 年下の女と浮気したほう?」
「うわ、浮気とかマジでやる奴いるの? 映画じゃなくて?」
「あんたもいつかするかもしれないくせに、純粋な瞳で言うんじゃないよ」
「えー、浮気ってつきあう相手が二倍になるんだよな? めんどくね?」
「辻褄合わせとか予定の立て方とか、何かとした支払いも面倒だよね」
「で、代償として本命に振られるんだろ。メリットが分からん」
「そう言ったあんたも、きっとある程度の年齢になったら若い子に走るんだよなあ」
「何、浮気でもされたわけ? てか、今、彼氏いたっけ?」
彼氏は──いたのだろうか。昌路は彼氏という感覚すら希薄だった。ネットの友人のほうがまだつながりを感じる。最後のほうに至っては、自動返信があるだけbotのほうが優しい気がした。
浮気も、されていたのかもしれない。していなかったとしても、それを信じられないくらい、かけはなれてしまっていた。
碧人は席を立ち、あたしのぶんをお代わりにしてごはんに麻婆豆腐をぶっかける。あたしも本気で、この実の弟が浮気するタイプと思っているわけではない。というか、たぶんけっこう大事にしてくれて、無益なことには走らないと思う。
誉とか碧人とか、恋愛対象外の男に限ってきちんとしているのは、どういう因果なのか。あたしの見る目がないのかなあ、とお茶をすすると、いつのまにかけっこう冷めてしまっていた。
【第三話へ】
