One Summer Day【2】
市内の駅で吐き出され、路線を変えて高校の最寄り駅に着く。「隣の奴のヘッドホンの音もれがRAG BABYだった」と智也はやっと眠気が取れてきた顔で隣に並び、同じ制服の中で「RAG BABYかあ」と俺は空中を仰ぐ。
「ふたごのバンドだよな?」
「そう。で、ベースとドラムが男同士でつきあってる」
「そういうのも出てきたんだよなあ」
「変わっていくんですよ」
「はは」
笑いながら、挨拶が飛び交う車道沿いの道を歩く。高校までは徒歩五分くらいだ。深井にも言った通り、ここに着く時間にはゆとりを持っているので慌てることはない。
智也とは靴箱で別れて、朝陽が射すにぎやかな廊下を抜けて自分の教室に向かう。中学時代、あんなに開けるのが怖かった教室のドアを、今は自然に開けることができる。「おはよー」とかかってくる声に応えながら、窓際の自分の席にかばんをおろして席に着く。
中学時代、自分にこんな平穏な高校生活があるなんて思ってもみなかった。高校に進んでいるかも分からなかった。何度も逃げて消えたいと思った。俺はごく普通の中学生活には異端の存在で、容赦ないイジメが絶えなかった。
さっき智也と話したRAG BABYみたいに、今はゲイだと公表して活動するアーティストもいる。でも、俺の中学時代にはまだそんなのはほとんどなかったし、あってもそういう界隈でしか話題にならなかった。
俺は昔、ゲイだという理由で、生徒にも教師にも白眼されていた。自分には、まともな生活を送る資格はないのだろうと、ほとんど人生も未来もあきらめていた。
それを救ってくれたのが、偏見などせずに友人になってくれた智也や深井だった。
智也は本当に、あっけらかんと俺に接してくれた。へらへらしているようで、あんなに自分をはっきり持った奴を俺は知らない。
深井はおにいさんがゲイで、そのおにいさんを諸事情から助け出した俺に、感謝までしてくれている。大したことしなかったけどなあと思っても、それで深井の家がとても明るくなったのは事実で、そのことは俺も嬉しく感じている。
この高校でも、特にゲイだということは伏せていない。わざわざカミングアウトはしなかったけど、それがもれだしたのは、同じ中学出身の奴からだろう。
確かに、初めはちょっとヒカれた。でも、智也がざっくりと友人でいていてくれたし、俺も昔のように変に卑屈にならずに、堂々とできた。
「お前……ガチでホモなのか?」
高一のとき、クラスメイトの男子にそう訊かれて、俺はうなずいてにっこりした。
「でも安心しろ。好きな奴がいるから、そいつ以外興味ない」
訊いてきた奴らは顔を合わせ、「桐島って奴か?」と恐る恐る話題を続ける。
「違うよ。中学の後輩」
「ねえねえ、じゃあつきあってるの?」
背後から女子も近づいてきて、俺はちょっと照れ咲ったあと「卒業式からな」とうなずいた。「そうなんだ!」と女子たちは楽しそうに色めいて、「私も告ってこればよかった奴がいるんだよねー」とか同じ目線で話しはじめる。
そんなやりとりを見ていて、初めに話しかけてきた男子も「何かお前、ぜんぜん普通だな」と噴き出した。「普通だよ」と俺は笑った。
普通。絶対、中学時代は言えなかった。自分は普通だ、なんて。でも、今ははっきり感じているのだ。俺はすごく普通だ。
高校での一日が終わると、智也と合流して地元にまで帰る。智也は年上の彼女の大学まで行くことがあって、たまに途中で電車を降りていく。
その日もそうで、途中から俺はひとりだった。座席は同じように下校する高校生たちで埋まっているから、扉にもたれて電車に揺られ、ケータイに来ていたメールをチェックする。
クーラーの風が届いて、涼しいけど前髪が視界をちらついた。
そばで無遠慮に笑う集団に、ちょっとうるさいなと感じていると、不意に「柊」と声がかかって俺は顔を上げた。
「お、賢司じゃん」
俺の正面に荷物をおろしたのは、幼なじみの寺岡賢司だった。
賢司は県外のレベルの高い進学校に通っていて、朝に乗る電車の時刻もかなり違う。だから、なかなか逢うことがないけれど、今でも──今また、仲がいい。
「帰りか?」
「ああ。そっちも?」
「このあと、塾だよ」
「学校でじゅうぶん勉強してんじゃねえの」
「それでも行かされるんだよ」
「大変ですねー」
「いいんだよ。普段言うこと聞いとけば、いざってときわがまま言えるから」
俺は笑ってケータイをしまった。「メールよかったのか」と気にされて、「大丈夫」と背中を当てるガラスに夕映えを感じながら、賢司を見上げる。
昔、俺は賢司が好きだった。初恋はこいつだ。友達なのに、こんな気持ち、申し訳ない。そんな罪悪感でめちゃくちゃになっていたとき、追い討ちのようにゲイだと周りにばれた。そして、賢司さえも俺を離れた。
裏切られた。そう思った。絶望感は俺を本当の心にぼろぼろに切り裂いた。そのまま捨て置かれていたら、俺はこいつにとんでもない憎悪をたぎらせていたかもしれない。
でも、賢司はもう一度、俺に話しかけてくれた。卒業式の日、きっと必死な想いで、謝ってくれた。そしてそれから、賢司なりの苦悩が、重たく三年間、俺の中学時代三年間のようにあったのを知った。
俺を幼い頃から知っているから、彼には俺がゲイだなんて信じがたかったのだ。どう接したらいいのか分からなくなるくらい、受け入れがたかった。
家族すらそうだったのだ。とうさん。かあさん。雪乃ねえちゃん。みんな、一度は失ったと思った人たちだ。
でも、今はみんな俺のそばにいてくれている。
「柊が好きだったから、ショックだったんだ。でも、それは俺のエゴだよな。柊の幸せを考えたら、あっさり受け入れられたはずなのに」
約一年前の高一の夏休み、それぞれの高校生活に慣れてきて、やっとゆっくり喫茶店で話ができた。賢司はそう言って、思いつめた面持ちのまま頭を下げた。
だが、賢司だけは俺を拒絶する権利はあったのだ。俺の想いが迷惑だと言って、離れてもよかった。でも、気持ちがあったこと自体、彼には伝えていない。
ただ、やはりすごくいい奴に惚れたのだと思った。最低の初恋なんかじゃない。こんなにも俺を大切にしてくれる奴だから、好きになった。ようやくそんなふうに思えるようになった。
「賢司」
賢司は手をつけていないアイスコーヒーから顔を上げた。俺は微笑んで「ありがとう」と言った。その俺を瞳に映した賢司は、一瞬、泣きそうになった。少し情けないほどの顔につい失笑して、その横っ面を軽くはたいても、どきどきしない。
そのときには、もう違う奴が俺の心にいた。
「──後輩とはうまくいってるのか」
夕暮れが射しこむ各停電車の中は、のんびり地元に近づいていく。騒がしい高校生集団が減ってきて、賢司は吊り革を持ちながら俺にそう尋ねてきた。
「ん、まあ。仲はいいな」
「そっか」
「賢司は?」
「俺は今度の夏休みに会いに行こうと思ってる」
「お、やっと会いにいきますか」
「大学は、向こうで進もうと思ってるんだ。見学も兼ねてって言えば、さすがに親も遠出許すだろ」
「そうなのか。ねえちゃんも大学進んだら家出るらしいぜ」
「は? 雪乃にひとり暮らしできるのか?」
俺は思わず噴き出して、「同じこと親に言った」と笑いを噛んだ。賢司も笑って、「柊とはまた離れるなあ」とつぶやく。
「俺はこの町、離れないだろうから。そのうち紹介しろよ。彼女さん」
「ん。俺も、柊と後輩くん見に来るよ」
そんなことを話していると、窓に見慣れた景色が流れてきて地元に到着した。賢司は塾がもうひと駅先だ。俺は賢司に軽く手を掲げて電車を降りて、ホームで緩やかな夏風の流れを感じた。
でもまだ暑いな、と思いつつ、たぶんいつもの場所で待たせているので、急ぎ足で改札を抜ける。「柊さん」という出会った頃よりも声変わりした声がかかって立ち止まった。やはりいつも通り、彼が売店の隣で俺を待ってくれている。
「夏樹」
夏樹は嬉しそうに咲って、俺のところに駆け寄ってくる。
二ノ宮夏樹──俺の中学時代の後輩で、同じくゲイで、卒業式からつきあっているという後輩とは彼のことだ。出逢ったときはまだまだ小学生から進級した感じだったが、現在受験生で、だいぶ軆つきも男らしくなった。
「智也さんは?」
「彼女のとこ行ったよ」
「そっか」
「今日も一緒に勉強だよな。どこ行く? 図書館?」
「柊さんの部屋は?」
「暑いぞ、あの部屋。いや、いいんだけど」
「じゃあ、柊さんの部屋」
俺は夏樹を見下ろした。夏樹も俺を見上げて、首をかしげてにこにこする。
夏樹も以前に較べて積極的になった。ふたりきりになっても、まだキスしかしたことがないけれど、その先もそろそろ考えたほうがいいのだろうか。
男同士ってどうやるんだろ、という疑問はケータイで検索してまあまあ解決した。男女と違い、いろいろ準備があるものらしく、何だか、いかにもこれからといった感じで切り出すのが恥ずかしくて、何もできていないけど──
「夏樹」
「うん」
「夏休みも、俺んちで勉強したりするよな」
「柊さんが良ければ」
「じゃあ、その──ふ、ふたりきりになったときに、……ようか」
「えっ」
「いや、その……うん。まあ、ゆっくりでいいんだけどな」
夏樹は俺を見つめて、手に手をつなげた。俺は頬が染まっているので、うつむきがちに夏樹を見る。すると、夏樹も頬を赤くしていて、目が合うと微笑んで小さくうなずいた。
あーっ、かわいいな。好きだ。抱きしめたい。
俺は夏樹の手を引いて、熱中症になる前に家に急ぐことにする。部屋で早く、夏樹をぎゅっとしたい。
夕焼けが空一面に優しい橙々色を溶かしている。どこかで蝉も鳴いている。
今日もこうして、何気なく一日が終わる。それはとても幸せなことだ。俺なんか消えてしまえばいいと思っていた。でも、今、たくさんの人が俺の幸せを尊重してくれている。
そう、俺の日常は今、とても穏やかに紡がれている。
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