My Happiness【2】
その心当たりに、あたしはぴくっと立ち止まり、ついでぎっと振り返った。すると、そこにはやっぱり桐島──と、例の塩沢がいた。
桐島智也。この野郎も中学時代のクラスメイトだけど、とにかくあたしとは馬が合わない。顔を合わせれば口論になる。
本当に分からない。どうして、塩沢と桐島が親友になったのか。いや、いきさつは塩沢にじっくり聞いていても、それでも何だか許せない。
「っるさいなあ、何であんたがここにいるの!」
いらいらしながら声を荒げると、桐島はわざとらしく塩沢の陰に入った。ふたりともマフラーを巻いている。
「お嬢さんを三人も侍らせて、ハーレムですわ。男に相手にされないあまり、女でハーレムですわ」
「殺すよっ。あんたこそ、男のくせにヘアピンなんか刺すようになって。ちょっとは女の子らしくしたら?」
「前髪邪魔なんですよ」
「刈れよ。てか、坊主でいいんじゃないの」
「似合うかな」
桐島は腰に手を当てて塩沢を見て、塩沢は半笑いをもらした。桐島はおもしろくなさそうにあたしを一瞥する。
「笑われたじゃねえか。ちっ、深井はほんと、制服間違えてるぜ。胸にリボンとか絶対違うぜ」
「──塩沢、切実になぜここにこいつがいるの」
「俺たち、この駅で乗り換えて地元だから。それと、クリスマスプレゼントとか見てた」
「ああ──。はあっ、もういいや。行こっ!」
少し先で立ち止まってこちらを眺めていた友人たちに追いついて、あたしは三人の背中を押した。「いいのー?」と訊かれて、「あんな奴いらないの!」と振り返らずにファミレスへと三人を追い立てる。
きらきらとクリスマス仕様のファミレスに到着すると、さいわい禁煙席が空いていて、パンケーキフェアのチケットをもらってから店内に通された。少しメイドっぽい制服のウェイトレスが置いていった色とりどりの写真が載ったメニューを、あたしたちはテーブルに広げて覗きこむ。
「さっきの人、前もありと喧嘩してたよね」
ふとそんなことを言われても、あたしはメニューをめくる手を止めない。
「えー? 忘れた。中学のとき、いつも喧嘩してたし」
「好きなの?」
さすがに顔を上げた。三人はにやにやとこちらを見ている。「無理」とあたしは無表情に言い切った。
「あいつだけは、ほんと無理」
「でも、わりとかっこよくなかった?」
「性格がダメだから。終わってるから」
「ありがあんなに反応する男って、めずらしいよね」
「いいなあ。中学時代の知り合いが、あんなイケメンに育ってるとか……」
「いや、平凡でしょ」
「やっぱり、ありちゃんはお兄様で理想高くなってるよ。あの子はけっこうレベル高かったよ?」
「ついでに、もうひとりのほうもかわいい感じだった」
「でも、ふたりともつきあってる人いるからね」
あたしの言葉で、三人はどんよりと澱んだ色の息をついた。「やっぱそうだよね」とか「いいものにはついてるよね」とか言って、さっさと話題をパンケーキに戻し、明るく切り替わってはしゃぎはじめる。
イケメン。あたしはどうにか桐島の顔を客観的に見ようとしたものの、すぐに奴は生意気に舌を出してくるので、判断も何もできなかった。
いちごやマロン、最後に四人でクリスマスデコレーションのパンケーキを分けて、甘い匂いやふかふかした生地をたっぷり食べてから、あたしたちは別れた。
クリスマスかあ、と混雑が減ってきた帰りの電車に揺られて、夜景になった景色を切り取る窓を眺めた。あたしは今年も家族と過ごすことになりそうだ。友達には会うかもしれなくても、夜は家にいると思う。
彼氏と過ごせるものなら過ごしてみたくても、そんな予定はまったくない。お弁当のときに誰かの話をされたけど、すでに名前を思い出せない。恋愛かあとしみじみ思っても、恋という言葉にピンとくる相手がいない。
やがて地元に着いた頃には、足元が危ういくらい暗くなっていた。かなり冷えていて、身を縮めて学校指定色の紺のコートを深く着る。足音の響く静かな道のりを早足に歩いて、家までの一本道になったときだった。
前方に明るい毛色の犬を連れた人の背中を見つけた。あたしは駆け足になって、ちょうど街燈のそばで、「おにいちゃん?」とまわりこんでみる。
「あ、亜里紗。おかえり」
白い街燈に照らされて微笑んだのは、やっぱり兄貴だった。「ただいま」とうなずいたあたしは、いそいそと兄貴の隣に並ぶ。何だか、兄貴とこうして並べるのがまだ少し信じられなくて、くすぐったいほど嬉しい。
「遅かったね」
「友達とパンケーキ食べてきた。クリスマス限定の奴がかわいかったから写メってきたよ。あとで見て」
「うん。見たい」
カシスがあたしの足元に近づいてきて、ふさふさのしっぽを振る。頭を撫でてあげると、指先をおいしそうに舐めてくるから、焼き立てだったパンケーキの香りが残っているようだ。
「どこもツリーとか飾っててさ。もうクリスマスなんだよね」
あたしが歩き出すと兄貴は並んで、カシスも歩きはじめる。
「そうだね。バイトぐらいしないと、亜里紗が欲しいものあげられないね」
「一緒にケーキ食べてくれるならそれでいいよ」
「僕と食べるの? 彼氏とかは?」
「いませんー」
「そうなんだ。亜里紗はかわいいのにね」
「そうなのかな」とあたしは照れ笑いする。兄貴はあたしのことをけっこう猫かわいがりしてくれる。
「今日はあいつに会ったからなあ。何か今、すっごく自信がない」
「あいつ?」と兄貴は不思議そうに首をかしげる。
「桐島智也。塩沢の親友の奴」
「柊くんの──ああ、亜里紗と仲がいい子だね」
「よくないよっ」
「柊くんはそう言ってたよ」
「塩沢っ……」とつい歯軋りしても、まあ兄貴にぶつける怒りではない。「何かなあ」と眉を寄せて、考えながら言葉を選ぶ。
「桐島は、ほんとそういう対象じゃないんだけどさ。何というか、あたしのコンプレックス刺激するんだよね」
「意識してるからじゃない?」
「してないってば。あいつと話してると、こう、女の子らしさが欠けていくというか。あたしのダメな部分を引き出すんだよ、あいつ。ほんとムカつく」
兄貴はおかしそうに笑ったものの、何も言わなかった。あたしはふくれっ面をしてから、手が冷たいのでカシスの柔らかく温かい軆を撫でる。
「おにいちゃんはどう?」
「僕?」
「何かさ、いないの。外にもずいぶん出れるようになったし。その……前のとこでの人が、また気になったり」
「それはないなあ。うん、でも恋愛はしたいな」
「そうなんだ」
「柊くんと夏樹くん見てたら、やっぱりうらやましい」
「確かに、あのカップルはいいね」
「あのふたりは、クリスマスも一緒に過ごすのかな」
「たぶん。桐島と一緒に塩沢もいたんだけど、クリスマスプレゼントがどうとか言ってたし」
「そっか。まあ──それなら、亜里紗に彼氏ができるまでは僕が相手するよ」
「おにいちゃんに彼氏ができたら、無理しなくていいからね」
「できるのかな、僕に」
「だって、そもそもおにいちゃんって告られたんじゃん。できるよ」
「そうだね。あの人、どうしてるんだろうね。彼女なんて作ってたら、それはちょっとショックかなあ」
強めの寒風が兄貴とあたしの似た艶の髪をなびかせる。
その人の名前くらい訊き出せば、あたしが調べることだってできるのだけど。確かに、彼女ができていたなんて場合に、どんな顔をしたらいいのか分からない。
兄貴はあたしを見下ろし、「いつか僕も亜里紗も幸せになれるといいね」と笑んだ。あたしはこくんとして、前を向いてほのかに白い息をつく。
家が近づいてくる。ブラコンかもしれなくても、今は兄貴とこうして話せるだけで幸せだ。
もう顔も合わせてもらえないと思ったときもあった。それが塩沢のおかげで、ありのままの兄貴を受け入れて、一緒にクリスマスだって過ごせるようになった。
贅沢は言わない。同じ屋根の下で家族がそばにいる、そんな日常があるだけで満足だ。
そして、あたしの家族をこんなふうに癒してくれた塩沢が、彼氏の男の子だったり、まあ桐島だったりといて、今はイジメなんか受けずに穏やかに日常を暮らしていること。
それで、あたしは幸せになれる。とても。彼があんなふうに強く生きていることが、あたしを何より支えてくれる。
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