Color Of Love【2】
いつから、もしドアを開けたらどうなるのだろうと考えはじめたのか。本当に明るい日常を取り返せるのだろうか。家族とまた咲いあえるのだろうか。あのときとは違い、みんな僕を受け入れてくれるのか──
僕は起き上がり、そっとベッドを立ち上がった。息が不安に締めつけられて震えていた。柊くんが、またドアの向こうに来てくれていたときだった。僕はついにこわごわとドアを開けた。そしてそこから、僕の世界に再び光が舞いこんで、穏やかな色彩が見分けられるようになっていった。
柊くんにはちゃんと好きな人がいたから、恋愛感情は育たなかった。柊くんの後輩の男の子で、ほどなくしてふたりはつきあうようになった。
去年の夏、柊くんはその子をこの家にも連れてきてくれた。夏樹くんという男の子で、柊くんを見つめる瞳に愛情と尊敬がこもっていた。僕と夏樹くんがちょっと緊張していたのも束の間、打ち解けて話すことができた。
柊くんと夏樹くんは、テーブルの下で手をつないでいた。何かいいな、とふたりに憧れのような感情は抱いている。
朝の炊事が終わると、部屋に行ってレポートを広げた。引きこもっていたから、僕は高校にもきちんと行っていなかった。でも高卒ぐらい取っておきたいと思い、今年から通信制高校に入学した。
通信だからレポートの郵送のやりとりでいいのかと思っていたけど、意外と登校も必要らしい。でも、本格的に授業が始まるのは連休明けだと聞いていたので、入学式以来、まだ登校はしていない。
けっこう電車を乗り継ぐ遠さなので、不安があるのも事実だ。けど、やっぱり二十歳で母親同伴はな、と思ってしまう。
レポートは、基本的に教科書と照らし合わせて空欄を埋める作業だ。あんまり、悩んだりつまずくことはない。ひとまず、一日に一枚を心がけて進めている。
今日は理科のレポートを一枚仕上げた。表に返送用の住所や担当の先生の名前まで書きこんで、切手を貼って折り畳むと、あとは投函するだけだ。そこまでできあがったレポートに、「よし」とつぶやく。
それから、勉強にも役立つだろうと去年の暮れに両親が用意して、回線もつないでくれたノートPCを引き寄せて開いた。
「おにいちゃんが部屋にいるあいだにね、こういうサイトも見たりしたよ」
亜里紗が僕にPCの使い方を教えてくれて、いくつか同性愛者のホームページや掲示板、コミュニティを紹介してくれた。僕は初めはそういうのを見ているだけだったけれど、たまに掲示板に書きこんだり、SNSに参加して様子見したりするようになった。
いろんな人がいた。ゲイだけではない。レズビアン。バイセクシュアル。MtFやFtMや、アセクシュアルやノンセクシュアル。ほかにももっと、僕は僕ひとりだなんてとんでもなくて、世の中にはいろんな性があった。
日記が書けるSNSに、自分のことを整理するためにこれまでのことをゆっくり綴っていった。くだらないひとりごとの更新なのに、アクセスは少しずつ増えて、コメントを残してくれる人もいた。
その中でメールもするようになる人も現れて、日記には書ききれなかったことをまた聞いてもらったりした。もちろん僕も、相手の話を聞いた。同じように自殺を考えた人。すべて捨てて違った土地で新たに生きている人。受け入れてくれる人がいた人。
その中で、少し気になる人がいた。
『葉くん、おはよう。』
今日もその人からメールが来ている。「葉」は「芽」から適当につけたハンドルネームだ。
『さっき、一週間ぶりくらいに部屋出れた。
もう米もなかったからだけど。
朝陽がまぶしすぎてめまいがした。
でも何とか、引きこもり更新はしなかった。
今からコンビニ弁当食います。
あとで米は買いにいかないといけないな。
頑張るよ。』
別に、彼は誰かにゲイだとカミングアウトしているわけではないらしい。大学卒業を切っかけにひとり暮らしを始めて、しばらくフリーターで生活していた。そんな中で、友人は結婚したり、女の子を紹介してきたりする。そういうのが不意に鬱陶しくなって、ケータイの番号もメールアドレスも変えて、誰とも接さない部屋にこもりがちの生活を送るようになった。
『俺が勝手に思ってんだけど、葉くんの話ってすげー俺にかぶるんだ。』
僕もそう思う、と返した。
『そっか。
ありがとう。
でもいいな、葉くんは家族とかSくんとかいて。
俺はさ、親なんて「彼女紹介しろ」とかでマジきつい。』
そう言われると打ち明けられないね。
『そうなんだよ!
親、嫌いじゃないしさー。
つか、よく俺にひとり暮らし続けさせてくれてるよ。
俺も「すぐ次のバイト見つける」とか言って、逃げてさ。
また同じ家に暮らすようになったら、今度は嫌いになる気がして、それが怖い。』
嫌いになるのが怖いのもすごく分かる。
『葉くんもそうだったもんね。
親嫌いになってさ、自分も嫌いになるのも怖い。
ほんといろいろ怖いんだ。
だから、何かどんどんこもっちゃってさ。
普通に三日くらい部屋出なかったりする。
ダメだよなあって分かってても、もう、ゴミを出しにいくだけですごく疲れちまうんだ。』
そんな話を聞いているうちに、どんな人なんだろうとますます思って、僕たちは頻繁にメールを交わした。ほかにもメールを交わす人はいたけど、毎日連絡を取るのは彼だけだった。
いつのまにか、いつか会ってみたいねなんて自然と話している。顔も知らない。声も知らない。何も確証はない。そんな人なのに、なぜか彼からメールが来ると嬉しかったし、彼にメールを打つのが楽しかった。
そのうち連休にさしかかって、柊くんが僕の家を訪ねてきた。夏樹くんは一緒じゃなかった。夏樹くんと聞いてもらってもよかったし、僕は躊躇したものの、やはりまずは誰かに早く相談したくて、それは柊くんがいいと思った。
ネットの相手なんて、また家族を混乱させそうで話していいのか迷ってしまっている。亜里紗たちと談笑していた柊くんを、「ちょっと」と部屋に呼んで、僕は例の彼のことを初めて誰かに話した。
黙って聞いていた柊くんは、「何かすごい」と表情をほぐした。
「俺、ネットとかは怖いなーって感じでしたから」
「僕も怖いんだけど。いや、彼が怖いんじゃなくて──やっぱ、信頼していいのか危ういし」
「まあ、そうですね。うーん、芽さんはその人に会いたいんですよね」
「できれば」
「じゃあ、俺と夏樹も一緒にっていうのはどうですか?」
「えっ。い、いいの」
「その人次第ですけど。俺も相手連れてたら、その人も変に俺との仲を勘繰らないだろうし」
「そ、そうだよね。……うん」
何だか、軆が無重力に包まれるような感じがした。彼に会えるかもしれない。そう思うとどきどきしてきて、PCを一瞥したりしてしまう。
「あ、でも、遠くの人なんですか?」
「いや、同じ県内ではあるんだ。高校に通うときに使う路線に住んでるみたい」
「そうなんですか。じゃあ、俺と夏樹で協力しますよ」
「……亜里紗とかには、どうしよう。話したら、心配するかな」
「あー、まあ、会う前に話したほうがいい気はしますけど。でも、芽さん個人のことだから。芽さんが決めていいと思います」
「僕が決める……」
「芽さんはどうしたいですか?」
「………、会わないと話していい人なのか分からないかなあ、とも思うけど」
「はい」
「ただ、柊くんが夏樹くんとのこと言ってくれたみたいに、家族に言ってあげたい。僕はひとりじゃないって。ちゃんと分かってくれる人ができたよって」
僕の言葉に柊くんは少し照れ咲ったものの、「じゃあ、会ったあとに、伝えられるように考えていきましょう」と言ってくれた。僕はうなずきつつ、彼に会えるのか、と心臓がちょっと苦しいくらいざわめくのを感じた。
柊くんが一階に降りて、僕も降りる前にPCをチェックした。またメールが来ていた。最後にこんな一文があった。
『葉くんに会えたら、こんなに寂しくなくなるのかなあ。』
──夜、返事を書こう。都合が合ったとき、本当に会おうと。そして、この人が僕に出逢って咲ってくれたら、きっと亜里紗にも、両親にも、カシスにも紹介する。紹介したい。
僕も恋をしたい。ようやく心はそこまで回復した。実際に好きになるかはまだ分からない。それでも、僕はこの人に会って伝えたい。
君はひとりじゃない。僕がそばにいる。
塞いだ僕が柊くんにそれを教わって、日常の中に再び溶けこめたように、彼にもこの世界の息づく色彩を知ってほしい。
【第七章へ】
