First Date【2】
やがて念願の夏休みが始まると、八月はまだかと焦れったく過ごした。
やっと訪れた寺岡くんが来る日は、頭がおかしくなりそうに青く晴れていた。蝉の声が降りしきり、空気は蒸し暑く肌を舐める。むっとした匂いがアスファルトから照り返してくる。
私はオフホワイトとワインレッドのボーダーワンピースを着て、駅に向かった。ケータイをいじりながら、放送が聞こえて電車が止まるたび、顔を上げて改札を抜けていく人たちを確認する。ケータイが震えてすぐメールを開くと、寺岡くんだった。
『あとひと駅で着く。』
心臓の脈がどんどん速くなってくる。私、おかしくないよね。一応、化粧もしておいたし。髪も綺麗に巻けた。
気づくかな、寺岡くん。気づけるかな、私。五年会わなかった。寺岡くんは、どんな男の子になってるかな──。
ホームの放送が聞こえて、階段から人があふれてきて、改札をどんどん抜けていった。ケータイを握りしめて、その人混みに目を凝らす。その中に、大きな荷物を抱えた男の子が改札を抜けるのが見えた。
もしかして。そう思ったのと同時に、彼も構内を見まわす。
柱にもたれていた私は、寺岡くんに電話をかけた。その男の子がケータイを取り出して、やっぱり! と笑顔になって『もしもし』と聞こえた声に、「すぐ近くにいるよ」と言った。
寺岡くんはきょろきょろして、ケータイを耳に当てている私に目を止める。視線が重なって、思わずふたりとも笑みがこぼれる。
「白杉」
言いながら寺岡くんはこちらに歩み寄ってきて、私はちょっとおもはゆく咲う。
「久しぶり。寺岡くん」
「ああ。久しぶり。髪長いな」
「伸ばしたの」
「昔、おかっぱだったのに」
「おかっぱってやめてよ。寺岡くんは背伸びたね」
「まあな。勝手に伸びた」
身長だけじゃない。顎の線とか肩幅とか、軆全体が昔とぜんぜん違った。すごく男の子になっている。何かどきどきする、と思いつつ表情を見ると、顔つきもずいぶん精悍になっていて、でも瞳は何となく変わらない。
寺岡くんも私を見ていたけど、お互いがお互いの変化を確かめているのに気づくと照れ笑ってしまって、とりあえず外に出ることにした。
「このへん、変わった?」
並んで駅を出て、ロータリーを見まわした寺岡くんは言った。
「どうだろ。私はずっといるから、あんまり変化感じないけど」
「でも、そこって本屋だっけ? あと、コンビニが妙に多い」
「ああ、喫茶店はつぶれて本屋さんになった。北口にファミレスができてね、みんなそっち行くようになっちゃって」
「そうなのか。夏はよくかき氷食ったよな、あの茶店」
「うん。懐かしいな。今はコンビニでアイス買う感じ」
「あ、喉乾いたから何か冷たいの買っていい? 白杉のもおごるよ」
「いいよ、お金あるし」
「どうせ百円くらいだろ。気にすんなって」
私たちはまず一番近くにあったコンビニに入った。すうっと強い冷房がほてった軆を癒す。
「アイスがいい?」と訊かれてこくんとした私は、チョココーティングのミルクアイスを選んだ。寺岡くんはコーラのアイスキャンディにして、コンビニを出るとさっそく開封して、熱中症になりそうな頭をひんやりした甘味でやわらげる。
「大学の見学はいつ行くの?」
駅前から歩き出しながら、私はそう寺岡くんを見上げる。
「あさってあたりから。今日と明日は友達に会ったり」
「私も一緒に行っていい? 大学」
「ああ。進路の参考になるしな」
「だよね。はあ、こないだ高校受験終わったのに、もう大学受験か。でも寺岡くんが戻ってくるのは嬉しいな。ご両親は何て?」
「やってみろって言われてる」
「そっか。ほんと、じゃあ頑張ってね」
「うん」
駅前の自然公園に何となく入って、私たちはベンチに腰を下ろした。緑の木陰で、焼けつく太陽が少し緩い。
夏休みの子供たちが歓声を上げながら遊んでいた。私も小学生の頃は、よくここで友達と溜まっていたものだ。
「白杉」
「ん」
「前から思ってたんだけど、俺たち、その──つきあってる、じゃん」
「えっ。あ、うん」
「そろそろ、名前で呼んでもいいかなとか」
「あ──そ、そうだよね。きゅ、急に呼べるかな」
「俺の名前、憶えてる?」
「それは、当たり前でしょ。賢司くん、だよね」
「白杉は、理子だよな」
「うん」
寺岡くんはアイスキャンディを齧り、私も口の中にミルクアイスを蕩かす。
「じゃあ、えと……これからは、理子でいい?」
「私──は、賢司くん。でもたまに寺岡くんって出ちゃうかも」
「俺もそんなうまく切り替わらないかもしれないけど。何か、ずっと気になってた。つきあってる……って感じはあんまりないけどさ、それでもやっぱ、彼女なんだし」
「彼女……」
「もっと、近づきたいと思ってた」
寺岡くん──賢司くんが私を見つめてくる。
胸が脈打って緊張してきてしまう。好きになったときのまま、瞳の強さは変わらない。
「……あ、あのね」
「ん」
「じゃあ、私もひとつ、いいかな」
「うん」
「その、……私たち、電話だったでしょ」
「今まで?」
「というか、その……告白、が」
「あ、うん」
「だから、直接……聴きたい」
賢司くんはまばたきをして、「あー」と言ってアイスキャンディの最後のひと口を頬張る。私も甘く冷たいミルクアイスを喉に飲みこむ。賢司くんはちょっと咲って、「なかなか照れる注文だな」と言った。
「い、嫌だったら、」
「嫌じゃないけど。え……と、その──」
賢司くんは言いよどんでから、そっと私を覗きこんだ。至近距離の顔に、私は言い出したくせにどきっとする。
子供たちのはしゃぐ声、叫ぶような蝉の声、背後の木が気だるく揺れる葉擦れ──
ほんのわずかに、唇に感触が触れた。それから、ゆっくりと憧れた言葉がじかに耳に届く。
「理子が、好きだよ」
私は触れ合いそうな賢司くんの瞳を見つめた。一瞬、泣きそうになってしまう。賢司くんは私の頭を撫でた。
「……理子は?」
「え」
「理子は言ってくれない?」
「………、私も、好き。賢司くんのこと。ずっと──好きだった」
賢司くんは咲って、頭を撫でた手を私の背中にまわして抱き寄せてきた。鼓動と体温が触れ合って、同じ温度にほてっていく。賢司くんの汗の匂いがするTシャツをつかんだ。
「ずっと、こうしたかった」
「……うん」
「俺、ほんと受験頑張ってこっち来るから。そしたら、一緒だから」
「何か、そんなの夢みたい」
「昔は毎日一緒だっただろ」
「片想いかもって思ってたし」
「両想いだよ。ずっと、俺は理子しか好きになってない」
「向こうで、ほんとに彼女とかできなかった?」
「うん。理子こそ作らなかった?」
「もちろん」
「あ、ちなみに、例の幼なじみにも恋人はできました」
「ほんと?」
「後輩とつきあいはじめたみたい」と賢司くんは軆を離して、「そっか」と私までほっとしてしまう。よかった。イジメとか、私は現実感がなくてよく分からないけど。もうその子も幸せなのだ。汗をはらった賢司くんは、「外でくっつくと暑いな」と言って私も咲ってしまう。
「でも、賢司くんと毎日くっつけるようになったら、私は幸せだよ」
賢司くんは私を見て微笑むとうなずいた。その優しい笑みも変わらない。ずっと好きだった。ずっと信じてきた。それでも少し危なげだった私の恋は、確かに実っていたのだ。
賢司くんが私の日常に戻ってくる。嬉しくて、暑いと言われたそばから手に手を重ねて、つないでしまう。賢司くんは握り返してくれる。
私にはずっとこの人だ。もうこの男の子以外、考えられない。
好きな人がそばにいてくれる。ずっと離れていたから、それだけで幸せになれる。私の日常がまた新鮮な恋心で色づきはじめる。
「荷物置いたら、今日はちょっとふたりで出かけようか」と賢司くんは立ち上がる。私は手を引かれるまま立ち上がって、こくんとすると、「初めてのデートだね」と言って、賢司くんの照れ咲いを愛おしく見つめた。
【第九章へ】
