Boy Like Sweet Puppy【1】
高校三年生に進級して、あたしの部活中心の生活も最後の年になった。
中学の軟式から、ずっとテニスをやってきた。勉強なんかより、スポーツのほうがずっと好きだ。コート内をけっこう走るし、球を受ける力もかなりいるし、テニスの運動量が軆によく合っていた。何より、中学のときに試合で負けて悔しくて泣いたとき、自分が思っているよりテニスにのめりこんでいることに気づいた。
高校生になって硬式になり、二年からレギュラー入りした。三年生になった今回も、インターハイに向けて団体戦にも個人戦にも参加する。それが終わったら、ついに引退だ。
もう最後なのだと思って、気を引き締めて毎日ラケットを握っている。
「優衣は、大学ではテニスしないの?」
日が赤くかたむいてきた頃、その日のメニューが終わる。
マネージャーと一緒に片づけやメンテをしてから、コーチに挨拶してコートを出て、運動部共通のシャワー室に汗を流しにいく。片づけを手伝ったぶんの時間差でちょうど空いている。
それから部員の私物がかなり入り乱れた部室に行き、残っていた後輩にシャワー室の空きを伝え、体操服から制服に着替えはじめる。ロッカーにたたんでいた制服を取り出していると、同じくテニス部員で、親友の美咲がそんなことを訊いてくる。
「うん。今年が最後だな」
「サークルとかも入らないの?」
「大学からは勉強って、親と約束してるしね」とあたしは肩をすくめ、スカートに脚を通す。
「勉強は嫌いだけど、まあ将来も考えていかないと」
「将来ねえ。優衣がテニス辞めるのはもったいないな」
「そんなことないって。部活レベルだよ」
スカートのホックを止めて、広げたブラウスに腕を通す。
「本気でやるなら、とっくにジュニアに出てないと」
「ま、そうだけどね。世界とか出てるタメ見ると、応援するより、自分がダメ過ぎてへこむわ」
「はは」
咲いながら、白いブラウスの上に焦げ茶のブレザーを羽織る。そして赤いタイを締めると、姿見の前まで行って、「よし」と服装をチェックする。アシメトリーの髪がまだ湿っている。
「お茶でもしていく?」
隣から同じように姿見を覗いた美咲は、タイでなくリボンで胸元を引き締めている。
「いいねー。ドーナツ食べたい」
「駅前の寄っていきますか」
「うん。混んでるかな」
「ま、それは座れなかったときに考えよう」
服装が整うと、かばんとスポーツバッグを持ち、もちろんラケットも背負って、まだだべっているほかの部員と「また明日」と言い交わして美咲と部室を出る。
一学期が始まったばかりの四月の中旬、ここのところ天気が不安定だけど、今日はよく晴れて夕暮れがゆったり溶けていた。まだ温かいというほど風は優しくないけれど、運動した軆にはひんやりしているくらいがちょうどいい。
グラウンドや体育館には、まだ部活のざわめきが名残っている。春が香る鮮やかな花壇沿いの校舎の前を通り、校門への一本道を歩いていたときだった。
「優衣」
まだ開いている校門にもたれていた人影が、あたしに向かって大きく手を振った。あたしはわずかに拍子抜けてから、わざとらしく息をつく。
「何してんの」
言いながらあたしが歩み寄った男の子は、にっと笑って「会いたくなった」と正直に答える。
「動物か」
「ええ、わんこです」
あたしは、桐島智也という自分の彼氏であるその男の子の額を弾いた。美咲は楽しげに笑って、「智也くん相変わらずだね」と智也の頭を撫でる。
「美咲さんは優しいなあ。優衣とかやめようかなあ」
「あ、あたし、年下無理ね」
「わー、お姉様方つらい」
そう言う智也は、よく見るとブレザーの制服すがたで、荷物も連れている。「またこんなとこで待ってたの?」と首をかしげると、「女子高に男子は入れないからな」と智也は肩をすくめる。
「てか、学ランじゃないじゃん」
「俺も高校生になりました!」
胸を張った智也にあたしはクールに言い返す。
「あたし、来年大学生になるけどね」
「続いてるかな」
「さあ」
事もなげに話すあたしと智也に、美咲が噴き出す。
「何だかんだで続いてるじゃん、優衣と智也くん」
美咲は言われて、あたしは智也と顔を合わせる。出逢ったときはあんまり変わらなかった身長は、すっかり智也があたしを見下ろすようになっている。
「去年の夏からでしょ?」
「まあ一応」
「俺も驚きを禁じ得ないですね」
「どこから拾ってきたのそんな言葉」
「何かの漫画の優等生キャラが言ってた。使い方合ってる?」
「辞書引け」
「はいはい。じゃあ優衣、このあとどうする?」
まだ含み笑いながら美咲があたしを見る。
「お茶、また今度にしてもいいよ」
「別にこんなの放っていけばいいんじゃない」
「ドS彼女」
「放っていこう」
「ま、俺も顔見れたからいいんだけどね。んじゃ、帰るわ」
智也はそう言って、あっさりきびすを返して夕映えの景色の中へと飄々と歩いていく。美咲があたしを肘で突いて、にやにやとしてくる。
あたしは観念した息をつくと、「ごめん」と美咲に言い置いて、智也の背中を追いかけた。
「智也」
あたしの駆け足と呼びかけに、智也は横断歩道の手前で立ち止まって振り返った。智也の額で何かが光って、よく見ると彼は前髪をヘアピンで留めている。
「こんなのしてた?」
そう言ってヘアピンに触れると、「前髪がうざくなった」と智也は肩をすくめる。
「切ればいいじゃない」
「いや、デコに触ってるのも鬱陶しい」
「何かかわいいね」
「うん」
「一緒に帰ろっか」
「いいの?」
「ドーナツ食べたいから、一緒にお茶もしよ」
「放課後デートだな」
あたしは咲って、自然と智也と手をつないだ。智也の手はけっこう大きくて、あたしの手をすっぽり包む。
横断歩道を渡って車道を離れ、駅への近道を歩いていく。小さなお店が並ぶ中に、普通の民家も混じっている。
「智也も高校生か」
「受験頑張ったなあ」
「友達とは一緒のとこ行けたんだよね」
「うん。さすがにクラスは違うけどな」
「ま、三年間は楽しんでください。あたしはこれから、インターハイの次にすぐ進路だよ」
「レギュラー選ばれたんだ?」
「ありがたく。試合見に来る?」
「行きたいなー。何ていうの、あの短いスカート。あれはいい」
「おっさんか。ちなみにスコートね」
「見に行くよ。優衣、大学ではもうテニスしないんだろ?」
「うん」
「今しか見れないんだよな。ちゃんと応援に行く」
「智也は部活とかしないの」
「んー、強制ではないしな。柊も興味なさそう」
「そういや、その親友くんは智也とクラス離れて大丈夫そう? ごたごたしてたって言ってたじゃん」
「わりと、さらっと受け流されてるな。中学時代は異常だったんだよ」
「隠してはないんだ」
「言い触らしてもないけどな。やっぱ同じ中学出身がばらしてるみたい」
「悪意かな」
「どうだろ。高校生にもなったら、さすがに猿みたいに偏見しないのも増えてくるのにな。バカはバカのままかもしれんが」
「そういうときは、そばにいてやりなよね」
「もちろん」
智也はにっとして、あたしも微笑んだ。
智也の親友の男の子はゲイで、それを理由に中学時代はひどいイジメを受けていたらしい。詳しいことは知らないけれど、「俺はイジメる奴が分かんねえし、俺はあいつとはいい友達だよ」と言ってしまえる智也は、たぶんその子にとってとても貴重なのだろうと思った。少なくともあたしは、智也のそういう感覚は悪くないと思っている。
駅前の大きなスクランブル交差点に行き着くと、他校も含めて制服の子たちと車が行き交っていて、まだまだ騒がしかった。灯りはじめるネオンには、ドーナツ、ハンバーガー、牛丼、いろんな飲食店の看板があって、いつも帰り道は誘惑される。「ドーナツ?」と智也に確認されてうなずくと、あたしたちは予定通りドーナツショップに入った。
【第十二章へ】
