隣にならんで

 あたしがこの家に引き取られたときから、リビングにはカウチが置かれていた。そして、弓弦と紗月くんは、よくそのカウチに並んで腰かけて、くつろいで過ごす。
 紗月くんは弓弦がくたびれて帰ってくると、カウチで膝まくらをしてあげる。弓弦の髪を梳くように撫でて、愛おしそうにその寝顔を見守る。紗月くんは、ときおりあたしのことも寝かしつけてくれるけれど、弓弦が眠りに落ちていくのを見つめているときが一番優しい。
 ゆっくり眠って、目を覚ました弓弦は紗月くんの肩を抱いてあげて、耳元で何かささやいたり、額やこめかみにそっとキスしたりする。紗月くんははにかみながら微笑んで、弓弦の瞳を見つめかえす。弓弦が何か言うと、紗月くんは穏やかにうなずいてその肩に寄り添う。
 幼い頃は、あたしはそんなふたりに割りこんで、自分もかわいがってもらおうとした。もちろん、弓弦も紗月くんもあたしを邪慳にしたりしない。弓弦はあたしを膝に乗せたり、紗月くんは一緒に絵本を読んでくれたりした。
 でも、あたしも十一歳になって、さすがにふたりのそんな時間を邪魔することはしなくなった。
「あたしも、早く弓弦と紗月くんみたいな恋がしたいなあ」
 梅雨が明けて夏が始まった日、〈POOL〉に出向いていつもの席で、あたしは毬音ちゃんとお茶をしていた。
 二十三歳になる毬音ちゃんは、「結音も恋にあこがれる歳か」とくすりとしてカフェオレを飲む。毬音ちゃんは以前はこの喫茶店でバイトをしていたけれど、今は辞めている。
「毬音ちゃんは、悠ちゃんとあんまりいちゃいちゃしないよね。いいの?」
「そうしなくても、気持ちは分かってるし」
「えー、悠ちゃんがライヴ先で浮気したらとか考えないの?」
「悠がすると思う?」
「しないと思うけど」
「だからつきあってるの、あたしと悠は」
 毬音ちゃんの彼氏の悠ちゃんは、enfant terribleというバンドのギタリストだ。四年前にメジャーデビューして、着実に力をつけていくために各地で精力的にライヴをしている。
 あたしは悠ちゃんを思い返し、浮気はしないだろうなあ、と確かにうなずけた。
「結音はやっぱり、彼氏にするならあの子なの?」
「あの子」
「翼くんだっけ」
「翼!?」とあたしはびっくりして目を丸くしてしまう。
「翼は無理でしょ」
「そうなの?」
「あいつが、弓弦と紗月くんみたいにいちゃいちゃしてくれるわけないもん」
「いちゃいちゃしたいわけね」
「したい!」
「翼くんは、結音を大事にしてると思うけど」
「弓弦の子供だからでしょー」
 あたしは頬をふくらませて、ココアフロートのバニラアイスを口に含む。
「翼くんには甘えられるでしょ?」
「それは──翼はあたしのお世話係だったから」
「今はそうしておきますか」
「ずっと翼はないよっ。もっと優しくてー、好きって言ってくれてー、頭ぽんぽんしてくれないとダメ!」
 毬音ちゃんは苦笑を噛んで、翼なんて彼氏としてありえないのに、うまく説明できない。
 翼は、弓弦の側近である男の子だ。十五歳。四歳年上。「俺が死んでも翼がいれば何とかなるなー」と弓弦に言わせるくらい、この街では名前も顔も通った奴になっている。
 弓弦がそんなことを言っても、「冗談言わないで仕事してください」と翼は堅物に弓弦を働かせるのだけど。弓弦にそういうことを言えるのはごく少数なので、弓弦は翼を腹心としてかわいがってはいる。
「いらっしゃいませ。結音ちゃんいるわよ」
〈POOL〉に客が入ってきて、オーナーのミキさんがそう声をかける。振り向くと、うわさをすればの翼だった。
 くせっぽい髪に淡白な瞳、手足は不健康な感じで細め。翼は毬音ちゃんに目礼して、「お前はヒマそうでいいな」とさっそくあたしには皮肉を吐く。
「ヒマじゃないし。今は毬音ちゃんとお茶してるの」
「すみません、毬音さん。つきあわせてしまって」
「いいよ、あたしも楽しいから」
「翼、仕事?」
「ああ。昨夜から弓弦さん連絡全部無視してるから、全部俺に来てる……」
「弓弦はおうちで紗月くんといちゃいちゃしてるよ」
「……そうだろうなとは思った。それなら俺が何とかまわさないと」
「そこは、弓弦をしかって引きずり出すんじゃないんだね」
 毬音ちゃんがカフェオレをすすると、「紗月さんとの時間は邪魔できないんで」と翼はまじめな顔で言う。
「翼くんはデートとかしないの?」
「そのヒマがないです」
「誘われたりしないの?」
「……まったくないわけでは」
「そうなの!?」とあたしはストローから口を離す。
「翼を誘惑したりする人がいるの?」
「何だよ。悪いかよ」
「ええー、じゃあ、翼にいつか彼女ができるの……?」
 複雑でうつむいてしまうと、「結音、さんざん翼くんはないとか言っといて」と毬音ちゃんが噴き出す。
 翼はあたしの隣に腰をおろして、すいすいと画面に指をすべらせてスマホをいじる。
 あたしはそれを見つめて、かっこ悪くはないけど、と思う。何となく、翼に手出しする人はいない気がしていた。
 何でそう思っていたのだろう。いつも自分が、翼の隣にいたから?
 ミキさんに伝言を預けると、翼は三十分くらいで〈POOL〉を出ていった。
 十七時をまわって、空が明るいうちに毬音ちゃんとのお茶もお開きにして、あたしは家に帰る。玄関でいい匂いに気づいて、キッチンを覗くと弓弦が料理をしていた。
「ただいまー。夕ごはん?」
「おう、おかえり。ハヤシライス」
「たまご乗せる?」
「半熟?」
「もっととろとろになった奴!」
「了解」と応じた弓弦に、「やった!」と言いながらリビングに行くと、クーラーがきいた中で、紗月くんは座卓でノートPCに向かっていた。「ただいまー」と紗月くんにも声をかけると、「おかえり、結音」と紗月くんは手を止めて振り返る。
「毬音ちゃん、元気そうだった?」
「うんっ。翼にも会ったよ」
「そっか。さっき、弓弦も翼くんの着信に気づいてたよ」
 あたしは一瞬口ごもったのち、「あのね」と内緒話のように紗月くんの隣にしゃがむ。
「翼、デートするヒマないとか言ってたの」
「え、翼くん恋人できたの?」
「誘ってくる人はいるみたい」
「そう、だよね。翼くんも十五歳だもんね」
「翼が好きになる子って、どんなかなあ……」
 あたしが顔を伏せると、「気になるの?」と紗月くんは微笑む。あたしは首をかしげ、「あたしはね」とカウチに座る。
「弓弦と紗月くんみたいになりたいの」
「僕たち?」
「好きな人とは、弓弦と紗月くんがこのカウチに隣に並んでるときみたいに、あまあまがいい。……翼、してくれると思う?」
「翼くんが一番甘いのは、結音に対してだと思うよ」
「そう、かな?」
「あんまり素直じゃないかもしれないけど、翼くんは結音を大切に想ってるよ」
 翼の無愛想な顔を思い出していると、「夕飯作っといたから」と弓弦が顔を出す。「うん、ありがとう」と紗月くんは笑顔で返し、「仕事行くの?」とあたしが問うと、「翼に全部任せるのも悪いしな」と弓弦は答える。
「翼にさせておけばいいのに」
「それで翼がぶっ倒れたら気まずいだろ」
「いそがしかったら、デートもしないじゃん」
「は? デート?」
「翼くんにそういう話を持ちかける子もいるみたい」
 紗月くんが言うと、「それが気になるのか?」と弓弦はあたしを見る。肯定するのも癪であたしがただふくれっ面になると、「ふうん」と弓弦は自分の肩を揉む。
「まあ、あいつは休み与えても、結音の相手してるくらいだから、ほかの女とかないんじゃねえの」
「翼に休みあげてるの?」
「やるよ、それぐらい。でも、結局お前の面倒見てくれるんだよなあ」
 まばたきをしていると、弓弦は身支度を整え、紗月くんの髪にキスをして、あたしの頭をぽんとして、出かけていった。
 あたしはカウチに深くもたれ、「翼、あたしの隣にいてくれるのかなあ」とつぶやく。紗月くんは笑みを作り、「大丈夫だよ」とあたしの膝に手を置く。
「翼くんは、きっと結音を裏切ったりしないから」
 あたしは紗月くんを見つめたのち、「うん」とうなずいた。弓弦と紗月くん。毬音ちゃんと悠ちゃん。そんなふたりと同じように、翼があたしを絶対ひとりにしないのは本当だ。
 数日後、仕事が一段落した翼はあたしの家に来て、「行きたいとこあればつきあうけど」とむすっとした顔のまま言った。今まで、弓弦に言われてあたしの相手に来ているのだと思っていたけど、どうやら翼は、自分であたしに会いにきているのか。そう思うと、けっこう気分がいい。
「ライヴ行きたい」と靴を履きながらあたしが言うと、「彩雪行くか」と翼はさっさと歩き出した。
「ねえ、翼」
「ん?」
「いつか隣に座れるといいね」
 ネオンが灯り、夜になっていく街の混雑を縫うように歩きながら、あたしは翼を見上げた。翼は意味がよく分からなかったようで、変な顔をしただけだったけど、あたしは笑顔で翼の隣を歩く。
 こうやって、幼い頃から翼の隣を歩いてきた。だから、いつか座るときも、翼の隣がいい。そして、あのカウチで並ぶ弓弦と紗月くんみたいに、その隣にいることをひとり占めするの。
 それがあたしの夢。その夢をかなえる相手は、確かにどんな人より、翼がいいと思うんだ。

 FIN

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